【第四十八回】太平記part.48『果てしなき戦い』
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坊門参議が身罷られましたか
おいたわしゅうごじゃりまする >>717
出番少ないのに印象強い役だよな
舞台ばんばんやってた頃、よく観たわ 坊門さん去年脳ベルSHOW出て元気そうだったのに、、
意外と気さくで優しそうな人だったわ 80なんてそのうち老衰で楽に死ねそうな年齢だっていうのになんでまた >>645
てか、前半はに容保と、現場で情報将校兼砲兵指揮官という
図抜けた立場だった覚馬が事実上の主人公だったから無問題。 >>733
見ていて若い時の自分と今のギャップに悩んでとかなら嫌だな このスレにすっ飛んできました
さらば坊門
安らかに なんの事かと思ったら、亡くなられたのか
再放送はこれからが彼の見せ場なのに >>696
足利もって
なら徳川家康も東夷か?
三河は東国であり、西国でもある
足利尊氏と徳川家康の生誕地は、直線距離で約1,5キロしか離れていない
おそらく足利尊氏直義は、足利氏の大門屋敷(三河県岡崎市)の南方すぐ近くにあった上杉氏の日名屋敷(三河県岡崎市)で生まれた
■上杉氏
太田亮
上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か
足利尊氏、直義が生まれただろう日名屋敷
■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)
鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。 ◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 >>677
中国も易姓革命の思想があるから天命が変わったと言えばどうにでもなるw 尊氏が北条の残党引き入れてるらしいが、
足利・北条連合対新田
という構図だったんやな >>695
日本の皇室にとって最後の危機は承平・天慶の乱だったように思う
東アジア世界の各地で易姓革命の嵐が吹き荒れた10世紀を無事切り抜けたことで
日本の皇室は古来から一つの系統で続く特別な存在になった >>705
そもそも足利方が青野ヶ原で顕家軍を迎え撃ったのも
越前の義貞が大挙して援軍に来るのは現実的に難しいという読みがあったのだろうね
だから個別の戦闘で一度や二度負けることがあっても途中の守りをしっかり固めておけば
東山道(近江路)のルートで顕家が京都まで来るのはまず無理と >>744
北条一門ではなく幕府方についた武士の帰順でしょ 大塔宮も北畠も関西弁で喋るべきだと思うの
なんで関東のアクセントにしてるん
まあ後醍醐からしてそうかw 刺客もまさか高氏が踊りながら角を曲がってくるとは思ってなかっただろう 【訃報】俳優の藤木孝さん死去 自殺か
数多くの映画やドラマに出演していた俳優の藤木孝さんが東京都内で亡くなっているのが見つかりました。80歳でした。
関係者によりますと、自殺とみられるということです。
亡くなったのは、俳優の藤木孝さん(80)です。
関係者によりますと、20日午前中、親族が見つけ、病院に運ばれましたが、死亡が確認されたということです。
現場の状況などから自殺とみられ、遺書が見つかったということです。
警視庁が詳しい状況を調べています。
藤木さんは静岡県出身で、2004年に放送されたNHKの大河ドラマ「新撰組!」に出演したほか、数多くのドラマや映画で存在感のある脇役として活躍していました。
芸能界では自殺が相次いでいて、ことし7月には俳優の三浦春馬さん(30)が、今月14日には芦名星(36)さんが亡くなっています。
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20200920/1000054130.html >>750
北条一門とて鎌倉の戦で全滅したわけでもあるまいて >>752
楠木正成もそう、愚弟正季を詰る場面で馬鹿ぁはないでしょ?河内もんなのに。 中先代の乱で、北条および被官の残党は足利に帰順したものと、反足利に分裂した
以降、北条復活の統一勢力はノーチャンスとなった 関西弁って今やお笑い芸人の共通語だからなあ
関西以外では芸人の言葉として認識されるわけで
全然違うニュアンスで伝わっちゃうよ
同じ人間が話しても、アホで好色で非合理なイメージになる 時宗の時ちょこっとイントネーションを関西風にしてたよ
帝や上皇や
はんなりした感じで良かった 自殺する芸能人多いなぁ。やっぱりコロナが間接的に影響してんのかな? >>755
名のある人は殺されたよ
このドラマでも大仏が会議にいたけどそのあと処刑されたし
子供でも北条一門は見つかったら処刑された
だから落ち延びた人は北条は名乗らず田中とか涌井とか横井とか名乗ってた 我々の先祖の大多数の農民にとっては北条だろうが足利だろうが生活は変わらんだろうな 初見だが、北条に、いびられてる頃の方が面白かったな
最近の回は動きがなくて地味だ
これからまたクライマックスあるのけ? >>763
新しい政治によって
統治者が変わって年貢の収め先変わったり
貨幣が変わったり、建築物の建立に駆り出されたり
庶民でも影響でてそうな >>766
誰にとっての善政かという問題はある
少なくとも西日本で商売を生業にする新興の武士層にとっては北条の治世は悪政だったろう 阿野家っていま現在断絶しそうだな
娘は近衛と阿野のハイブリッドクラシックバイオリニストとチェリストか >>757
北条一族で足利に帰順したのって具体的に誰よ? 藤木氏、元を辿れば藤原氏かもなw
藤の字が入ってるし、本名は遠藤さん 麒麟に榎木さんが出てなかった?
予告に判官さんもいたような >>764
地味じゃなくてシンプルなんだよキャラが
名前だけならずっと派手になってるよ 今麒麟を観ているが、足利将軍・初代と末代、えらい描かれ方の違いだな。 朝は足利が権力を握ろうと奮闘し
夜は足利幕府が終焉に近付いていく
足利って今ブームなんじゃねw 建武の新政で始めた事がその後の政治体制でも踏襲されて継続した事も結構あったりする
制度自体は良いものだっとしてもやらせる人間や方法を間違えると何にもならないのが難しいところだ
麒麟がくるの足利義輝もそうだけど自分の何に立脚してるのか理解出来ないとろくな結果にならないな 建武の新政で始めた事がその後の政治体制でも踏襲されて継続した事も結構あったりする
制度自体は良いものだっとしてもやらせる人間や方法を間違えると何にもならないのが難しいところだ
麒麟がくるの足利義輝もそうだけど自分の権力が何に立脚してるのか理解出来ないとろくな結果にならないな 退職してスローライフを送る人生設計を却下された右馬助カワイソス >>788
足利というより、数年前に中公新書の「応仁の乱」がかなり売れたせいか、
中世、特に室町時代に関する本が一般向けのものから学術書まで、
かなり出版されるようになり、プチ・ブームになっているのは事実。
今年になってからも「室町の覇者 足利義満」、「北朝の天皇」、
「室町・戦国天皇列伝」などが出ている。 後に叛いた後に尊氏と直接話す時にさ
新政をまだ初めて数年しか経ってないって言い訳に
お前のやり方は根本的に駄目だって、婉曲に言ってるのに
全く平行線だったからな
基本路線を変えるつもりがない以上どうにもならん お主「俺の尊の字やるからさ。北条高時からもらった高の字なんてやめちまえ汚らわしい」
尊氏「わーい、、めっちゃ嬉しいです」
道誉(いや僕も高氏なんだけどなあ…) >>792
ゆうきまさみの新九郎、奔るがいいよ
まさか応仁の乱をこんなに面白く読める日が来るとは >>764
このあと後醍醐天皇を敵にまわします
楠木正成や新田義貞も敵になります 足利、新田、楠木のそれぞれの弟の残念っぷりがおもしろい 貴重な花を探して旅に出たが、最終回に自分の家の近くに咲いていたことがわかった
みたいな子どもアニメを見たことがあったけれど、
太平記は、美しい世を求めていろんな敵と戦ってきたけれど、最大の敵は自分の一番身近にあったみたいな
救いのない話よね(´・ω・`) >>798
足利の御舎弟殿は何であそこまで戦に弱いのだろうか? 麒麟見てて足利の嫡子以外はみな出家させる様になったのは御舎弟殿と義満死後の後継者争いのせいだったりするのかな?
>>799
花の子ルンルン? >>800
強い奴らが成り上がり者だけど、ご舎弟はそやつら嫌いだしねw
そいつらを上手く飼える者が勝つんだろうね >>803
それもあるし金がかかるんじゃね
足利分家が増えれば北条みたいに家来の土地取らないと分家を食わせていけないよ >>764
自分は、鎌倉炎上までは敵味方の構図がハッキリしていて単純で分物足りなかった
新政以降のめくるめくドロドロとした政治劇の方が断然面白い >>803
追加、徳川なんか家来のとこに養子だして凌いだけど、この時代はその発想はなかったんだね 嫡子以外出家させるのは天皇や公家でもやってること
後醍醐の息子たちも何人も出家させている
足利将軍家は義満から子供が増えたからそれに倣っただけだろう
ついでに義満の同母弟だった満詮も義満自ら剃髪して出家させたよな >>802
元弘の乱も観応の擾乱も応仁の乱も全て身内の争いが原因
血の繋がりがあるということは自分に取って代わりうる敵でもあるということ >>792
「北朝の天皇」は面白そうだから近々読んでみる
大河では後醍醐天皇と尊氏に焦点を当てて分かりやすくしてくれているけれども
同時期の北朝の天皇達について自己で補足したい
後醍醐天皇が子孫を嫡流にしようとした結果表舞台から去った木寺宮と常盤井宮も
気になるけれども、こちらはもっと史料が少ないからなあ この頃は兎に角、武士にカネがないのよ
カツカツだから生き残るためには身内だろうがなんだろうが奪い合うしかない
北条が権益を独占したのもそのためだし
尊氏が幕府を鎌倉ではなく京に置いたのもそれ
西の経済がそれを解決する踏んだ
間違ってはいないけど、それでも全然足りなかった
根本解決するのは土蔵と結びつき、
海外貿易まで始める義満の時代になる >>800
八朔の足利兄弟のエピソードとか見ると、生真面目過ぎたんだろうな
贈り物一切受け取らないって立派ではあるんだけど、ホイホイ受け取ってホイホイあげちゃう尊氏の方に人望は集まるわな
特にバサラな荒くれ者たちには >>809
兄弟は他人の始まりって故事も天皇家一族が起源だからな >>802
尊氏の処置が甘いのが全ての発端
いくさになる前に手を打たないと
あいつは戦になってから本気出す無能よ >>789
>>790
建武政権からその後に踏襲されたものって何よ? >>803
最大のトラウマになったのは直冬問題じゃね?
>>807
時代背景が違うから一概に比較はできない
直義の養子にした直冬が尊氏晩年の最大の障害になるわけだし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています