「1565年6月19日付フロイス書簡」に見る永禄の変
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>かの暴君たち(三好義継、三好三人衆、松永久通ら)の悪事はますます増長し、その心はいとも邪悪な望みをこれ以上延期することに堪えられなかったので、彼らは宮殿に火を掛けるよう命じた。公方様(足利義輝)が自ら出ようとしたが、その母堂(慶寿院、近衛尚通の娘、前久の叔母)は彼に抱きつき(引き留め)た。彼女は我らを大いに歓迎した尊敬すべき老婦人であった。しかし、彼は火と必要に迫られ、家臣とともに出て戦い始めたが、腹に一槍と額に一矢、顔に二つの刀傷を受け、その場で果てた。

こちらの方が史実に近い義輝の最期。弓矢による射殺かよ(腹の傷はとどめ?)