>>438
北畠親子の奥州行きなや護良派排除の一貫として中央政界から追い出した要素があるのはドラマに描かれた通りだよ
あと北畠は親子揃って建武の新政にはそもそも批判的
親房の『神皇正統記』や顕家が戦死する直前に後醍醐に出した諌奏状なんかはいずれも建武の新政をコテンパンにこき下ろしてる

まあ親房は後に南朝の大物になるイメージが強いが
親房が南朝に忠実だったのは後醍醐の後継者となったのが奥州時代から北畠に擁されていた義良(後村上)だったことも大きいだろう