【1991年 大河ドラマ】太平記part.56
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前スレ
【1991年 大河ドラマ】太平記part.55
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1612022870/ >>973
あれは武田鉄矢のアドリブのようだ。
しかし、幼子を託して死ななければならない無念と悲哀が溢れる名シーンには違いない。 放送当時は幕府滅ぼすまでがメインだと思って
後半はあまり見てなかったけど、こうやって全話
通して見たら、幕府滅ぼしてからが本番なんだよなあ 結局、敵対した人間の中で桃井だけが尊氏から、屑カス認定されたまま終わった。
基本的に善人か、信念ある悪役しかいないこのドラマとしては唯一か。 このドラマに出てた鎌倉南北朝時代の武士の名族で、幕末に近世大名で生き残ってたのって、
喜連川になった足利と山名が小大名になって、細川、上杉が支族のそれも実質、家系が入れ替わった家だけかな。
前北条、畠山、北畠、今川、斯波、新田、楠、赤松、名和、長崎、吉良、佐々木。
高家や旗本で残った家はあるだろうけど。 岩松が120石→男爵かな。大名じゃないが。
当代で断絶するようなんだが。
秀吉の小田原征伐、もしくは家康の関東入封で判断を誤った家が多い。 ドラマだと右馬介の命懸けの説得で直冬が撤退したようにみえるけど実際はどうだったの >>980
次スレよろしく
当時存在感ゼロだった本木が30年後大トメを張る俳優に成長するとはな >>980
次スレ立てる時>>966のように一部変更してほしい >>986
正確には不明。
古典では直冬は一月ほど戦うが戦況は膠着し、石清水八幡宮で占ったところ「親である将軍を敵にしているので願いは聞けない」
と神託があり、集まった兵は離反してしまう。これで直冬は撤退。
現実にこうだったとも思えないので、補給が続かなくなったとも見られる。
当時の人々からみても、「不思議な撤退」だったらしく、それでこういう創作になったらしい。なお、本来はましらの石が説得するはずだったようだが。
この戦で都は荒れ果てる。ドラマの余韻をぶっとばせば、そこで佐々木道誉が師直兄弟ばりに横暴に振る舞い、
諸国の珍味をあつめ、財宝を集め、茶の湯に明け暮れる。
そんな中で尊氏は、九州征伐を考えていたが叶わずに死ぬ。 >>989
不思議な撤退かなるほどねー
色々と想像を掻き立てられるね
教えてくれてありがとう >>986
(突然で失礼します。初めて書き込みます)
史実でも父への未練が断ち切れず、迷いを断つ為に、合戦継続の吉凶を八幡の神に尋ねたりしてたら、
味方の武将が「こんな覚悟では尊氏は撃てない」
と、国に兵を引き上げてしまい、直冬も合戦継続を諦め、戦場を離れた
と、戦国武将列伝というサイトにのってました。 歴代大河をあつかった新書(だったかな?)
尊氏は、女性的な気質がある
陰では、自分の決断が正しかったか悩んでそう
そのイメージでは真田さんがあってる
みたいな記述あったな
武田さんの正成は苦情がきたとも >>992
古典太平記によると、
(ドラマと同じで)義詮、仁木の軍勢に敗れるが直冬軍はまだ五万。
ただ、膠着状態にもう一戦するか意見が割れており、石清水八幡宮の神託を仰ぐことにした。
ところが「石清水は「親守りの神」なので、親(尊氏)に敵対している直冬の願いは聞けない」との神託が下る。
つまり、相談さえ受け入れてもらえなかった。
これを聞いて「佐殿を大将としている限り将軍には勝てない」と諸国の兵は帰国してしまった。
多分、そのサイトは古典太平記(巻33)のこのあたりを参照にしてるんでしょう。
実際、直冬も諸大名も「将軍」(直冬には父)を敵にするに躊躇があったのは確かなようだし。 >>994
プライベート文書でなぜだかひらがな多様する尊氏w
苦情というとショーケンの義貞も…… >>983
喜連川も山名も小大名でなく旗本ですよ。赤松は分家有馬が大名家をふたつ出してます。あとは別の人も触れてたが京極。 太平記を見ると、その後のドラマも見たくなる。足利義満による南北統一、足利義教VS足利持氏。 このスレッドは1000を超えました。
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