>>711
ポンコツのお前が大好きなコント大河ではないので、不要な情報を省略した。

ようやく中央に食い込んだ、しかしまだ下っ端の正盛(王家に逆らうという選択肢はない
と断じた紋次郎さんの言葉が印象的ーまだまだ王家の犬)。
次に、平氏の地位を飛躍させた立役者、だが公卿の夢実現にまでは届かなかった忠盛。
屈辱をバネに(殿上闇討ち)、忠盛は王家の犬からの脱却そして武士の世を目指した。
深謀遠慮を巡らせながら着々と実力(経済力、軍事力)を蓄えた忠盛は、
成長した清盛にバトンタッチした(強うなったな清盛←死にたくなければ強くなれ!)。
そして我らが清盛。彼自身の才能と努力とが忠盛が残したレガシーの上に花開いた姿こそ、
武士初の公卿、初の太政大臣。そして交易国家を志向して今残るインフラを整備し、
治承クーデターによって武力を基盤とする政権ー武士の世の原初形態ーを樹立した清盛だ。

特筆すべきは、こうした平家の勃興過程が常に王家、摂関家、さらに源氏との力関係の
推移とともに描かれたこと。群像劇とはこういうものを指す。
対王家では、王家の犬に始まり遂には王朝そのものを乗っ取ってしまった(平氏系新王朝)。
対摂関家では、武士を穢らわしい存在としか考えていない1話の忠実&忠通に始まり、
忠盛を侮蔑する忠通、不承不承清盛の武力に頼る忠通、ついには息子をよろしくと頭下げにきた忠通。
すっかり傀儡となった基実、基通。反発するもねじ伏せられた基房。
そして武士の覇権争いについても、平氏の興隆は常に源氏との世代間比較の視点から描かれた
〜為義の世代で忠盛平氏に追い抜かれた。うだつの上がらない源氏は、海賊討伐で凱旋する清盛を横目に
義朝が東国修行に出て勢力挽回を図る。晴れて義朝は京へ帰還し(水仙)鳥羽院に使え京貴族の仲間入り。
ところが、これによって摂関家頼長のシモベー為義との確執がのっぴきならぬものとなっていく。
この過程で生じたのが大蔵合戦だ。源氏のシンボル髭切争奪戦は、すなわち為義後継を巡る
義朝と為義→義賢の仁義なき戦いであった。
武蔵守?赤子義仲がいない?アホですか?この緻密な歴史展開において露ほどの重要性も持たない。