【2021年大河ドラマ】青天を衝け PART45
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【放送】2021年2月14日〜
【主演】吉沢亮
【脚本】大森美香
【制作統括】菓子 浩 福岡利武
【音楽】佐藤直紀
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【2021年大河ドラマ】青天を衝け PART44
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1621763205/ 天狗党は妻子皆殺しにしたのが重要な訳だからそこを上手く演出して欲しいわな
武士が潔く死を待つのではなく命乞いして泣き叫ぶ中での処刑の狂気を表現するべき 井上馨は白人の血を混ぜて大和民族を欧化させようと考えていたイカレポンチ >>346
武士として円四郎を守れなかった悔しさもあるだろうね >>229
久光の幕府への献策が採用されたことに伴う役職だから、
今でいうレンタル移籍みたいなものじゃないのかな?
100人扶持っていうのも、業務のための人件費を支給されたようなものかも。
江戸時代までの俸禄って、給料と仕事の費用が込み込みなってたから。 >>325
「どうして どうして僕たちは
出逢ってしまったのだろう」
と円四郎の亡骸をこわれるほど抱きしめるんだな >>218
栄一がちょいと薩摩に潜入するだけで斬られる心配をしなきゃならんのに、
折田先生が一橋に主替えしたら、怒る薩摩っぽが出てきてもおかしくないって話なのよな。
折田のヘッドハンティングについては平岡の死後に渋沢が語っていることであるから
何かしら話が誇張されているような気がしないでもないよね。 >>326
>>327
失せろよ、リョナ爺
>>335
>>342
黙っとれ、リョナ爺
>>344
うっせーわ、リョナ爺 >>361
当主同士は親子や兄弟だけど、水戸の過激な攘夷派家臣が、
「君側の奸である平岡が慶喜を唆して攘夷を妨害している」と思い込んで暗殺した。
二・二六事件と同じような構図だと思う。 >>122
駆け足で最終回近辺でざっとやると思う
震災ネタもその救済も今の時代に通じるテーマだからね
この大河のテンポの速さなら1〜2回で十分できる >>356
ガイド本だと家の中に亡骸を入れてから
慶喜と対面するんだけど予告では雨の中で円四郎の亡骸と会うんだな >>224
栄一本人はそんなこと言ってないよ
栄一の死後に書かれた渋沢栄一伝で幸田露伴が折田だけ出世してないとそう評価して書いただけだ
>>357
渋谷直武の語る折田も栄一の語るのと似たような人物 >>357
慶喜が折田を引き抜こうと思ってたってだけで薩摩側は一切知らない話だからな
小松に豚肉ねだったのと同じ年だし慶喜は薩摩側の事情を考えず欲しいものは欲しいって性格なだけでしょ
ただ斉彬の正室を始め島津家の嫁は代々一橋家の姫が多いので両家の関係は意外に近い >>365
雨の中や雪の中のシーン多いなこの大河
予告の慶喜のどうして、、のところも楽しみだが
その前の慶喜が円四郎に心のうちを打ち明ける
シーンも楽しみだ
円四郎が未来永劫仕えると言った直後に
円四郎は暗殺されてしまう >>368
演出の村橋直樹氏は「(悲壮感を出すため)ついつい雨や雪を降らせてしまうことが多い」と明かす。 今日で円四郎とお別れか…
栄一にとってあまりにも抜群のタイミングで一橋家(武士)に引き抜いてくれて、史実とはいえ、そのタイミングのよさが凄いなと思う 平岡にとってもタイミング良いといえる
平岡円四郎について書いてるのは栄一著の慶喜伝と幸田露伴著の栄一伝くらいということだし
あのタイミングで栄一を一橋に入れてなかったら名前残らなかった可能性大 >>361
薩摩側が平岡殺そうとしてる演出だけど実行犯は水戸藩士だそうだから
上で>>321 が薩摩藩がやったように言ってるからあれ?と思って 平岡円四郎の暗殺実行したのは水戸藩士だね前年に中根長十郎が攘夷派に暗殺されてるが
慶喜が攘夷をしないのも開国・公武合体を慶喜に説いた中根と平岡のせいだと思われていた
その次に暗殺された原市之進の暗殺者は幕臣で高橋泥舟と山岡鉄舟の門人だった
すべて烈公と藤田東湖からだよな青天で丁寧に二人を描いたのもそれでだろう
西郷は藤田東湖に心酔してた >>366
折田は明治以降は中央とすこし距離を置いたんでしょ。
自ら発起人となり建立した楠公を祀る神社の宮司となったが、位階は殿上人ではない正六位にとどまってる。
話のあった官幣大社の宮司を引き受けていれば、従五位にはなるわな。
湊川神社には過去の来訪者の記録が残されているけど、かなりの要人が折田に会いに来ているそうだ。
ニコライ二世来訪の理由はちょっと知りたいけどねw 実行犯が誰かじゃなくて薩摩が関わってたかどうかって話でしょ
西郷の「先が見えすぎる人は非業の死をとげる」は竜馬の暗殺もやりそうな雰囲気 >>375
幸田露伴著『渋沢栄一伝』(昭14)P88
差当つて此の内空しくして外飾るところの折田を重用するに至らしめなかつたのは、栄一の功であった。
後に薩州の士は多く要路に立つに至つたのに、折田は湊川神社社司たるに止まつたといふから、
其実際が然程実務的の人物では無かつたことは推測される。
渋谷直武の証言でも折田は「随分大法螺吹きの人」と評され青天でも描かれたが西郷と喧嘩したとか
描かれなかったが三島らも折田に制裁したというのは薩摩藩士の間に反発あったというのは伺える
隠密栄一は当時のそのままを平岡に報告しただけじゃないかな 留学の仲間に高松凌雲を出せば、明治以降の日本の救済医療の発展も描けるのに >>377
折田が自分を大きく見せる質の人であったことはほぼ間違いのないことだろうが、
それがゆえに大して出世しなかったというのは結果論過ぎてアレだね。 >>378
函館戦争にもでるんだろう敵味方関係なく治療
五稜郭の風間杜夫もやってたけど >>376
それは西郷が大好きだった橋本左内と円四郎を重ねて忠告してるだけで既に川路が水戸過激派の動きを察していた。円四郎黒幕説は全国的に広まってた。大久保も久光にその噂を伝えただけ。むしろ大久保はこの流れに乗って戦争する準備に取り掛かる。頭脳戦。 >>381
キャスト決定のとこに説明出てたしやるだろね
一橋家の軍制所に勤める医師であったが、慶喜が将軍を継承したことで、幕府の奥医師となる。昭武のお付き医師として、栄一らとともにパリ万博へ随行。そのまま留学生としてフランス医学を学んで帰国。旧幕府軍と新政府軍が戦った箱館にて、敵味方の区別なく治療にあたる。 栄一の平岡評を西郷に言わせてるんだよね
この人は全く以て一を聞いて十を知るといふ質で、客が来ると其顔色を見た丈けでも早や、何の用事で来たのか、
チヤンと察するほどのものであつた。然し、斯る性質の人は、余りに前途が見え過ぎて、兎角他人のさき回りばかりを為すことになるから、
自然、他人に嫌はれ、往々にして非業の最期を遂げたりなぞ致すものである。
折角一橋へ足を留めたけれども、未だ仕官して間もない中に、頼みに思ふ人が暗殺に逢ふて死むだといふは、
偖も心細い不運の境涯であると、幾たびか歎息して居た >>338
私も八重は涙しながら前半みた
だからどうしても慶喜を斜めに見ちゃうをだよなぁ 今日は円四郎が心配で眠れなかった… (´;ω;`) >>382
幸田露伴は御三家の殿様に請われて軍艦や大砲の講義をしたり
のちに元老となったトップ貴族のサポートをして戊辰戦争を戦った経験がないだろって話だな。
まあヘッドハンティングの話が本当であるとすれば
薩摩藩邸内で立場を悪くしていた折田の側から一橋に打診があったと考えるのが妥当なんだけど
その場合、様子を見に来た栄一を下にも置かない扱いで迎えるよねえ… >>388
違う
栄一は隠密として潜入してる川村の知人の紹介かなんかで
公式Twitterの青天ナビにもあるがそういうことをしてたのは薩摩相手だけでないから
【#青天ナビ】
一橋家に仕えた篤太夫は、有志を訪ねまわり、諸藩の動きを探る活動を行っていました。
その一人が #西郷吉之助。篤太夫はなぜか西郷に気に入られ、時には鹿児島名物の豚鍋を作るから
一緒に食べないかと誘われたそう。豚鍋は三度ほどごちそうになった、と記録にあります。 まあ不平士族の反乱は佐賀の乱や西南の役みたいな武力闘争から
板垣の自由民権運動みたいなスタイルに形を変えてゆくわけですがね。
折田がどのようなスタンスで中央と向き合っていたかは折田日記でも読まないと判らないわな。 >>390
>栄一は隠密として潜入してる川村の知人の紹介かなんかで
>公式Twitterの青天ナビにもあるがそういうことをしてたのは薩摩相手だけでないから
だからなんなの?折田の人となりについて栄一が平岡に報告して
ヘッドハンティングが取りやめになったこと自体は渋沢が後年語っている事実?なわけでしょ。 >>387
今日は前半の大きな山だな
過去にも堤真一は6回大河出てるから見てみるといいよ
不人気大河ではあるが準主役もやってるし >>393
武蔵よりも伊藤リオンのが強かったわけだ >>392
>>388みたいな折田から言ってきたというものではないだろうということ
栄一はそんな風には語っていないんだからね
評価が不満らしいけどしつこいからもうこれで終わりにして 堤は翔ぶの後半に出てきた八郎太の青臭い若者の演技もはまってたんだよなあ
繚乱の郡兵衛以降はどこかコミカルな町人的な雰囲気を持った役になってる
準主役の本位田の時はコントで息抜きだったけど少し軽すぎたかな
それでも主役の話より面白かったわけだが >>394
直虎の時に弥助弥助言われてのを思い出した >>395
>・>>388みたいな折田から言ってきたというものではないだろうということ
>栄一はそんな風には語っていないんだからね
折田が打診するとしたら、栄一みたいな下っ端を相手に選ばないでしょうに。
>評価が不満らしいけど
おれは折田要蔵とは縁もゆかりもない人間なんで、彼の評価がどうなろうとどうでも構わんよ。
ただ妥当性の高い思考をしているだけの話だ。
>しつこいからもうこれで終わりにして
頑迷固陋に意見を変えない自分の問題を人に擦り付けてこないように。
「しつこい」とか「終わりにして」とか、ヒステリー女でもあるまいに。 海老ムサシは前半が雑すぎ
吉岡に負けて山に籠ってウォー!!と叫んでたら突然強くなって胤舜を倒して吉岡兄弟も倒す展開には視聴者置いてきぼり。 >>397
弥助は十人力って言われてたらしいね。黄金海岸出身の黒人はやっぱハンパないっすわ >>398
自分の妄想押し付けってそっちじゃないの
自分の理想の答え以外認めませんという人か
折田については大河で描かれてたことしか言ってないよ
それ以上もそれ以下もない >>401
おれのレスが不満らしいけどしつこいからもうこれで終わりにして >>400
一対一の対決なら信長でも裸足で逃げ出すくらいの強さだったかもね
しかし六本木事件の海老蔵は武蔵と言うか又八っぽくて笑った
あれで海老蔵の株が暴落して震災後も西日本に真央と共に水を買い占めたのスクープされたりしてたなあ 大河ブランク長いとやたら老けて見えたりイメージと違ってたりするけど今回の堤はあまりそんな感じしなかった
西郷どんの渡辺謙なんかは病気とかもあったけどかなり老けてた記憶ある 堤真一は西宮市出身らしいけど関西商人的な役も見たい。
でも江戸っ子的な感じの役が続いてるからいまいちイメージが沸かない。 大久保が久光に円四郎のこと話してたけど何て言ってるのか所々聞き取れないんだよな
一橋にやりこめられたのは円四郎がいるせいです
みたいなことだろうけど 本位田は美作出身だから本来は関西弁寄りの筈なんだけどね
序盤は現代言葉が目立ってたな
商人として生きてきた頃は江戸っ子っぽい今回の円四郎みたいな台詞回しになってたが >>405
朝ドラのマッサンでサントリーの社長役をしてるよ 水戸の暴走の背後に外様が空手形でも渡していた事実でもあれば、とても恐ろしい話ではあるけど
なにぶん証拠めいたものは何一つ残っていないのでね。
あくまで当時の円四郎の巨きさを表す演出として見るべきではないかと 北大路欣也のパートマジでいらん
後ろの黒子も気持ち悪すぎる
普通にナレーションだけですませろきしょい >>383
だよね
栄一たちが京に来た時に攘夷派浪士に平岡の悪口言わせてるし
西郷のセリフはどう考えても斉彬存命時に平岡と仕事したの懐かしがって忠告してくれてるだけだし
大久保は一橋に勝てないから一旦国に戻ろうって言ってるだけだし >>410
疑い出すと切がないんだよね、一橋家も円四郎や原さんみたいに元攘夷派居るだろうし
円四郎の出世を妬んで居場所の情報流したりとかさ 慶喜が出てた他の大河を見てない(もしくは印象に残ってない)から
青天の慶喜に説得力がありすぎて、二心殿って評価が
関わりを絶たれた側の目線でしかないんじゃねって思えてくる 二心殿って出典どこで誰がつけたあだ名なんだろ
会津が変節病って言ってるのは山川の著書でみつけたけど
薩摩から見るといつも拒絶されてるから態度一貫してるし ていは将来、「昔十分な教育受けられなかった」って思うんだろうか…?
