【第四十八回】太平記part.48『果てしなき戦い』
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>>456
八幡大菩薩は武運の神なので、ほとんどの侍が信仰の対象じゃないかな。
「葵徳川三代」でも、江が家光を産んだ時、秀忠も「南無八幡大菩薩!」と
絶叫してましたよ、確か。 >>484
ショーケン義貞のままだったら、実は野心家だったって人物像になったかな。
根津義貞だと、周囲に利用される朴訥な武士像にはまるが。
この時代をテーマにしたドラマがもっと制作されていれば
色んな義貞が見られたんだろうな。 >>489
八幡神(菩薩というのは神仏習合の結果)は確かに軍神だけど
同時に特に河内源氏の氏神でもあるな >>484
お前を大将にしてやるから尊氏を討てと命じられて断れるかな
もし勝てば一発逆転で武家の棟梁だからね
恩義を感じで断れないのもあるけど、この誘惑は大きいと思うよ >>493
ショーケンだったらての超わかる
>>495
それも、対立機運が高まったからという面もあるのでは 自分と動かない、手を汚さない、働きたくないでおじゃるの怠け者なんだよな >>495
そこで後醍醐を裏切って足利方へ付いて京を制圧した後に恩賞ガッポリに出来るような政治力無いもんな そもそも義貞に大した政治力がないから後醍醐にいいように使われたわけで・・・w 都の人間はみな
馬之助が助けた女のように
煮ても焼いても食えない連中だからけだから
素直な坂東武者が良いようにされるのは
仕方がない しかし坂東者じゃない楠木も政治力はアレだからな
湊川出陣の直前だって事前に何の根回しもせずに帝の御前であんなド正論をぶちまければ
後醍醐や周囲の公家たちがああいう反応になるのはある意味予測できることだし >>498
自前の軍事力が無いから他にやりようがない
北畠みたいに武装して自前の軍団を持ったら公家じゃなくてもはや武士 >>485
人事ではなく、初期は主に皇室領相続の件での交渉で
かつて大荘園である八条院領が順徳天皇(と後鳥羽上皇)の手に渡り
まもなく承久の乱が起きたので、それに懲りた幕府は皇室領相続に関して
口を挟むようになった
その後に両統迭立の件でも幕府は干渉(穏便に交代で登極をと)するようになった
西園寺家は関東申次の世襲化に成功したために幕府と共倒れになった >>485
鎌倉・室町・江戸の3つの幕府っていずれも前政権が朝廷の官位体系を滅茶苦茶にした後
それを元の秩序に戻す形で成立しているんだよな
鎌倉幕府・・・平氏政権が一門を高位高官に付けて滅茶苦茶にした官位体系を元に戻した
室町幕府・・・建武政権が先例・慣習を無視して滅茶苦茶にした官位体系を元に戻した
江戸幕府・・・豊臣政権が大大名を高位高官に付けて滅茶苦茶にした官位体系を元に戻した >>505
両統の祖である後深草と亀山はいずれも西園寺実氏の外孫だから
鎌倉幕府のもとで両統迭立が続く限り西園寺家の立場ば磐石だったのにね
ちなみに西園寺実氏は頼朝の同母妹坊門姫の孫にも当たるし まあ、新田さんはあの状況だと足利につきますよとは簡単に言えない立場やからなあ。
自分の意志に反して血筋だけで対抗馬に祭り上げられてしまった部分がある。
ただ、楠さんは赤松さんのようにいつでも旗印を変えられたのに、
そして新田さんのように重宝されるわけでもなくついていったんだよなあ。
確かにあんま政治力はなさそうやね。 西園寺家は室町になると先祖伝来の北山山荘も義満に取り上げられるからなぁ >>509
そこが楠木正成の人気の所以なんだろうね
特にメリットがあるわけでも無いのに苦しい時から終始一貫して後醍醐を支え続けたわけだし
意見を言って聞き入れられなくても受け入れて死地に赴くのも日本人の琴線に触れるんだろう
ただやっぱり正成には都を放棄してゲリラ戦をやらせてあげたかったな 主人公のくせにずーっと何もしなくて2話くらい仕事したかと思ったらまた何もしなくなった高氏 正平の一統で広義門院(西園寺寧子)が脚光を浴びても実家の浮揚には繋がらなかった? 父と同じく南朝に忠誠を尽くして散った正行、ついにブチ切れてやってやんねーわと北朝に寝返った弟の正儀 >>511
中国の岳飛もそんな感じじゃないかな
尽忠報国の入れ墨 もしテストで「鎌倉幕府の滅んだ理由は?」という問題がでたら 「後醍醐天皇の息子を後継ぎに幕府がしなかったから」となるんだろうな >>507
両統迭立は幕府にとっては朝廷の勢力を分裂させる良策だけど
波に乗れた西園寺家もまた全盛期だと思う
>>513
西園寺公宗の死後、北朝側の幼い嫡男(と生母)と公宗の異母弟(南朝側)が
家督争いをしていて、一方広義門院は治天の君(前代未聞の珍事)と祭り上げられて
戦乱が続く中、政務を優先したという感じ 岩松も新田の子孫として華族になれたとしても一番下っ端の男爵がやっとだからなあ・・・
これだけで後世の評価がわかるという話。 >>472
そりゃ東国の鎌倉武士中心だからねえ
西国の武士は新興だから、逆にいうと盗賊崩れみたいな感じなわけで >>523
いや、つえーのは三河武士だけど
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 >>507
三河国知行国主であったも大事だ
三河国分国主、持明院統
三河国知行国主 西園寺
三河国守護 足利
全部、源頼朝の母方、三河の藤姓熱田大宮司家の血を引く
関東申次
吉田経房(三河国知行国主)
坊門信清(源実朝正室の父)
西園寺公経(母は一条全子(坊門姫の娘)、将軍九条頼経外祖父)
近衛家実
九条道家(祖父は九条兼実(三河国知行国主)、将軍九条頼経実父)
近衛兼経(道家の娘婿、道家の補佐役)
一条実経(道家の子、九条頼経の弟、道家の補佐役)
西園寺実氏(公経の子)
西園寺実兼(三河国知行国主、実氏の孫、先に病死した父・公相に代わる)
西園寺公衡(実兼の子)
西園寺実兼(三河国知行国主、公衡病死に伴い、復職)
西園寺実衡(三河国知行国主、実兼の孫、公衡の子) 新田はあれだけど、
ドラマでは新田の副将的に扱われてた
岩松はあっさり尊氏側についてますがw >>506
鎌倉時代には左衛門尉や八省丞がやっとだった御家人が
南北朝時代には受領や八省大輔になれてしまう
ありがたいものです こっからしばらくは本放送時、パッションの過剰演技でキツかったなぁ
過剰演技に慣れた今の若い人なら耐えられかも知れんけど >>524
>>525
楠木正成「♪はじまり〜ましたね〜あんたの〜はなし〜」w
「はぁ〜、あんたが大将〜♪」ww >>529
大映ドラマを見ていた世代なら耐えられる。 >>488
大化の改新は話にならなかった。
大仏開眼は結構おもしろい。 >>515
結城は当人が死ぬと残された一族は早々に北朝に鞍替えしたけどな >>519
そういうのはいろいろな要素が絡み合っているから
入試のように答えを一つに限定しなければならないテストの問題としては馴染まない
無論大学の期末試験みたいな「○○について自由に論じなさい」的な問題ならアリだけど >>526
本当のところは千寿王が鎌倉攻めの総大将なんだけどな
そして新田義貞と岩松経家はほとんど同格でともに幼少の千寿王の陣代(副将) >>527
公卿レベルの高官に食い込んでこなければ下っ端の官職に公家は興味ないだろう >>535
むしろノリと勢いって答えに○付ける先生は鎌倉時代に詳しそうw 日本国民は鎌倉攻めの大将は新田義貞で合意してるよ
千寿王?誰それwだよ
ただの御家人のガキじゃん 要するに「大・足利」が組してるということの証明だからな
千寿王なしでは他の武将が集まらず、鎌倉攻めに失敗した可能性は高いんじゃないか 足利と北条の合の子サラブレッドだからネームバリューはピカイチやね 教科書でもなんでも新田義貞が鎌倉を攻撃したて書いてある
千寿王攻撃したなんて書かないよw 「錦の御旗」って言葉を知らないで大河なんて見るなよ
千寿王は鎌倉攻めに武士団を糾合する為の「「錦の御旗」の役割だよ >>539
新田?あの貧乏御家人の新田が?
精々集められて千か二千であろう(正解は150) >>544
もしかして「大仏を造ったのは聖武天皇じゃなくて大工さんだ!」とか言って譲らない人かな? >>548
もしかして「詭弁」って言葉を知らない人なのかな?
違った、「恥」と言う言葉を知らない人だった やっぱり北条方がいないと華が無くなるね
義貞正室のような連中が沢山居たからなあ やっぱり北条方がいないと華が無くなるね
義貞正室のような連中が沢山居たからなあ 鎌倉炎上で一度に大量のレギュラーが退場。
過去の大河でも真ん中辺でレギュラーがごそっと退場
っていうのはあったかな。 >>555
そういえば不毛の人も居ないはずの鎌倉での軍議から出てこなくて寂しい
もうしばらくの我慢我慢 護良の堤大二郎って、歌手だったんだね。
時代劇にピッタリ。
「凱旋」親房ー護良、坊門ー護良 見ごたえがある。
太平記は、脇役のセリフもいいし、演技もシッカリしている。
セリフがいいと役者もやりやすいだろうし、いい演技になる。
護良「山も下りよう、髪もそろう! とな…」
坊門「は…ぁ」 >>558
燃えてパッションな護良役はハマってました、堤さん パッションっての堤のことだったのか
先々週か、忘れたが「敵は足利高氏よ!」かなんか言う台詞の時指を突き出すんだが、
それが左右に小刻みに体を振ってからやったのには苦笑した
完全に一人だけ浮いてる 新田はなぜ岩松のように大人しく足利の傘下に収まることができなかったのか? >>562
鎌倉攻略の功労者として尊氏に次ぐ恩賞を貰ったからやろ
ある意味、赤松や岩松らが新田の建武体制での出世に我慢できずに足利についたとも言える >>563
赤松の場合は新田がどうこうというより大塔宮派への冷遇政策の煽りを受けたことで
建武政権に幻滅したんじゃないの? >>561
源平ものなら壇ノ浦は少なくとも後半と思ってましたが
「草燃える」では20話で平家が滅亡しているようです お上に目通りするのに、二品護良親王があの緑の袍を着るのはおかしい気がしたけど、どうなのかな?
もちろん、名和も変な感じ。
赤松は服持ってないんだろう。 >>558
日テレ年末時代劇の常連だったな
忠臣蔵の岡野金右衛門
白虎隊の山川大蔵 >>560
文字で「敵は足利高氏よ!」と書くとまるで黒崎検査官のセリフのように見える 望むと望まざると、まろはみかどの子、そちは武家の棟梁。それゆえ相争うた。そして、負けた。虚しい、限りじゃ…。 >>569
あと
田原坂の西郷小兵衛
奇兵隊の伊藤博文 白虎隊や田原坂といえば今をときめく坂上忍とイソップが思い出深い >>556
独眼竜も父親周りがごそっと抜けてた記憶 麒麟が来るまでお待ちくださいで政宗の特集をやってたけど
輝宗が死ぬ場面は今見るとコントだな 太平記の場合は一斉退場が凄くショッキングな形で起こるというのも大きいな >>556
炎立つは?
全九年後三年の役と奥州合戦で登場人物が入れ替わってるし >>578
あれは3部構成で第2部と第3部の間で百年近く時間が飛ぶ話だから同列には扱えないよ >>577
平家の場合は皆海に沈んでいくけど北条は血と炎の中だしね。
歴史にそんなに詳しくない視聴者には特に衝撃だったのでは。
知ってて見てても大インパクトだったからね。 >>576
そのあとの大滝秀治虎哉和尚までいなくなるのが寂しかった
自灯明法灯明己を頼みにされるが良い
しばらくしてお東と再会させようと出てきたけど 平家は鵯越、屋島、壇ノ浦とイベントを重ねての滅亡だけど北条氏は一気に全滅だからね 平家滅亡はまだ6歳の安徳帝を無理心中の道連れにしたということで、自分的にはかなりインパクトが大きい。
三種の神器のひとつが失われるというのもかなりすごいこと。 >>577
足利が反旗を翻し、六波羅探題があてにした佐々木道誉は援軍を寄越さず
形勢不利を察して自刃した
そこから一気に滅亡へと転がっていく
だから大河では北条が次々と裏切られていく描写が少なかったことに正直安堵した 六波羅、鎌倉、鎮西(長門)で順番にはなってるけどそこまで行くのに1ヶ月経ってないからいきなり感が凄すぎる >>583
神器も南北朝時代になるとしょっちゅう盗まれちゃうんだよな
逃亡や盗難だらけで人と物の管理がどつなんってるのか不思議になるくらい >>568
袍ではなくて小直衣ではなかったかな?
まあ冠に小直衣もおかしいし、それで参内はおかしい。
考証がなってないか、それとも仮御所での対面で乱後のため
装束がないとの設定か。
麒麟では関白左大臣が緋袍を着てのこのこと武家の館に
行っていたが、あれは明らかに変! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています