【1991年 大河ドラマ】太平記part.53
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
△ 白旗城攻撃(赤松円心)
○ 西宮の戦い(細川顕氏)
● 湊川(生田の森)の合戦(足利尊氏)
○ 四明岳の合戦(高豊前守)
● 京都攻撃(足利尊氏)
△ 京都攻撃(足利尊氏)
○ 京都攻撃(6月30日 高師直)
○ 京都攻撃(6月30日 仁木 細川 土岐)
△ 東寺攻撃(足利尊氏)
○ 金ヶ崎城攻防戦(高師泰 斯波高経)
● 金ヶ崎城攻防戦(高師泰 斯波高経 塩谷高貞)※義貞は不在か、脱出か
○ 越前国府の戦い(斯波高経)
△ 足羽七城の戦い(斯波高経)
● 燈明寺畷の戦い(細川出羽守)戦死
34戦22勝7敗5分 勝率 .647 >>422
判官殿は純粋に立花の哲学を語っていたが、それを受けとる登子は気に入らない花=直冬を思い浮かべて
それでも役に立ったり状況を良くする事があると自分に言い聞かせてるのかと 以上、義貞の生涯戦績
実は尊氏とは義貞の3勝2敗3分で1勝だけ勝ち越しているのだが、
勝負所で落としているのが敗着か >>392
大河では、自分の子でさえ手駒にした強かな三位殿が悪女枠だろうから
登子は政治的な駆け引きが不得意なお嬢様だけど我が子のために必死です感が
沢口靖子に合っていると個人的に思う
武家において、正妻の子>側室の子というランク付けは鎌倉時代には既にあったから
直冬が直義の養子になることは疑問に思わないけれども、本家を支える分家になれず
尊氏との間で深まる確執はどうにもならなかっただろうなとも思う 直義がすぐるちゃんにしか見えないんだけど、すぐるちゃんの後にこのドラマ? >>414
養子を迎えた後に実子が生まれて一騒動って、生粋の武家でも割りとあることじゃね?
応仁の乱とか 養子といっても直冬の場合は尊氏の実子やど自他共に認められてるからな
養子も出自によって周りの信頼度が違ってくるわ >>424
勝率だけなら武家の統領にふさわしい
問題は勝負所の弱さだが、義貞の責任外の敗戦もかなりある
それでも鎌倉攻めで歴史に名を刻んだというべきだろう 鎌倉・南北朝期の相論に後家の所生が嫡子を差し置いて相続人に指名されるの割とあるでしょ >>433
悪役イメージなんてまったくない時代
HOTELの赤川一平やってた頃の直義 塩谷判官の奥方を凝視する師直、下衆さなら
長崎親子をに超えましたな。 >>444
顔が勃起したチンコのようだった
柄本さんのものすごい演技だ 冷静クレバーな切れ者執事だったはずの師直が
どうしてこうなった >>447
長崎円喜は高時を保護者の如く支えていた側面が多少見られたけれども
師直は尊氏の優柔不断さに乗じて野心を隠さなくなった辺りから俗物臭が酷くなった 話は面白くなるものの、これから先の展開に女の人はついて行けたのだろうか。
@話が一層入り組んてる。
A不憫な女の人しかいない。
Bイケメン率が激減。
弟の顔芸とか執事のエロ加減とか、女の人から見て楽しくもなんともないからねえ。
先帝と執事、やってることたいして変わらんけどね。 >>449
リアタイで毛利元就を完走出来たから今回も完走予定
佐々木判官殿がまさかの癒やし枠になりそうで悪寒がするけど
観応の擾乱は利害関係が入り組んでいるけど根底は権力欲だしと思うと
夢窓疎石に傾倒する尊氏が哀れに思う >>448
長崎円喜は貞時、船田昌義は朝氏からの執事で子供の面倒を見てる感じがするよね
足利も師重が執事続けてたら同じ様に動いたんじゃないかな >>450
理想・理念は時に否定されることがあるけど、権力欲オンリーよりは、まだ統制が取れていたということかな。
後醍醐に見いだされ、高時・尊氏・直義に帰依された夢窓疎石の存在は、何か暗示的だ。 新田義貞と木曽義仲は最期が似てるな
落ちぶれて泥田で討ち死に >>424
箱根で負けたのがすべてか
しかし、さいとうたかおの漫画「太平記」の脇屋義助のセリフで、
「北条を蹴散らし、次なる敵足利尊氏、直義と五分に戦ったあのころ」というのがあったが、満更盛った発言でもない >>447
花夜叉一座をキャスティングして喜んだり、似合わない黄色い直垂にはしゃいだりした面もあったし >>447
