【第四十七回】太平記part.47『将軍の敗北』
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まあ、東夷やな
自分らが百年かけて作った都を全部焼いてしまった
鎌倉って日本の仏教の本場やろ
日本で主流なのは鎌倉新仏教以降の仏教なわけで
つまり文化の極みだよ、焼かれて99%残ってないから評価されてないだけで
恐らくは京都奈良を上回るレベルの文化だったはず
やっぱりショーケンが狂気の出で立ちで焼き払うべきだったな >>856
再建されなかっただけで、京都とか何回も焼け野原や >>846
関ヶ原の戦いの時に
東軍、西軍で争ったので
三河は東軍かな >>772
大阪出身ということを忘れてはいけないw >>786
よく見なさい。息子だ!この話題は既に出てるしw あ、鎌倉落とすまでショーケンにして
その後は根津甚八にすればちょうど良かったのに
タイミングが合わなかったな ショーケン義貞の最期は
立小便をしているところに、
敵の矢が刺さって死にそう あのまま想定外の突然死しなければ越前は平定していただろうけど、
義貞が越前を平定していたらどうなっていたのかなあ。 >>846
何回も言っているだろう
東日本の楕円と西日本の楕円が交わる所が三河国
東日本の1番西の国は三河であり、西日本の1番東の国は三河であった
持明院統は三河国の分国主であり、大覚寺統の最大の領地は三河国、源氏の最大の領地も三河国
三河国主、三河守について
1184年06月:源範頼(三河守)
1191年07年:九条兼実(知行国主)
1193年08年:吉田資経(三河守)、吉田経房(初代関東申次)の孫、室に藤原範季の娘
1199年02年:吉田経房(知行国主)、初代関東申次、母の兄弟に藤原俊成(三河守)
1200年02年:藤原親輔(三河守)、藤原顕季の息、姉妹に九条兼実室
1200年03月:七条院(分国主)
1207年01月:忠輔(姓不詳)(三河守)、三河の藤姓熱田大宮司家か?
1212年12月:実茂(姓不詳)(三河守)、三河の藤姓熱田大宮司家か?
1225年01月:藤原為綱(三河守)
1227年11月:七条院(分国主)
1228年12月:藤原経季(三河守)
1229年10月:藤原範房(三河守)、藤原範季の孫、叔母は吉田資経(三河守)室、姉妹に四条隆親室、忠成王(母親は三河の藤姓熱田大宮司、藤原清季の娘)妃
1234年01年:四条隆親(知行国主)、室に足利能子(足利義氏(三河守護)の娘)
1235年01年:藤原隆朝(三河守)、藤原隆季(四条家の祖)の曾孫、息が四条房名(三河守)に養子入り
1238年10年:卜部兼直(三河守)、兄弟の孫に吉田兼好
1240年12月:葉室資頼(知行国主)、藤原顕頼(三河守、正室は藤原季範従兄弟)の5世孫
1240年12月:四条隆親(知行国主)、室に足利能子(足利義氏(三河守護)の娘)
1200年12月:四条房名(三河守)、四条隆親(三河国知行国主)の息
1241年03月:清原教隆(三河守)、九条頼嗣の侍講
1242年03年:藤原定親(三河守)
1244年08年:世良田頼氏(三河守)、室は足利義氏(三河守護)の娘)
1248年01年:四条房名(三河守)、四条隆親(三河国知行国主)の息 >>867
楠木正成「♪はじまり〜ましたね〜あんたの〜はなし〜W」
最初の3行で、事足りてる。後はただのひけらかしW >>866
越前をしっかり掌握できれば、頃合いを見て幕府に帰順し
越前の守護大名として室町の世を生き抜くなんて事もあったかな。 新田はなまじ血筋が良いだけに許してもらえない気がするな 義貞が越前を取る→周りの豪族が南朝方へ→信濃、北陸辺りの北条残党も加勢→北陸が南朝の一大拠点化→比叡山に圧力掛けられる→京都攻防戦激化
とか色々出来たろうに犬死にするから・・・ 新田は有力な家との姻戚関係が弱いのもネックだな
朝廷が弱体化したら後ろ盾がない 鎌倉は京都と同じで発展性が無いよ
江戸で良かったんだと思うよ >>855
鎌倉御家人でも
人を斬り捨てるのが好きな人がいたような?
食えなくなった者達が鎌倉幕府の支配を拒絶し
略奪など勝手気ままに生きだしたのが悪党
なんて説明してる本読んだことあるから
治安は相当悪かったのかな 越前平定したら、執事兄弟が正行のときみたいな大軍率いて
乗り込んでくるだけなので、どのみち無理ゲー
金ヶ崎のときも師泰が来たら一方的に殴られて終わった 関東だけれど、明日の朝は暴風雨でBSは映らなそうだなぁ
録画した太平記と新日本紀行を昼からビール呑みながら観るのが休日の楽しみなのに… >>881
その通り。
太平記の後の、新日本紀行がまたいいんだな。この並び最高だろ。 爺共、早起きしてテレビ見て5chで下らない感想書きあうのやめろよ。独居老人ホーム入れるぞ。 普段は「父・貞時ガー」で
いざ追い込まれた時になると「北条九代の最期として見事に果てよ。」
と言い放つ覚海尼。(これが当時の価値観なのね。) >>880
新田義顕が目の前通過しただけで逃げたぞ師泰 武生をとってから流れが一気に変わった気がする。越前。
だから金ケ崎のようにはならん気がする。 大仏開眼、忘れててさっき見始めたが
ほんの10分見ただけでもこりゃ大化の改新よりだいぶマシだな 申し訳無いけど越前が拠点ってだけで負ける気しかしないわ
継体天皇まで遡らないと勝つイメージが湧いてこない >>570
二階堂さんは、まだしも、鎌倉の大仏さんには、さすがに手を出せないでしょう? >>872
実際観応の擾乱後の北陸は直義派の残党の牙城のように長らくなってたけどな 大河の太平記で越前でコンバットするシーン有ったっけ? 老人会でbsでやってる太平記の話してる人達がいた。多分その人達もここを見てる。 >>895
アイゼナッハも「チェックメイト」としゃべったではないかw 大仏さんは地震にも津波にも負けないからな
つおい
金箔はほとんど剥がれちゃったけど いや〜太平記おもしれえなあ〜
出てくる登場人物みんなキャラが立ってて見応えがある
尊氏と正成の再開は胸熱
近藤正臣さんの声ええ声 「太平記のふるさと」(ラストの紀行)は、熊本県菊池市か。
台風の影響はまだ小さいのかな?お気をつけなされますように。 >>902
直義が物心つく前から代々親王を迎えて将軍にしていたのにw >>907
炎立つにも藤木さん公家ででてて
公家役の安定感w 宴会やって尊氏と正成が語りあうシーンで話が終わればハッピーエンドで最高の最終回なのにね
その後の事を考えると大混乱の始まりでしかないのが辛いな 初のりえゴクミが共に出る回
やはりクレ順が並ばないよう調整してきた
義経の上戸彩、石原さとみと同じ 久々に登場した護良親王は以前にもましてエキセントリック感マシマシかつ目も完全にイッテてテンパイばればれ 戦の最前線であわや自害すらもしかけた身としては「お役御免だから再び比叡山に籠もって精進しなさいね」なんて言われて「ハイそうでっか」と言えるわけありませんよね
そうでしょ? 藤夜叉がシングルマザーで魚売りとか
おしんと同じ境遇だな 宮沢りえ、原田美枝子、宮崎萬純、樋口可南子
ヌード率の異常に高い女優陣 >>913
唯一篠山紀信に撮影されてないのが宮崎ますみ あの時代でも「鰻を食べると夏やせしない」と言われていたのか? >>908
ああいった昭和の職人的俳優さんは貴重だよね >>864
「炎立つ」にそんな場面あったな
>>913
覚海尼御前もそうでは? >>894
顕子「皆さん、お先に」
一同「こいつ、喋れたのか!」 >>920
>>899
アンカーのつける場所ミスったなw
「顕子の父も・・・」も、お忘れなくw >>900
鎌倉の大仏様は、実物を見ると感動しるね
スケール感は勿論、素敵なのだ >>919
あ〜、あったね。沢たまきさんも。
こんなん喜ぶのって、アニマル浜口くらいやで(大ファンだったそうです)w 今日の回で一番印象に残るのは、尊氏を糾弾していた円心が後に尊氏か義経、円心が弁慶という間柄になり、
尊氏を庇っていた他の連中全員が本人か子供たちが尊氏に殺されるということ あんな最前線で戦う親王嫌だw
やっぱり守邦親王がいいw いきなり僧籍に戻れというのも酷いけどドラマのような異常なテンションで何をするかわからないような奴なら
寺にぶち込みたくなる気持ちもわからなくもないな 大塔宮が高氏を憎む理由がわかりにくかったな。
高氏、なんもしてないだろ 先の話だけど
直冬が尊氏に反発する理由があいまい
たんに直義の養子というだけでは不十分、死後も敵対し続けてたし
子役時代に尊氏に何か敵意を見せたことなかったよね
藤夜叉が死んでも寺に預けたりと配慮はしてたから >>928
(公家監視の象徴である)六波羅に勝手に居座っている、
って宮も円心も説明してくれいるじゃん 昔の大河は主人公を批判するのがいいね
決して聖人君子に描かない
政宗とかも若い頃はキレキャラだったし西郷もあの木偶の坊も言われていり、負の面も描いてた
いつからは主人公は清廉潔白なヒーローとして、戦嫌い、汚いことはしないという描かれ方になった
光秀なも虫も殺しそうにない >>930
それは尊氏と直接話すシーンがあるわけで
あれで充分説明になってたと思うけどな
お上が都に戻る前に既に都を統治するその行政能力
そんなもんを持ってる武家はすべて潰しておかないと危険極まりないと
でも足利がいなかったら、
戦国時代が200年早く始まってただけだと思うけどなあ >>912
一応、当時も「田倉しん」で、田倉家の嫁のまま、子の雄を連れて伊勢で魚売りやってたんよ。
その後、佐賀で干拓の夢破れた夫の竜三が、満州雄飛を企図。
関釜連絡船に乗る前、おしんと雄の顔をこっそり見にわざわざ伊勢に来て、気取られたおしんに捕まる。
そして、半ば無理矢理に伊勢に留められて、おしんの商売を共にやることになる。
後に魚の知識ゼロだった竜三が急速に商才を発揮。魚屋を一大軍需商社にまで発展させた。
しかし、義貞の様な悲劇的幕切れがやって来て、竜三は…。 戦国から統一に向かうのは鉄砲伝来とかの外的要因で大名間の
弱肉強食がより明確になってからで、じゃなければいつまでも
応仁の乱みたいにグダグダの勝者なしの戦闘が繰り返されるだけ。 その隙に某ゲームのバッドエンドみたいに諸外国に攻め込まれ植民地化 源氏や平氏の威光がまだ残ってるし、鎌倉時代から平安時代に先祖帰りして血族でまとまった小規模武士団が総悪党化という最悪な形になって結局また鎌倉幕府みたいな武家政権が出来たんじゃないかと思う つまるところ戦国時代を終わらせるには、源平籐橘と同等の姓を持ち国内最大の武力を持った関白殿下というチートキャラが出てくる環境を作れるか?に尽きる訳で 後醍醐も大塔宮もキチ入ってるから幕府を倒せたのです
文句言ってはいけない 【悲報】NHKの「麒麟がくる」、台風のため放送休止
4月放送開始の「太平記」のほうが放送した回数が多い >>929
史実と違う味付けだからわかりにくいが
認知されず寺に放り込まれ坊主の尻のお相手と食事の用意をさせられ
いよいよ尊氏に似てきたのかわからんが直義の養子になり
直義党として活動してたんだからそら憎むだろ
藤夜叉こと越前の方も相当冷遇されてたみたいだし 源氏の内ゲバはお家芸だから文句を言ってはいけない
脳筋だから戦うと強いのです >>856
浄土及びその系列・日宗・禅など全て叡山発であり、公家文化は皆無。
武家文化の発祥の地だか、大成したのは江戸。
残念ながら、100年間に渡り政権が存在した小京都に過ぎない。 >>947
比叡山延暦寺トップの天台座主は天皇や摂家の子息だらけ
公家文化の集大成
>>856
鎌倉新仏教って鎌倉時代に始まったという意味で鎌倉拠点ということではない
浄土、浄土真宗、臨済、本山はすべて京都
栄西も日蓮も京都で布教しようとしたが既存宗教勢力が強く
新興の鎌倉幕府に保護してもらうべくと東下りした
栄西はまた都へ帰っている、日蓮は佐渡流罪 >>944
尊氏が幕府に反旗を翻した後、幕府側によって尊氏の庶長子が殺されたのに
その混乱期に直冬が生き延びられたのは尊氏が認知しなかったことが大きいのかなと思う
直義が養子にした後に渋々認知したものの実父側の冷遇は変わらなければ
直冬が実父を憎み養父側につくのも仕方がない >>932
その人物の地元自治体が街おこしを目論んでドラマ化の陳情とか大っぴらにやるようになったのが影響してる気がする下手に悪い面を描けなくなった >>932
政宗は秀吉から拝領の香ノ前
子供孕んだから鬼庭綱元に押し付けるとか
いろいろあったなw
あれでもだいぶマイルドに描いてたけど 主役目線で描くと白くなるのはいいと思う
その人なりの言い分があるわけだしそれを見たい
でないといつも同じような人物になってしまう
というのを滝田家康の時におもたw >>932
光秀は、第1回の初っ端から野盗を斬りまくってたぞ。
本人も言ってたが、「殺らねば、こちらが殺られる」だけど。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。