【小檜山青の】武将ジャパンの武者震之助part20【ペンネームだった!?】
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歴史ポータルサイト「武将ジャパン」とその姉妹サイト「スマホで朝ドラ」、双方でドラマレビューを装いつつ様々な有料動画へのリンクを貼って小銭を稼いでいるレビュアー武者震之助(以下、武者氏)。
しかし、そのレビューは不正確な情報に基づく痛い勘違い、 浅はかな史観や政治思想などのオンパレード。
武者氏の好みに合わないなら脚本家・スタッフ・出演者・作品関連企業への誹謗中傷・名誉毀損・罵詈雑言ばかり。
逆に好きな作品ならなんでもかんでもベタ褒めするため、以前の記事と異なるダブスタなんて朝飯前、サイトぐるみのステマの疑いも濃厚。
しかも間違いを指摘するなど都合の悪いコメントが投稿されると即削除、更にはコメント自体させなくしたり、 敢えて削除せず管理人が業務妨害だと恫喝・息のかかったコメンターを動員して批判させたりするなど凄まじい言論統制。
まさに横暴の極みとしかいえず、「歴史戦国でワクワクしたい」という謳い文句を掲げる歴史ポータルサイトの印象を悪化させています。
武者氏への不満やレビューの間違いの指摘、両サイトでコメント削除の憂き目に遭った経験などを思う存分、ここで語り合いましょう!
ー【お約束】 ー
◎970レスを超えたら有志の方が「次スレを立てる」と宣言した上で次スレを立ててください。 宣言後にスレ立て規制などのトラブルでスレ立てが不可能になった場合には、すぐに申告してください。その際には別の有志の方が宣言の上、スレ立てに挑戦してください。
◎ 「武者氏の史観は史実に反している! 」 「武者氏のこの指摘は前作と矛盾している! 」などといった武者氏に対するご意見をご自由にお書きください。
なお、大河板のローカルルールでは 「NHKで放映されているその他のドラマに関するスレも許容されます。」となっていますので、大河ドラマレビューだけでなく、朝ドラレビューについてのご意見もこのスレの対象とします。
◎ 武者氏のレビューだけでなく、武将ジャパン編集部へのご意見、武者氏以外の執筆者でも同サイトにトンデモ記事がアップされている場合にはその記事へのツッコミも歓迎します。
◎ 多様性は大切です。 武者氏に対する好意的かつ稀有な意見も、議論や討論のネタとして尊重します。
◎ ここはドラマ自体を論評するスレではありません。 武者氏が絶賛している作品自体の叩きや、罵倒している作品への過剰な擁護は基本的にスレ違いです。 武将ジャパンの記事と無関係な作品叩き・擁護レスは、それらの作品の本スレやアンチスレにお願いします。
◎ 武将ジャパンは、記事への批判的なコメントを削除し、記事本文について卑怯なサイレント修正を日常的に行っている疑いが濃厚なサイトです。
特に武者氏の記事についてはその可能性が非常に高いので、このスレにレスされる場合には、ウェブ魚拓(下記魚拓サイトの"//"の後のスペースに"m"又は"a"を挿入してください)やスクショなどのご活用を推奨します。
https:// egalodon.jp/
https:// rchive.is/
https:// rchive.org/web/
※「Rock54(いわゆる目玉)」の対象となることがあるので、魚拓のURL記載は自己責任でお願いします。ひと工夫するのがオススメです。
※名誉毀損など、あまりにも悪質性が高い場合は、NHKや脚本家関係者などへの通報も考えてみてください。
―【「武将ジャパンの武者震之助データ」(保管庫)のご案内】―
このスレでは、スレ立て・スレに関する幾つかの内容を下記URLでwiki形式でまとめております。具体的内容は次のとおりです。ご活用ください。
(1)テンプレ(次スレのレス番1用)、(2)過去スレ一覧(次スレのレス番2用)、(3)関係サイト(次スレのレス番3用)、(4)これまで採取された魚拓一覧(【その1】から【その14】)、
(5a)武者震之助用語辞典(一応完成分)、(5b)辞典(作業遂行中の項目)、(5c)辞典(項目立てしただけのもの)
https://seesaawiki.jp/w/amamasa/d/%c9%f0%be%ad%a5%b8%a5%e3%a5%d1%a5%f3%a4%ce%c9%f0%bc%d4%bf%cc%c7%b7%bd%f5%a5%c7%a1%bc%a5%bf
ー【前スレ】ー
【10年ルールも】武将ジャパンの武者震之助part19【表裏比興!?】
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1595033803/ >>413 続きです。
現代にも根強く残る個人崇拝思想を危惧する小檜山氏は、具体的事例として【ヤン・ウェンリー】と【竜堂兄弟(=四兄弟)】というキャラクターたちの名前を挙げています。
文章の流れからすれば、どちらも『銀河英雄伝説』のキャラクターであろうと推測できるところなのですが、問題は【竜堂兄弟】は作者こそ同じなものの、全く関連のない別作品(『創竜伝』)の主人公たちな事です。
何でまたこういう雑な記述をするんでしょうねえ。意図などなくて単なる粗雑さの故かもしれませんが。 麒麟がくる28回感想魚拓
1ページ目 https:// rchive.is/vTaPi 2ページ目 https:// rchive.is/IQjPB
3ページ目 https:// rchive.is/5CCN8 4ページ目 https:// rchive.is/i0YGq (rの前にaを入れて下さい)
07:34の時点で元テンプレ厨さんがやってくれていました。私もまだ中身を見ていません。 >>414
結局、読んでいないものを使って、持っていない知識を振りかざして、誰も言っていない事を叩く、本当にやっては行けない事やってるんですね。
銀英伝ファンとしては「ヤン・ウェンリーを政治家扱いするんじゃねえ」って言うのと、「ヤン・ウェンリーは戦争始まらなきゃ仕事しないぞ? 平和な世の中ならあいつが一番いらんわい」って思った事は付け加えておきます。 >>415
お疲れ様です。
しかし、観てもいないのになんで「エール」叩きをやめないんでしょうね。
ドラマは二の次で、とにかく古関裕而なんてやつを取り上げるんじゃねぇ!!と言いたいのか。
それこそ個人崇拝だと。 まず、>>403 の答え合わせ。>>415 の「麒麟がくる」28回の4ページ目からだが、
>さて、そのころ摂津晴門は――。
>三好の片割れが越前にいて、朝倉義景に何かと入れ知恵していると、聞かされております。それをおもしろいと言い、企ん
>でいるのです。
>「織田信長め! 成り上がりの分際で、満座でわしに恥をかかせおった。今に見ておれ、一泡吹かせてみせようぞ!」
>そう言い切るのでした。
後、1ページ目で、
>ここでの彼は背中しか映らない。それなのに、身のこなし、背中ですらどこか何か不穏な気配がある。一体本作は、どうい
>う演技をさせているのか!
ということで、4ページ目の引用では実際わざとらしい顔芸をしていたにも関わらず、そこは触れていないし、1ページ目も褒
めているだけである(嫌いなドラマなら「顔芸が―ッ!!」とかなるシーンなのに)。やっぱり武者氏は「好きなドラマ」な
ら顔芸もやっていいし、「ベタな演出」だって構わないのだろう。『当たり』ですね(←自己満足の世界)。 時間が空いたが、「麒麟がくる」28回 1ページ目
>そうそう本作ですが、合戦シーンをそこまで多くはやらないようです。
>別にそれが悪いとも思いませんし、どこに重点を置くか決めるのは、作り手の判断です。
>駒はすっ飛ばして合戦をしろという指摘もあるようですが、余計なお世話ではありませんかね。
>合戦をどれだけ重視するのか、そこは作り手の価値観次第。
>合戦シーンこそ醍醐味という気持ちはわからなくもありませんが、東映時代劇の頃ではありません。角川映画の時代劇だっ
>て、合戦がない『みをつくし料理帖』をやる時代です。
>予算が膨大だった『ゲーム・オブ・スローンズ』ですら、大規模な合戦は原作からかなりカットして、1シーズン1エピソー
>ドにある程度なのです。
>それよりも本作は、政治劇、会話劇、心理の交錯に力を入れていると思えるのです。
私も合戦シーンが少ないのは別にいいと思うが(またしても言うが、「徳川慶喜」だって合戦シーンは少ないし)、本作その
「政治劇、会話劇、心理の交錯」が良くない気がする(いいと思っている人もいるだろうが)。
実は今やっている「麒麟がくる」と大体同じ時代の「キンジパ」24〜26回がYouTubeにあったので見たが、やっぱりストー
リーがすっきりしていると言うか分かりやすい気がする。例えば光秀を例にすると、
キンジパ光秀=朝倉義景に仕え朝廷との交渉をしていた。だが、義景は義昭の上洛に乗り気ではない。しかし自分は義昭の上
洛を一刻も早く実現させた方が良いと考えている。それで上洛にやる気満々な信長の所に行って「義景とは
手を切りたい、信長の家来になりたい」と売り込みに来る。
とこういうことが24回を見ただけで描写されているんだが。「麒麟がくる」の光秀って時間をかけて描いているにも関わら
ず、「何故義輝には仕えずに、義昭に仕えたのか?」ということが私には分からないが、これを分かっている人いるのだろ
うか?
何故光秀主役の「麒麟がくる」の方が「光秀の行動がよく分からん」という事態になるのか? 「麒麟がくる」28回 1ページ目
>一方で三淵藤英は、将軍権威を保つためにも、範囲を広げてでも松永久秀を処罰しておきたい。
>向井理さんの義輝は美しかったけれども、その命は死んだ後でも値踏みされ続け、利用されるのです。
>人は誰でも死ぬ。けれどもその死に関わる葬儀にせよ、何にせよ、利用はされる。死、しかも暗殺となればその傾向は顕
>著。素直に追悼しないものは不埒だのなんだの言われますから。
>藤英としては【義輝の死】というカードを存分に使いたいところでしょう。
一応藤英を「非情の人」と描きたい、というのは阿君丸毒殺で分かったが、前から書いているように、「藤英があの義輝を見
捨てたのは何故か?」という部分が描かれていないので、ここの藤英が何を考えて「松永を処罰したい」と思っているのか分
からない。
>一方で、信長はこの混沌さえ、にっと笑みを浮かべておもしろそうに見ている。
>彼は学んだのかもしれない。すごく、邪悪なことを。松永久秀の弱みは握った。今後、「義輝殺し」の一件でじわじわとい
>たぶれそうだ。
信長ってそんなことを考えているキャラかなー?以下の記事によると、
『麒麟がくる』染谷将太が感じる信長の変化「少し前までは…」
https://news.mynavi.jp/article/20201018-1423747/
染谷将太自身が「信長はピュア」と言っているし、信長が残酷なことをするのは一応「何らかの政治的目的があるとき」であ
って、「久秀の弱みを握っていたぶれる」とか考えていないと思う。考えることがあるとすれば「それによって何らかの政治
目的を達成できるとき」だけだろう。
「弱みを握っていたぶれる」というのは武者氏が考えそうなことじゃないの? 「麒麟がくる」28回 2ページ目
>そんな挨拶のあと、摂津晴門が幕府の実務を抑え、仕切ることをどう思うのか。話題はそうなります。
>確かに幕府を仕切るのならば、その方が早くできる。当面仕方ないとはいえ、それでよいのかどうか。
>何と言っても彼らは義輝を助けられなかった体制なのです。
>幕府の中を一旦洗い直す意義を光秀は訴えます。藤孝も思いは同じですが、兄の藤英はそうは思っていない様子。だからこ
>そ光秀がいれば心強い、何かと相談したいと言います。
>二人は幕府改革の意思を確信して、別れるのでした。
ここ、光秀も藤孝も結局は義輝を見捨てているので、摂津を批判しても「お前らが偉そうなことを言えた義理か?」にしか見
えない。だから藤孝が義輝を見捨てた理由と(何度目だ・・・)、光秀が義輝に仕官しなかった訳をきちんと描いていれば。
その点でも「キンジパ」の「朝倉に仕えていたから」というのはいい理由で(この設定は一般的だから、他も使っていると思
うが)、少なくとも光秀はこれで解決なのに。「麒麟がくる」は解釈をひねろうとし過ぎて、かえって話がおかしくなってな
いか?
>うん、門脇麦さんがこれまたどんどん変わって来ている。人間はこういうものだという気もする。成長して、いつまでも恋
>愛感情ばかりでもないでしょうね。どうにも、駒や帰蝶はそこをやたらとクローズアップする見方があって、私は違和感を
>覚えるのですが。
だから何度も言うが駒はともかく、「帰蝶はそこをやたらとクローズアップする見方」ってそんなことを考えているのは武者
氏だけだと言うのに。いつもながら「武者氏があると言えばある」だから、ドラマがどうだろうが、実際にどういうニュース
があろうが、武者氏にとっては関係なくて「武者氏の真実は武者氏の中にしかない」のだろう。 「麒麟がくる」28回 3ページ目
>本国寺では、負傷者が運ばれて治療を受けています。これも本作らしさだ。
>戦国時代を舞台にしたフィクションはある。けれども、負傷者なり死体はすぐさま消えてゆきます。
>それを本作では映す。
それは東庵や駒がいるためだろう。必要があるから描いているのである(「おんな城主直虎」も結構描いていたと思う)。
ここのシーンの難を言うと、光秀と駒の挨拶が長すぎである。ここは負傷者の治療が先なのだから、光秀との挨拶は簡単に済
ませるべきなのに、光秀の後ろ姿まで見送るというのは仕事熱心な女医に見えない。後もう一つ、東庵は駒に「お湯をもっ
と」と言っているが駒ってそういう役割なのか?お湯って下働きの人間がする様な事だと思うが。駒も東庵のところで長いの
だからここは治療をすべきで、お湯は別な人間を連れて行ってやらせるとかの方がいいと思う(「徳川慶喜」だと側近が忙し
くなったら、新たな人間を入れていたが、駒だって薬のせいで忙しいのだから、東庵は別な人間を雇うべきだろう。東庵、駒
関連は、時間を割いている割には描写が雑だと思う)。 最近の麒麟は微妙
勝家はそこらのチンピラ扱いだし、三淵がよく分からないし、藤考が地味だし、オリジナル3人衆がでしゃばりすぎ、摂津が陳腐な悪役だし
評定シーンがただのヤンキーの口喧嘩だし、武者が絶賛したせいかな?
個人的に今作の主人公である光秀より直虎の脇役である光秀のほうが魅力あるのがどうよ… >>422 に追加
武者氏はこういうところ、「嫌いなドラマ」なら「薬作りに忙しい駒をさらにこき使う東庵はブラックだーッ!!」とか言い
出すし、駒が湯を持ってくる役割なのも、「女の仕事を馬鹿にしているーッ!!」とか騒ぐのだが。そこらへん突っ込まない
のはやはり安定のダブスタである。
「麒麟がくる」28回 3ページ目
>伊呂波太夫は挨拶したあとを知りたがります。今はこの騒ぎだけど、おさまったら使いをよこすから遊びに来ればよい、と。
>けれども駒は、そんな偉いお方には会いに行かないと言う。十兵衛様の無事を確認できたとほっとしています。
>駒も変わったところはある。名誉に無頓着と言いましょうか。彼女はさんざん、偉い人に会いすぎると突っ込まれてはいます
>が、そういうことをしても駒だからこそプロットがぶち壊れないところはあると思うのです。
>普通、もっとチヤホヤされて浮かれません? しかし駒はとことん謙虚。“普通”が視聴者側とも違うのでしょう。
「駒がチヤホヤされても浮かれない」と言うのはその通りかもしれないが(しかし大物に会い過ぎるのは、しかも皆に気にいら
れるのはやりすぎだし、この作品の欠点の一つだと思う)、武者氏の場合同じことをしていても、気にいらないドラマなら「駒
はチヤホヤされて有頂天でニタニタ顔。喜んでいるのを隠せません。ほっこりキュンキュンセレブライフだーッ!!」とかわけ
わからんことを言い出すからなぁ。駒は武者氏に気にいられて何よりですね(棒)。
>こういう細かいところも素晴らしくて、まずは照明です。日差しが障子を通して屋内に差し込む、それがとても美しく撮影さ
>れている。
>さらには障子を開ける人がちゃんと藤孝の横にそっといる。当時の貴人なら自分で開けない。こういう細かくて丁寧な演出が
>よいのです。
>障子すら自分で開けない当時の貴人なのに、将軍自らお湯を運ぶ義昭の特異性も浮かび上がりますね。彼も変わっているので
>す。
将軍自らお湯を運ぶのは義昭が変わっているからでいいとしても、その時義昭と堂々と立ち話をする駒は「細かくて丁寧な演出」
と言えるのだろうか?いや、駒が貴人に対する作法が出来ていないというのはいいとしても、義昭の側に侍女が二人いたのだが。
普通駒に「上様に向かって無礼であろう!!」とか言うと思うのだが。武者氏的には「侍女も変わっている」という事でいいのだ
ろうか? 「麒麟がくる」28回 3ページ目
>藤孝には疑念がありました。
>勝軍山から一気に、三好の大軍がくだってきて、それに幕府のものが気づかない。京に入るには関所がある。本国寺にふっ
>て湧いたわけがない。
>要は、幕府内部の内通者の可能性を察知したのです。
>本作の登場人物は、そういう考察がきちんとできるのがいいですね。一乗谷でも、光秀が市場の動向を観察して「戦の支度
>をしていないから上洛できない」と朝倉義景に言い切った場面もその一例でしょう。
あのー、それ以前に「朝倉家は割れていて上洛どころではない」ということに気付かないボンクラ光秀は、どう考えたらいい
のだろうか?
また「キンジパ」の話になるが、24回で朝倉義景は、一向一揆で自分が軍勢を連れて留守にしてしまうと、越前を取られかね
ないこと。成り上がり者の信長に上洛なんて無理!と考えている事(ここは「麒麟がくる」でも同じだが)がきちんと描かれ
ていたから優柔不断ではあるが、「麒麟がくる」の義景の様に、自国のことも分かっていないスーパーバカ殿には描かれていな
かった。そしてそういう考えの義景に対して光秀は「義昭の上洛を急ぎたい」から、義景から離れざるを得ないというのがはっ
きりしていた。
「本作の登場人物は、そういう考察がきちんとできるのがいい」って戦国武将なんだからそれは当たり前だろう。 >>423
「秀吉」の村上光秀もよかったな〜。
「麒麟」でもてっきりああいう感じに描かれると思ったのに。 保管庫の【魚拓一覧その10・その他の魚拓その2】のところに次の2つの魚拓を加えましたので報告します。
なお、レス代行をお願いしましたので、URLは省略していますが、保管庫にはきちんと書いています。
◎「戦国時代に戦も政治もバリバリだった巨大寺院!延暦寺・本願寺・興福寺の実力」(by 長月七紀@2020/10/20)
(URL省略) (3ページのうち1ページ目のみ魚拓)
2018/09/13付けのコメントがあり、それ以前の初出と思われるが、コメント欄で「匿名(2018/09/16 22:42)『東叡山は増上寺ではなく、寛永寺です。』」と指摘されているのに、
記事本文は「増上寺の山号が「東叡山」=「東の延暦寺」なので、イメージ的に「延暦寺は由緒正しいお寺」と認識されていたことは間違いなさそうです。」と修正しないまま再アップ。
そもそも増上寺は浄土宗で寛永寺が天台宗って歴史ライターなら常識的知識なのでは?
◎「おつやの方(信長の叔母)は絶世の美女にして四度結婚〜岩村城の女城主」(by 石丸みどり@2020/10/15)
(URL省略) (3ページのうち1ページ目のみ魚拓)
魚拓には「おつやの方は最終的に、岐阜県恵那市・岩村城の遠山景任(とおやまかげとう)のところへ嫁ぎ・・・」とあるが、
コメント欄に「Harada Hideaki(2015/03/08 21:01)『岩村城が中津川市と記載されていますが正しくは恵那市岩村町です。』」とあることから、初出では「中津川市」であり、コメント日付け以前の初出であることが分かる。
注目すべきは、この指摘を受けて編集部が本文修正したのが「2017/05/20 00:27」ということである。
なお『武将ジャパン』の「執筆陣/お問い合わせ」の欄には「石丸みどり」の名は見当たらないが、この記事の3ページ目によると下記のとおりである。
【以下引用】
映画による地域デザインをテーマに、地域の物語を映画化し地域活性化を提案するコミュニケーション・デザイナー。
岐阜県恵那市岩村町の「みつけもの」他、愛知県高浜市の「タカハマ物語」、愛知県長久手市の「未来(100年後)へのとびら」、愛知県西尾市の「オシニ」の脚本、監督を務める。愛知淑徳大学常勤講師。
「みつけもの」は、2011年「地方の時代」映像祭で市民/学生部門 奨励賞を受賞。
脚本とディレクションに着手する際に、徹底したリサーチを行うことから、地域独自のストーリーを生み出す。岩村ではこのリサーチによって、女城主の子孫を発見した。 「麒麟がくる」28回 3ページ目
>幕府内の何人もの役人が、不正に公家や寺の領地を横取りしている。訴えられているのは、10や20で済まない。何年にも
>わたってそうだ、と腐敗の証拠を突きつけるのです。
>藤孝は驚き、どうやってこの文書を手に入れたのかと返します。今回の騒ぎに乗じて手に入れたとか。
>やりましたね、光秀、やりました!
>今回にようなことを防ぐのであれば、幕府腐敗の根を絶つことが肝要。その根を光秀は見出しました。
>幕府内に三好に戻ってきてもらいたい一味がいる。それこそが根本的原因だと見出したのです。
>光秀と藤孝は、よいコンビになると確信できては来ました。
>ただ、幕府再興はもう間に合わないとは思えるのです。
実は私も一瞬武者氏のようなことを考えたのだが、やはりここはおかしい。普通「主君が襲われている時に内部不正の証拠を
どさくさに紛れて手に入れようとするか?」ということ。そういうことって敵か盗人がやることでは?
光秀は一応将軍の家来になったのだから、将軍が襲われている時ではなく、別な時に不正の証拠を手に入れるのが筋だと思
う。やむを得ずそうなったのなら「摂津が悪賢すぎて証拠がつかめない」とか「他の方法は駄目だった」とか、「将軍が襲わ
れた時のどさくさ」に証拠集めをするしかなかったという描写を入れるべきだろう。
主君が襲われている時に不正の証拠集めってイヤな奴にしか思えないが、こういうところも本作、光秀をいい人に描きたいの
か悪人に描きたいのか分からなくなってしまうところだと思う。
>「幕府にとって織田信長とはその程度の代物か!」
>扇をぶん投げつつ、怒り狂う信長。信長はそう、ものにあたる悪癖がありますね。
>現代のアンガーマネジメントなら「6秒待ちましょう!」と助言できるのでしょうけれども、信長は怒りで全身をぎらつか
>せる。人というよりも、怒り狂って毛を逆立てる獣のようだ。
武者氏は萬平がちょっと怒るとブラックだの何だの「自分のトラウマが―ッ!!」とか言っていたと思うが、ここの信長に対
しては何もないのか?と思ってしまう。やっぱり「私は信長と同じよッ!!」と思っているから気にならないのだろうか? 「麒麟がくる」28回 4ページ目 >>415 より
>信長はそう迫る。近隣諸国の大工たち、材木師を集め、そのほうたちも汗水垂らして釘を打て、さればできる! そう言い切
る。
>光秀はこれを横で聞き、どこか不快感を顔にうっすらと見せています。
>はっきりとは、わからないけれど、光秀なりに、信長の危うさを肌で察知しているのかもしれない。
この頃の光秀っていつもこんな感じだぞ(>>306 で書いたが、藤吉郎が駒と再会して喜んでいる時もこんな感じだった)。
それで表情云々は置いておいて、このシーン見直したが、「光秀が不快感を顔にうっすらと見せて、見ているのは信長ではな
く摂津」である(少なくともこのシーンでは)。
何故それが言えるのかというとこのシーンの光秀は、光秀から見て右に上座の信長、左に下座の摂津が見えている状態。信長
は摂津に怒鳴り散らして一度摂津の前に来るが(つまり信長も摂津も、光秀の左にいる状態)、その後また上座に戻って喋っ
ている。そして光秀の顔が映るのは「信長が上座にいる状態」の時で、この時の光秀は明らかに目線を左に向けている。だか
らこの場合、光秀の目線の先にいるのは摂津であって信長ではない。
武者氏はもう少し丁寧にドラマを見て欲しい。 「麒麟がくる」28回 4ページ目
>かくして二条城の普請が始まります。光秀も熱心に働いておりました。
ここ働くのは別にいいのだが、制作者側が『光秀を賢く描きたい』のなら、単に肉体労働をするだけではなく、「人足に的確な
指示をする光秀」とか、彼は計算が得意という設定のはずだから、「設計、計算分野で力を発揮する」とかそういうシーンの方
が良かったのではないかと思う。光秀ってこういう時に「肉体労働をするキャラクター」には描かれていないと思うが。本当に
こういうことが重なるから「光秀をどう描きたいのか分からなくなる」のである。
>本作は、おそろしい酒みたいなもんだ。酒をぐいぐい飲ませて、酔わせるような危険なところがある。信長の気持ちに、恐ろ
>しいほどに引き摺り込まれる。信長の気持ちと一体化できる気がする。そしてそれは、とてつもなく悪酔いをさせる。
武者氏の場合、本作信長の気持ちと一体化していなくても、ストロングゼロで悪酔いしているじゃないかと言うのは置いておい
て、やっぱり「私は周囲とは理解し合えず、周囲を振り回しているが、少数の世の中を疑えるものなのよッ!!」と思いたいん
ですね。ハイハイ分かった。えらいえらい。 麒麟がくる」28回 4ページ目
>信長は、人の心を平気で踏みつける。その悪どさや痛みに気づけない。けれども、そうできない人がいる、それが光秀。
>光秀は、石仏をじっとみつめてしまう。なぜですか? なぜ、あなたは、この石仏を信じる人の心を踏みつけにできるのですか?
>そういう問いかけを、表情で表現する長谷川博己さんが今週も圧巻だ。
>染谷さんが動ならば、ハセヒロさんは静で。静かなようで、感情はこんこんと表情の背後で流れていて。もうハセヒロさんの演技
>力と知力前提で動くような作品だから、説明するのは野暮だと思うけれども。それでも毎週言いたくもなる。長谷川博己さんは、
>ほんとうに誠実で唯一無二の、素晴らしい役者なのです。
多分ここ、制作者側は武者氏の様に思って欲しいのだろうけれども。
ここ光秀が「石仏を邪険に扱う信長に嫌悪感を抱く」という風に見せたかったら、光秀の信仰心をきちんと描くとか、明智家の信仰
心を明確に描くとかしておかないと唐突に見えてしまう。
いや、「異常」な信長に対して「常識人」の光秀という風に描いていれば、それほど信仰心の描写がいらなかったのかもしれないが、
何しろ今までの光秀は「裏切りホイホイ」で、何の情もなく義龍を裏切って、しかもその後、牧と一緒に美濃に帰ってきた時に伝吾
と「高政がいたらどうだっただろうな」とか、自分の裏切りも他人事の様に忘れているとしか思えなかった。そういう情のなさを見
せているので、いきなり「仏像を大切にしないなんて」みたいな顔をされると、こっちは「アンタがそれをやるか?」という気になっ
てしまう。何度も言うがこういうところが「本作、光秀をどう描きたいの?」と思ってしまうところである。 うーん、うーん、うーん・・・。
なんか最近、とみに「武者が憎けりゃ麒麟までも」な方が増えてるように見えるのは
気のせいですかね?
武者氏が変な褒め方をすればするほど、穴が目立ってしまう、というのはわかりますよ。
ただこうなると、私も含めて数少ない(?)麒麟に好意的な人が、かなり当惑させられるような。
まぁあれですよね、もとはといえば、そういうついつい反発したくなってしまうような
ことばかり書いている武者氏が悪い(?)んですよね。
そりゃ「こんな人が手放しでほめそやしている作品なんて、どれほどのもんだろう」
となりますよ。
見方は人それぞれですけど、こういうところで書くなら、そう思わない人も「なるほど」
と思うような書き方をしてしかるべきでしょう。
けっきょく「麒麟」のイメージさえ下げてるんですから、罪な人ですよね。 「麒麟がくる」28回 4ページ目
>若手俳優が新解釈の信長を演じた大河といえば、1992年の『信長 KING OF ZIPANGU』がある。あの緒方直人さんはさんざ
>んいろいろなことを言われました。あれは彼が悪いというよりも。作る側も、見る側も、何かが欠けていたのだとは思いま
>す。あの放送年に生まれた染谷さんが、今度こそ新解釈の信長を演じることになる。
だから「キンジパ」を見ていないのに、知った風なことを書くのはやめろと言うのに(しかも「緒形直人」もまた間違っている
し。私が「キンジパ」好きだから、嫌がらせをしているのか?と思ってしまう)。
しかも「作る側も、見る側も、何かが欠けていた」って・・・。今回24〜26回を再度見て思ったが、ちらっと書いたように脚本
は「キンジパ」の方がしっかりしていると思う(「麒麟がくる」は斬新な解釈をやろうとし過ぎて矛盾が出てきているように思
う)。ただ「キンジパ」は主役の緒形直人もあまりうまいとは言えないが、「麒麟がくる」に比べると結構下手な役者がたくさん
出ているように思う。
帰蝶の菊池桃子、藤吉郎の仲村トオル、お市の鷲尾いさ子、明智光秀のマイケル富岡と、皆かなりの大根だった(それを脇で、加
納随天の平幹二郎とか、林通勝の宇津井健とかが締めている感じ)。これが「麒麟がくる」だと、うまいと言えないのは駒の門脇
麦とか、近衛前久の本郷奏多くらいであとはうまい役者が多いと思う。それに門脇麦も本作の中ではうまいと言えないというだけ
で、「キンジパ」の鷲尾いさ子と比べたらかなりうまいと思う。何となく「キンジパ」は役者が下手なのを脚本演出が補っている
という感じだが、逆に「麒麟がくる」は脚本が雑なのを役者の演技でカバーしているという気がする。
何かが欠けている(というか欠けまくっている)のは武者氏自身だろう。
続きます >>433麒麟がくるで下手だなぁと思ったのは門脇麦氏と堺正章氏の二人かな。本郷奏多氏は気にならなかったと思う。
最近。麒麟が武者の嫌いな西郷どん化してるの気のせいですかね。序盤の美濃編〜桶狭間までは粗はあったけど。気にならないぐらい楽しめたのに今は楽しめないのですよね。
これだけは言えます。この作品、尺配分の取り方が下手。
これは余談だけど麒麟に出演してる川口春奈氏と滝藤賢一氏が出演してる極主夫道を武者が見たらどうなるんでしょうかね、発狂すると思います。 >>432
どうしても武者氏のレビュー(?)を読むと、「それはおかしい」とか「武者氏は好きなドラマと嫌いなドラマで、態度を変えす
ぎだろう」とか思ってしまうので、武者氏が褒めると逆にそのドラマの欠点が気になるし、武者氏が叩くと「いや、そのドラマは
そこまで酷くないし、武者氏は事実を曲げすぎだろう」となってしまうんですよねぇ。
>>433 より続き
そして「恐ろしい」と言うなら、「麒麟がくる」の信長より、「キンジパ」の信長の方が恐ろしいと思う(まぁこれは私の考えだ
し、この場合どちらがいい悪いという話ではない)。染谷将太の信長もある意味恐ろしいが、彼は表情豊かと言うか、愛嬌もある
し、光秀と話している時なんて結構可愛いところもある気がする(今後どうなるか分からないが)。これに比べて緒形直人の信長は
常に近寄りがたいと言うか(それでも周囲の女性とかには優しい面を見せることもあったが)、愛嬌はかけらもないし、常に厳しい
表情をしているし、考えていることは分かりにくいし、ドラマで見ているだけで疲れる感じだった。染谷将太の方は主役ではないか
ら、出番が少ないというのもあるとは思うが。
それで武者氏は総評で、「将軍を利用するとぬけぬけと考える織田信長」と書いているが、本作信長はまだ幕府と言うものをそこま
で見限っていないと言うか、立て直せるものなら立て直したいというような気があるが、「キンジパ」の信長はそんなものを一切考
えていなくてはっきり「自分が最高権力者になってやろう」という感じだった。「キンジパ」を見ていて思ったが、「副将軍の件を
打診された件」とか、将軍に「守らせることを書状にして箇条書きにして突きつける」というのは「麒麟がくる」でどうなっている
のかと思ってしまう。
「キンジパ」の義昭は、一刻も早く上洛したい。だから上洛させてくれるなら足軽だって構わないと言って(それで上洛に消極的な
義景より信長を選んだ)上洛し、「将軍の権威を回復させる」という事に熱心だったから、信長に「やることを書状にして突きつけ
られた時」は怒り心頭で何とか細川藤孝が諫めたが、すぐに対立してしまっていたが(この時の義昭が花柳寿楽で、「麒麟がくる」
の所作指導をしている。どういう目で今の義昭を見ているのだろうか)、「麒麟がくる」では今のところそんなことにはなっていな
いので、随分ソフトに見えてしまう(というか何となく今のままの義昭だと、信長に追放されても、「自分の力が至らなかった」と
か反省して、静かに京を去りそうにすら思えてしまう)。
最後に武者氏は「『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』の感想をnoteでやります」と書いている。まぁ確かに「武将ジャパン」でやる
ことじゃないよね。 >>432
俺も麒麟は好き。
でも、毎度連投さんが言いたい事はわかる。でも、それを踏まえた上でも、まだ麒麟にはもう一段深い所があると思う。だから、麒麟は面白い。
逆に武者の褒め方は意味がわからない。基本的に妄想とダブスタで出来てるから見方は浅いし、筋も通っていない。武者の見方でドラマを見ると、酷く浅く、一方的で偏見に満ちた見方をしている事に気づく。
結局、武者の見方があり、毎度連投さんの見方があり、更に共感出来ないその2つの見方を否定し、その否定した理由を考える事で、更に深い見方になっていくのかなと思う。
それが俺の見方。 それで戻ってしまうが、「麒麟がくる」28回 2ページ目
>気持ちがわかるところはある。『はだしのゲン』には鮫島伝次郎という町内会長が出てきます。
>戦時中、主人公中岡一家をさんざん「非国民め!」といびっておいて、戦後は「平和」だのなんだの言い出すわけですけれども。
>改心を否定するわけじゃない。人間誰しも変わってよい。
>けれども、政治体制なりなんなりが変わったところで、さしたる罰もないまま、しれっと中身がそのままじゃ、さして変わりがな
>いだろうよ。改革って言えるのかよ。ふざけてんのかよ……そういうモヤモヤ感は残りましょう。
>大河でなくて、NHKのもう一枚の看板ドラマの話でもあります。
>戦時中、軍歌をガンガン作っておきながら、うやむやになって鐘がどうした、オリンピックだと言われたところで、それってどう
>なのよ? そういうツッコミを盛大にしたい気持ちはある。
>故人をどうこう言いたくもないけど、そんなもん朝っぱらから受信料で流す、そういうドラマの題材にしてよいものかどうか。
>池端さんは、まさしくそういう上の世代を見てきた方でもあると。
◆<朝ドラ「エール」と史実>藤堂先生は“戦死しなければならなかった”…古関裕而は軍歌をどう総括したか?(→link)
>>417 ですでに書いてくれているが、 >>387 の魚拓にあるように「エールは見てません」と言って何でこんなことを書くの
か?
しかも 387 の魚拓で、
>◆自分の”正義感“に酔いしれていませんか?
>だから、『半分、青い。』をそもそも見ていない、見るのをやめたのに「あの女のドラマはデリカシーに欠けて侮辱的だ!」と
>どうして言い切れるんですか?
>”正義感“に酔いしれているから、ですよね?
をそのまま、武者氏(小檜山氏)に返します。武者氏だって「『エール』を見ていないのに叩くのは『正義感に酔いしれているか
ら』」ということになるだろう。
続きます >>437 より続き
しかも腹が立つことにここの前で、
>ネット以前は、プロの批評家がおりました。基本的なスキルとして、登場人物の好悪や正義感と、作品評は切り分けることを
>心がけてはいました(私も一応そこは考えています。全然そう言っても相手には通じないけど)。そういうスキルがない視聴
>者が今はレビューをつけられる。
武者氏(小檜山氏)のど・こ・が・「登場人物の好悪や正義感と、作品評は切り分けることを心がけてはいました」なの
か・・・。自己評価が高すぎだろう。「そう言っても相手には通じない」のは武者氏が【スキルがないレビューを書いているか
ら】である。
で、「麒麟がくる」28回 2ページ目の引用に戻って、武者氏がリンクしている辻田真佐憲氏の記事には、
【引用】
「(A)彼は戦争に音楽で協力した。(B)だが、悲惨な現実を知ってみずからの行いを激しく反省・後悔した。(C)それが戦後の活動
につながった」という、典型的な構成です。
ところが、モデルとなった古関の場合、(A)と(C)のエピソードは豊富にあるのですが、(B)があまりありません。軍歌の作曲につ
いて後悔を口にすることもなかったわけではないのですが、本格的なものではなく、さきほども述べたように自伝でも戦中→戦後
の記述はかなりあっさりです。ようするに、ドラマチックなものがないのです。
【引用終了】
ということで(B)が古関のエピソードにないので、藤堂の死が必要だったということが書いてある記事なのに。後、辻田氏は書い
ていないが、弘哉のエピソードもそうだと考えられる。というか、藤堂の戦死は衝撃的だが、彼が戦地に行ったのは裕一の責任で
はないが、弘哉の場合音痴だった彼にハーモニカを与えたり、「自分の道は自分で選ばなきゃ」と彼に言い、さらに裕一の作った
「若鷲の歌」を使った映画「決戦の大空へ」を見て感動し、「若鷲の歌」を作った裕一が身近にいたことに運命を感じて、予科練
に行ってそこで死んでしまった。弘哉は裕一との出会いがなかったら死ななかった可能性が高く、そのこともより裕一を苦しめて
いると考えられる。
なので辻田氏のリンク記事を読むだけでも史実古関と、ドラマとは違う事が分かるのだが。見てもいないくせにドラマを叩くのは
やめて頂きたい(しかし武者氏はこう言うことを書くともっと叩く人である)。 武者氏はファンとアンチの反応から本編を逆算する能力を持つ
プロのレビュアーですからね
本編を観ずにエールを叩くなど朝飯前ですよ
ヲタクコンテンツに精通してから妹キャラを語れ
とは言わないけど、シスプリが妹萌の基点っていう意見は
悪い意味で意表を突かれましたわ
題名にシスターって入ってるから目についたのかな >>438
作品もしくは役者などの好悪だけでキチガイそのもののレビューもどきを書いて、
好きな作品なら全絶賛、嫌いな作品なら全罵倒
しかもどの記事も作品そのものはほぼスルーで、いっつもいっつも日本嫌い・中韓大好きだの、
人種差別がどーしたフェミニズムがこーしたディズニーがあーしたの繰り返しのみ
ほんっとに、何が登場人物の好悪や正義感と、作品評は切り分けることを心がけてきました、だ!?
バカもホリデーホリデーにしろよ!まったく(ヒント・ルー語)www >>439
「妹萌え」でちょっと検索して調べれば、シスプリ以前のこともわかりそうなもんなんですけどねえ。シスプリのこともよく知らないまま、偏見と独断で取り上げたんでしょうね。
武者「なんで私がフェミの観点から見ても 絶許なオタク文化のことを調べなきゃならないのよ!言及してやっただけでありがたく思いなさいよ!」
って感じか。 >>441
こんな言及の仕方をされるぐらいなら、ほっといていただきたいんですけどね。 >>416
ID変わっていますが413=414です。
創竜伝にも割と思い入れのある(初めて手に取った田中芳樹作品なので)人間視点で付け加えるなら、竜堂兄弟がいてくれたならという心理は、
「旅の勇者様がやってきて魔王を倒してくれないかな」
というものに近く、個人崇拝とは似て異なるのじゃないかという点です(この事には作者自身も自覚的だと思われます)。 レス番443さんへ
私は田中作品を読んでませんので何とも申せませんが、そもそも『坂の上の雲』って小檜山氏のいうような個人崇拝系の作品でしょうか?
主人公たる秋山兄弟の描写が相対的に多いのは当然としても、様々な人物が登場してそれなりに叙述されている一方、先入観を取り払って読めば、秋山兄弟が大活躍しているシーンはあまりないように思います。
個人的経験の範囲ですが、『坂の上の雲』が好きだという人はそれなりに知ってますが、秋山兄弟が好きだ・尊敬しているという人にはお目にかかったことがないのです。
司馬作品でも『竜馬がゆく』を「個人崇拝作品」というのなら理解できなくもないのですが。 >>431
私は石仏のシーンは光秀の信心深さというよりは、義昭の行く先について光秀の懸念が示された場面だと思いました。
幼少から仏門に入って育ち、慈悲深く、信仰心も厚い義昭とリアリストで仏罰を全く信じておらず、平気で石仏を破壊する信長。
この二人は全く相容れない価値観を持っているのでは?今は蜜月でもこの先は…?と急に不安になってきたのを表したシーンなのかな、と。 >>444
むしろ群集劇で日本崇拝ですよね。主人公は魅力的と言うよりむしろ変人として描かれていますし、大山巌や児玉源太郎、東郷平八郎なんかのサブキャラの方がよっぽど魅力的です。
乃木希典なんてむしろ個人崇拝の真逆の所にいるのに何言ってるんでしょうね。 >>455
なるほどそれは考えませんでした。どうも私が光秀を「この最低野郎・・・」と思っているせいで「光秀が義昭を思いや
る」という事を想定できないせいだと思います。
*****
本日の小檜山氏のツィッターより
【引用】
相手への好悪は横に置き、そもそも、しゃべったり会話するのが好きじゃない…話しかけられたら全力で反論なり説明し
ないと、不誠実な気がする。なら、はなっから会話なんてしない方が世の中平和じゃないですか?
【引用終了】
小檜山氏の辞書に『不誠実』なんて言葉があったのか・・・・・。コメントに全力で反論なり説明をした結果が、「【書
評】山口真一『正義を振りかざす「極端な人」の正体』」だったのか?全くそうは思えなかったが。それとも「会話」に
は全力で反論なり説明なりしなくてはならないが、コメントにはその必要はないという事なのだろうか。 すみません。>>447 のアンカーは、>>445 でした。 >>445
俺はむしろ光秀目線で見てました。
光秀目線で見ると光秀特に考えてなくて、仏像こんなにしていいのかなぁ、まあでも信長は大丈夫って言ってるけど本当に大丈夫かなぁ、あ、義昭様来た何か言うかなぁ、あ、喜んでるわ、ほんとにいいのかなぁ、って思っているように見えました。
まあ、額面通りです。
ただ、義昭来た瞬間、「光秀、体で隠せよ、気が利かないな」って思いました。多分、役者はわざとやってます。空気を読まない所がよく出てると思いました。私は麒麟のそういう所が好きなんです。 >>444
ID変わってそうなのでコテハンにしましたが443です。
原作未読でのテレビドラマ版のみの印象ですが、>>446さんもおっしゃっている通り、『坂の上の雲』は脇キャラも十二分に魅力的に描かれており、この作品が秋山兄弟への崇拝の要因になり得るとはちょっと思いがたいです。 >>450
武者が勘違いしているのは個人崇拝は主人公が崇拝の対象にはあまりなりません。むしろ敵役や脇役の方が崇拝されやすい。
ガンダムで言うとシャアとか、いだてんで言う嘉納治五郎とか、真田丸で言う真田昌幸とか。結局、主人公に感情移入すると主人公が崇拝している人を崇拝しやすいんですね。
武者の個人崇拝論はそもそも武者が勘違いしてる所から始まってるんです。まあ唯一、「竜馬がゆく」ぐらいですね。主人公が崇拝されているのは。武者の個人崇拝論はこの一つの事例を、全てに適用されていると勘違いしているのが問題なんです。
話変わるとよくよく考えたら、東郷平八郎も乃木希典も神社があってリアルに崇拝の対象なんですよね。それは坂の上の雲より前、戦前からずっと。秋山兄弟はあくまで目線であり、司馬遼太郎も崇拝の対象を変えようとはしてなかったと思うんですよね。
更にいうと徳川家康なんて、皇族以外唯一で宮が付く神社に鎮座しています。それがずっと続いているんだから、徳川家康が評価されていないと言うのはおかしな話。結局、武者が一番評価してない気がするんですよね。 >>451
失礼ながら、菅原道真公も、天満「宮」に祀られておりますよ…
それはさておき、「個人崇拝」の最たるものが
(ブッダやイエスやム●ン●ドや、更に言えば池●●作のような、教祖クラス?を除けばw)、
武者(小檜山)大好きな「三国志」由来の関公・関雲長では無いでしょうか?w
彼も歴史の流れのなかでは正直脇役、だけども日本だけでも神戸・横浜ほか、あちこちの中華街で、
ジュゲムジュゲムのような長ったらしい名前をつけられ、関帝廟(日本風に言えば神社、的な)に、
祀られている
更に言えば、孔子もそうだ
結局は(当時の)歴史にさほど爪痕を残せぬまま諸国を遍歴しつつ、
ちょっとモットモらしいこと言ってみる、どこぞのフーテンの●さんのようなのに(イメージw)、
世界で宗教の開祖的な扱いを受けている
明らかにどっちも「個人崇拝」にあたるよね?あ、中華ベースだからそこは愛国無罪なんだwww
>>452
あ、最後の段落、「中華ベースだから」と「そこは愛国無罪」のあいだに、
「武者(小檜山)的には」がある感じで読んでください
このままだと、451さんを攻撃してるようにないこともないこともない… >>452
あ、そうだった。天満宮忘れてた。
神様化するのって偉業成した人も多いけど、悲しい最後になった人も多いんだよね。
結局、崇拝される人って、その人がいたら良かったのにとか、その人みたいになりたいとか、その人のおかげでとかの人もいるけど、むしろその人に共感してとか、その人が可哀相だからの方が多い気がする。
武者の言う個人崇拝って天皇が神格化されている頃ならいざ知らず、今にその害悪はそんなに無いんだよな。武者の左翼思考はむしろ戦前に止まってる感じがするわ。 >>454
不遇の内に亡くなった人の祟りを恐れて祀ってるのも多いですよね。
武者の想定してる個人崇拝とはまた違う。
思えば、強烈な個人崇拝は近年だと主に共産主義の国でやってることが多かった気がします。
ソ連、北朝鮮、中国…。
「個人崇拝」を警戒する武者氏にはそれについてはどう思っているのか、是非お聞きしたいてわすね(笑)ダブスタに満ち溢れた回答が聞けそうです(笑)そして、力業で
「でもね、それも結局日本が悪いんですよ!」
という結論に持っていくw >>445
自己レスになって恐縮ですが…。
あともうひとつ、私が思ったのが、光秀は信長と自分はこの国をどうしていくのかという点で同じ考えの持ち主だと思っていたのが、石仏のエピソードで実はそうでもないのでは?という不安が出てきたシーンでもあるのかな?と思いました。
かつて、亡き道三が唱え光秀が感銘を受けた
「大きな国を作る」
というビジョン。それに共鳴してくれた信長。
ただ、光秀の「大きな国を作る」というのはあくまでも「室町幕府という既存の権威を磐石にして」という前提があります。
義昭を奉じてくれた信長もそうだと思っていたのが、信長はそれまで長い歴史の中で人々が尊敬・信仰してきた石仏も必要とあらば平気で壊す人だとわかりました。
ということは、室町幕府も「不要・邪魔」と判断すればあっさり壊すのでは?と急に心配になってきたのではないかな〜?と思いました。 いうまでもなく、石仏も既存の宗教的な権威の象徴なので。 ここの住民達の書き込みや武将ジャパンでのレビュー、noteを見てると武者さんってある種の才能を持ってるんですよね。あの人の批判や文章はある意味感心しますよ。尊敬はできないけどね >>456
ここって現在光秀にどういう感想を持つかで正反対に映るんですよね。
私にとって光秀は、耳学問ばかりで実践経験は皆無、何かできる立場に無いのに文句ばかりいっちょ前、おまけに周囲に気は使わないし、態度も悪い。
ただそれを逆に取れば、普段からきちんと学んでいていざという時に備えている、今は何か出来る立場に無いけれども間違った事はきちんと言い、周囲に流されず、自分の意見を持っている。
これ、両方同じ意味なんですね。
これをどっちに取るかは、それまで歩んできた人生や今置かれている環境によって大きく変わるのですが、このシーンは光秀に語らせない事でどちらにもとれるようになってるんです。私はそれが上手いと思っている。
結局、現時点での光秀の人となりが2つに別れてるんですね。そして、その二面性は同じ人が同時には見られなくて、人によって違った印象になる。
私は池端俊策氏はこの二面性を描き、本能寺の変に落とし込む事によって、謎だった光秀の人間性に迫ろうと考えたのだと推測するんですけどね。 素朴な疑問だけど、武者氏(小檜山氏)って、
なんで歴史系ライターやってるんでしょ。
だって日本史好きじゃなさそうだし、詳しくもないっぽい。
史学科にいたらしいけど、どこの時代を専攻していたのか…
強いていえば会津史か、それとも東洋史か西洋史か。
どちらにしても無理して日本史に関わらない方が、
本人にも読者にも精神衛生上いい気がする。
というか、トンチンカンな大河レビューは、麒麟で最後にしてほしい。
「鎌倉殿の13人」のレビューは絶対やらないでくれ。
noteの「鎌倉殿の13人は成功するか」とかいう記事、
最後まで頑張って読んでみたけど、最悪だったから…
北条義時の名前すら出てこなくて、
「鎌倉武士=ヒャッハー」(武者氏がにわかに取り入れた知識と思われる)
という世界基準のリアルを取り入れる大河は、
視聴率的にはわからないが成功する!という主旨だったが、
ほんと少しでも三谷幸喜が会見で話したこととか読んでる?
(どう読んでも、鎌倉武士の生態より御家人たちの権謀術数がメイン)
あと、視聴率的にはわからないが成功する!って、
それ言ったら「いだてん」も成功してるわ…
まあ、レビューあげても読まなきゃいいんだけど。
なんか神経を逆撫でられる負の引力があって、批判せずにはいられないっていう。
それが458さんの言ってる、武者氏の才能なのかも。 >>460
いわゆる炎上商法というやつなんですかね。
そういう意味では「まんぷく」や「いだてん」のときは大成功で、
こちらが手のうちで踊っていたのかも?
史学科は、なんかよくわからなくて適当に選んでたりして。
というのは、なんかその経験が糧になってる感じがないんですよね。
三国志にしても、正史はもちろん、演義も読んだがどうかですね。
以前も書きましたが、演義も完訳となると、その分量といい、読みにくさといい、
正史に劣るものではないですから。
岩波少年文庫の編訳は比較的過不足なくまとめてる感じですけど、
それすら読んでるかどうか。 小檜山さんのnoteにて新たな記事を投稿なされたけど、
「さて、ここからは蛇足であり、私の趣味かつお遊びみたいなものですが。」という文があるんですけど、この人のレビュー自体が蛇足なんだよな… >>460
一昔前なら武者が英文科で小檜山が東洋史科って予想を立ててたんですけど、合体した今はどういう予想ですかね。
どちらにしても日本史専攻では無さそうなんですよ。知ったかぶりしてる範囲が日本史系じゃなくて、中国ドラマばっかりですから。
そこから言うと、東洋史専攻、隋唐宋辺りの社会に出てもあまり役に立たないゼミで卒論書いて、就職から逃げるようにイギリス辺りに語学留学、帰ってきてから軽く就職するも馴染めずライターの道へって感じでしょうかね。 >>463
そういう卒論を書いたとしても、使い方によっては糧になると思うんですが。 >>463
そもそも小檜山=武者氏は、どれだけまともな姿勢で学んでいたんですかね。
自分は日本文学専攻で史学は門外漢ですが、仮に学生時代に>>414で指摘されてるような事をレポートや論文でやらかしたら、物凄い勢いで叱責されたはずです。これは日文ではNGで史学ならOKというような文章の書き方ではないと思うんですよね。 >>464
糧にはなっても役にはたちません。
知識欲を満たしても、大半が飯を食う武器にはなりません。高校球児がプロ野球入るレベルで、史学科の学生が歴史で飯を食うのは難しい。
ただ、武者の場合はプライド高いですから、まあ歴史関係以外の仕事につくのはプライドが許さない。
とりあえず、卒業後すぐに語学留学もしくは、就職浪人で語学留学、帰ってきてから院に行こうか悩んだが踏ん切りがつかずプライドを曲げてOLへ。
その後、OL時代に色々悩んだが、やはり再びプライドを取り戻す為に歴史ライターへの道へ。
まあ、これが典型的な氷河期世代。
でもまだ運が良い方ですね。
途中、引きこもり挟んで帰ってきてないのも沢山いますから。
まあ、想像ですけど。 >>465
コピペもりもりじゃないですか?
学生時代はそれなりに楽しかったと思いますよ。卒業はしてるみたいですし、刺激されるトラウマは就職後の事ばかり。
特に小さな大学であったら、その分野の教授は一人しかいない場合が多いので、その教授とコミュニケーション取れれば、卒業まではわりかし安泰。教授の言う事素直に聞けば卒業出来る。教授としても院に残らないのであれば、いくらでも手助け出来る。
万が一、院に行き研究者を目指すとなると、学会発表で相手は他大学の教授、よその大学の研究者。院までは指導教授次第でどうにかなりますが、それ以降は地獄見ます。教授も本人もそれがよく分かっていたから、大学に残る道は諦めたんだと思いますよ。 https://archive.is/bNthN
このページ大概だったので魚拓とっておきました。
tlの流れで考えると、小檜山氏、相当日本が憎いんですねぇ。
でも留学するほどのカネがあったのか、したとしても帰国する気になったのは如何に? >>468
金は大学行っているなら、親にそれなりにあると思いますよ。学生時代に金に苦労してたら、今こんなこんな仕上がりにならない。
行った時期は大学時代ラストかOL時代、留学と言っても最長一年最短一ヶ月ってところでしょうね。結局、日本から一度逃げ出し、海外の悪い所を見ないまま帰ってきた口でしょう。
こういうタイプの特徴としては、変に英語使って留学経験を匂わせたりするけれど、期間が短期過ぎてアピールはできない、外人に英語で話しかけるけど長文はできない等、武者に一致する特徴が結構あるんですよね。
そしてこういう手合が一番日本を外から見た気になって、日本の悪い所をあげつらい、世界基準を日本に取り入れようとする。一番質が悪く、一番聞く必要の無い意見を言ったりします。 レス番468さんへ
魚拓、ありがとうございました。保管庫は手入れしました。
確かに香ばしい内容ですね。編者の天木さんが変な人なのは知ってましたが、検索してみると金文吉という方もちょっとアレなようですね。
また、確かに耳鼻塚というのは残虐なものですが、それを塚にして供養して現代まで受け継いできたものじゃないんですかね?歴史的事実を知るということは大切ですが、この記事では小檜山氏の反日思想の材料にすぎないように思います。
【朝鮮の人々の苦痛だから見ようとしないのか?それとも、歴史における人間の苦痛そのものを軽視しているのか?】
→ 後段はともかく、前段は私には思い付かない発想です。
【明治以降秀吉の朝鮮出兵は、アジア主義として肯定されるようになります。】
→ 先日このスレで、寺内正毅の話を教えていただきましたが、小檜山氏の主張の正当性については未だに疑問が氷解しません。史料的根拠を示してほしいです。 >>460
元テンプレ厨さんに
「あなたはどうせ日本史選択だったんでしょ!?アタクシは世界史選択でしたから!」
と謎のマウントを取ってたと記憶してますから、専攻も日本史じゃないでしょうね。
頻繁に漢籍から言葉を引用していること、ムーラン騒動のときの
「みんな中国の儒教文化への理解が圧倒的に足りない!絶望的だ!」
という発言から専攻は東洋史だろうと推察していました。
まあ、専攻が日本史でも東洋史でも西洋史でも、なんであれ武者氏の文章を拝見させていただくと、学者はおろか院も無理だろうな〜と思ってしまいましたw >>468 >>470 お疲れ様です(それにしても元テンプレ厨さんの規制は長いですね)。
>>460
>なんか神経を逆撫でられる負の引力があって、批判せずにはいられないっていう。
それですそれ!武者氏の文章って批判したくなる文章なんですよね。
>>471
いや、院以前に大学の卒論は大丈夫だったのかと言う・・・。あんな分析も考察もなっていない文章を書いていて卒業できた
のが疑問なんですが。しかも本人「私は分析も考察も得意なのよッ!!」みたいな謎の勘違いをしていて「自分が分析も考察
も出来ていない」という事に気付いていないし。 >>471
実際に大学時代に中国思想を専攻していたオレにとっては(「論語」・「韓非子」・「孫子」等々)、
武者(小檜山)の知ったかは、余りに不快w
それに、ある程度のベースがあると、読み下し文ならなんとか意味がとれるので、
「日本外史」・「常山紀談」・「名将言行録」を岩波文庫で読んだクチ
その立場から言えば、武者(小檜山)は、
「ワタクシに反対するものは全て悪よっっ!!!」というモットーのもとに、
自分の主義主張をまず固定し、そこから逆算して、ウィキペディアの自分にとって都合のいい箇所を
適当に(ここでは、デタラメに、の意味)パッチワークしてるだけに思う
この程度で研究者めざしてた言うんなら、既に日本中、歴史研究者が溢れかえって窒息してるわwww >>472
そこはコピペもりもりでしょう。
基本的に卒論は新説出すわけじゃなく、複数論文や著作組み合わせて、分析や考察はそれぞれの論文からコピペ(引用)、そこから出された結論を組み合わせて自説に仕立てて提出。ほとんど自分の意見無し。下手したら教授の意見の時もある。
査読はそのゼミの有給者が行い、教授が決裁する場合が多いから、授業態度良くて教授からも目をつけられていなければまず卒業出来ると思いますよ(Fランに限る)。
ヤバいやつほど大学に残したくないし、恨まれたくも無いから、2.3点ツッコミどころツッコんでリライトさせて卒業させてると思います(Fランに限る)よ。
小檜山さんの文章読んでると、所々学歴コンプレックスも見てとれるんですよね。まあ、謙遜と嫌味の場合もありますけど、その場合はまず自分の大学匂わせます。武者の場合はそれが無い。まず、純粋なコンプレックスだと思うんですよね。だからFランです。
あと、小檜山Twitter読み返してると、「歴史書は学校卒業してから読んでません」って言葉が入っていますね。高校卒業の可能性もありますけど、まあ大学でしょうね。
あと、知ったかぶりの方向性で気がついたんですけど、小檜山は色々知ったかぶりはやっているんですが、なぜか隋唐辺りの知識持ってくる事が多い。専攻は中国史で隋唐辺りの卒論と見た。 >>472
まあ、教授も鬼じゃないし、一応卒論の体裁を整えてきたものを出してきたら、OKを出さざるを得ないんじゃないでしょうか?
院に進むことを前提にされるとアウトになると思いますが…。 >>459
なるほど。
確かにあの石仏のシーンで光秀にペラペラ心情をしゃべらせなかったのはいい判断でしたね。お陰で、あのシーンの光秀の心情をあれこれ推測するいい機会になりましたし。
逆にペラペラ話されると萎えたかもw 今朝、他板で書き込めたので大河板視聴率スレのテンプレを更新しようとしたら、また「ERROR:余所でやってください」が出てしまいました(T_T)
私もウン十年前に東洋史学を専攻していましたが、中国史のことはほとんど忘れましたorz
しかし、小檜山氏が中国文学・中国哲学・東洋史学を専攻していたとは思えません。1月26日付け本丸「『麒麟がくる』で「来ない」と話題になった――そもそも「麒麟」とは何か問題」(保管庫に魚拓あり)で、同氏は次のように述べています。
【引用開始】
このことを示す言葉として「西狩獲麟(せいしゅかくりん)」があります。出典は『春秋左氏伝』「哀公伝一四年」。
春秋時代の哀公伝一四年――。
西の方で、麒麟が捕らえられました。その姿を見て、人々は不気味な珍獣であるとおそれたのです。
【引用終了】
『春秋』は孔子が編纂したと伝えられる経書の一つで編年体の歴史書、これに左丘明が注釈を施して伝えたものが『春秋左氏伝』。
一般的にはこの書物から引用する場合には、「左伝哀公十四年」等と記載し、小檜山氏のように「哀公伝」なんて言いません。同氏は『春秋左氏伝』を『史記』以降の紀伝体の書物だと勘違いしている可能性があります。
東洋史学を専攻した人間なら、こんな表記はしないと思うのです(詳しくはpart15スレレス番546参照)。
呟き内容から現代中国語を学んだ経験はあるのかもしれませんが、中国古典を読むための専門教育は受けていないような気がします。
また、8月26日付けnote「はじめまして、こんにちは!今後のこと」では次のように述べていおり、日本史専攻とも思いにくいのです。
【引用開始】
歴史系ポータルサイトは複数ありますが、大半は日本史、しかも戦国と幕末を中心としています。
なぜか?アクセスが稼げるから。逆に言えば、それ以外の記事は提案したところで通りにくく、好きな方がブログでやるしかない。
【引用終了】
最近の本丸での小檜山記事は、漫画関連を除けば、イギリス史・ブリテンと関連があった範囲でのフランス史(の再アップ)がほとんどです。
また少しは英語ができるようですから、上で指摘がありますように、英語圏への短期留学はしていたのでしょう。
一方で小檜山記事には、一次史料(一次史料を編纂したものも含む)を読んだと思われる形跡が感じられません。
以上を総合して、英文学(文学研究よりも語学系)専攻の劣等生で歴史好きだった人物ではないかと思うのです。主張内容も「英文学系の意識高い系」(勝手なイメージです)と考えると、個人的にはしっくりきます。 >>477
確かにしっくりきます。
ただ、相手のフィールドににわか知識で喧嘩売っていくスタイルは、よっぽど馬鹿にしかできないと思ったのですが、よっぽど馬鹿なんでしょうね。
ちょっと武者を甘く見てたかもしれません。 >>479
あまりにも武者(小檜山)氏でめちゃくちゃ笑いましたw
これはいわゆる出羽守ってやつですねw
自称「リベラル」を名乗る人に多い気がします(武者含む) いつも疑問に思うのですけど、何故武者もとい小檜山氏は司馬氏のことやまんぷくやアニメ関連のことになると親の仇のように発狂するのでしょうか。そして何故自分の好きなもの関連は明らかな欠点あったとしても無視するのでしょうかそれどころか美点にしてるような気がします。アップデートする必要あるのは誰でしょうか?これこそが武者魂なのでしょうか >>481
これはもう、199で連投さんが仰ったのに尽きますね。
つまり、自分と違う意見に触れるとバカにされたと思って怒り狂うのですよ。 レス代行依頼のためURLは省略しますが(保管庫にはURLあり)、小檜山noteから魚拓を採りましたので報告します。
●「漫画やゲームで歴史の勉強はできるのか?『ヘタリア』から考える」@2020/10/24 (URL省略)
→ この記事でリンクが貼られている「『ヘタリア』オタクは今でも世界史に詳しいのか?センター試験過去問で検証してみた」(by ハシビロコのおたスケ@2020/9/25)の魚拓(URL省略)
→ ツッコミどころは多々ある記事ですが、リンク記事を曲解して議論しているところがいかにも小檜山氏らしいです。
リンク記事は、あくまでもオタクを支援することを目的としているブログ主"ハシビロコ"さんが過去3年分のセンター試験問題に挑戦したという内容なのですが、小檜山氏は「『ヘタリア』オタク」全般の傾向と誤解されかねない書き方をしています。
また、"ハシビロコ"さんは一気に過去3年の問題に挑戦したのに、小檜山氏は「令和2年度が突発的にたまたま悪いのではなくて、今後も下落傾向は続く。OSにせよ、脳にせよ。それは同じことです」と頓珍漢な論評をしています。
レス番さん479へ
書き込み規制中で鬱々としているところ、楽しい動画を紹介していただき感謝します。480さんと全く同じ感想を持ちました。
レス番481さんへ
>司馬氏のことやまんぷくやアニメ関連のことになると親の仇のように発狂するのでしょうか。そして何故自分の好きなもの関連は明らかな欠点あったとしても無視するのでしょうか
ご指摘のようなことに止まらず、ポッペリアンへの反論記事の掲載方法及びnoteのコメント欄を閉じたことからも分かるように、小檜山・武者氏自身が不愉快に思うこと(例えば批判的コメント)を根拠なく極端まで罵倒するか、又は完全に無視するかしかできない、
反対意見にも耳を傾け、より建設的な見解を構築することができない人間なのだと思います。
誰しも好き嫌いという感情から完全に逃れることはできませんが、「それしかない」人間なのでしょう。 >>483
別にお礼をいわれるほどのことではないのですが・・・。
ともかく、この手の「出羽守」のいうことって結構「もっともらしい」のが困りものですよね。 >>483
うわ〜…。小檜山氏、ヘタリアを取り上げちゃいましたか…。
自分、ヘタリア好きなんですよ。
もともと、読むとムカムカしてきそうだから、読まないようにしようっとw >>485
すみません。
「もともと」の後には
「小檜山はこういうわかりやすくデフォルメされた歴史を学ぶような漫画やゲーム、アニメを嫌ってそうなので」
という一文が入ります。
あと、ヘタリアって韓国のことをわりと容赦なく描写してるんですよね。具体的にいうと、中国や日本から韓国がどう見られているかを結構リアルに描いちゃってるので、その一点だけでも小檜山氏が毛嫌いしそうな気がする。 頼む小檜山さんよレッドデッドリプデンションシリーズには触れるなよ。
あの人絶対に主人公のジョンやアーサー達をみて気持ち悪いぐらいに絶賛すると思うんですよ。2ではセイディという最初は普通の主婦だったけど夫がギャングに命をうばわれそして主人公のアーサーの入ってるギャングに拾われ復讐鬼になった女性キャラがいてるんですけども、小檜山さんに似てるなぁとおもったけど、セイディは壮絶なじんせいカッコいい 頼む小檜山さんよレッドデッドリプデンションシリーズには触れるなよ。
あの人絶対に主人公のジョンやアーサー達をみて気持ち悪いぐらいに絶賛すると思うんですよ。2ではセイディという最初は普通の主婦だったけど夫がギャングに命をうばわれそして主人公のアーサーの入ってるギャングに拾われ復讐鬼になった女性キャラがいてるんですけども、小檜山さんに似てるなぁとおもったけど、セイディは壮絶な人生を辿ってるし、後半カッコいいんですよ、ダブスタだけの小檜山さんと大違い >>488
それは観てないのでなんとも言えませんけど、
どうなんでしょうね、この人ってなにに触れるかわかりませんからね。 小檜山さん麒麟がくるの駒が叩かれてるのは日本人が戦争体験者の証言を罵倒してる心理と同じといってるんですが、何故叩かれてるかわかってないんでよすね。駒が叩かれてるのは駒がスイーツしてるのと駒関連のせいでただでさえ少ない尺をとってるからなんですよね。 >>489レッドデッドリプデンションシリーズは西部劇をテーマにしたゲームです。
2はいろいろなミニイベントがあり、中には女性が「女性の政権認めろ」というイベントがあるんです。これを小檜山さんが見ると「さすがアメリカですねそれに比べて日本は」と上げ下げ誉めしそうなので吐き気しますよ。 >>490
不思議な事にあのパートだけ「江」みたいな事になってて、世界観自身まで脅かしているのに、それを叩くなと言うのは無理な話。
ああ、江はまだ9年前か。
武者ルールなら江は許容できるんだったな。
スイーツ大河の始祖とも言える「江」を現代の視点と言うのであれば、まあ駒パートを許容するのも無理は無いかな。とは思う。 >>483 お疲れ様です。
<朝ドラ『エール』、浮上するモラル問題>魚拓
https:// rchive.is/GocQL (rの前にaを入れて下さい)
小檜山氏のnoteです。ツッコミはあとで書けたら書きます。 >>492
いえ、武者氏は江は許容していません。駄作だと言っています。>>307 で書きましたが、なぜそうなのか理由が分からない
んですよね。 そのうち武者さん「比叡山が燃えてますねぇ炎が出てる凄い」「長篠の鉄砲が凄い、偉い」「兵士が槍を突いてる偉い」という褒め方しそう >>490
それほど戦争体験者を愚弄した発言はないと思う (修正)今回の麒麟の武者レビュー予想
1.露骨な駒褒め
2.摂津役の片岡鶴太郎を絶賛
3.二条城を見学してる民衆の描写を絶賛
4.幕府の腐敗の様子を日本と重ねる(関連記事を載せる)
5.塀を褒める
さあどれくらい当たるかな? <朝ドラ『エール』、浮上するモラル問題> >>493 魚拓より
>朝ドラの『エール』が、ついに一線を超えたかと話題になっています。
朝ドラ『エール』は史実に基づくドラマのモラルを逸脱していないか?
@gendai_biz https://gendai.ismedia.jp/articles/-/76563
>朝ドラのモラル逸脱は、別に今更だとは思います。その辺をちょっと考えてみましょうか。
>そうそう、『スカーレット』もモデルの作品をそのまま使ってはいました。けれども、知る人ぞ知る陶芸家の作品と、国民
>栄誉賞候補ともなった国民的作曲家では知名度が違いすぎて並列できるわけではありません。
この小檜山氏のリンクしている記事ですが、『エール』では古関裕而の曲をそのまま使っているが、ドラマは史実からかなり
ずれている。これでいいのか?(『なつぞら』の作中のアニメは制作側が作っていたから、『エール』も同じ様にするべきだ
というもの)ということだが、それを言うなら『なつぞら』はともかく『スカーレット』だって小檜山氏も書いているように
そうだし(小檜山氏は「知名度が違い過ぎる」と書いているが、「知名度が低ければ作品をそのまま使ってもよいが、知名度
が高い人の作品はそのまま使ってはいけない」っておかしくないか?)、『まんぷく』だって名前こそ「まんぷくラーメン」
や「まんぷくヌードル」だが、あれは作り方も中身も「チキンラーメン」だし「インスタントヌードル」だろう。だったら、
『エール』でも「長崎の鐘」を「平和の鐘」とかにして歌の中身はそのままとかにすればよかったのだろうか?
だからこのリンク記事のようなことを言うなら他の朝ドラも作れなくなるんだが。 俺的に今日のハイライトは秀吉に「公家に気をつけなきゃ足元掬われますよ」って忠告を無視して、信長に告げ口する光秀。
そして見事に足を掬われる光秀。
さらに自分が根回しが足りていないのに気づかず摂津に逆ギレ、恫喝。システムが理解できていないのを「幕府が腐ってる」とのたもう。挙げ句の果てにより怪しい伊呂波と朝廷に活路を見出そうとする。
一方、秀吉は京都奉行に命じられ、重要人物に監視をつけ、全体像の把握に徹しつつ、二条城の案内役をやっている。二条城の案内なんて光秀がやってもおかしくないのに、着実に光秀より秀吉の方が仕事が出来ている。
明らかに大局観は秀吉の方があり、光秀は目の前の事で精一杯で全体が見えていないという描写。後の二人を暗示する見事な描写だと思う。
この辺を武者が指摘できれば、俺は武者を信用するかもしれない。まあ、出来んからこそ武者なんだけどね。 <朝ドラ『エール』、浮上するモラル問題>より
>近年の朝ドラは、とっくに洗脳装置として悪用されているとは思いました。
>2015年下半期『あさが来た』は、明治礼賛路線として極めで悪質なものがありました。このドラマの時点で、五代友厚と
>いう薩摩閥の政商を実名で出しているのです。しかも、五代の起こした「開拓使官有物払下げ事件」を劇中では冤罪であ
>るかのように描きました。
五代友厚(才助)49年の生涯まとめ! 西郷や大久保に並ぶ薩摩藩士の実力とは
https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2020/02/25/110427 (武将ジャパンのサイト)
>「そっか、昔からマスゴミはいたんだ。五代様は悪くない!」
>そういう感想がネットでは流れておりました。教科書よりも朝ドラを史実とみなす視聴者の数を、甘くみてはなりません。
>そして、NHKとしてはこのドラマはどうやら成功枠に入ったようです。2021年大河ドラマ『青天を衝け』は、脚本家を筆
>頭に『あさが来た』チームスタッフが引っ張られて来るようです。甘い明治礼賛が視聴者を魅了することでしょう。BLM
>時代に大した度胸ですね。
>ウイスキー、お笑い、インスタントラーメン……そうした有名企業の宣伝ドラマを、受信料でさんざんやらかしてきたの
>も、ここ数年の朝ドラです。一体何のための受信料なのやら。
>フィクションと史実の区別がつかない弊害なんて、大河ドラマでも司馬遼太郎でも、散々言われてきたことでしょうに。
大河ドラマ『独眼竜政宗』は名作だ! が、悲しき誤解も産んでしまった
https://bushoojapan.com/bushoo/date/2020/06/14/148593 (武将ジャパンのサイト)
続きます >>500
そう、このリンク記事からがなんか違うんですよね。
小檜山氏が別名義で書いてると言われても信じるレベルでした。>>501
>>501
こうなってみると、武者(小檜山)氏、はなっから「麒麟」に触れないほうがよかったのかも?
まぁいまさらやめるわけにもいかないでしょうけど、
やはり武者氏が侵食しなかったら、皆さまの見方もまた違ってきたかもしれないんですよね。 >>502
つまり、小檜山氏は「明治は現代日本につながる悪例を開いた暗黒時代だ!」
と言いたいんですよね。まぁかなりいまさらですけど。
これもいわば「出羽守あるある」なんでしょうけど、
これって本当にかわいそうアピールに箔をつけるためだけなんでしょうか? >>500
この元記事が言わんとしている事はわかります。要は中途半端に史実を使うな、虚構なら虚構、史実なら史実で通してくれ。名称、作品に関して虚実織り交ぜてくれるなって事です。
つまり虚構なら虚構の楽しみ方があるし、史実なら史実の楽しみ方がある。そこを混ぜると楽しみ方がわからなくなる。って事です。まあ、小説と実録は楽しみ方が違いますから、言いたい事はわかります。専門分野ならなおさらでしょう。
ただ、武者はその垣根を越えた「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」普通に見て評価してます。
モラルの話をするのであれば、知名度が低い人を改変するの方がよっぽど問題です(知名度が低い場合、事実を知る機会が減るから)。
つまり、武者は叩きたい相手の批判記事を見つけ、内容を理解しないまま同調し、自分の言いたいことを絡めて同意見であるように仕立て、自分の都合の良いように記事を曲解しているという事。
いつものやつですね。 >>500
「ゲゲゲの女房」は、武良茂ならぬ村井茂さんが水木しげるのペンネームで「悪魔くん」やら「ゲゲゲの鬼太郎」やらを描いていたはずなんですが、該当記事のロジック的にはあれもダメなんでしょうか。
あと、「なつぞら」の劇中作品の扱いがどれだけアニメファンを怒らせたと思っているのか(そのピークが「少年ガソリン」事件だと認識してます)。 >>502 より続き
まず『独眼竜政宗』の頃ってネットがないから、そのせいで最上義光が悪人と思われてしまったというのもあると思う(今、あ
の作品をやっても「実際の最上義光は」という解説記事なんかがあってそれほど誤解されないだろう)。事実『エール』だって
>>500 のリンク記事みたいなものが書かれている。まぁ確かに小檜山氏(武者氏)のように史実とドラマの区別がついていな
い人はいるが、小檜山氏のレベルに合わせてドラマを作れと言われたらNHKも仕事にならないだろう。
それでわざわざ小檜山氏が太字にしている【五代の起こした「開拓使官有物払下げ事件」を劇中では冤罪であるかのように描き
ました。】についてだが、
以下が『史実の』開拓使官有物払下げ事件についての記事。
【開拓使官有物払下げ事件とは】簡単にわかりやすく解説!!風刺画や語呂合わせも!
https://nihonsi-jiten.com/kaitakushi-yuubutu-haarisage-jiken/
そして以下はその時のことが描かれている『あさが来た』89回の「日々のダダ漏れ」
h tps:// meblo.jp/pikataa3/entry-12116141087.html?frm=theme (最初の空欄にはtを次の空欄にはaを入れて下さい)
【日々のダダ漏れから引用】
新次郎) 何や政府は、ぎょうさんお金かけて、北海道に手ぇつけてみたものの、この10年、まるで、うまい事いってへんか
ったみたいだすわ。このままやったら、今までかけたぎょうさんのお金全部無駄になる。そない思た政府は、商い上
手の五代さんに開拓を依頼した。せやけど、これからの日本を思たら、北海道は損してでも、開発するべき場所や。
そない思て、結局、五代さんは、39万で受けはった。これはこの先、ほんまに利益が出るかどないかも分からへん事
業に、大阪が払う、精一杯の値ぇやったんとちゃいますかいなぁ。
【引用終了】
続きます >>503
この元記事の人はプロフィール見る限り、「エール」の時代、分野に一家言ある人みたいです。自分の専門分野で歴史が改変されていくのを見て文句の一つも言いたくなったんでしょう。
内容も「私から見るとエールはルール違反。本当の古関裕而はもっと面白いから自分で調べてみて」という、まあ分からなくは無いもの。
対して武者のnoteは「私もこの分野には一家言あるのよ。この作品が評価されるのは中年男性が悪い、NHKが悪い、世間が悪い。私が朝ドラレビューやめさせられたのも、みんな世間が悪いのよ!!NHKよ消えてなくなれ!!」って最低の内容です。
まあ、こういう文章出すから、noteにしか書けなくなって、コメント欄を消すことになるんですけどね。 >>508 より続き
つまりドラマでは、1400万かかったものを五代が39万で買おうとしたのはそれだけの価値しかなかった(というか利益が出る
かどうかも分からないもので、政府のやり方がまずすぎた)ということにしていた(史実はそうではないが)。
だから五代を美化したのは事実だが、別に明治を礼賛している訳ではないし、「そっか、昔からマスゴミはいたんだ。五代様は
悪くない!」と言う感想も間違い(まぁ小檜山氏のことだからそう言う感想があったかどうかも疑問だが)。ドラマで悪く描か
れたのはマスコミというより政府なので。とはいっても新次郎が調べたようなことを何故マスコミが調べられなかったのか?と
いうのはドラマも強引過ぎるところはある。
「ドラマでは、政府が北海道開拓の失敗を、五代に押しつけた」という形をとっているから五代上げ、政府下げだろう。そもそ
も史実でも「五代が起こした」というか、「黒田清隆が五代友厚に払い下げようとした」である(結局国民の批判が激しく中
止)。
これのどこが「洗脳装置として悪用」なのか分からないし「明治礼賛路線」とも言えないだろう(五代は礼賛したと言えるかも
しれないが)。いつものことだが、小檜山氏は史実もドラマも丁寧に扱って欲しい(言っても無駄なのは分かっているが)。 <朝ドラ『エール』、浮上するモラル問題> >>493 魚拓より
>この記事では、どうして古関メロディをそのまま使うのか、そのことを問いかけています。
>これは簡単なカラクリを思いつきます。私は以前のくせで、朝ドラレビューや感想、ニュースをぼちぼちと見ている
>のですが、際立った特徴が『エール』にはあります。
>本来、ターゲット・オーディエンスでもない、高年齢男性が読者のメディアが好意的に取り上げているということ。
>ドラマの出来を誉めているのかと思うと、それともちょっと違う。自分たちが若い頃に酔いしれた古関や古賀メロデ
>ィがいかに素晴らしいか。今のチャラけた歌よりよほどいい、そのファンである自分たちも素晴らしい! そんなメ
>ロディを作り上げた人物はどんな人生を歩んできたのか。そういうノスタルジーをフックとした論調が濃い。
えーと、「ターゲット・オーディエンスでもない、高年齢男性が読者のメディアが好意的に取り上げている」って具体
的にどこ?そういうメディアに心当たりがないのだが。
ツィッターで言うと、私はエールの本タグは割と見ているが(アンチタグは全然見ていないが、好意的な意見は普通ア
ンチタグには書かないだろう)、小檜山氏の言うような意見を見た記憶がない。 <朝ドラ『エール』、浮上するモラル問題>より
>これが観察しているとなかなかおもしろくて。『エール』を褒めるのとセットで、『スカーレット』に怒っていたりするんで
>すね。あのドラマはヒロインが夫以上に才能があり、そんな妻に耐えきれず離婚するプロットでした。特定の世代以上、こと
>男性は嫌いそうな設定ですから。
「『エール』を褒めるのとセットで、『スカーレット』に怒っていたりする」ってそんな人見たことない気がするが。もちろん
『スカーレット』より『エール』がいいと言う人はそれなりにいるが(特に最初の頃は)、それはヒロインの才能がどうこうで
はなく、『エール』の方が気楽に楽しく見られるからである。特にコロナと重なってしまい、ニュースが重苦しいものばかりだ
ったので、重い『スカーレット』より笑える『エール』の方がいいと言うのが多かったと思う。
それと私から見ると「『スカーレット』を褒めるのとセットで、『エール』に怒っていたりする」人の方が多かったと思うが
(数えた訳ではないけれども)。『スカーレット』は人間描写が緻密で丁寧に描かれていたが、『エール』は雑で受け狙いにし
か見えない。AKはやっぱりろくでもないというような感じで。
そもそも小檜山氏が『エール』を見ていないせいだと思うが、この後の文章も的外れな物ばかりである(イヤ、小檜山氏の場合
視聴していても的外れなものを書くことが多いか。特に嫌いなドラマは)。視聴していたってデタラメレビューを書く小檜山氏
が、視聴していないもののレビュー(?)を書くのは無理ゲーとしか言いようがない気がする。 以下、保管庫にあった元テンプレ厨さんの文章を転記します。
毎度連投さんへ
part20・493での小檜山note記事魚拓採取、この保管金庫の手入れ、ありがとうございます。レス代行依頼件数が多すぎるのもアレなので、こちらでお礼ということにて失礼します。
さて、早速そのnote記事を読みましたところ、「私は仕事柄、『エール』作曲家のリアル鮫島伝次郎ぶりを痛感し、「BTS最高や!J–POPなんて聞かなくてよかったんや!」となりましたが。」という記述を目にしました。
小檜山氏は古関氏を『はだしのゲン』の登場人物に重ねているようです。その評価の妥当性については今は置きます。ただ、小檜山氏・武者氏が『エール事前予想』の中で触れていた辻田真佐憲氏の著作について、part18・282(保管庫作成者・只今辞典編集中名義)で述べたところがありますので、該当部分を転記しておきます。
別に小檜山氏と辻田氏の評価が異なったところでどうってこともないのですが、後でツッコミを入れられる場合に参考になるかも?と思い、余計なお節介をしてしまいましたm(__)m
【以下当該レスより引用】
・・・(前略)・・・
ところが、その後に「エール事前予想」で
【引用開始】
絶対に退屈しない!『エール』鑑賞のポイント!
・辻田真佐憲氏『古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家』(→amazon)を読んでおく!
→関連書籍でも、これこそ決定版です。コストパフォーマンスも高く、電子書籍版もあります。 【引用終了】
と紹介されている書物を読んで、古関氏への評価が変わったのでしょう。
辻田氏によれば、古関氏は特にノリノリで作曲していたようでもないですが、
【辻田前掲書123頁より引用。括弧内は引用者、また仕様の都合で改行を加えた部分がある】
当時、二九歳。(軍歌の)作曲の依頼はつぎつぎに舞い込んだ。望むと望まざるとにかかわらず、急転直下与えられたその役回りを、古関は果たさざるをえなかった。
もちろん、腕はぞんぶんに振るった。契約更改で苦しむ時代に戻るのはごめんだった。
【引用終了】
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