【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part5
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2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
【放送予定】
2022年1〜12月
【脚本】
三谷幸喜
【制作統括】
清水拓哉(「真田丸」「いだてん」「腐女子、うっかりゲイに告る。」)
尾崎裕和(「軍師官兵衛」「あさが来た」「ゾンビが来たから人生見つめ直した件」)
【演出】
吉田照幸(「あまちゃん」「エール」『探偵はBARにいる3』)
【プロデューサー】
大越大士、吉岡和彦、川口俊介
2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=21781
前スレ
【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part4
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1591947435/ 西田敏行73歳の現役の俳優で杖をつくか支えてもらえないと歩けないとかヤバくないか?! これで視聴率20〜25%は安定的だな(出典:女性自身) >>713
今時そんないくわけないだろ半沢じゃあるまいし
時差のない冬季北京オリンピックが2022年2月から開催 でも小栗旬に大泉洋に西田敏行に松平健に新垣結衣に佐藤浩市に山本耕史に菅田将暉とか今度の大河は俳優陣が一際豪華だな >>714
でもいだてんを超えることは絶対確実
今の青天を漬けもたぶん超える >>716
青天は兎も角いだテロとか急に目標下がってるやんw
天敵スポーツ生Live冬季五輪対策にはとにかく序盤が勝負だからな
豪華()大泉と小池がコント夫婦にならないといいが 視聴率ヒトケタを出さない為に無能関係者は極力排除しているから大丈夫だろ ガッキーの役は最初の数回で死んじゃうのかな?
頼朝がメインだったらもっと長い期間出そうだけど
主役が義時だからね 佐藤浩市あれだけ芹沢が良かったのにそれから一度も大河呼ばれてないのが意外だった
断ってたのかもしれんが
堺雅人は4年後には使われたのに >>722
堺雅人は新選組の前に朝ドラ「オードリー」で主人公の相手役やってたし
もともとNHKとの縁が深いから
新選組で発掘されたから篤姫夫役というわけではない >>722
佐藤はあの頃、映画とかドラマ主演とか引っ張りだこだったからね
その間も三谷作品はちょいちょい出てたけど、おそらく真田丸は断ってたのかなとは思う >>724
浩市は清洲会議、オリエント急行、ギャラクシー街道、と立て続けに三谷作品出てた
もともと映画メインで真田の頃は映画版64前後編の長期撮影中 >>717
今回の頼朝夫婦の方向性としては
過去に偽夫婦役で共演した「グッドバイ」で概ね想像は出来るね 佐藤浩市は大河に長い期間拘束されるのが嫌で断ってたと聞いたことあるけど
ホントか知らないw 西田敏行で語る日本史のコピペに新たな1行が加えられるんか >三谷作品常連で、筆の遅さを知る佐藤は「なぜまた長い長い大河を引き受けたのか不思議でならない(笑い)」 >>714
大丈夫。北京オリンピックはボイコットされるから(出典:バイデン) ところで北条は三浦・和田・比企・梶原といった有力御家人を次々と滅ぼしていったのに、なんで足利は滅ぼさなかったの?
もし足利を滅ぼしていれば北条幕府はもう少し長く続いたかも知れないんでしょ? >>731
当時の足利は政子の妹が生んだ
義氏が当主で北条方だった >>722
佐藤浩市は歴史上の人物を演じるのがあまり興味ないと発言してた
組!の時も断ろうと思ってたらしいが父親が演じたこともある芹沢鴨だったから
引き受けることにしたらしい
だから今回出演するのが逆に驚いた >>733
佐藤浩市は大河4回目で新選組の前に大河に2回出ているし
新選組の前年には壬生義士伝で斎藤一をやっている
三谷作品の清須会議で池田恒興
この前の海老蔵主演ドラマ桶狭間では斎藤道三などなど
歴史上の人物は結構やってる 清須会議の頃は知らんが実際組!のガイドブックでそう答えてた
事実組!以降あまり時代劇には出てないイメージ
最近は確かによく出てるね >>731
足利は鎌倉時代、事実上の北条一族(しかも赤橋クラス)だったからだよ
得宗様の忠実な下僕で、尊氏さんのお爺さんも忠誠を示すために時宗公に殉死するぐらいだからね
だからこそ北条時行としては裏切った身内の尊氏が許せなかったんだろうね >>737
鎌倉北条フリークだからだよ
ちなみにおれは極楽寺重時が好き 北条氏はマイナーだが隠れオタは結構いる
だからこうして大河ドラマにもなる >>736
息を吐くように嘘を付く
北条氏から一門に準じる扱いを受けていたのは足利家氏(斯波氏の祖)だけ
尊氏の祖父の家時は、北条氏の母をもっておらず(母は上杉氏)、
霜月騒動に連座して切腹したというのが通説
赤橋家は、得宗以外で唯一、将軍が烏帽子親になり偏諱を与える家柄なので、
もちろん得宗が烏帽子親となり偏諱を与える足利が、赤橋と同じ家格なわけがない 逆
北条は、足利に被る源頼朝の影にガクガクブルブル怯て、自らの安全保障の為に足利との姻戚を求めた
北条が乗り越えられなかったのかは自らの家格ではない
三河の源頼朝が構築した三河システム
源頼朝 三河→鎌倉
寛伝 三河→日光
足利義兼 三河→足利
三河の源頼朝は、三河にあった自身の母方の菩提寺の僧を日光に送り込んだ
■日光山
源頼朝がその母方の従兄弟を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた
源頼朝
・藤原実範(三河守→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→女(由良御前→源頼朝
寛伝(母方従兄弟、三河国滝山寺僧)
・藤原実範(三河守→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝
足利義兼(初代源姓足利氏)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司→女(実父は季範長男の範忠→足利義兼 承久の乱の時に政子の檄文を読み上げたのは三河武士の安達景盛
三河縁故の武士が、裏でガッチリタッグを組んでいた
結局は、その三河の足利氏に滅ぼされた
北条が乗り越えられなかったのは、頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム) 
男系、女系共に源頼朝に近い足利氏が使命感をもって、武家社会を源頼朝の三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)に戻したのさ
その三河システムの存在は政子ちゃんは周知の事だ 
頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
・源実朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝
葛山景倫(願性)
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)
・足利義氏 
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護) 頼家の正室が出た足助氏が、何ら危害を加えられず、滅ぼされなかった事実で察しろ
足助氏も、三河の源頼朝が構築した三河システムの一員だった
源頼朝は嫡男の正室に、曽祖父が開発した三河国の荘園の荘官をしていた足助重長の娘を選んだ
源頼朝の曽祖父は三河県豊田市民→三河県岡崎市民
源頼朝の祖父は三河県岡崎市民
源頼朝の嫡男の正室(辻殿)は三河県豊田市民
その嫡男の息子が鎌倉鶴岡八幡宮でやらかした公暁
・吾妻鏡では辻殿を妻、若狭局を愛妾としている
・源頼家(2代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁
・辻殿
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母親は源為朝の娘)→公暁 足利義兼の娘は、源実朝の正室になる話だったが、もし実現していたらこうなっていた
源頼家正室
辻殿
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母親は源為朝の娘)→公暁
源実朝正室
女子
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→女子
鎌倉に将軍家がいて、三河に鎌倉将軍家の正室の兄弟がいる
コレが、三河の源頼朝が構築した三河システムだ
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→足助重秀
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護) >>740
wikipediaを鵜呑みにするバカの典型
霜月騒動が起因じゃなくて、得宗時宗に殉死したのが通説
源氏将軍待望論も知らないとは、マジアホやな
足利の当主が代々得宗から嫁をもらっていることも知らんのかマヌケ
おまえの負けだ、ゴミニート 新撰組の佐藤浩一はさすごに一人迫力あったわ。こわっぱみたいのばかりだったからw とりあえず重時家訓をきちんと学んでいれば森喜朗はあんな舌下事件
起こさずにすんだろう >>745
> 足利の当主が代々得宗から嫁をもらっている
息を吐くように嘘を付くw (義兼と)義氏と泰氏の2人(3人)だけw >>727
芹沢鴨役だからせいぜい序盤の数回で死ぬと思って引き受けたら、
中盤までけっこう重要な役割で出ることになって、本人も計算違いだったと冗談半分で言ってた。 >>731
婿にして抱き込んでた他の源氏一族が先に失脚して足利か残った 源氏でも足利よりも格上だった平賀は時政の娘婿であわや将軍まで上り詰めるところだったのに北条内部の政争で滅亡したしな
足利は北条の外戚でも運が良かったし出過ぎないように相当な努力をしたと思う 新田義貞の部将としての力量ですが、私はやっぱり何だかんだ言って優れていたと思いますよ。鎌倉幕府の本拠地を攻め落としたのはやっぱりすごいです。 800年前の戦いの記憶に迫る!「よみがえる承久の乱―後鳥羽上皇vs鎌倉北条氏―」
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/dca4349122a7b93191181b6d4358d58d6657e2a9 >>755
これ来年やればいいのにと思ったが
今年が800周年か
むしろ渋沢栄一大河を新札出る年にやれよw 義氏は得宗から嫁とは言えんだろ
義時の娘でなく泰時の娘でその時はまだ義時の後継は決まってない >>754
そりゃ優れてるだろ
尊氏に一騎打ち持ち掛けるくらい武勇があるんだから
師団長としては有能だろ
だから尊氏も息子預けるくらい頼りにしてたんだろ >>727
上総広常は長い期間拘束されないから大丈夫
間もなく始動にブスッとされるハズ 上総広常はまた傲慢な男として描かれるのか
平治の乱から従軍してて、頼朝の挙兵でも中心なのに 頼朝の鎌倉入りをじっくり描く言ってたから上総活躍しそうだ >>752
諦めろ
足利は鎌倉の御家人(守護職)にして、京の公家の下司でもあった
その京の公家は遡れば、足利の親戚
足利と対立すれば、大混乱が起きると分かっていた
関東申次
吉田経房(三河国知行国主)
坊門信清(源実朝正室の父)
西園寺公経(母は一条全子(坊門姫の娘)、将軍九条頼経外祖父)
近衛家実
九条道家(祖父は九条兼実(三河国知行国主)、将軍九条頼経実父)
近衛兼経(道家の娘婿、道家の補佐役)
一条実経(道家の子、九条頼経の弟、道家の補佐役)
西園寺実氏(公経の子)
西園寺実兼(三河国知行国主、実氏の孫、先に病死した父・公相に代わる)
西園寺公衡(実兼の子)
西園寺実兼(三河国知行国主、公衡病死に伴い、復職)
西園寺実衡(三河国知行国主、実兼の孫、公衡の子) 三河守護職、安達盛長の後任は不明のようだが
当時、三河は事実上将軍の直轄地であり、尚かつ院の本拠地であったのなら、三河で東西のバランスを取っていたのである
そりゃ実朝が死ねば、東西のバランスが崩れるのは当たり前
言うまでもなく、三河国主七条院の息子は後鳥羽院
三河国分国主、知行国主
1191年07年:九条兼実(知行国主)、関東申次、嫡男の嫁は一条全子(坊門姫の娘)
1199年02年:吉田経房(知行国主)、初代関東申次、母の兄弟に藤原俊成(三河守) 、孫が水無瀬信成(父は藤原親兼(室に足利義兼の娘)、後鳥羽院の命で養子入り後に水無瀬殿を譲られる)娘
1200年03月:七条院(分国主) 、姪は坊門信子(源実朝室)
1227年11月:七条院(分国主)、再任
1234年01年:四条隆親(知行国主)、室に足利能子(足利義氏(三河守護)の娘)
1240年12月:葉室資頼(知行国主)、藤原顕頼(三河守、正室は藤原季範従兄弟)の玄孫、すぐに四条隆親と交代
1240年12月:四条隆親(知行国主)、再任
1254年04月:平敦朝
1288年02月:西園寺実兼(知行国主)、関東申次
1301年02月:持明院統(伏見院)(分国主)
1303年04年:持明院統(伏見院)(分国主)
1321年06年:日野俊光(知行国主)、辞退
1321年06年:西園寺実衛(知行国主)、関東申次
1324年01月:持明院統(花園院)(分国主) 孫の頼家…時政がポア
比企腹の曾孫…ポア
他腹の頼朝子…出家追放
婿の阿野全成…失脚
婿の平賀朝雅…失脚
朝雅の兄…反乱
婿の足利氏…残存 全成の子とか居たがポアだな。足利もいつ標的になってもおかしくなかった。 >>766
義兼は粛清を恐れて狂人のふりをしたという伝承もあるしな
義氏は徹底的に北条に忠実になることで恩賞を稼ぎまくって勢力を蓄えた
あと幕政から一定の距離を置いていたのも賢明だった、がっつり首突っ込んでいた三浦は結局北条と利害対立して潰されたし 坂井考一が偉そうにのさばってるのは何かのフラグ?? 小学館の漫画日本の歴史で以仁王の挙兵時の宇治川の合戦で寄せ手の平家方に足利が加わっていたのには驚いたわ。 >>769
足利と言っても源氏の足利とは全く別の藤原姓足利だけどな
平家方だったので頼朝に潰されて、足利氏といえば源姓足利を指すようになった >>765
政子の妹たちは夫や子供が殺されたる流されたりしている だからか義時は娘を皆公家に嫁がせてるよね
義時の婿て武家でいない…
それであの面倒臭い御家人を牛耳れるってつょい
よく和田の顔面はりたおしたと思うわ 義時のお陰で北条の天下が100年以上も続いたんだから、そう考えると北条義時って偉大だよな >>773
義時の娘の結婚相手も基本的には鎌倉幕府の御家人だぞ
戸次重秀もそうだし中原季時とか大江親広とか親父は都から下った元公家かもしれんが
本人は生まれながらの武将だしな
都の現役公家に嫁いだのは頼朝の実妹の血筋で親幕公卿の一条家ぐらい
土御門定通に嫁いだ竹殿は義時離縁後公家に嫁いだ母姫の前の縁であって義時の敵対勢力だし 西園寺公経の息子に嫁いでるじゃん義時娘
元公家だろうが公家だよ
関東の武士団じゃない
時政は公家と武家と両方に嫁がせてるが義時は明らかに
偏りがある 義時の後継が鎌倉支配して当然て認識だったから
かなり偉大
承久の勝利が大きいんだろうがそれ以前から強いとみる
実朝死んでも鎌倉静かだったからな
長く権を取りて傷なし言われるだけある
なぜそんな強かったか政子との関係もあるが頼朝との関係も
あるんじゃないかな
このドラマでそのあたりが見られると嬉しい >>777
だから一条実有は頼朝実妹つながりだろ
西園寺公経の妻が頼朝の姪なんだから
義時の娘は皆公家にしか嫁いでないというのがそもそも嘘だし
元公家は武家ではないというなら源頼朝だって公家で都で官職受けてたからな >>777
義時娘が嫁いだ中原季時とか大江親広はもともと鎌倉の幕府御家人で武士
「元公家」ではないから いくら言おうが公家は公家だよw
稲毛や畠山、平賀や足利に嫁がせた時政
三浦や足利に嫁がせた泰時
全然違うだろ義時は 実有の母親は頼朝とは関係ない
頼朝姪を妻にした西園寺公経息子だから西園寺の縁の方があるある
大江と離婚して土御門、実雅配流で離婚して唐橋
唐橋との結婚は義時死後だろうけど一族の認識として
公家に嫁がせるってあったんかもな
なんで有力御家人を婿にしないのか謎なんだよなあ
三浦が僻むからか?w 太閤検地の石高(万石)
武蔵66.7 常陸53 上野49.6 下総39.3 上総37.8 下野37.4 甲斐22.7 相模19.4 伊豆6.9
常陸源氏(佐竹)・常陸平氏がほぼ国内全域
甲斐源氏(武田・一条・加賀美・安田)もほぼ国内全域
上総介もほぼ国内全域
下総平氏(千葉・相馬・東)は相馬郡以南
秩父平氏(河越・畠山・小山田・稲毛)は荒川流域から町田・川崎
江戸氏(江戸・豊島・葛西)は23区
藤姓足利氏(足利・佐野・阿曽沼・木村)は上野東部から下野足利
宇都宮氏は下野中央部
太田党(小山・結城・長沼・下河辺)は下野南部から下総北部
新田氏は上野中央部
渋谷氏は相模東部
三浦和田党(和田・三浦・岡崎)は湘南から横浜・三浦半島
中村党(中村・土肥・土屋)は相模西部
北条は狭い伊豆に伊東・狩野・仁田らと割拠
北条が婿にしていた源氏(頼朝・全成・足利・平賀)は関東に足場がない者たち 有力豪族に囲まれて伝統的な家人がいなかった頼朝が
縁戚の北条と比企で疑似的に家人を創出しようとしてた可能性はあるね 矢田判官代と呼ばれるからには八条院に寄進できたのもそれ相応の所領なんでしょう
足利周辺で大規模な軍事行動を起こしている藤姓足利氏があの辺りを実効支配していたんじゃないかな 千葉常胤は今上天皇の先祖の一人で鎌倉殿を鎌倉殿たらしめた張本人なのにマイナー。妙見菩薩の加護が足りない気がする。 足利が源姓の所領で藤姓に野木まで素通りさせたなら大失態じゃないかな 大河ドラマ
1 1963 花の生涯 尾上松緑 佐田啓二 八千草薫
2 1964 赤穂浪士 長谷川一夫 山田五十鈴 中村嘉葎雄
3 1965 太閤記 緒形拳 高橋幸治 石坂浩二
4 1966 源義経 尾上菊之助 藤純子 緒形拳
5 1967 三姉妹 岡田茉莉子 藤村志保 栗原小巻
6 1968 龍馬がゆく 北大路欣也 高橋英樹 新克利
7 1969 天と地と 石坂浩二 中村光輝 高橋幸治
8 1970 樅ノ木は残った 平幹二朗 栗原小巻 吉永小百合
9 1971 春の坂道 中村錦之助 小林千登勢 原田芳雄
10 1972 新・平家物語 仲代達矢 中村勘九郎 若尾文子
11 1973 国取り物語 平幹二朗 高橋英樹 近藤正臣
12 1974 勝海舟 渡哲也 松方弘樹 大原麗子
13 1975 元禄太平記 石坂浩二 岡田茉莉子 江守徹
14 1976 風と雲と虹と 加藤剛 緒形拳 吉永小百合
15 1977 花神 中村梅之助 浅丘ルリ子 中村雅俊
16 1978 黄金の日日 市川染五郎 栗原小巻 根津甚八
17 1979 草燃える 石坂浩二 岩下志麻 松平健
18 1980 獅子の時代 菅原文太 加藤剛 大原麗子
19 1981 おんな太閤記 佐久間良子 西田敏行 中村雅俊
20 1982 峠の群像 緒形拳 松平健 多岐川裕美
21 1983 徳川家康 滝田栄 役所広司 大竹しのぶ
22 1984 山河燃ゆ 松本幸四郎 西田敏行 大原麗子
23 1985 春の波涛 松坂慶子 中村雅俊 風間杜夫
24 1986 いのち 三田佳子 石野真子 役所広司
25 1987 独眼竜政宗 渡辺謙 北大路欣也 岩下志麻
26 1988 武田信玄 中井貴一 平幹二朗 紺野美沙子
27 1989 春日局 大原麗子 佐久間良子 山下真司
28 1990 翔ぶが如く 西田敏行 鹿賀丈史 田中裕子
29 1991 太平記 真田広之 沢口靖子 片岡孝夫
30 1992 信長 緒形直人 平幹二朗 菊池桃子
31 1993 琉球の嵐 東山紀之 原田知世 渡辺篤郎
32 1993 炎立つ 渡辺謙 村上弘明 古手川祐子
33 1994 花の乱 三田佳子 市川團十郎 松たか子
34 1995 八代将軍 吉宗 西田敏行 賀来千香子 大滝秀治
35 1996 秀吉 竹中直人 沢口靖子 渡哲也
36 1997 毛利元就 中村橋之助 富田靖子 緒形拳
37 1998 徳川慶喜 本木雅弘 菅原文太 石田ひかり
38 1999 元禄繚乱 中村勘九郎 萩原健一 大竹しのぶ 39 2000 葵 徳川三代 津川雅彦 西田敏行 岩下志麻
40 2001 北条時宗 和泉元彌 渡部篤郎 浅野温子
41 2002 利家とまつ 唐沢寿明 松嶋菜々子 反町隆史
42 2003 武蔵 市川新之助 松岡昌宏 米倉涼子
43 2004 新選組! 香取慎吾 山本耕史 鈴木京香
44 2005 義経 滝沢秀明 松平健 上戸彩
45 2006 功名が辻 仲間由紀恵 上川隆也 和久井映見
46 2007 風林火山 内野聖陽 市川亀治郎 柴本幸
47 2008 篤姫 宮崎あおい 瑛太 堺雅人
48 2009 天地人 妻夫木聡 北村一輝 常盤貴子
49 2010 龍馬伝 福山雅治 香川照之 真木よう子
50 2011 江 姫たちの戦国 上野樹里 宮沢りえ 向井理
51 2012 平清盛 松山ケンイチ 深田恭子 玉木宏
52 2013 八重の桜 綾瀬はるか 西島秀俊 長谷川博己
53 2014 軍師官兵衛 岡田准一 中谷美紀 松坂桃李
54 2015 花燃ゆ 井上真央 大沢たかお 東出昌大
55 2016 真田丸 堺雅人 小日向文世 竹内結子
56 2017 おんな城主 直虎 柴咲コウ 三浦春馬 高橋一生
57 2018 西郷どん 鈴木亮平 瑛太 黒木華
58 2019 いだてん 中村勘九郎 阿部サダヲ 綾瀬はるか
59 2020 麒麟がくる 長谷川博己 門脇麦 染谷将太
60 2021 青天を衝け 吉沢亮 小林薫 橋本愛
61 2022 鎌倉殿の13人 小栗旬 小池栄子 新垣結衣
62 2023 どうする家康 松本潤 上総介広常に大物を持ってきたら千葉にも持ってこないとな どうか千葉の千葉常胤公を三谷幸喜氏の力で有名にして
埼玉の渋沢栄一翁までとは言わないから 義時の息子たち
竈門炭治郎こと聖人泰時は言うまでもないけど、腹違いの子どもたちもみんな優秀
政村・重時・実泰
やっぱりおじいちゃんである時政の伊豆の厳しいしつけの賜物だろう
足利や徳川とは大違いや >>798
歴史には全く詳しくないけど千葉氏って戦国時代まで残ってるよね 母親バラバラなのに息子の出来がいいからやっぱ父親力だな
息子可愛がってるし 千葉氏の居城跡は千葉市内に残っている。(ショボイ)
明治までは下総国の中心は葛飾郡(国府は市川市)であって、千葉郡は僻地。 今でも千葉県は旧葛飾郡地域が栄えている。
市川市、船橋市、松戸市、柏市、浦安市。
安房や上総はド田舎。 房総半島って日本史でスポットライトが当たった事がないな
東京湾があるから要衝地にならないからか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています