【第三十六回】太平記 part.36『湊川の決戦』
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山名は室町幕府からも足利一門の扱いを受けているよね 鎌倉時代は新田より山名の方が格上だったりするんじゃないか
ドラマには山名ワンシーンも出てないな
大舘や北条時行は脚本にはあったけどシーンごとカットされたのは今更知ったよ
撮影事態はしたんかね? >>219
まさか京都や梁田御厨から新田に行ったわけ?
凄いな・・・・ 新田は足利庶流の諸家のなかでのランクは最低レベルなんじゃないか?
治承・寿永の内乱期に足利宗家と別行動を取った矢田義清の子孫である仁木・細川が
一族でありながら家臣同然の扱いを受けていたことを考えると、新田も同様だろう。 頼朝につくかつかないかでその後の武家政権700年の地位が決まってしまうとはな。(得川は頼朝についた)。
そういう意味では建武の新政ってのは落ちぶれ者や新興武士にとってはビッグチャンスだったんだなと。 >>233
新田は足利庶流
そもそも、これが間違い
この間違いの前提で話をするから、おかしくなるんや メント内容 >>216
大河ドラマの中で、真田さんが橋さんに言っているね。桃井、そなたはいつからそんなに対等に物を言えるようになった!とね。 高橋さんは太平記の後すぐに死んじゃったね 惜しい俳優だった >>240
すぐって…。
流石に「太平記」の時には癌のがの字すらなかったんじゃないかな。 小さい頃にこのドラマを見てた影響でしばらくフランキーさんと高橋さんが嫌いだった >>242
当方も小学生のときに見て、悪役を上手くやっていて凄いとは思ったが、嫌いには
全然ならなかったけどなぁ・・・。 >>235
義国の男系子孫は基本的にみんな足利庶流でしょw 正成が大局を視て足利方についていれば
分断作戦の囮に義貞が騙されなかったら
孤立した軍が楠木軍ではなく新田軍だったなら
想像するときりがない。 真田さんが犬に追われるシーンは最高だった
うますぎる >>246
あれをスタント無しで、主役本人がやってるというのが、今では絶対に考えられないわ
怖すぎる >>245
手薄の楠木軍を追い込むなんて
尊氏は無慈悲だよな >>245
南朝側視点で見れば、そんなことよりも
北畠顕家を奥州なんかにやっていなければ
護良親王と後醍醐が仲違いしていなければ
赤松円心を南朝側につけられていれば
などだろ >>249
そんなことって・・・・
湊川の決戦
スレですから >>247
まぁ、一般人にはスタンドは観えないわけだし あの時期にはもう尊氏なり護良親王なりから
広域に大動員がかかっていて、鎌倉総攻撃の兵員が関東に向かっていた
数日躊躇すれば先祖と同じ出遅れ状態になっただろう あのときの義貞は、事前に尊氏から鎌倉攻めについての指示は受けていただろうけど、
尊氏の六波羅攻めが上手くいったかどうかの情報はまだない状況で挙兵しているよね。
きっと尊氏から挙兵を厳命されていたのだろうな。 >>245
楠木正成は人格も含めて過大評価されていると思う。
後醍醐天皇の赤松や東国武士の恩賞の差別を、
知っていたのも関わらず、
後醍醐に忠誠を誓うという美談で今に至るが、
自己保身で必死だったのではないか。 >>255
自己保身第一なら湊川なんて出陣せずにさっさと寝返ればいいのに 初歩的な事だけど
頼朝政権の勃興期の頃、足利氏って大族だったのかな
自立してたら、新田義重みたいに反目するか
北条から嫁をとったりしないとか・・・?
他の源氏が粛正されたから、結果的に鎌倉末期に源氏代表みたいになったとか? >>259
そらそうだろ
頼朝の命令で政子の妹が足利義兼に嫁いだんだし >>259
〉頼朝政権の勃興期の頃、足利氏って大族だったのかな
藤姓足利氏が没落してその領土吸収したからってのはあるかもね
〉他の源氏が粛正されたから、結果的に鎌倉末期に源氏代表みたいになったとか?
それもある、幕府滅びなきゃ次は足利だったろう >>259
当時の足利氏は義康が若くして没しその段階で義兼は幼い子供だったから仕方ない
そして頼朝挙兵の段階でも義兼は20代半ばで自分自身の実績はさほどあるわけじゃない
まあ母方の縁もあるし早々に頼朝に靡いたのは自然の成り行きなんじゃないかな?
もっとも義兼の異母兄矢田義清(仁木・細川の祖)は義仲に属して別行動をとっているが 足利が東国で自立するって幕府の支配に属さないってこと?西国じゃあるまいしそんなことできるわけないだろ。奥州と関東は鎌倉殿の管轄だぞ。 つうか治承4年の段階で頼朝が関東の大半を押さえてしまっているのに、下手に頼朝に
反抗するほうがハッキリ言って頭悪いだろう・・・。 志太みたいに敵対したり、新田みたいに帰参後に冷遇されたり
上総介広常みたいに粛正されたり
武田みたいに分割されたりしてないのは
源頼朝に優遇されるほど知恵がまわって
警戒されるほど大きな一族ではなかったからか?
なんて思ったんですよ >>259
板違い、嫌われ者、低民度、朝鮮人みたい >>264
それが藤姓足利氏だったわけで。
保元の乱では源義朝に付いたのに。
頼朝に反旗した原因は足利荘の争いではなく
新田荘なんだよな。 >>265
頼朝って、平賀・大内への厚遇とか、父親の時代からの由緒なんかをかなり重視する
傾向がある。
その意味からいえば、足利義兼の父義康は、早世したとはいえ保元の乱の頃には義朝の
盟友的なポジションだった人物だし、義兼は大人しく頼朝に靡く限りにおいては、
それなりの処遇には得られる立ち位置だったんじゃないかな? 逆に源氏一門という血縁関係のみでは過度の厚遇はしないんだよな >>271
そういう意味では足利尊氏や高帥直に近い
逆に足利直義は門閥重視 >>272
ただ直義が重視した鎌倉以来の名門御家人は、つまるところ頼朝に取り立てられた人々の
末裔なのが、皮肉だな。 まあ尊氏も、最初は鎌倉幕府を模した直義との二頭政治体制を認めていたわけだけどね。
南北朝の内乱の長期化が世の中を変化させたというのが、正解だろう。 桃井ってなんであんな威張ってるの?
討幕の時どこに居ったんだと もともと桃井は武闘派だったけど、頭脳派の直義に重用されたから、
自分は文武両道で優秀だと思い込んで気が大きくなったのでは? 直義の権勢が自分のものだと勘違いしたんだろう
コバンザメにはよくあることよ ドラマでは敵役だからそういう風に見えるようにやっていたけど実際の桃井は直義が死のうが直冬と決別しようが戦い続けた 北陸には斯波がおるから、生きていくには闘い続けるしかなかったんかね 当時の北陸は斯波・桃井・上杉と直義派の牙城だったのだよな。 素人考えだけど
尊氏対直義で
直義が勝っていたら、やっぱり足利氏だったのかなあ
三条直義なんて改姓はしないよなあ >>284
将軍は鎌倉幕府に倣って皇族を迎え、直義・直冬の家系が世襲の執権職の地位に収まるとか? 将軍の実弟なんだから自分が将軍になるだろ
唐の太宗や宋の太宗と同じだよ >>286
李世民と趙匡胤は一応名君とされてるけど
直義だと正直w 唐の太宋ぐらいは誰でも知ってるだろ
古典軍記ものは中国古典知ってるのが前提の話も多々ある
護良親王の生首とか
ドラマスレだから程々にだが 誰でも知ってる前提なら、なにを書いてもいいと考える貧弱脳 >>296
NHK的には慶喜と道三の間に聖徳太子→秋山真之も 南北朝の動乱の勝者は結果的には細川と上杉になるんかな 北条残党から鎌倉を奪回した後、
信濃で足利と新田のあ領地争いついての軍議の
兄弟喧嘩の緊張感はやはり何度観ても凄い。
演出・役者・台本の良さが凝縮されている。 尊氏と直義が対立した
ターニングポイントって何処だったのだろうね。 後継者の事を考えだして
「尊氏倒れても、弟直義がいるから足利は安泰」
なんて言ってられなくなった時なのかな 直冬がどうして九州などで勢力をまとめられたのか、
棒役者を見ただけではまるで理解できなかった そもそも尊氏が九州に落ちてからどうやって上洛するのか楽しみに
してたのに、ナレーションだけで済ませちゃったのが拍子抜けすぎた >>308
足利氏が再起して上洛を果たすとき
西日本関係、「少しは語られるかな?」って期待したんだけどな >>309
そこの所、正確に伝えようとすれば、1年では足りなくなるし、直冬が九州で決起した時、少しは九州の武将と軍議している場面も描かれていたので良しとしてください。 一色を九州探題と置いてくことについて「単なる名目じゃ」だっけ?
右馬介は創作人物なんだっけ?全く絡みなかったけどその辺掘り下げて、、、(100話あっても足りんわ) >>309
菊池も少弐も一色も、殆ど描かれてない時点でもう、ね
西日本関係は赤松すら山賊の大将みたいな扱い
桃井は結構重要なキャラ扱いだったのに 前半に少し内容を盛り込みすぎたんだな。
北条一族滅亡が6月最終回だったっけ?
しわ寄せでスケジュール押して、北畠軍西上と九州エピソードははしょらざるをえなかったんだろ。 尊氏が起つまでが長すぎ
まあ悩みまくってたのは事実だけど人質の回とかもう少し端折れたんでは、と思う 尊氏が起ってからは尊氏の独壇場だからな
宮方の見せ場が無くなってしまうw 鎌倉炎上という美しい回で前半を締めくくるために
仕方ない構成じゃないかな
あれ以降なんというか幻滅の日々だし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています