【第四十七回】太平記part.47『将軍の敗北』
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>>270
あれか、高時が1日だけ名誉職として
どこかの管領に任命する奴か >>264
一番上が顕子・・・
春渓尼さんの立場ないw 高時のトレンドのツイートの中で
次の怪演はこの人、と坊門さんのキャプが出てるのワロタw
いよいよ次回に登場か、太平記屈指のアイドル >>271
金沢一族長年の願いの六波羅南北探題と、相模守に任ずる・・・だったな。 >>273
新選組にも出てるし
炎立つにもでてるな藤木さん
うちの子にかぎってとかパパはニュースキャスターとか
出番ちょっとなのに忘れられないキャラw あのボストロールみたいな格好の赤松円心はなんだ?子孫から苦情こないの? >>267
原作てあったか覚えてないけど
覚悟はしてるけど、いざとなると手が震えてしまう
もし自害に失敗したら見苦しい
だから息子に刺し殺してもらうほうを選ぶ
とかかなあ >>277
あれがいいんだろ
赤松、名和、坊門
建武の新政シリーズの名キャラ3人衆w 「鎌倉炎上」回、予想通りの評判
そのうち大河が何らかの事情で休止するときは、日曜8時に大河名場面スペシャルとしてこの回をやってほしい
事前に番宣しとけば、今の大河より視聴率取れるぞ 円喜さんは顔がいいなあ(それに比べて東庵)
太守の謡と舞もいいなあ(それに比べて道三)
なんといっても池端さんの脚本だなあ(それに比べて池端) 新田2万、北条3〜4万の戦い、しかも地の利のある守備側
それでも新田が勝つのか。 そういや影の薄い将軍様は北条滅亡時はどうしたんじゃろ >>288
当時の慣例からすると東勝寺手前の滑川で一時休戦。
新田―北条双方から代表者が出て引き渡し交渉。将軍とおつきの女房、公家は義貞が保護する。
後に義貞が京都にお送りするが、8月に病死。 >>286
それだけ義貞の軍略、戦術がすぐれていたということだ。
地の利はなくとも天の時も、運もすべて義貞に味方していた。
・・・・ここで一生分の運を使い果たした気がしないでもないが。 将軍様の動向って
あまり描かれてないんだよなあ
記録に残ってないのかな
どっかの寺に避難してて、北条滅亡後に京へ還った
って書いてある本を読んだことあるけど
親王将軍に新田討伐の命をだしてもらっても
時勢の勢いが後醍醐天皇に味方してたら
北条は勝てないかなあ >>286
江戸幕府しかり滅びる時は雪崩のごとく崩壊するものw あの自然の要塞である鎌倉を守備側より少ない兵力で攻めるのがな。
しかも兵が少ないのに主力をおとりにして迂回路から挟撃するとか超大胆な戦略だな。
新田義貞すげーよと思った。帝国陸軍に是非いてほしかった人材。 顕子に化粧させる前に、コトは済ませたのかな
肩より上を出していたのは暗喩で サンデーモーニングのCMで
真田、鶴太郎の今の姿が映ってて、隔世の思いが 現在でも潮が引いたら
稲村ケ崎は徒歩でつうかできるんですか >>284
今回特に私本太平記まんまの台詞多かったからなぁ 「稲村ジェーン」の映画とほぼ同時期だったんだな
加勢大周www >>33 だてに百年以上天下人やってないよね、北条氏って
公家にも北条の血が入っているの結構いたし、そもそも天皇の寵姫廉子もそうだしな >>278
なるほどーd
おお、足利学校の改修(震災による被害)が終わって特別公開のニュースw >>290
一生分の仕事をしたとも言えるね
文字通り時代を動かした 「この赤橋守時、幕府の長たる執権ぞ…足利のごとき外様ずれに情けをかけられるいわれはない…」
「どれ、もうひと合戦…」 今のカオスの時代とダブるんだよな。
政治が腐敗しきった今は、鎌倉末期と同じ。 >>286
地の利があっても、既に消費地で大した兵糧の備えもない鎌倉方は、ガタガタに崩壊するだろうね。
