近衛前久と細川藤孝と太夫のシーンがあったが
現代において近衛家と細川家が強い結びつきになろうとは、この当時の2人は知るよしも無かった〜

昭和時代、戦前に首相を3度つとめた近衛文麿(近衛家30代当主)
日本の敗戦により近衛文麿は、東京都杉並区の自宅「荻外荘」で服毒自殺。
GHQからA級戦犯として指名され、拘束される前日か当日のことだった。

近衛文麿の長男は戦地へ出征したまま帰国すること無く病死し
次男は戦後に東大教授になり、2012年に他界するまで荻外荘に住んでいたが子は無し。
主なき荻外荘は杉並区が30億円以上で買い取り保全、2016年に国の史跡に。

近衛文麿の娘が細川家に嫁いでいて、その娘の子で細川家の次男が近衛家の養子となって現当主を務めている。
長男は細川家の当主で平成に総理を務めた細川護熙。2人とも近衛文麿の孫(娘の子)
で、この細川家は藤孝の末裔。

藤孝の嫡男と結婚した明智光秀の娘=細川ガラシャ(洗礼名)
現代の細川家当主に明智の血も入っているのかと思ったが、繋がっていなかった。
ガラシャの血を引く本流は途中で跡継ぎが途切れ、支流から養子を得て繋げた。もちろん藤孝の血筋。