で、働きながら学問にいそしむとか。 自己レス
二心殿の出典がどこかいろいろぐぐったけど史料みつからず
Google Booksでは司馬遼太郎の本の中に江戸の旗本が慶喜を二心殿と呼んでたと
書いてあるもの以外ヒットなし 慶喜と栄一は離れてしまいますが慶喜のこと思い出して伝記を書くことになるとか
慶喜に気持ちが戻っていくのをどう描くかみたいなインタあるけど
どの時期のことか分からなくて慶喜が死んだ後?とか思ってしまうわ >>415
第二長州討伐で
毛利大膳父子は君父の讐なり。此度おのれ出馬するからは、
たとい千騎が一騎になるとも、山口城まで進入して戦を決する覚悟なり。
その方共も余と同じ決心ならば随従すべし。その覚悟なきにおいては随従に及ばず」(『徳川慶喜公伝』第二十二章)
と発言したけれど、前線が負けたら会津や天皇が反対しても兵を引いてるので
会津の見解では、同じ事を大阪城でもやったから変節する二心殿なんじゃないかな
逆にいうと判断が早いと言えるかも 新撰組と八重の桜の時の慶喜は完全に二心殿というイメージそのままだったな >>411
進撃の巨人のヴィリータイバーの始祖の巨人簒奪者エレン・イェーガー断崖の演説が
黒子が人形とか使って歴史を説明するやり方
明らかに進撃の巨人の影響受けてると思うんだよな そば屋にて
慶喜「おやじ、ざるそばおくれ」
円四郎「殿、京ではにしんそばが名物ですぜ」
慶喜「そうか。おやじ、やっぱりにしんそばにしてくれ」
店のおやじ「お客さん、ざるそばやゆうたやおへんか。もう作りはじめてしもうたのに」
こうして注文をころころ変える慶喜はにしん殿と呼ばれるようになった 方針をがらっと変えるのは栄一も同じで、その時点で正しい方向に考えを変えられるともいえる
ついてく方から見たら二心に見えても仕方ないけど
慶喜は下につく人間が多いから苦労が多かったんだろうなと
青天のプロットに染まりすぎかな?でも説得力あるよね 進撃の巨人の影響w
演劇的な演出だと思うけどな
むしろ古典 >>424
葵の光圀とかもね
独立した解説コーナーは
徳川慶喜なんかは初回に大原麗子が挨拶するシーンはあったけど独立した解説コーナーはなかった
ナレーションがアバンタイトルで解説するのはいくらでもあるけど >>424
さればでござる
良かったよね
流石のジェームス三木 >>430
滑舌が良くて当時の言葉と現代の世相を交えた明朗なナレーションだった 北大路家康というと江だけどあの世界と繋がってたらやだなw 一般的には二心殿はここから
1864年2月参豫会議
慶喜・久光・春嶽・宗城「開国論」
数日後
慶喜「横浜鎖港」VS久光・春嶽・宗城「開国論」(参豫会議の分裂)
慶喜の言い分
本音は開国だが幕府は将軍再上洛の前に御前会議で薩州の開港説には従うまいと決めてきた
「国を開くという薩州の議論は誠に当然なんだ。しかるにその当然なのを、こっちは横に是非鎖港をやるのは甚だどうも。
(鎖港を)真実やる積りなら、それはまた悪くともとにかくだが、前かたは長州のお陰で、こんな攘夷だの鎖港だのができた」
「今度はまたそれを止めるとなっては、ただ人に愚弄されるのだ。こういうところから、
後はとにかく、まず聴いてはいかんといようなわけだ、どうもしかたがない」
渋沢栄一:編、大久保利謙:校訂『徳川慶喜公回想談 昔夢会​筆記』 大河「青天を衝け」、注目の場面登場 草gさんに意図を伝えず…演出の村橋氏「手応えは想像以上」
ttps://www.saitama-np.co.jp/news/2021/05/30/09.html
埼玉新聞に今回の記事が出てた
「堤さんとは予期せぬ出来事をどう演じるかなど話し合った」
「草gさんにはあえて台本の意図を伝えなかった」「狙って技術的に組み立てたものではなく、形を超えて演技をする方なので、手応えは想像以上」 >>426
よく学者のセンセがそういうこと言うけど問題はそこじゃないんだよなあ
乱暴に例えると小型車に乗りなれてる奴が無免許で大型トラック運転して住宅街の細い道を急カーブしながら押し通ろうとする感じ
進んでる方向が正しいかどうかを問題にしてるんじゃなく、でかい図体で方向転換すると周囲巻き込んで大惨事になるから皆がやめろと言う >>413
「言った言わない」なんてのは、それこそ不倫関係にある男女間のトラブルにもあることでしてね。
それこそ確信犯的に事件を誘発させようなんて輩が、むざむざ証拠を残すはずが無いんですわなあ… 「”又やん”、別れは辛過ぎる。俺は私生活でもそれを味わわされたし…」
と思う、市川海老蔵(元・新之助) >>426
慶喜も家臣に情の厚い人だったというほっこりエピソードや
青天では慶喜なりの事情があったと描くのは当然に思える >>414
新しい慶喜像を書くのに成功しているよね
尺は短いのに説得力があるし
まあ水戸から将軍になり京で丁々発止やって
た人だからそれなりの人ではあるんだろう >>438
あの時亜矢は武蔵を殺しに来てたわけだが又やんはとばっちり的に庇って殺された感じだった
武蔵の暗殺に来たけどたまたま武蔵が外に出ていて又やんとお通が狙われる
武蔵の居場所は何処かと聞かれるが答えずに最後はお通を庇い笑いながら死んでいく
友の武蔵の胸に抱かれ駄目人間から脱却して成長した又やんが見れた
最終回直前だったからロスは殆どなかったけど今回の円四郎はロスが大きそう 水戸自体が一枚岩何それ美味しいのの世界だからな
方々で内紛が頻発していた幕末でも、水戸だけはレベルが一段も二段も上。
天狗党、特に栃木以降は完全にタガが外れてて
家老が幕府とつるんで当主名代をぶち殺したり
双方で下々のレベルまで一族皆殺しの報復合戦を展開したりだから
晩年の藤田東湖は相当に柔軟になってて、
元々水戸斉昭自体が政争からの擁立失脚また擁立を繰り返してるから
藤田東湖も尖った言動で相手を打ち負かしていた訳だけど
政治的に揉まれて、斉昭の水戸学イデオロギーと現実政治の仲介役みたいな立場に立ってたから
若い橋本左内との交友で開国論に一定の理解を示したり
水戸で政敵だった門閥の結城寅寿の才覚を認めて、
両派の対立がこれ以上決定的にならない様に命まではとられない様に動いていたのも藤田東湖
そもそも、水戸斉昭自身も西洋事情を学んで無謀の攘夷に本心で賛成していた訳ではないから
阿部正弘初め近しい人から見たら、水戸斉昭の攘夷論は
挙国一致の為の理念的スローガンだと言う事が分かってた 武蔵の村もとばっちりだな
剣士として名高い宮本武蔵が作った村に元武士やらが集まって一揆等が起きるのを宗矩が危惧したわけで
ただの農民が作った村なら平穏なままだったろう
今回の慶喜が海老蔵で見てみたいと思うのは俺だけかな
海老蔵は案外慶喜は合いそう 1866年12月
長州処分 慶喜VS四賢侯(久光・春嶽・宗城・容堂)
1868年1月27日〜30日
鳥羽伏見
特に鳥羽伏見では慶喜が江戸へ逃亡したと知った喜作が血涙してるのでそれは… >>444
武蔵の事はとにかく直虎のノリでやったら面白い事になりそう
慶喜は主役じゃなく主役から見た慶喜があの信長ノリなら
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