【第三十六回】太平記 part.36『湊川の決戦』
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
赤井英和にアテレコしたバージョンを出してほしいよな >>19
数年前、鎌倉末期(〜南北朝もの)の漫画が連載されたけど
多分、全部打ちきり?
個人的には
学研漫画人物日本史だったかの「足利尊氏」に夢中になったな
北条高時がバカ殿、新田義貞がモブ顔だったけど
今でも入手できるのかな >>47
尊氏が小島法師に「ハンサムだったって書いてちょ!」みたいに言ってたやつね! >>52
小島法師って、児島高徳の成れの果てなんだっけ? >>50
あと中世史に大きな影響を与えた
尾張熱田神宮家や頼朝の本貫地の尾張を絡めたら伸びるよ >>55
尾張の熱田大宮司って隣国三河に荘園という名の植民地をたくさん持っていて
未開な三河人を奴隷として使役していたのだっけ?
まあ今の愛知県とあんまり構図は変わらないねw 亀山院の末子恒明親王が尊氏と交戦したとあるが真実か? http://aurora1025.blogspot.jp/2014/02/area-in-which-wealthy-live-volume-on_18.html?m=1
年収300万円以下比率(30%以上)
名古屋市中村区:42,32%(笑)
名古屋市中区_;41.28%(笑)
名古屋市昭和区:38.11%(笑)
名古屋氏南区_:37.29%(笑)
名古屋市熱田区:37.24%(笑)
名古屋市港区_:35.03%(笑)
名古屋市北区_:34.50%(笑)
名古屋市東区_:34.50%(笑)
名古屋市天白区:33,22%(笑)
名古屋市中川区:32.79%(笑)
名古屋市西区_:32.56%(笑)
名古屋市千種区:32.34%(笑)
名古屋市瑞穂区:31.17%(笑)
まさに田舎臭い貧乏人、貧乏臭い田舎者の称号がお似合いですなw 何を申される
湊川の合戦の「前」と「後」では事情は大違いじゃ >>50
>>51
お前が一人何役もやって伸ばしてるだけ
ブログでやれ、精神分裂病患者 そういえば鎌倉期の足利氏も、三河守護となって三河を植民地経営したんだよねw 三河にいた源義兼が足利に本拠を構えて足利義兼になったのだよ
元々が三河だ
だから、義兼が創建した寺は源氏ではなく生母を菩提する寺だったし、菩提寺の鑁阿寺創建の現場最高責任者も三河の母方なのだよ
馬鹿でもわかるようにまとめてやっているのに、それでもわからんとは流石はウンコ君だな
■樺崎八幡宮(元は法界寺)
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/023/935/11/N000/000/011/138960094181861421228_s-CIMG3574.jpg
>生母菩提の為
生母
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
家祖:藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)
系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→→藤原範忠→女子→足利義兼 つまり結局は三河の源頼朝がキーマンなんだわな
従兄弟の源義兼に足利荘を与え、源姓足利氏を誕生させ
もう一人の従兄弟、寛伝を日光に送り込み、関東の宗教界を支配下においた
北関東は支配された側なんだわな
頼朝は、三河にあった自身の母方の菩提寺の僧を日光に送り込んだ
■日光山
源頼朝がその母方の従兄弟を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた
源頼朝
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→娘(由良御前)→源頼朝
寛伝(母方の従兄弟)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝 >>56
足利でも同じだな
未開の三河に植民地を作って
土人をマトモな人間にしてやった >>67
>三河にいた源義兼が足利に本拠を構えて足利義兼になったのだよ
いい加減
くだらん妄想病ハヨ直せ 1160年〜1180年、源義兼は三河で祖父が寄進したとみられる女院領の代官をやりながら、熱田大宮司職の代理をしていた
源義重の庇護を受けていたとか間違いなんだよ
熱田大宮司千秋家譜について
http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f7-4.pdf ここまで頻繁に三河屋が出現するとはw
いつになく相当焦っているなw 要は頼朝も足利も熱田大宮司も八条院も
みんな三河を荘園(=植民地)を獲得するための草刈り場にしていたわけだなw 難しく考えるなよ、貧乏田舎者よ
勝ち組を生み出す日本の別格地なのは、現代社会においても証明されているだろうが
【リーマンショック後の総所得ランキング】
・課税所得額ならびに総所得額の推計を実施。本文中の数字は全て総所得額ベース。
総所得ランキングトップは江ノ電沿線、金融資産トップは京王井の頭線沿線。
リーマンショックで打撃を受けたのは近鉄長野線沿線――。
総所得ランキング
01位 江ノ島電鉄線(神奈川県藤沢市〜鎌倉市)
02位 阪急甲陽線(兵庫県西宮市)
03位 京王井の頭線(東京都渋谷区〜武蔵野市)
04位 東急東横線(東京都渋谷区〜神奈川県横浜市)
05位 東急こどもの国線(神奈川県横浜市)
06位 東急田園都市線(東京都渋谷区〜神奈川県大和市)
07位 相鉄いずみ野線(神奈川県横浜市〜神奈川県藤沢市)
08位 東急目黒線(東京都品川区〜神奈川県横浜市)
09位 名鉄西尾線(三河県安城市〜吉西尾市)
10位 名鉄豊田線(三河県みよし市〜豊田市)
11位 東急大井町線(東京都品川区〜神奈川県川崎市)
12位 東急世田谷線(東京都世田谷区)
13位 小田急小田原線(東京都新宿区〜神奈川県小田原市)
14位 名鉄三河線(三河県豊田市〜碧南市)
15位 東急池上線(東京都品川区〜大田区)
ソース:東洋経済オンライン
http://www.toyokeizai.net/life/living/detail/AC/a9f0b48216dc7b01346aec09db603d62/
ソースのソース:株式会社野村総合研究所 第2回全国のエリア別所得・金融資産を推計
http://www.nri.co.jp/news/2010/100330.html >>73
大嘘つくなよ
源義国が寄進したと「みられる」とか
足利義兼が三河でとか
三河植民地土人は末期妄想癖症候群 全国足利氏ゆかりの会の会員所在地マップ
http://www.ashikagauji.net/member/membermap_201809.pdf
案の定三河地域には会員の団体は一つもなしw
やっぱり足利氏にとって三河は単なる植民地でそれ以上の意味合いはなかったのだろうな 太閤検地段階の石高で比較しても尾張や美濃はそれぞれ単体でも三河の2倍以上あるなw >>78
義国って何だよ
馬鹿すぎて、親族が泣いているだろうが
理解力が無い老人だな
12世紀半ばとすると、寄進者は大宮司の範忠としか考えられないが、記録が残っていないから、断定ではなく、みられるで正しいだろうが
俺の言葉選びの丁寧さが露呈しているだろう
俺はソースの無い話しない
義兼の代官の話は安城市史
大宮司の代理の話はこれだ
熱田大宮司千秋家譜について
http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f7-4.pdf >>81
田舎者が頭が悪いが、露呈しているな
例えばだよ
シンポジウムかなんかで会の参加者から足利決起について聞かれたらどうするんだ?
会長「その件については三河に聞いてほしい」
参加者「でも、会員に三河は入ってませんよね」
会長「ぐぬぬ」
大恥をかく
つまりだ、こういった会を立ち上げる際に熟慮出来ないのが田舎者だ
普通の頭で熟慮すれば、土下座してでも三河に入ってもらう結論になるはずなんだよ
会に入っていない三河の方が色々な裏事情に詳しいとか、恥をかくのが必至ではないか なんか某半島の国と同じくらい反論が痛々しくなってきたなw >>73
>>78
>>86
一人プロレス楽しい?
シコッて寝ろ >>73
>>78
>>86
>>89
三河屋
自演お疲れ
スレ伸ばしも大概にしろよ >>92
高師直も二条の君も
いい味出していたよな >>95
守護補任状って将軍の直筆なのか?
花押だけ据えているのかと思っていたよ。 >>97
尊氏が急に張り切りだした時期と重なっており、自筆にしたのかも。 >>97
通常はそうなるね
ただ反幕へと転じた折や新政前夜、九州下向および再度上洛にあたっては
絹布小片に認めた自筆文書は例数多だから、その辺りと性格を同じくする
態のモノじゃないかな? 尊氏自筆書状といえば去年秋に東京で見た
醍醐寺座主に宛てた自筆の書状はよかったな
尊氏らしからぬ伸び伸びした書体で綺麗だった そういや花押の変遷でその時の心理状態を探るみたいな話は面白いけど
どこまで信用できるのかね(´・ω・`)
直義の花押の変化とか有名だけど タイムリーなネタ。醍醐寺展で三宝院賢俊に宛てた尊氏直筆の書状を見てきた。俺が見たのは丹波の篠村八幡宮の別当職を安堵するってやつ。他には後醍醐宸筆の「天長印信」(国宝)。満済准后日記などなど。 >>101
尊氏なんかも微妙に花押は変化していくけど、単なる書き癖の変化のような感じだよね。 >>104
そういえば、ジュニアで後から六平直政が重要な役目で出てくるが、太平記にも闘犬のところなんかで少し出演してるんだっけ? 醍醐寺の書状はひらがなで
篠村八幡宮の書状は漢字だけど繊細で素晴らしい
鑁阿寺書状は豪快だし
それぞれ多彩でとらわれない自由奔放な書き方で面白い 六平直政は序盤で将軍御座所に高氏ともに仕えている宍戸と言う御家人の役で、
高氏が鎌倉から京に向けて出発する場面で道端で見送っている場面が最後
架空の役 木戸を開けつつ高氏に
「(家柄のわりに)お前さんは大分違うのう」って役の人か 六平さん、最後の登場シーンで尊氏の旅立ちを見送っていたけど、
もしかしたらあの後、新田の鎌倉攻めで死んじゃったのかもなぁ(´・ω・`) 六波羅全滅の時は御家人はだいたい離脱している
最後まで運命をともにした佐々木清高が特殊と言われてるくらい >>103
クセっていうより
下文や寄進状や願文や私文とか
当然相手の身分によって微妙に変えてる
まぁ若い時と晩年も筆圧も違うけどね 赤松円心役の渡辺哲さん、今は売れっ子のバイプレーヤーだけど、
この当時40ちょっと過ぎくらい?
なんであんな貫禄あったんだ? 赤松をいかにもどこの馬の骨かわからん胡散臭い武将のイメージにするためにあんなカッコさせたのか。
悪意を感じるなw >>117
蜂須賀小六は多くの戦国大河でレスラー枠じゃないか? 大河の赤松は、太平記〜花の乱〜軍師官兵衛と割と出番があった どうしてそういうイメージに落ち着いちゃったんだろうね。
まあ新田義貞さんもほんとはもっとおちゃらけなキャラだったかもしれんがw 足利兄弟の性格はなんとなくみんなに共通認識があるかんじだけど
新田義貞の性格ってどうだったんだろうな。確かによくわらかん この太平記の義貞は頭に矢が当たらなかったね。
当たったのは、緒方拳の弁慶、加藤剛の平将門、佐藤浩市の木曽義仲(これは準大河)…。 案外楠木なんかもあんな感じだったのかもね悪党だったし
同じ悪党でも南朝の忠臣と幕府の忠臣では描かれ方に違いがありすぎるよな
明治時代とか凄かったんだろうなあ 義貞は真面目な話しか伝わってない気がする
尊氏は能楽見過ぎて弟に叱られる話がかわいい ところで
このドラマは原作である古典「太平記」に忠実だったの? 実際には私本太平記とも全然違うストーリーだけどな
私本太平記の中で使える設定やセリフを拾ってるだけで >>124
義貞は配役的には根津氏で正解だったと思う 古尾谷雅人に義貞をやって欲しかった。
真田広之とは身長差があるが。 鎌倉滅亡の時女房たちが高時を囲むシーンは吉川英治作品にああいう描写があるが、
円喜が切腹して死ぬところなんかは(フランキー堺用といっていいと思うが)全くのドラマオリジナル
古典太平記では円喜の孫の新右衛門というのが円喜を刺して一緒に死んだとかいう話が書いてある 私本太平記って古典太平記と難太平記、
それと梅松論
どっちが近いの?
難太平記はまだ読んだ事がないけど・・・ 昨日京都攻略の回久しぶりに見たけど守時を皆追い返そうとする中
高時は直に会って言葉をかけるシーンに泣いた
一見暗愚に見えるが状況を誰よりも常に冷静に把握してるんだよね
政治が苦手なのとやる気を失ってただけで 後醍醐が終身天皇にこだわった理由は?
院政を意地でもやらなかったな。何この頑固さは。所々のターニングポイントで院政をやってれば。って場面がある。 >>138
天皇が持明院統へ移った場合、上皇になっても院政はできないよ。 延喜・天暦を理想として摂関・院政・幕府をすべて否定する後醍醐天皇にとって
自らが院政を行う選択肢なんてあり得ないと思うけど
人殺しの殺人鬼の池田大作の創価の公明が政治活動
キチガイの集まりのいやがらせキチガイ集団の創価の公明が政治活動
創価学校・創価大学・キチガイ養成学校の創価の公明が政治活動 後醍醐は終生天皇であることが自らの正当性を証明することになったのだろう。自分は中継ぎ天皇で自らの子孫を皇位に就けることはほぼ不可能。武力でその権利を獲得したが生前に天皇を退位すると他の大覚寺統や持明院統が皇位継承に横槍を入れてくるからな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています