【2000年大河ドラマ】葵徳川三代 18
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「天下分け目」の「関ケ原の合戦」を経て、安定政権徳川幕府を築き上げる
家康、秀忠、家光の三代の絆と営みを、壮大なスケールで描く
【脚本】 ジェームス三木
【演出】 重光亨彦 尾崎充信 佐藤譲 渡辺一貴
【音楽】 岩代太郎
【主演】 津川雅彦 西田敏行 尾上辰之助
前スレ
【2000年大河ドラマ】葵徳川三代 17
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1582298642/ 津川雅彦は、神君 家康公を演じるために生まれてきたようなもの
ギョロっとした目、ぷくっと出た腹、肖像画とまんま同じ(生まれ変わり)
迫真演技で見るたびに「本物かよ」と思わせる凄みがあった 【大河ドラマ】みんなが好きな徳川家康役TOP18!
◇第1位は津川雅彦さんに決定!<2021年最新投票結果>
そうそうたる名優がそろい踏みの中、第1位に輝いたのは津川雅彦さんでした。大河ドラマ
史上最高の平均視聴率を誇った1987年放送「独眼竜政宗」、2000年にミレニアム大河として
作成されたNHKの意欲作「葵 徳川三代」の2作品で徳川家康を演じています。
得票数3724票、得票率は圧巻の41.6%となりました。
一般的に思い描く家康像をそのまま生き写したかのような、存在感や表現力が
高く評価されています。「津川雅彦さん一択」「家康イコール津川さん」といったコメントも見られ、
津川さんの演技が我々の家康像を作り上げたと言っても過言ではないでしょう。「葵 徳川三代」では、
家康の癖だったと言われる爪を噛む仕草を演技に取り入れるなど、徹底したリアルの追求が
これだけ多くの人の共感を得たようです。
https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/115392/ >>431
当然の結果よね
映画の関ケ原で役所広司が家康やってたけどあれはまあまあ良かった 丹波家康無いんだ、津川家康の次に良いと思ってるんだが
世間の評価は低いのか 味噌汁は毎日飲めって家康が言ってるの聞いて意識して飲むようにしてる
たしかに体の調子が良い 言葉遣いが昔風に畏まってる、人名を官位で呼ぶなど、初心者には難しいといわれる葵だけど。
そういうのはドラマを見ていて自然に覚えていくもんじゃないのか。
官位そのままではなく、織田右府とか羽柴筑前とか徳川内府とか、名字と一緒に呼べば分かりやすいと思うんだがなぁ。 >>438
そ。実際は羽柴や豊臣、松平を賜姓されてそんなんばっかりだから官や受領を合わせて呼ばないと区別がつけられなかった。
実際の所、分かりやすく家名も併用してたろうけど公式の場では官途か受領で呼ばないと失礼になる面倒臭さ。 >>437
恐悦至極
祝着至極
観ていると何となくわかってくる 言い方は悪いけど下の視聴者に合わせてちゃダメなんだよな
親が時代劇好きで子供の頃お歯黒ちゃんとやってる時代劇見せられたけどトラウマになってるもん
分かる人に合わせてそれこそOP見たいな解説で補完すべき 昔はお歯黒が色っぽいって感じてたんだぞ
俺には無理だけど 眉は現代風に引いているんだよね
羅生門の京マチ子や乱の原田美枝子は眉をつぶして上の方に描いていたが
大河で眉をつぶしていたのは平清盛のお公家さん達くらいか
女優では思い浮かばない >>445
葵の時には既にそうだったけど、事務所サイドや女優本人がそこまで顔を変えて演技するのを嫌ってたからなんだよな。
それの最果てが、晩年ですっかりシワシワ
ババアなはずなのに最終回で尚若さが消えない女性主人公。 眉メイク忠実にやられても女優も大半の視聴者も嬉しくないからなあ 秀吉も島津もお歯黒を好んでいた。
へうげものでは女性の登場人物が昔風の眉に描かれていた。 >>446
史実年齢といえば、
お市の方って絶世の美女と謳われ、秀吉と柴田勝家との三角関係とか言われてるけど、
自害した時は三十七歳で、いい年のおばさんだよね…。 一昨年のBSプレミアムの再放送以降、悪い習慣ができた
大河ドラマの再放送を見るというね
あまり連続ドラマは好きでは無いのに、
バブリートレンディ大河も3馬鹿トリオの大冒険大河も、続けて楽しんで観てしまってる
犬HK R1 DJ日本史 松村邦洋の葵徳川三代の物真似
けものフレンズ と 響け!ユーフォニアム のヒット
BSプレミアムで放送されたアニメロサマーライブ
これらのオンエアが無ければ、放送されなかったかもしれないドラマだよね?
ラジオR1をつけっぱなしで家事や雑用してたら、ようこそジャパリパークへ が流れてきたから、
ついつい色々と思い出してしまった
以上、チラシの裏 裏切者め〜とかいうけれど、脇坂安治って三成に無理やり西軍に加えさせられた人なんだよね。
三成の悪口になってしまうけど、
三成は19万石でありながら大大名の内府相手に果敢に戦ったと言っても、
無理やり味方にさせられた人もいるんだし、ハリボテ軍団じゃんと悪意のあることを思ってしまう。 >>458
そりゃ悪意じゃなくて多くの大名が思ってたと思うよ
大谷吉継なんか直接三成にあんたが表に出て旗振っても多くが付いてこない、人望ないから無駄な事止めろって説得してたらしい
それで毛利を表面上西軍大将にしたらしいよね 三成が八十島が追い返された後に直接島津陣に助勢頼みに来たくだりは
後に2009天地人で小栗三成が松尾山の小早川に直接出馬を要請しに来る暴挙に繋がった。(ちなみに島左近が行こうとしたのを制して「儂がいこう」の流れ)
大将が決戦中に持ち場離れたらあかんだろw
この頃から天地人の暴挙の予兆が現れてた。 島津の退ち口だけど
家康本陣の前の槍衾が立ちはだかったの見て
右方向に退却するくだり見て
逃げ道あるなら最初からそっちへ逃げれば〜
と少なからず思った。 いや、井伊隊(だっけ?)を突破したから退路があっただけで最初から右方向へは逃げられないだろ
最初というのが包囲を突破してすぐのことを言っているなら、もともと家康の本陣へ突っ込むと下知しているので
逃げる兵と突撃する兵とで混乱するんじゃない?
家康が本陣前を固めたときなら島津の兵は皆、大将の動きが把握できるだろう
だから全員迷わず逃げに走ることができた なぜ、いっけい氏は、小才走った役人的ポジを上手く演じられるのを、確かめるために、それがし、自ら、宇都宮に飛びまする。 >>458
>>459
関ヶ原で、西軍は内通者や弁当タイムや島津など様子見で動かない大名達もいたりでバラバラなのに、
それと対比するかのように、家康は各大名達にテキパキと命令を出しているシーンがあった。
三方ヶ原や小牧長久手など多くの死線を潜り抜けた家康と違って、
三成は色々と向いてなかったんだよ。 三成は黙ってて戦は島津か宇喜多に全て任せてれば
結果違ってたかね?あれこれやってたのが裏目ったって感じ >>469
宇喜多秀家は副大将だね。
毛利輝元が、後は三成や恵瓊に責任を擦りつけちゃえばいいやとスケープゴートにしたという説もある。 >>469
毛利も島津も豊臣政権の旧織田家臣系の大名からみたら馴染みないからなあ、毛利に至ってはかつての敵だし
利家が死んで信長秀吉ゆかりの重鎮が家康しかいなくなった時点で大勢は決してた >>469
宇喜多はお家騒動で多くの重臣がよそに引き抜かれてるし、
島津も島津で家久(悪)が家臣とドンパチしてたし、どこも一枚岩ではない。 島津家老中(家老上席)の伊集院忠棟をみずから手打ちにする島津忠恒(家久) 宇喜多も長宗我部も吉川も島津もそうだが西国大名のほとんどは関ヶ原なんて小田原征伐の時通過したくらいだろ
東軍は三河・尾張・美濃・近江出身の大名がほとんどで通い慣れた場所だから地の利は十分にあった 由比正雪と丸橋忠弥は疫病による世情混乱と社会不安を指摘しています 家康公や信長公、まともな時の秀吉公なら 今のコロナ何とかしてくれそう。 >>480
まさしくこんなのがあります
https://books.google.co.jp/books/about/ビジネス小説_もしも徳川家康.html?id=f0clEAAAQBAJ&printsec=frontcover&source=kp_read_button&hl=ja&newbks=1&newbks_redir=1&redir_esc=y
【9/17告示】自民党総裁選【9/29投開票】 その16
/giin/ 1631598649/
48 ::2021/09/14
ただ高市は党員票で2番手になれても議員票が伸び悩むから3番手
で決選投票で岸田って流れなんでしょ先述の田崎の見方だと
安積覚兵衛「例えば、真田幸村は着手金として黄金二百枚、銀二十貫、
成功報酬として所領五十万石を約束。」
石田三成の「勝てば関白」ばりに信用できねえー!
というか、浪人達で大名経験がある人は長宗我部ぐらいで、
浪人達にそんな大判振る舞いをしたら乱世に逆戻りじゃんか。
勝てばなんだっていいやと、ホントに後先を考えないギャンブルだったんだね。 広橋兼勝さんも良かったよ。
九条忠栄「女官は次の如し…内侍典広橋局〜」と聞いて気絶したからな。 このドラマ、家康が若い側室に囲まれていやらしい!という意見があるかもしれないけど、
お梶の方を空鉄砲で子供ができないと家臣に下げ渡したり、あくまでも御家の為に子作りをしてるんだね。
まあ、何人も子供に先立たれてるから、予備は作った方がいいよね。 リアルの伊達政宗はすまけいキャラだったという今日の定説 政宗「畏れながら、天子様に王子ご誕生日とか(ドヤ!)」
秀忠「王子?」 ああなるほど。虎年と辰年にござりまするか。
して、秀忠公は? 実際のところ政宗はいつくらいまで家康の首狙ってたんだろうね
偉大なる大権現さまの命狙ってたっていうんで家光にもリスペクトされてたっていうけど 少なくとも、倒幕は大坂の陣の直前までは狙っていただろうな。
このドラマの名シーンの1つ家康、秀忠の喧嘩の冒頭にある
勢子を含め10万人も参加した鷹狩りが効いたと思う。 秀忠が思いっきりぶん殴られてたときかな
淀殿にいらんこと言ってぶん殴られてたのとそこから成長して将軍は自分であると歯向かい出した頃にもぶん殴られてたね 妻子にドライな家康であってもホームドラマにしたり、
息子に「秀忠は父上の子なるを無上の誉れと存じ上げます」と言わせるのが凄いね。
フェミが発狂しそうなハーレムシーンでも、
「五郎太丸にもくださりませ」とギャグを飛ばして場を和ませてくれてるし。 父上は泣いて喜んだそうじゃ
尾張も紀州も当てが外れて落胆しようの
というシーンの前に本業を披露する家光。
「めでたや、めでた」
後、再放送で見たが病の西田秀忠に拝謁する
紀州頼宣が嫡男光貞。
西田吉宗の父上や >>509
西田敏行から西田敏行に繋がる…胸熱だな
なんか西田敏行だらけの年表が見たくなってきた この秀忠、57年後に紀伊光貞殿の倅として、生まれ変わりまする。 名シーンの1つは、すまけいが演じた伊達政宗だよな。
仙台城の縄張りに津川家康から注意
真田丸の戦い後に大負けですな
婿の忠輝流罪後の1人コント
後水尾天皇に皇子が誕生知っていることをうっかり将軍秀忠に言ってしまう。
相撲をで腰を痛めて、秀忠に「御年を考えられよ、御年を」と言われる。
晩年は、家光から実父以上に慕われていたのもよく分かる。
「上様(秀忠)とて、関ヶ原の合戦に遅参したではごさりませんか?」
と言ってしまい、利勝に咳払いされたのもあった。 大阪落城後、秀頼親子を引き出させと言うシーンで
家康が部下に耳打ちしているけどなんて言ったのか気になる
降伏してきても始末しろと言ったのなら爆発後の「しまった」は言わないだろうし >>515
丸腰で出て来いと言わせたのだと思う
それを拒否して自害するまでが家康の思惑で、「しまった…」はたぶん建前
秀頼親子が生きて捕まったとしても扱いに困るから、あわよくば自害してくれれば、と考えたのでは 秀頼はともかく淀まで孫残して死ぬなよな、助かる助からない
別に身内が守ろうとしないでどうすんだよと思った 爆発して自害は家康からしたらしてやったりだろうな
敢えて自害するように丸腰で屈辱を与えたと >>514
林隆三も名優だったね
早過ぎたわ逝くの 中々不幸な秀忠の子ども達
千姫→嫁ぎ先が実家によって滅ぼされ、再婚した夫も早くに亡くなる。
珠姫→満1歳で嫁ぐ。夫婦仲は良かったが、両親より先に亡くなる。
勝姫→夫が乱行により流罪で、離別。
初姫→実の両親に会ったのが随分後に。夫婦仲悪く、父より先に亡くなる。
家光→若い頃は女嫌いで、世継ぎ誕生が秀忠の死後。しかも、後の幕府財政難の遠因はこの人。
忠長→将軍になれず、乱行で自害。
和子→中宮、女帝の母になるも実母に似て女子ばかり。後に皇子誕生も、早くにお隠れに。 秀忠の子供ってことなら、夭折した長丸はまだしも、保科正之は忘れないで 家光は忠長への当てつけのように正之を可愛がってたね しかし、忠長が自害した時は泣き崩れた。
正月にお神酒は一滴も口にしなかったのは、
史実らしい。
精神病を患う人が多い大権現様の家系… このドラマで、幕府が開かれた頃の武家伝奏が
あんなにパワハラを受けていた事を知った。
ただ、何時もパワハラを受けて死にそうな演技だった石橋雅史さんの広橋兼勝からの
中院通村は偉そうだったけど。 >>523
当てつけというか、家光にとっての理想の弟だった
一歩引いて自分を立ててくれる
地震の時、家光を支えていた正之のシーンは象徴的だった
忠長は大阪城、100万石くれといったりして俺は将軍の弟だ特別扱いしろって公言し
家光からは昔からむかつく野郎だと思われている その辺も秀忠に怒られてるしなんなら家康にも怒られてるんだよね
身の程をわきまえろ的なことで
変われなかった忠長が悪いし江も悪い ところで、冠下髷にするか否かの基準は何?
従三位なら、宇喜多秀家はしていなかったし。
家康、秀忠、家光、前田利家、利長、伊達政宗、毛利輝元、小早川秀秋、上杉景勝がこの髷だった。 基本的にはあの髪型は、公卿となる従三位から。
戦国時代までと髪型が大きく変わったのは、明暦の大火から。
解説の光圀主従は折髷。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています