>>51
現場経験なく部屋内で兵法の勉強し、いざ現場に立つ機会を得たら
飛び抜けた結果を出したという例では、他に大村益次郎がいるな
光秀の場合は大勢のライバルの中で、トップクラスの成績を収めた例だが
大村はどこも西洋兵学をやっておらず、大村の指導により長州軍団を西洋化し
他藩とは全く違う軍団を戦術に代えたため、第二次長州征伐で圧倒的な勝利を収めた
他と全く違う新しい戦術を行い、圧倒的な結果を出した例は義経と楠木と大村が挙げられる

それ以前の軍団は、藩士には旗持ちや弁当係など、戦闘に加わらない予備軍がいて
(営業を刀や槍などで戦う人と仮定し)
藩士が係長ならその下に経理や営業補助や総務などがいて、係に10人いて営業が一人とか二人
その上に課長、その上に部長
これを平係長課長を解体し、全員営業となり部長の指令で動く、経理は一つに集めて仕事させる
この軍団改革は桂小五郎などの尽力があり、政治に弱い大村の構想を実現させた

秀吉は水攻めや鳥取城の日干しなど、経済感覚を取り入れた新しい戦術があったと思うが
光秀は従来の戦術の達人というべき存在で、信玄や謙信など同じ分類になるだろうな