幾ら武功上げても執事の立場を弁えていれば暗黒面に落ちずに済んだのに。 まだ、師直があそこまで手当たり次第のすけべジジイになるとは流石の婆娑羅道誉も想定の範囲外やろ
ハニトラで自分の手元に引き留めるつもりが
、手当たり次第に食い放題で自分の身内の嫁の風呂まで… 権力を握ると人間は変わりますというのが吉川英治原作の根本
討幕後の後醍醐や調子に乗っている師直は下品だよな 直義が政務を仕切ってるのだから執事から執権としての機能は副将軍に取られてんだな 師直にとって執事として務める相手は将軍の尊氏であって直義ではないという考えやろ
そして直義もそんな師直を重用する気もない
そらぶつかるわなあ 俺は師直と直義の対立だけで言えば常に師直びいき
直義が秀でてるマツリゴトってのはただの官僚的行政であってもっとその上の政治、
皆をまとめるということではむしろ邪魔な存在
師直は足利家参謀としても軍人としても有能であることを示し続けてる 直義の治世能力って乱世ではなく、平和な時こそ効果的やったんやろうなあと思う
残念ながら南北朝の動乱は継続中やったからなあ あれだけ戦で結果を出しても良い思いをするのは有力一門かよという気持ちは分からなくもない
それくらい師直は戦で結果を出してる
直義を追い落とした時に息の根を止められなかったのがね 鎌倉幕府末期の得宗が居て内管領と執権の仲違いと同じ状況になってるのは皮肉だよな 美しいものを追い求めた尊氏が唾棄した鎌倉の政治が
盛大なブーメランとして自身に跳ね返ってくる擾乱編をお楽しみください 美しいものといいつつあっち裏切りこっち裏切り最後は身内争いで
弟殺す醜い人物が尊氏という
美しいのは楠木正成や北畠顕家だったというオチ
室町時代が大河から避けられる一因か 師直には輝かしい武勲が数多くあるからね。なんで執事ってだけで足利一門の風下に立たなければならないんだって思うよ。
やはり尊氏が直義と師直をしっかり統制しときゃ問題はなかった。
頼朝と家康ならry 尊氏 全体のバランスを考えて功績あった者にはほうびを与えたい
直義 足利一門の身内だけで住職とか守護とかを固めるのは当然だ
師直 戦で手柄をたてたのに恩賞が少ない、たいして働いてない奴が守護になるなんて納得いかない
このあと、足利幕府に不満のある者は、とりあえず南朝に走ってしまえばOK!という流れが出来てしまいます
自民党や社民党に不満のある議員が、とりあえず新進党に行っちゃおうか、というノリで
これで足利尊氏は離反者続出で悩むことになります
弟の直義と、養子にした直冬も敵にまわってしまいます 夢窓疎石のスポンサーという形で尊氏は後世に美しいものを残せたと私は思う
過去に否定したものがそのまま未来の自分を照らすブーメランになるとは
皮肉だけれども、自分の人生を賭しての因果応報劇は人智を超えた
壮麗なるもの一つなのかもしれないとも思う やる気を出せば何でも出来るのに、本当の土壇場までやる気出ないのが尊氏だし >>469
御舎弟殿は肝心の戦は黒星が多くて勝敗で語られるとHPと面子が大幅に削られるという 今回の尊氏の師直に対する失言は流石に酷いよな
観ていて思わず自分もアチャーって顔になった >>473
黒星が多く……
御舎弟殿の戦績
● 女影原の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 小手指原の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 武蔵府中の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 井出の沢の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 鶴見の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 手越河原の戦い(名越式部大輔)
● 矢矧の戦い(新田義貞)
● 鷺坂の戦い(新田義貞)
● 手越河原の戦い(新田義貞)
△ 箱根竹之下の戦い(新田義貞 ※直義敗北寸前も尊氏勝利で回避)
△ 豊島河原の戦い(北畠顕家)
△ 豊島河原の戦い(脇屋義助)
● 豊島河原の戦い(楠木正成 ※正成は別動隊)
● 打出の戦い(新田義貞)
◯ 多々良浜の戦い(菊池武敏)←初勝利!
◯ 福山城の戦い(大井田氏経)←初連勝!
● 湊川の戦い(楠木正季)
△ 湊川(生田の森)の戦い(脇屋義助) 池端氏は尊氏を「英雄というより小さな正義感を頼りに迷いながら生きた人物」として描いたらしい。
後醍醐は中先代の乱鎮圧に尊氏が勝手に向かった時も「この題材を素に和歌を作って送って」とか依頼してた。本気で裏切られるとは思っていなかったのかもしれない。尊氏が叛いた後も周りが高氏と呼ぶようになったのに尊氏と呼び続けたり、結構甘々な性格をしている。
和歌でも何かあると結構弱音を吐いていたりと、剛毅なイメージあるけど意外に打たれ弱い部分もある。肩凝りな帝という表現もあながち間違いではないんだろうなと思う。。 結局は武士が子分を助けに行かないという事の意味を理解出来なかったんだろう
助けを求められてるのに何もしない親分に従う奴なんていない
新田が自分が同じ立場なら同じことをすると言っていたのも当然 >>475
どんなセリフだっけ?DVD持ってるけど覚えてない 師直は室町時代末期〜戦国時代に生まれてれば活躍してたな。 >>480
すみません、ちゃんと覚えていないけど
「お前は戦だけやって、あとは言うこと聞いていればいい」
みたいな言葉だった >>483
多々良は以外は直義の方が大軍勢
特に矢矧、豊島河原、打出、それからドラマでは勝ったことにしてもらった湊川は圧倒的大差 >>484
師直「では我らは戦の時だけ働かされ、政には一族や古い家柄の方がおつきになる。斯様なことになりますか」
尊氏「そうは言うておらぬ」
師直「そのように聞こえまする。現に幕府の評定方には御舎弟殿のご意向でそのような方ばかりが登用されておりまする。
新しい幕府の中枢を古い顔ぶれが多い尽くしておりまする」
尊氏「直義には直義の考えがあろう。ともあれ政はあれに委ねたのじゃ。儂は将軍として武士を束ね、戦を致すだけ
そなたは黙って儂に従ごうておればよい」
師直「そのように仰せられまするな」 結局、三管領は一門で四職は外様メインに落ち着くんだよね
師直が上手く立ち回って生き延びたら得宗家の内管領的な立場になっていったのかな 管領はそもそも足利家家宰てある執事の後継職として誕生してるので執事の師直が管領になれた可能性はあるから、高家も入れて四管領四職になったかもしれないな 執権という役職名が足利にとってはトラウマ的なものやから使われることはないやろな >>342
直義の権限(統治権的支配権)は行政に限定されるものではなく立法・司法を含む政務全般を含むものだよ
特に直義が評定を主催して式目の追加法制定や所務裁判の権限を握っていることが重要だろう >>368
直義が所領問題に関してできるのは裁判権やそれに伴う安堵まで
新規の所領(地頭職)の宛行や守護職の任命は尊氏(主従制的支配権)じゃないとできない 実際、斯波高経は就任を渋ってたとか。
それで管領に名前を変えたのかな?と思ったり。 >>371
「秀吉」のおねも終盤で少しブラック化していたような
あと「独眼竜政宗」のイロハ姫は少し違うが新興宗教にのめり込んで
母親役の桜田淳子に必死に止められている描写がある >>357
>>391
とりあえず師直=嫡子、師泰=庶子ということは確か
その上で
「本当は兄である庶子が弟扱いされること」はあっても
「本当は兄である嫡子が弟扱いされること」はまずあり得ない
そう考えれば兄説・弟説両方ある場合「庶子のほうが本当は兄」である可能性が極めて濃厚なので
師泰を兄としたこのドラマの筋書きは理にかなっている >>407
直義の政治は先例・慣習無視の建武政権とは似ても似つかぬものだと思うよ
あと恩賞の決定権は軍事指揮権と不可分だから基本的には尊氏・師直側が握っているはず だが、ドラマ的には直義は守護の任命はいくさの功績だけでは決められないと言い切ってるので、守護職を恩賞としては扱わないということやろ 高師直は執事施行状を発給したのが革新的らしい
これで初めて
幕府の土地給付に武力を伴う強制執行力付加された
だから絶大な支持を得られたらしい >>487
四職も半分は足利一門だが
>>490
足利宗家の家宰の立場と幕府の政務責任者としての執権を合わせたものが管領
但しあくまで将軍が親裁権を持つなかでの補佐としての地位でもある
よって単純に執権と同列には語れない
>>491
トラウマとは? >>500
守護職はそれこそ現地における将軍の代理人だからな
幕府の命令を現地の武士たちに伝達したり戦時には現地の武士たちを指揮したりする
だから単純な恩賞としては与えられないのはその通りだが
一方でそれなりの実力を持ち現地の武士たちに支持される存在じゃないと
守護としての役割はまともに果たせない
そして将軍の代理人である以上は将軍の承認なく評定方で決められるものでもない 師直、師泰兄弟は今際の際まで仲良しだったなあ。両者とも随分嫌な感じに描かれてたけど、最期はキレイな退場だった。 尊氏が師直に、
そちは代々足利宗家に仕える、高家の頭領ぞ
と言っていたが、弟なのに頭領?と疑問だった >>497
嫡庶の別が説明されてないから、見ている方は分かりにくいよね。 師直と師泰も時代の覇者ともなれば喧嘩するよ
厳密には二人を担いでいる子分たちの利害が衝突すれば、好むと好まざるとに関わらずに戦わざるを得なくなる 執事施行状は建武政権の事例をもとにしてる。
師直は建武政権時代に恩賞方にいたので、その経験を活かして方策をカスタマイズした。
建武政権は全てを1から作り直そうとしたから潰れたけど、部分的にみれば革新的・有効的なものもあったということ。南朝の公家衆はどちらかというと後醍醐の政治に批判的だったわけで、こういう政策も後醍醐と極一部の公家だけで考えてたのかもしれない。
ドラマじゃ帝も虚仮にしてたけど、有用とあらば実用化するところが師直らしい。 >>501
というか鎌倉時代にはいちいち両使遵行でやっていた新恩給与の際の下地の沙汰付を
単に面倒くさいから執事施行状で守護に指令する形に変えただけでは? だいたい師直と直義が殺された日って同じ日なんだろ。
尊氏も師直派の武家から厳しく突き上げられて苦渋の選択の上の行動だったんだろうな。 >直義が殺された
この「太平記」では尊氏による毒殺だけど、自然死説を取ってる学者もいる
峰岸純夫、亀田俊和なんかがそう >>497
確かって、チミは何処の部外者だよ
高氏の累代の根本所領は、高氏の祖たる高階惟長所縁の三川乃国菅生郷なんだが
その所領は、師重→師泰→師世(師泰の息)→師秀(師泰養子)→明阿(師泰の娘)と相伝された
何で師泰が庶子なのか、説明してくれるか?
高階惟長→滝口惟忠→大平惟行(三川乃国滝山寺)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→師秋(家時置文保管者)→師有(関東執事)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→師秋(家時置文保管者)→三郎(三川乃国滝山寺)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→師冬(関東執事、三河守、室は高師泰の娘、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→女(高師直室)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師世(幕府執事)→いち(三川乃国総持寺住持)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師秀
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→明阿(高師冬妻、三川乃国総持寺開基)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師武(国司師武)?
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師夏
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師詮
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師冬(関東執事、三河守、室は高師泰の娘、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師兼(初代三河守護、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→女(渋川直頼(姉妹に足利義詮室)室)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師永(秋里師永)?
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→貞円(三川乃国滝山寺)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→女(稲荷女房、三川乃国額田郡比志賀郷)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師春→師兼(初代三河守護、師直猶子) >>509
>>501
というか執事施行状って文書形式という点では鎌倉時代の関東御教書や六波羅御教書と基本的に同じわけだけど
そんなふうに師直だから発案できた画期的なものなのかね? 尊氏に有能なブレーンがいればなあ
頼朝における大江広元や三善康信、家康における本多正信や天海僧正みたいな
妙吉ぐらいしかいないんだもんw 有能なブレーンに丸投げした結果、
そいつらが片っ端から揉めて戦争がおさまらなかったんだけどね 有能なブレーンはいるが問題はトップが
頼朝や家康みたいな能力がなかった >>521
んな事はないよ
自分でやってる時はぐちゃぐちゃな状況を見事に立て直してるよ
それも何度も
でもあの人はちょっと落ち着いたらすぐに放り投げるんだよ
それができなくなった晩年を除いて それ以前の武家政権のモデルケースが鎌倉幕府しかないのだから仕方ない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています