【第四十三回】太平記part.43『足利家の内紛』
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
再来週水曜のねこねこ日本史は世阿弥
義満から義教まで出るぞ >>956
バサラで美意識も高い豪快な方のようで
少しでも人間関係こじれると
ねにもつ恐い人
生き残り策に抜かりない人でもある
個人的にはそんなイメージ 塩冶氏の没落については、同じ佐々木一族として、道誉はどう思っていたのだろ? >>963
その辺陣内はうまく演じてるんだよなあ
観応の擾乱の真っ只中に直義派と一緒に能を観劇した時に
いつの間にかわしも評定衆から外されておったとか散々嫌味言ってたのは笑った
何か胡散臭いというか完全に信じ切れないんだよね陣内の道誉
それをいつも信じてた尊氏はやはり器が大きいというべきか 晴賢(陣内)「経久?八十四だぞ(いつもの笑い気味な感じ)。何ができる。」
元就(中村)「経久は鬼。鬼に年はござらん」
このときも嘲笑気味に経久のことをコケにしていたな、判官殿。 観応の擾乱って、この太平記を見ていたかぎりでは、実質的には師直兄弟と直義の争いだろ のちに二代将軍の執事でいざこざがあるところをみると
将軍の執事と将軍の弟どちらが政務を執り行うか
ここらへんが擾乱の本質なんだろう 師直でもただよしでもない誰かが執権なり管領なり務めればいいのにと思って
このドラマ見ても適当な登場人物がいないね 幕府創設期の直義は
三条殿と呼ばれてるけど
実質は幕府執権だよな 師直が勝ってたら鎌倉幕府の執権のように管領も高氏が独占してたのかな 鎌倉幕府の執権は将軍の外戚ポジなんだよね
それ以外は将軍の取り巻きになるでなし距離置いてる
つまりもともとえらそーにしてたw
高氏は執事だから内管領と同じく出過ぎたら誅殺が待っていたろう 直義と師直の争いは割とすぐ決着ついたけど
尊氏と直義の争いは直義が死んだ後も尾を引いたのでな… >>975
中先代の乱の前は鎌倉にいたけど、その時期は実際に執権と呼ばれていて
歴代執権でも北条守時の次が足利直義になっていたらしいね
鎌倉幕府のシステムそのものは維持していて
執権の氏族が入れ替わった感じだろうか 直冬は直義の後継神輿だし
直冬の孫はまた担がれるし
頼朝がやった兄弟親族弱体討滅もまちがってはいない
でも何かをやれば何か齟齬が出てきて難しいってことだな
家康はよく研究したんだろうな・・まぁ水戸光圀が土台を揺るがす
思想をばらまくところまでは責任持てないからしゃあないが >>980
直義は泰時の曾孫で前執権の義弟だから執権を継承する大義名分は有るんだよな >>981
直冬の孫は義尊だっけ
嫡流でも恐れ多くてな乗れないような名前だよね >>981
義満以降は鎌倉に残した基氏の子孫(鎌倉公方→古河公方)が幕府を困らせ結果的に戦国時代を招来させるし
徳川の参勤交代や御三家システムは鎌倉室町の幕府の反省をいかしたうえだろう >>973
もともと尊氏が有力武家の一人に過ぎなかった段階から足利宗家の執事であった師直の
立場は、そもそも幕府の職制上の地位とは言い難い。
それに鎌倉期には執権・連署が担当者であった幕府の政務を、室町初期にやっていたのは
明らかに直義なのだから、師直の段階では執事が幕府の政務に関与するという発想自体が
ないと思うよ。
後の管領はある意味、室町初期における将軍執事師直の業務(将軍の軍事権の補佐)と
幕府執権直義の業務(幕府政務全般)を合わせたような地位だが、これは観応の擾乱後。
但し観応の擾乱後は、将軍の親裁権が格段に強化されるから、管領は守備範囲は広くても
あくまで将軍の権限の補佐的立場。 >>981
>>990
参勤交代なんて制度ができるのは、家康が死んでかなり経ってからだから、そもそも
これは家康の発案ではないよ。
また御三家については、むしろ皇室における世襲宮家の制度を模しているように思える。 ねこねこ日本史みたけど 観音の擾乱は 兄弟げんかがどんどんスケールアップした ということと理解した 鎌倉公方と言えば義満の時代の時点で反乱起こそうとしてたんだよな
それでも関東管領の上杉が必死に止めたとか
いけませぬ足利同士で戦争など 二代目以降は未遂含めたらいずれも大乱に乗じて挙兵しようとしてるな
その度に関東管領が諫言 幕府側の大名と鎌倉公方側の大名で暗闘やってたから
時代小説にしたらおもろかろうけど流行らんなあw このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 23日 0時間 39分 1秒 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。