>>374
むしろ鎌倉後期だと、征夷大将軍は基本的に親王というイメージだったはず。
だから倒幕戦の過程で畿内周辺の新興武士の道徳観のようになっていた護良を将軍にした
こと自体も後醍醐天皇にとっては大きな妥協だし、将軍の肩書きを要求した護良に対する
天皇自身の警戒心もかなり強かったはず。