【1991年 大河ドラマ】太平記part.56
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【1991年 大河ドラマ】太平記part.55
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いや当時は叩かれていたよ
松平健の予定だったけど
暴れん坊将軍を休むわけにはいかずに断られた
武田信玄は出家してもつるっぱげにせずに髪の毛があった 中井の信玄が叩かれてたのって序盤だけじゃなかったっけ?
後半はそんなに叩かれてなかった記憶 だいたい日蓮と高師直が手を組んだら史上最凶のコンビだろ >>830
頼綱はまさに暗殺が奉公始めだったんだよな
得宗のために執権を殺す
まさに未来の内菅領に相応しいデビューだった >>814
そもそも
義満って阿漕な謀略家で好色三昧だから
聖人君主のイメージはない 貴一は信玄とイメージ違いすぎるから随分ブーブー言われたな
しかし大河主役ってなんでこの人がやらないんだ思う人結構いるな
子供ながらに不思議に思ったのは役所広司と松たか子
三田佳子や西田敏行は何度もやってさ 役所広司って色々と残念な役者人生だよなあ
明らかに役の選び方が下手くそ
有名なラストサムライを蹴った話もそうだけど
本人がそういうのが好きかのかどうか知らんがしょぼくれた男が多すぎるのもねえ
評価が高いのはもっと豪快なカッコつけた役なのに
全体からするとそういうのは少ない >>794
それ、わたしも同じ事思い出しましたw
BSの再放送は4Kのみになってしまい残念〜 真田広之も残念じゃないかい
もっと色々できたろうに >>840
松ケンが信玄で中井は謙信の予定だった?
松ケンは草燃えるの義時みたいなら見たかったけど、どうだったかねえ
結果的に中井で良かったかもね >>850
民放で家康役もやってるんだから
あとは頼朝役もやっていれば…… >>848
豪快だけど豚の糞詰められて土左衛門とか一風変わった役が多いよな。
もう歳が歳だけに今更大河主役は難しいか… 義満って一休さんの「これ、一休」のイメージしかない。
当時山田俊司こと現キートン山田。
序盤に秀念さんが「噂によると将軍様は人を殺すことなどなんとも思わないほどの恐ろしいお方」と言ってるが。 >>847
堤真一は西郷どんを断ったんだっけ
真田広之の元付き人だからある意味リアル師直? >>848
「いだてん」で実質的な主役やってたな
嘉納治五郎物語でよかった >>805
上皇后美智子様は新田氏(郷戸氏)の末裔であらせられるので、
なので帝をお守りするためにあの場にいらっしゃると、どこかで真面目に語られていた。
ちなみに、昭憲皇太后の母方も脇屋義助の子孫だったりする。 いだてんは役所が強すぎてカンクローもサダヲも空気だったw >>863
いだてんの役所は良かったね
でも主役は別人で、脚本家が本当に描きたかったのは志ん生っていう
企画時点でもうちょっと考えとけって言いたくなるミスマッチ
ああいう押しの強い豪快な役向きなんだよ
90年代以前の三匹が斬るとか、信長とか武蔵とか見ても
何故か、疲れ切った中年サラリーマンがやる気出す
みたいな仕事ばかりやってたけど モロボシ・ダンもウルトラアイを使わず、カプセル怪獣も使わずよく仕えた >>755
佳代さんは、登子の侍女
尊氏の侍女ではないから >>868
え、そうなの?
どの人かさっぱり分からないや。 48回「果てしなき戦い」の録画見た
面白い回だった 役所広司
シャルウイダンスと失楽園、ヤクザか軍人のイメージ >>856
1984年に準大河の宮本武蔵やってるが。前年の信長も好評だった(と思う)。 >>848
阿南陸将や山本五十六や島田新左衛門
海外ではシルクとか良い役やってんぞ
無名塾出たての時から
仲代の助言もありTVドラマより映画を重視しているからな >>873
どの役もうじうじ悩んでる奴やね
そういうのが好きなのか知らんが合ってないと思う
日本の映画がそんな訳ばかりなんだろうが >>876
やくどころひろし、なんて芸名つけるくらいだから
どんな役でも演じられるんだよ 北条義時も子孫である尊氏が征夷大将軍になって嬉しいだろう
得宗専制すばらしいよ 義時なんて将軍側近の比企討ってすぐ頼家を実朝にすげ替えてたからな
しかも頼家死んだとか嘘ついてさw
直義はやっぱ優しすぎるわお坊ちゃん気質なんかね
武士なんて強いものに従う生き物だから強さ見せんとあかんよ >>882
判官と言えば義経
判官殿と言えば導誉なり 室町幕府のグダグダ無能ぶりを見ると
鎌倉幕府を引き継いだ三条殿体制の方が
実はまともな政治体制だったりして 理想としては良かったんだろうけど現実的には破綻してるんだから駄目なんだろう 当時の常盤貴子すげー美人なのになぜ天地人まで大河出演がなかったのか
って思ったけど民放ドラマで忙しすぎたのかもね 90年代人気絶頂だったが、ぶっちゃけ宮沢りえ(どこぞの白拍子)より常盤貴子(侍女)の方が好みだった
多くの若者(学生や社会人)は、常盤貴子のような人を彼女にしたいと思っていたはず >>886
この後悪魔のkiss、大殿との共演は数年後のタブロイド。 悪魔のkissで丸出しにしてたな
その後大ブレイクしたからか再放送もソフト化もされていないという
>>884
よく耳にするたらればで兄直義弟尊氏だったらてのがあるけどどうなんだろうな >>884
その鎌倉幕府だってグダグダになって崩壊したわけで
そういう時代だったとしか言いようがないな
統制に成功するまでには豊臣徳川までかかった
豊臣にしても統制するために外征を必要としたし
徳川に至っては経済を徹底的に締め付けて250年間の経済停滞を引き起こした
室町時代の人口増加と経済発展を思えば、
乱れまくっていてもそっちの方が日本全体にとっては正解だったのかもしれんよ >>890
ヨーロッパもだが中世とはそういう物なんだろうな >>890
ヨーロッパもだが中世とはそういう物なんだろうな いや後醍醐がいなきゃそのまま鎌倉幕府続いてた言われてるぞ
奥州で安東氏が反乱起こしたぐらいで後は普通だった
どっちかというと釜の蓋を開けてgdgdになったという感じ どうだろう
利益を分配出来なくなってるから不満の種はそこらじゅうにあっただろうしな ただ北条氏を排除した形での鎌倉幕府の継続というのも有り得たかもしれないね 今のミャンマーのアウンサンスーチーが建武の新政に失敗した後醍醐天皇と重なって見える 楠木正成の姉妹が観阿弥の妻であり世阿弥の母であるっいぇのは有力な説なんだってな。
完全に架空キャラだと思って甘く見てたわ。ゴメンな樋口可南子 >>871
役所は徳川家康の信長やろう!あれで一躍有名になってNHKで続けて武蔵 >>894
内管領を排し合議制の復活ならワンチャン いよいよあさって最終回「尊氏の死」放送か
DVDで何回も見てるから新鮮味はないけど 判官びいき
1.太平記での推しキャラが佐々木道誉
2.足利尊氏(高氏)
3.判官殿の好んだ諸事芸術 申楽一座、立花、闘茶など >>906
第一回から最終回まで、判官殿は何回
「ハハハハ〜〜ッ!(* ゚∀゚」
と高笑いしたか、誰か数えてくれないかな。 >>908
ちょっと調べたら数えてる人が実際にいるのすぐ分かるだろうに
こういう人って実際は何回あるかなんて全く興味ないんだろうな >>876
日本映画は悩んでばかりが多いって・・・・
日本映画あまり観た事ないだろ? 湊川に繰り広げられた楠木軍の阿修羅の奮戦。さしもの正成も“敗者復活”の足利軍に制圧された。正成の死は、後醍醐方の大堤防の決壊に等しかった。浮き足立つ新田義貞軍、帝(みかど)のあわただしい吉野ごもり。その後の楠木正行、北畠顕家の悲劇。しかし尊氏も、都にわが世の春を謳うとは見えなかった。一族の内紛?勝者の悲哀?彼は何を感じていたか。終章「黒白問答」が、その解答である。 >>793
といっても側近自身が都を捨てれば価値は下がってしまうと認める程度の物だったらしいが この1年で最も熱心に見た。半沢より熱中して見たな。
全部録画で月曜あたりに見たが、明日だけはできれば放映時に見たいもの 心に残る名セリフを偲びましょう。
「こりゃ、足利、こりゃ!」 犬でも猫でもあるまいに、己の生んだ子を忘れるやつがあるか
これは太守からの警告だったんだ
ちゃんと繋がってるんだな 高氏と藤夜叉のSMプレイがカットされたのは残念だったな 初回の
貞氏「ならば師氏、我らはいつになったら北条と戦える。戦うには味方がいる。
味方となるべき源氏の一党を見殺しにして、我らはいつになったら北条を倒せる!」「無念とは思わんか・・・・」
開始当時の本編予告でもちょっとあったシーン、こういう流れだったのか。 30年前、センター試験1ヶ月前なのにじっくり見た記憶がある。
クラスのみんなも見てたけど。右馬助が人気だった。最後殺されちゃうのが・・ 終盤のカオス状況見たら鎌倉幕府でよかったやんと思うよな ダメだこりゃ。ストーリー忘れてたらマジにスレ見ると損しかねーな
ウマ之助死ぬのかよ >>923
石がフェードアウトしなければ死ななかったかもだけど。
しかし死んだ後の尊氏本陣の反応を思うと、今から切ない >>924
世の中の構造が変化してるから何も変わらずそのままではいられなかった
この混乱があってやがて近世に至るわけだから 右馬助はその死に方まで話を転がすために便利に使われすぎた気がするな 右馬介が一発変換で出ないんだよなあw左馬助は出るんだけどw 石なんかどうでもいいんだよ。
ストロング金剛さんとミスターオクレさんに最後壮絶な見せ場を与えて退場させてもらいたかった。 >>878
正成像も皇居前にあるしな。
元は三井が押し付けたらしいけど。 前NHK BSの番組で北条時宗がもっと長く生きてたら
鎌倉幕府が続いてそのまま戦国時代に行ったかもしれん言われてたな
理屈は知らん >>933
三河システムを知らんから、間抜けな事を言う
北条は三河システムの長でない以上、排除されて当たり前
承久の乱の時に政子の檄文を読み上げたのは三河武士の安達景盛 
三河縁故の武士が、裏でガッチリタッグを組んでいた
北条が乗り越えられなかったのは、頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)  
男系、女系共に源頼朝に近い足利氏が使命感をもって、武家社会を源頼朝の三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)に戻したのさ 
その三河システムの存在は政子ちゃんは周知の事だ  
頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった 
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成) 
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する 
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する 
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する 
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める 
・源実朝 
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝 
葛山景倫(願性) 
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性) 
・安達景盛 
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?) 
・足利義氏 
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護)  >>924
大殿「北条(当時の鎌倉)は平氏、我らは源氏。夢ゆめ北条(平氏)の犬には成り下がらぬ」
鎌倉幕府を作ったのは清和源氏の頼朝、ゆえに大殿は平氏から源氏政権を取り戻した
その後は、源朝臣じゃないとという流れも作った
(神君も将軍宣下のとき源家康) 太平記つながりで真田太平記も見たいが大河じゃないからこの枠では無理だよな レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。