>>326 より続き

326 のリンク記事を読んだ後に、>>325 の「松竹芸能のウィキ」を読むと分かりやすいと思うが、ここにも、最初に吉本の芸人を
引き抜いたのは、『松竹社長の白井松次郎』であり、それに怒った吉本の林正之助が恫喝したとあるので、「最初に手を出したのは松
竹」である(その後、吉本も暴力団を使って松竹に対抗しているから、単なる被害者ではないが)。しかもこの時は、松竹の白井が、
吉本の林に非礼を詫び「松竹は吉本の芸人に一切手を出さない」と言って事態を収拾させている。

戦後吉本は一時期演芸から撤退していたが、1959年に再進出すると、松竹吉本の間で芸人の引き抜きが多くなり、松竹芸能と吉本
興業は芸人を引き抜かない協定を結んだ。しかし1970年に松竹の看板芸人、中田ダイマル・ラケットが吉本に移籍すると、両者の
関係は悪化し、一部の例外を除いて、吉本と松竹芸能の芸人は共演しないことが、1980年代後半まで続いた。

その後徐々に共演が出てきて「対立の大きな原因であった林正之助が1991年に逝去」し、2000年頃から協調路線に転じたとあ
る。

続きます