10年くらい前だったか、会津若松市の観光案内見ようとして市のホームページ見たんだよ。
そしたらさ、現在の会津若松市よりも詳しいくらいに幕末の会津を紹介していて、青森の
下北半島に移住させられた会津藩士とその家族の悲惨さと苦労を、本当に悲しんでいるんだよ。
生き別れた我が子の身の上を案じる母親のような書きぶりなんだよ。

翻って下北半島の陸奥市のホームページでは、会津藩士の斗南藩の扱いは、親はなくとも子は育つ、
みたいな至極あっさりした紹介だったような気がする。ただ、下北半島を訪ねた時、船が
上陸した大湊港に記念碑が立っていて、会津藩士と家族の苦難が語られていた。
(10年以上前の記憶だから、間違っているかもしれないし、ホームページも改変されたかも
しれない。)

会津若松市では、白虎隊の悲劇も悲しい。これは日本人だけでなく、イタリアのムッソリーニも
心を動かされ、彼は何とベスビオス火山の噴火で埋没したポンペイの遺跡から、神殿の大理石の柱を
軍艦で運び、白虎隊の慰霊碑を建てた。戦後進駐軍が来て、軍国主義として文言を削ってしまったが、
石がローマ時代の神殿の柱だと知って、価値を認め柱は撤去しなかった。

母が観光に行ってこの話を聞いて驚き、帰ってきてその話をしたんだよ。フーンって聞いたんだけど、
自分が実際にポンペイに行って観光した時、現地の日本人ガイドさんにその話をしたら、
ガイドさんは「ポンペイの遺跡はイタリアばかりでなく世界の遺跡といってもいいような
宝だから、たとえ首相といえども海外へ贈るなんてことはできないと思う」と否定的だった。
それで会津若松市の観光課に確認の手紙を書いたんだけど、「会津若松市史」のような文献の
コピーを送ってくれて、聞いた通りの写真と説明があった。

ムッソリーニが白虎隊の悲劇に涙して慰霊碑のために文化財の柱を軍艦で運んでくれた、
この話はもっと知られてもいい話だと思う。会津若松市とローマは姉妹都市になってもいいよね。
ムッソリーニさん、ありがとう。