【2000年大河ドラマ】葵徳川三代 17
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「天下分け目」の「関ケ原の合戦」を経て、安定政権徳川幕府を築き上げる
家康、秀忠、家光の三代の絆と営みを、壮大なスケールで描く
【脚本】 ジェームス三木
【演出】 重光亨彦 尾崎充信 佐藤譲 渡辺一貴
【音楽】 岩代太郎
【主演】 津川雅彦 西田敏行 尾上辰之助
BSプレミアム 毎週日曜 午前6時 大河ドラマアンコール にて放送中
前スレ
【2000年大河ドラマ】葵徳川三代 16
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1578823389/ 久能山穴場か?
結構有名だろ?
あと名古屋は名古屋東照宮 >>878
久能山、下に車停めて登ったけど、かなり急勾配で登山とかしない人に
とってはかなりつらかったわ
ただ登りながら、当時はフル装備でここ登ったのか、あの時代の人たちの
足腰はすげぇなと思った >>882
まだまだ終わらんぞい。もうちっとだけ続くんじゃ >>883
去年小学低学年の子供と一緒に登ったが、俺がへばって子供はピンピンしてた
体力的に厳しい人は日本平からのロープウェーがお勧め >>882
別の大河ドラマの話を延々続けられるよりはマシだろ
別の大河の話はそのドラマのスレでやれ >>886
登り切ったあとロープウェイの存在を知ったのですが日本平とは知らなかったので
次に行くときはそっちから行きます。ありがとうございます。 かと言って談義が終わると、ほぼ丸一日レスなくなるというね みんなコロナ自粛で5チャンネルまで自粛してるのかなw 土曜、日曜になると録画したの見てるよ。私は葵ロスですかね? 清盛の工作員が別の大河を叩いて住人をドン引きさせなければもう少し余韻に浸れただろう オープニングがいいんだよなあ
日光東照宮とスペインのアランフェス協奏曲風の壮大なテーマ曲
大河ドラマ史上一番好きなOP 吹割の滝は一昨年万座と日光に一泊ずつした時に寄ったな
又兵衛桜は毎年行っていたが今年は自粛した ゴーン 訃報でござる
藤田信吉の和田周さん 新型コロナで逝去。享年82 ヤフーニュースで和田周さん逝去って見て誰だろ?って思ったけど直江兼続の逆鱗に触れてた藤田信吉の人だったか!
生き証人として活躍されてたな。
ご冥福をお祈りします 西軍シンパの人も
葵徳川三代評価してる人多いんじゃないの?
かなり出来いいよね 西軍シンパってわけじゃないけど大谷吉継は人として最高の1人だと思ってる 家康・秀忠の序盤意気軒高な状態から少しずつ老け込んでいくペース配分が上手い
週1の時は気付かなかったけど、テレワの影響で毎日1話ずつ見て思った 俺も一気見してるんだけど、本多正純がだんだん尊大になっていく様子が上手いなと思った
大坂の陣の頃なんかすげー偉そうだもんな
んで家康の没後凋落していくさまも良い 葵はドラマを楽しみながら歴史にも詳しくなれるという歴史読み物を読んでいるような楽しさがあるんだよなあ(教科書では取り上げられていない空白の部分を知る事ができるし) >>910
ステイホーム週間。葵徳川三代で歴史の復習をしましょう。 オンデマンドのハイビジョンでも大型テレビで見ても綺麗だな >>906
大谷刑部の誠の義は、歴ヲタ、歴女にも高く評価されている
逆に400年以上たっても小早川秀秋は毛嫌いされている(日本人は裏切り者が嫌い)
葵徳川で見て思ったのは、最初から三成に加担してるが、
会津征伐の途中、佐和山で内府殿と仲直りするよう説得するシーンがあってもよかった
他の大名が会津征伐を反対する中、刑部はそれを支持してたから
豊臣恩顧かつ近江派だったが家康とも昵懇だった
(孫の重政は、後に福井松平に出仕する) 5日 Eテレ 午後10時〜
知恵泉「家康vs信玄」
・三方ヶ原の戦いで家康はなぜ負けたのか
・敵将を師と仰いで何を学んだのか 敢ヘテ、御世嗣ヲ差シ替ヘンカ、結城秀康卿カ至当ニテ御座候ハン哉 NHKの歴史番組で使われる合戦シーン
9割くらいは葵のような気がする お金掛けた甲斐があったというべきか
もうお金掛けられないとみるべきか… もともと再利用することを考えて予算をかけて大掛かりな撮影をあえてしたんじゃなかったっけ アニメでいうバンクの発想だななかなか賢いやり方だったと思う 西軍が勝ってたら、北の上杉 、西の毛利の二頭体制だったろう。
そして日本の実質的な執政として近江宰相(周辺沢山直轄領にして
100万石くらいの領主兼任):石田治部様がニヤリ
徳川??
う〜〜ん 西軍が勝っていたら
宇喜多秀家が天下人だったらしい
「冊封嘆願書」って言葉調べてみな 宇喜多は副大将ではあるが、大将の毛利は去就が曖昧だし、宇喜多は豊臣家一門扱いだから、妥当だと思います 宇喜田なんて人望がないからすぐに仲間割れして再び戦国の世がずっと続いただろうな 宇喜多は57万石の統治能力がなく、加賀の前田利常に寄食して10万石の食客が妥当と存じます 大都会岡山が首都かそれと同等クラスの都市になっていたのか…負けてよかったな 秀家は御家騒動で重臣が抜けた後でもよく家臣を統率し関ヶ原の西軍の中では一番果敢に戦った訳だから、西軍が勝てば秀家の藩内での絶対君主化が進み、反抗する者はもういないと思う
ただ総大将は毛利だから西軍内で前線と留守居の間で微妙に対立が始まるだろうし、そこを徳川につけ込まれるかもしれんし、秀家の天下人は簡単には無理かな とりあえず「冊封嘆願書」って言葉調べてごらん
それ見るまでは輝元が盟主になると思っていた 中国に覇権を広げた元就殿の子孫とは思えぬわHAHAHAとか笑いながら西から進軍してくる真っ黒だ勘兵衛 まあ、西軍が勝ってたら石田得宗家による執権政治になるから心配スンナw
毛利、上杉が500万石ずつ位になるかな?
新潟と広島が同時に日本の中枢になる。悪くはないな 毛利は安芸広島120万石だったが、瀬戸内海の交易利権や鉱山収入で200万石に匹敵する財力があると言われていた
もし、北九州や四国北岸をも手中におさめれば400くらいになってしまったかもしれない 家康公がおらねば、家康公が天下人にならねば、混乱の時代は長く続いただろう >>936
嘆願書は秀吉が日本国王で自分をその次くらいに偉い地位につけてよという内容で、小西行長が自分が権力を握りたいから勝手に明に提出して尻尾振りましたということだったが、これがなんで宇喜多の天下人につながるのか分からない 「宇喜多秀家盟主案」
もしくは
「宇喜多秀家大都督」
これで調べてごらん >>947
今度調べてみますね。知らない部分は興味ある 戦国時代板では相手をしてもらえないからここを荒らしてるの? どの板に限らず、こういう思わせぶりにヒントだけ出す奴が、後でちゃんと説明したことなんてないからなあ 第1話でチョイ役で宮本武蔵が出ていたのは家光の時代の島原の乱にも参戦した彼を準レギュラーにしようという意図があったのだろうか
(海老蔵版では関ヶ原からの逃亡途中で七人の侍ごっこで二刀流を会得してたなw) >>955
結局家康があの時世の中回すのに一番適任だったとは思うからね 信長が全国統一できてれば、スペインやポルトガルのような海洋国家、通商国家になってたのかな? 結局どんな為政者の道辿っても、国内に資源無いんだから中継貿易とかものづくりに注力とか同じ方向へ行ってただろう
キリスト教の扱いに関しては天下人が新派か排斥かで大きく違ったはずだけど >>960
そのシーンで家康が本多正信を呼ぶとき
「マサノブ」と外人テイストなアクセントで呼ぶのすっごい好き >>957
信長が全国統一できても所詮一代限りの政権だっただろうなあw
家康がすごいのは徳川家が続く基盤を構築したこと 結果的にイギリスは日本東アジアから撤退
インドに専念したことで
大英帝国繁栄の礎になるけども >>962
秀忠「家来もつけてやろうの」
アダムス「わたし、トノサマ?」
秀忠「そうじゃ、トノサマじゃ」
っての、このシーンじゃなかった?
この直前、その「トノサマ」と同じようなアクセントで家康が正信を呼んでるのよ
めっちゃ細かい描写だけど遊び心がちりばめられてて
こういうところが葵を何回見返しても飽きない所以なのかなあと 武士の着物を着たアダムス・・・
将軍 SHOGUNの影響かな ヤン・ヨーステンにいたっては、名前が地名に残ったくらいだからな ヤン・ヨーステンは八重洲の名前になったんだから漂流ヨーロッパ人の一番の出世頭だな レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。