実質西や北とは遮断され、東に逃れるのも至難。
南は海しかなく、たとい船で房総にたどり着いても小勢となり、再起は期し難い。
こんな時、へたに人数が多いと、一度崩れたら輻輳して収拾がつかない。
数万いようが、義理立てして得宗やその側近と心中するなんていうメンタリティを持った御家人や被官なんて、当時はかけらもいなかっただろうし。 高時が自害しようとして、敵襲らしき物音に驚いてやめてしまうのが、高時らしくてよかったな。
あの時、顕子が刺してしまえばよかったのに。 昔読んだ私本太平記では
恩顧を受けた鎌倉側の人間が
北条に殉ずる姿、新田側に裏切って敵味方を唖然とさせる姿が
描かれていた・はず
ドラマでは、そこまで描く時間ないだろうけど
激変する社会のなかで生きる(殉ずる)道を模索するのは
正解をさがすのが難しいな >>309
千葉氏が離反している以上、東へ逃れるのも無理 >>308
時頼出家の方が近いかな
今は時宗に直接継がすか政村を挟むかどうするかを決めてる感じ
石破という名越一族もいるしなw >>298
大潮の日に浅いところでくるぶし程度、深くて膝まで。
本放送同年の中世内乱史研究会が4回に渡って実際に渡って実験。
>>293
後醍醐曰く「古風な武者」だから。
徹底的に軍人な人で来週以降の政治的駆け引きにまったく向かなかった。 なお、2000年代になってから護岸工事が行われてしまって、現在は砂浜に下りられない。
自分はその前にギリギリまでいって左肩に落石が直撃した。 時頼は名執権で名高く頭もガチでいいから
なんとなく今にたとえられると複雑w >>315
軍人が政治的駆け引きにたける必要はないと思うけどな。
要するに後醍醐天皇、その側近が政治的駆け引きに弱かったから
新田義貞も能力を発揮できずに負けただけのような感じやね。 >>321
武士も偉くなれば政治と無関係ではいられない オッパイオッパイ
高時死ぬ日にオッパイオッパイ
ハラキリシーン良かったなみんな >>321
鎌倉時代から江戸時代までは上級武士はイコール政治家でもある >>272
春渓尼さんも、ここだけの登場でちょっと唐突でしたな。
一度くらいは、沢たまきさんと一緒にいるショットいれときゃよかったに。 >>252
確かに、コンドロイチンでまくってる
大河史上最高傑作だったわ >>313
石破さんは場所的には、名和なんですけどw >>321
武士にあてはめなくても軍人自体
階級がでかくなれば政治的駆け引きが必要だし
予算は引っ張ってこなくちゃならんし戦略を提案するにも
政治家との綱引きが必要でしょ。
義貞自体が戦術家なら補う家臣がいなかったのか
そこらへん人材不足だったんだろう。 新田義貞は特徴のない普通の人
それが足利本家に下克上を仕掛けたのが間違いだったな
僕らはみんな義貞だ
明治以降義貞は日本人の愛されキャラになった
血統は良い 性格は良い 策謀はできない
こんな日本人が好きなタイプはいない
義貞の墓の前に10年住んだ男に影響を与えた
その名は麒麟、明智光秀 >>325
一瞬の輝き、
いきなり登場して稲村ヶ崎に義貞を導く新田氏義と
いきなり登場して北条の最期を看取る春渓尼 >>323
あのオッパイって実は高氏誕生回のオッパイの使いまわしなんじゃ… >>294
顕子って実際のところはどうなんだろう?
高時が円喜暗殺失敗直後あたりから引き取って育てて、
それこそ高時の造形美の集大成として、ここまで育てて来た。
なのでコトを行わず、最期まで汚れなき造形美のままだった・・・とか思っていたが。
いっそ六波羅で戦死した武士の娘とかでなく、正体不明のままで良かった気がする。 8/30
太平記 第22話
ヒーリングっとプリキュア 第22話
麒麟がくる 第22話
偶然にも話数がそろった
コロナの影響で休止があったからな >>335
同じ人ってこと?
第1回のキャストを確認しても石川恵美の名前は見えないけど? 化粧坂の切り通しのシーン、鎌倉時代に化粧坂をあれだけ切り開ける土木技術が有ったのかといつ見ても笑えるw 僕の家も平氏の血筋なので、今回はキツかった···(-_-;
馬之助が赤橋守時に逃げを勧めたけど、無理な話。 平氏の北条一族、しかも幕府の執権が、源氏の足利の庇護を受けるなぞ、後世の笑い者。
合掌 >>262
それぞれちゃんとキャラ立ちしていたから見事だった >>341
観応の擾乱まで生き延びれば、そんな事を気にする必要も無い何でもありな時代になったものを >>338
横からだけどおっぱいさんの名前を知ることができるとは >>341
鎌倉の有力御家人には平氏が多いのだが
三浦とか千葉とかみんな平氏だぞ >>345
武士はみんな源氏か平氏か藤原なのだから
その中から好きなの選べ状態
家系図は後で作っておく 最後の軍議の時最前列にいた禿げどこ行った案件w
しかしどこで道を誤ったんだろうなぁ
時頼の得宗専制確立で結果北条一族より御内人が権力持つようになったのが失敗だったんだろうか? >>310
あの高時の一瞬たじろいでからの円喜、春渓尼の圧すごいね。
女房衆に囲ませて逃げ場を無くし、観音経でムード盛り上げて
自害を迫った。 延々と得宗が短命だったのもあかんかっただろ
得宗短命、元寇、経済体制の激変
重要な舵取りが必要な時に貞時が酒浸りとかなんとかは知らんが
失策をして失脚状態になったのもダメ。貞時の責任も相当重い >>341
しかも赤橋だもんな
一族から疑われて云々原作では言ってたけど
人質逃したのに兵を率いて出陣するのが許されるってすごい
でもそれが北条家風だから納得もする
歴代得宗で鎌倉にお墓があるのって義時、経時、高時ぐらいでは
鎌倉で死んでよかったよ高時 >>343
観応の擾乱て、尊氏 vs 直義の兄弟喧嘩でしたっけ?
鎌倉幕府を倒しても、義満が南北朝を統一するまでは内ゲバでドロドロなんですよね。 >>301
そういや伊勢氏が北条氏に姓変えたのも相模国主としての正当性を得る為に北条氏の名跡を継承したらしいな
あの北条嫌いの直義が真田丸で氏政演じて豊臣に対抗するというちょっと大河オタをくすぐる配役だったな >>347
二階堂さんは、足利家が出陣の時は、鎌倉にいなかった筈、千早赤阪城攻めに行っていて、
北条家が滅んだ後、許された。大仏さんも許されて、取り壊しを免れて今日に至る。 >>347
建武政権で、しれっと顔を出してるの見ると、ちょっとぶっ飛ぶよねw
そりゃあ、「黙れ、北条の残党」と面罵されるわw >>354
高時も赤橋も金沢もついでに高氏も直義もついでに北条氏政も義時子孫w
2年後に三谷大河を見よう >>190
オッケー手振り×3セット
かわいかったw >>346
武士ってこの三氏しかいないのか?
当時の人口が1000万人とすると、武士は100万人程度か 戦国時代になると、源氏も平家も血筋は途絶えたんか? 8代執権の北条時宗は戦前までは日本の国難を救った英雄と評されたんだがな
孫の高時の代には悪政のそしりを向けて滅びるとはな
いやはや 室町幕府将軍の館、いわゆる「花の御所」って、六波羅にあったんですか?
室町時代の六波羅の政治的地位って、低下するんでしょうか?
どなたか、教えて頂けませんか。 嫡流という概念もまた政治的なものだからね
頼朝が河内源氏の嫡流だというのも意識して作り上げたものだし
血筋だけで言えば公家の源氏こそが嫡流だろうけど結局は時々の実力によって変わってしまう
新田がいつの間にか足利一門扱いになっていったのもしかり >>248
頭がいいというので有名な最後の将軍のあの方は戦場で戦う武士を捨てて
船で逃げ出したと言われ
暗愚で有名なこの最後の得宗は船で逃げずに皆と自刃
時代の違いを感じる 源氏は身内で殺し合うのが常じゃから、新田は北条の元で大人しくしてた方が滅びずに済んだのではないか
高氏が謀反したときに北条と手を組んで足利一族を滅ぼすべきだった
愚かなり新田 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています