【1991年 大河ドラマ】太平記part.53
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ゴクミ回、時専の再放送以来観たけどめちゃくちゃいい芝居してるじゃん
(もちろん子供にしては、と言うのはあるけど)
今のその辺に値する女優は広瀬すずだと思うんだが、
彼女もすごく芝居は上手いけどゴクミは肩を並べると思った >>81
あと室町幕府は、大名に力を蓄積させたという反省から神君は武家諸法度で、
危険分子は片っ端から改易、取り潰しを断行した 奥州の北畠顕家が連戦連勝で京まで攻め上ってくる というエピソードはハンニバルかモンゴル帝国の襲来でしか聞かないパターンだなと思った
きっと各個撃破や退却戦にすぐれていたのに違いない ラストはゴクミが地毛だからな。アップにすると女にしか見えない。
公家はいいシャンプーがつかえたんだろうなとか思ってしまったw >>92
右馬助さんのミス集
・初上洛で尊氏を見失い、これがそもそもいろんな意味で最大のミス…
・花夜叉一座に身分を見抜かれしかも捕まる
・鎌倉攻め後に自暴自棄出奔。新田との連絡役を放棄したために義貞上洛をまねく
・助けた女が美人局
・隠居を願い出たが機嫌の悪い尊氏に八つ当たりされる
・この間、三河一色村の藤夜叉母子と見失う
・石に美濃の土地を世話して藤夜叉の死の原因をつくる
・護良親王暗殺を防げず
・不知哉丸を何度も焼かれるような寺に預けて2年間放置する←new! 消しちゃえばいいのにな。
まぁ無理か。
これはでも庶子を拒否した登子も悪いな。 >>104
想像のルールを確定させたのが大きい
鎌倉末期から応仁の乱まで揉め事の原因のほとんどが家督相続関係 敗戦報告しに行ったら『勝敗は兵家の常。おまいは細川の逸材頼りしてるって』
言われ太刀貰えたら そりゃ頑張るわ。
史実は分からんけど尊氏めっちゃ器デカい。 >>111
あれは「勝つまでもう帰ってくるなよ」ってこと
つまり「次も負けなら戦場で死ね」と
尊氏は爽やかだったけどw >>98
元服前の稚児として寺にいたのだろうから髪は別にあれでよいのでは? >>98
食事作法を知らないのは頗るおかしいけど、長髪は沙弥戒を授かり沙弥・渇食になるまで剃髪しないから別におかしくない。渇食で剃髪しない場合もある。
いわゆる稚児扱いだったって事。 不知哉丸の食事中にごはんつぶ付いてるよって教えてくれてた尼さんが
若くてなんかドキドキした 公に認知しなかったのは登子を気遣っての事、赤橋家を護れなかった負い目に加えて千寿王の行く末を不安に思わせない為だったのでは?または足利一党の中で反尊氏派が担ぐ御輿になりうる可能性も懸念したのでは。結果後々真っ二つになりましたが(T . T) 神君「人の上に立つ者は心に一匹の鬼を飼わねばならぬ。成り行きによっては妻や子も捨てねばならぬ」 >>118
そういう性格だから人が付いてきて天下を取れたっていうのもあるけどね 尊氏の置かれた状況では強権的な粛清は無理だっただろう
家康は信長、秀吉の段階を踏んだ上だったから可能だった面もある
頼朝の様に身内の粛清をやり過ぎて断絶してたんじゃしょうがないし 登子「千寿王がかわいそう」
尊氏「ハアハア」
基氏「おまたせ」 毎回おもしろいし見所多いわァ・・・いざや丸の早口とか
最後に見たのが15年前でかなり忘れてるが、「顕家は……疲れましてございます」
は大きく印象に残ってる
しかし基本的にナレ死で知られる池端脚本、顕家にはよほど思い入れがあったのだろうか 曹操も横山三国志で誰だかが兵たくさん失った時もよいよい勝つも負けるも平家の常って言ってたな >>116
あれはエロかったね。
昔のにっかつロマンポルノっぽかった。 あんなんほんとに少年だったとしても敵に生け捕りにされたら犯されるだろ 親房の言ってた「そなたの弓には神仏が宿ると信じられている」という話は重要だったんだろうな
島原の乱で天草四郎が砲弾の破片で怪我をしたら求心力が一気に落ちたという話もある
南北朝のような中世ならなおのことだろう >>130
本人もそれが分かってるから負傷してから人のいないところに逃げたのかなと思った 顕家も成長とともに子どもに宿る神仏性が薄れていったのだろう 本放送の時はガキだったから何とも思わなかったが
今見ると沢口靖子は絶世の美女だな
あんな美人女優今いないよな 直冬が僧侶は嫌で武士になりたいって言ってんだからならしときゃいいだろ
むげに仏門に居続けろの一点ばりで関係悪化させる意味がどこにあるんだよ
うまく丸め込めば観応の擾乱もすぐ沈静化できたかもしれんのに
当時はこういう展開が好まれたんだろうけどこの場面みててイライラするわ
史実では絶対ないな >>138
いやいや・・・武士になってたらそれこそ同じ展開だろうに >>138
えーとつまりあれですか、
「尊氏に落ち度はなかったが仕方なくなりゆきで直冬と対立した」
という展開にした方がよかったという意味か?
「観応の擾乱もすぐ沈静化」という、無い歴史に向かっても仕方ないもんな >>138
ドラマ上は藤夜叉の思いを尊重してるのだから、しょうがないのでは。
史実だと尊氏があんなに直冬を冷遇していたのは、やはり実の子であることを疑っていたからなのかな? 生き別れの息子が成長したら
俺僧侶になるたくないから親父の会社で働かせてくれよって
コネ入社お願いするダメ息子に見える。 楠党の最期より顕家の最期の方が演出よかった
ところで自害の作法は習うものなの?戦陣で敵兵の遺体をみて知るのかな 幕末の会津藩では学校で竹光使って切腹の練習を毎日やってたんだよね
この時代はどうなんだろう? >>138
嫡男を遠方の地に赴かせて死にそうな思いをさせている
自分の子供に生まれたばかりに哀れなことだ
白拍子に生ませた子供は認知しなければそんな思いはさせずにすむ
ということだろ しかし珍しく良純がいい芝居している回なのに後半の北畠親子に全て持っていかれていたな >>82
ホントかどうかは不明だけど
源頼朝時代の有力家臣の勢力範囲に近いから
も理由の1つってきいたな >>146
最初の頃は義助の方が過激な鉄砲玉みたいだったのに、終盤では冷静で現実的になってるんだよね
あれだけわかりやくす後醍醐から切り捨てられたら普通はそうなってしまうよね 建武の新政で立場と戦力もあるときは義助のように当然イケイケでいいはずなのに義貞は自重気味だった
その後南朝となり勢力が衰えてから義貞は戦って挽回しようとするが、義助は戦力を保持する側になった
アクセルとブレーキが機能してるようで実は結果としてマイナスになってるんだよなあ >>138
史実のもう一人の側室の子は鎌倉攻めの時に見殺しだけどな まず直冬を直義の養子にするところからダメだよな。後の火種になることは明白なのに 霊山城のシーンで顕家に名を呼ばれたのに、字幕で出してもらえなかった伊達行宗。
哀れ。 そののち、独眼竜の父ちゃんの輝宗までは、将軍から偏諱をもらうことになるけれど、
当時は南朝側だったんだな 大膳大夫政宗のほうはこちらに少し関係あるな。伊達行宗は祖父で母ちゃんは結城宗広の娘という。歴史の重みを感じるね >>102
師直て軍師なのか家宰なのか政治家なのかよく分からん
どういう立場の人なんだろ 元旦、BSPで、大仏開眼、前編、後編がまた、再放送されます。
池端俊作作品です。
君子は泰(ゆたか)にして驕(おご)らず
ドラマで、この言葉が使われています。
今年、9月に再放送されましたが、まだ、見ていない方におすすめです。 >>147
鎌倉は頼信が平忠常の乱の際に坂東を平定したときの本拠地ってのもあるね 河内源氏は平直方の血が入ってから身内で殺し合うようになったのです 2ヶ月分の録画いま見てる
顕家「父上危のうございます」
親房「この親房に敵の矢など当たらぬ!うっ」
顕家「父上!」
親房「目にゴミが入った」
笑うわこんなんw >>82
東国に「都」を置ける所が当時はほかになかったんだろうな
地形を見ても他に候補は小田原くらいしか思い浮かばない
しかし致命的なのは川がない
そりゃ経済バブルから置いていかれるわと 都は逃げ道もたくさん有るけど鎌倉はそうじゃないからな 小田原といえば難攻不落の小田原城(9qの総構)・かまぼこ・小田原用水(日本最古) >>170
江戸は家康が入るまでは川で溢れていたからな
利根川東遷と荒川西遷のお陰で今の東京がある 棒中の棒(それも個性)と思っていた筒井道隆、若い頃はこんな演技出来たのかと驚いた
陣内判官のニヤリは三遊亭好楽のニヤリと双璧だな >>37
風林火山かな?
顕家の小説ってないから読みたいが。 正成が内裏で義貞をディスり出す
顕家が義貞との合流を拒否
それにも関わらず義貞は顕家卿は来ると信じて疑わない
この辺り、宮方視点からの京都防衛〜湊川の描写が欲しい
今からでもスピンオフで作成してくれないかな。役者が揃うかという問題点があるが。 「帝に召された顕家が 見事神仏に召されたということか・・・」 ここで顕家の死を受け入れた と思わせといて「まて!」
どこまでも自分に厳しかった親房が壊れていくいく名シーン うまいなぁ俳優さんは 高家って、代々足利執事の家系なのに何故師直は欲に塗れ果ては身の破滅になる道へ走ったのかな? 最終回の3人の花見シーンだけリメイク見たい
リアルに30年経った3人の回想で往時の貞氏や若い頃の尊氏・道誉が出てくるの >>148
でも起つときは慎重だったから、過度になるタイプかな
いやあの時は主戦派の岩松がいたから
あくまで義貞への対比としての描きか >>105
あれどうせ京への通りすがりだから相手も放置してそう
わしだったらまともに戦わないわ 正臣さんが壊れた結果、タヌキやカッパの着ぐるみでキンチョウリキッドのCMに… >>189
そりゃあ、あんなにキリッとした目でたくましかった子供が、おちょぼ口の木偶の坊みたいになって現れたら誰だか分からんよね >>183
名越が足利の執事?と読んだ俺は鎌倉時代で時が止まっているようだ・・・ >>192
風林火山の寅王丸もひどかったな
美少年だったのに成人したらブサイクな柄本 >>184
古典太平記では師直が首実験している。
尊氏は討ち取った武士ふたりに特別に褒美も出している。
しかし、よく考えてみると義貞、正成と違って「北畠顕家の首塚」ってないかな? >>192
しかもたった2年しか経っていないという事実!
ただ、後の展開から婆様はそっちの孫が可愛かったらしく・・・ 太平記は新年3日も放送あるんだな 麒麟がくるは休止みたいだけど 子どもの成長も千差万別だからね。
子どもの時の顔そっくりそのまま大人になる子もいれば子どもの時の面影がないまったくの別人みたいになる子もいるし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています