>>654
初期室町幕府の二頭政治はありし日の鎌倉幕府の体制を武家政治の理想と見なしたけど
それが時代に合わないことが徐々に表面化していった結果が観応の擾乱

でその後の混乱と暗中模索の結果導きだした答えは得宗専制を遥かに凌駕するような
義満〜義教期の将軍個人への極端な権力集中と独裁独裁体制

しかしこの独裁体制は将軍がそこそこ政治的に有能な人物じゃないとまともに機能せず
最終的に破綻するのが応仁の乱とその後の混乱で明応の政変以降は最早目も当てられないと