【2000年大河ドラマ】葵徳川三代 18
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
「天下分け目」の「関ケ原の合戦」を経て、安定政権徳川幕府を築き上げる
家康、秀忠、家光の三代の絆と営みを、壮大なスケールで描く
【脚本】 ジェームス三木
【演出】 重光亨彦 尾崎充信 佐藤譲 渡辺一貴
【音楽】 岩代太郎
【主演】 津川雅彦 西田敏行 尾上辰之助
前スレ
【2000年大河ドラマ】葵徳川三代 17
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1582298642/ 義直以下の3人に徳川を名乗らせた理由は、劇中にあった 契約者だけが受信できる制度にしろや 09/17 22時13壺 おい、一瞬契約者だけが徳川になったのかと思ったw
それ以外の兄弟は非契約者なので松平のまま。 知らなかったよ〜
松平健の本名が鈴木末七だったなんて〜 この大河フェミニスト発狂しそうっていう人多いけど、フェミニストの自分この大河大好き
この時代の価値観はこの時代の価値観だからそのまま表現してくれてありがたい ドラマ観て発狂したりクレーム入れたりしてるようなのは
フェミじゃなくて自分のことをフェミだと思い込んでる
フェミの皮を被った「クソフェミ」「似非フェミ」だよなって フェミでなんかなるとすればお江絡みか
まぁわからんでもない 幕末に薩長同盟が破綻して
徳川が勝っていたら
今でも徳川の世だったかも
天皇は京都のままで
公家や大名階級も健在で
古い身分制度を残したイギリスの様な国になっていた
さながら京都は日本のエジンバラで
天皇はローマ法王のような神聖な存在
国家元首は徳川世襲将軍家
洋装も部分的な導入に留まり
正装は江戸時代そのままで身分ごとに違う
国会議員や公務員の正装には刀と烏帽子必須 >>880
秀忠の五女・和子(まさこ)
後水尾天皇に入内して明正天皇(女帝)を産む >>882
俺もそのシーンが思い浮かんだ
一緒に口から火を吐く人も思い浮かんだ
南無釈迦牟尼仏 そういや出てたな
訃報見ても全く思い浮かばなかった 今日は旧暦の9月15日
家康は戦に勝ち、秀忠は涙目で木曽路を東上中・・ >>863
でも、序盤の桜のシーンが曇天だったのはどうにかならなかったのかね
あのせいでなんかぼやけたオープニングって安心になってしまった
そんなにタイトなロケだったのかな 大刑少は軍扇を振るだけで兵団を進退させていた。大刑少が口を開いたのは小早川背反の報に接してからであった。
かように、進め、退けの号令サインだけで指示が伝わる兵団でなくては強いとは言えぬのじゃ。 台詞が文語体で落ち着いて聞けるのがありがたい。
鎌倉殿なんて現代語でせからしくてしょうがないのよね。 >>903
三谷幸喜に文語体の脚本は書けないでしょ?
真田丸のオリジナルキャラきりと源治郎のやりとりは特にひどく、完全に現代劇だったもの。
狙いだったらしいけど。 草燃えるも現代語だったけど原作がしっかりしているから面白かったなあ
何で再放送をNHKでやってくれないんだろう
保子(鎌倉殿の実衣)の台詞が妙に記憶に残っているんだよね
「お姉さまぁ」とか「御所さま(鎌倉殿)より
良い男(全成)」とかw
あと「とか何とか言っちゃて〜」 来週からチャンネル銀河で葵徳川三代が放送すると聞いてやって来ました この大河は親子愛がサブテーマだろ?
山田五十鈴も津川家康に何度も淀殿とは、争うなと言ってた てよてみ家のいやさやは、この、粘痔に、かかってござる。 徳川家康 津川雅彦
徳川秀忠 蟹江敬三
淀君 波乃久里子
春日局 浅利香津代
荒木又右衛門 田村亮
キリシタン寿庵 寺田農 >>919
菊池麻衣子は家康の側室・お六
中江有里は家光の正室・鷹司孝子 「最後に何かご所望は?」
「別段ないが・・・いささか喉が渇いた。白湯を飲みたいが・・・」
「白湯・・・?あいにくこの辺りは井戸もなく、人家もござりませぬが」
「柿はいかがでござるか?」
「御免蒙る柿は体に悪い胆の毒じゃ」
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \( ゚∀゚ )
「・・・( ゚д゚ )・・・
そうかそうか・・・明日までの命であったのう・・・'`,、('∀`) '`,、」 大権現様は忠輝殿の罪を減じ改易に処されました
この後のセリフ覚えている人↓ >>932
わしは秀忠じゃ!みたいな感じだっけ
乱心した忠直の処遇についての正純とのやりとりかな 大権現大権現言うな
この二代将軍秀忠が決めたのじゃ 臥所より引きづり出せ!!
これへ、これへ、(扇子を投げつける) 孫と将棋を指していて、駒を投げつけて
「またか!!」 あるいは大坂でもう一合戦あるやもしれん
次こそは後れをとるまいぞ パワハラの被害者広橋兼勝卿
尚、演者は空手の達人だった模様 しからばごんじょう奉ります。
次のスレタテは950で宜しかったでしょうか? >>951
で思い出したけど、方広寺大仏の開眼供養と大仏を収める蔵の供養を同時にやったらなんでダメなんだろう >>952
そこは天台と真言の席次問題(天海絡み)から端を発していて、豊家が徳川の意向も伝えた上で両派の宮門跡やらに根回しし、席次問題は双方妥協してもらい解決しようとした。
そしたら、また天海が絡んできて、家康も待ってましたと言わんばかりに大仏開眼供養と堂供養がどうのといちゃもん付けてきたんだと思う。
豊臣方は、宮家や諸門跡、月卿雲客など有職故実に通じた人らを多数招待し、当然供養の前例知識も照らしている訳で、何ら問題となることはなかったはず。
同時期の臨時豊国祭と併せ、祝儀を重ねるのは重畳至極、椀飯振舞でみんな慶ぶ。
そこを、天海なんかは、畿内が荒廃して資金難の時代を無理やり持ち出し、大仏開眼と大仏殿建立を同時にしたくても、金がなくてできなかったよその例を挙げ、難癖を捻り出したのではないかな?
とにかく豊家に次々屁理屈で問題を突き付けて、暇を与えずに動揺させ、戦端を切らせようとする気運を高めようとする腹だったとしか考えられない。 よく関ケ原の話ばかりになるんですがね、
葵は第2話以降も伏見城に杭瀬川など
たびたび合戦してて面白かったんですよ
燃え盛る伏見城で鳥居元忠と鈴木重朝が一騎打ちするシーン素晴らしいね 島津の退き口で
必死に騎馬たちに走ってついていく足軽が好きだ
というか昔の大河の合戦は
エキストラが本当にいい仕事をしている
監督の指導が丁寧だったんだろうねぇ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。