【2021年大河ドラマ】青天を衝け PART52
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【放送】2021年2月14日〜
【主演】吉沢亮
【脚本】大森美香
【制作統括】菓子 浩 福岡利武
【音楽】佐藤直紀
■公式サイト http://www.nhk.or.jp/seiten/
■ツイッター @nhk_seiten
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【2021年大河ドラマ】青天を衝け PART51
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1623331601/ 57歳にこんな事言うのなんだけど
堤真一はなんか可愛いよね
又八とか郡兵衛もそうだったし今回の円四郎も可愛い部分あったよ 家康なら長州など薩摩の西郷にでもやらせてさっさと討伐させて終わり。
禁門の変の御所を攻撃
長州兵の「玉を捜せ〜!」
はドン引きしたわ
こいつキチガイやろ
家康なら甘い処理はしないし、事後処理も抜かりない。
長門の国を取り上げて毛利は藩主以下全ての家臣から雑兵に至るまで全て斬首する、領民の全ては奴婢の身分 真田は左入の出身かあw
あの辺よく知ってるから感慨深いw >>295
そのくらいで変わるような状況なら幕府続いてたよ
慶喜とか悪魔みたいな政治手腕の男だぞ 毛利と島津の2カ国は多すぎたな。
1カ国にして周りを松平で監視しないと。
日向は松平だったらしいが。 鳥羽伏見の大阪城脱出やるなら残された喜作もしっかり描いて欲しいな 一橋家でも藩札を発行したのが栄一らしさだしこれから楽しみだが
第19回「勘定組頭 渋沢篤太夫」|あらすじ|大河ドラマ「青天を衝け」|NHKオンライン
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/19/
紀行は兵庫県高砂市かな >>304
役と役者を同化させて語るのは別にいいんだけど
ジャニーズとかアイドルとかの話になるとファンとアンチの小競り合いが始まるのが嫌なんだよなあ
山本耕史なんかも大河板にしつこいファンが常駐してて刀剣乱舞が何たらとか腐女子視点で語ってきてウザい >>303
家康は無理なことする男じゃない
だから伊達も上杉も毛利も島津も生き残ったわけで >>308
当時の徳川にそんな力ない
260万石という北条家くらいの領地しかないんだから
毛利や島津を潰すには本能寺直前の織田家くらいの直轄領なきゃ無理 >>211
でも当時と現代ではニュアンスちがうだろ
手紙でふざけて書いたのか?そうじゃないはず
なんでも採用すりゃいいってもんじゃないよ 高崎正風とか見てると藩内の内紛は苛烈な処分しないほうがうまくいく
水戸の攘夷論の本とか見るといまだに戦国時代の話してて時代に適応できてない感じはちょっとある >>311
正直言って吉沢亮ヲタとか若手俳優のヲタもジャニヲタと変わらんと思うけど
見ている限り
他叩きはむしろ若手俳優ヲタの方がエゲツないだろ 栄一が競争入札について説明したら猪飼さんが「入札払いのことか」って言ったけど、そういう言葉が既にあるということは他の品物や地域では行われてたの? 楠木正成を祀る神戸の名社|湊川神社(楠公さん)-神戸市中央区 http://www.minatogawajinja.or.jp/history/
この墓碑の建立によって、正成公の御盛徳は大いに宣揚(せんよう)されるとともに、幕末勤王思想の発展を助け、明治維新への力強い精神的指導力となったのです。
即ち幕末から維新にかけて、頼山陽(らいさんよう)・吉田松陰(よしだしょういん)・真木保臣(まきやすおみ)・三条実美(さんじょうさねとみ)・坂本龍馬(さかもとりょうま)・
高杉晋作(たかすぎしんさく)・西郷隆盛(さいごうたかもり)・大久保利通(おおくぼとしみち)・
木戸孝允(きどたかよし)・伊藤博文(いとうひろぶみ)等々は、みなこの墓前にぬかづいて至誠を誓い、国事に奔走したのです。
徳川光圀公銅像 とくがわみつくにこうどうぞう 御墓所には徳川光圀公(水戸黄門)の銅像があります。
光圀公は、水戸藩主を辞して西山荘(せいざんそう)に隠居(いんきょ)された後も、大日本史の編纂(へんさん)を行うなど活躍され、正成公をひたすらお慕いされて墓碑「嗚呼忠臣楠子之墓」を建立されました。これら御事蹟は天下に顕彰され、偉大な御功績をのこされました。
此の御功績を追慕して御尊の建設が尊願され、昭和30年7月に完成しました。銅像の原型は、平櫛田中の作で、その頌徳碑(しょうとくひ)は、徳富蘇峰(とくとみそほう)の文によるものです。 >>322
http://www.shunko.jp/shunko/enkaku/enkaku.html 二人の経営者と「日産」のはじまり
1905年〜 日立鉱山大煙突
私たち春光グループのルーツを辿れば1905年(明38)にまでさかのぼります。
創始者・久原房之助は同年、久原鉱業を設立し、日立鉱山の経営に着手します。
その後急成長し、事業の多角化に乗り出します。日立製作所、日本汽船、大阪鉄工所、合同肥料などの数多くの会社経営を手がけ、コンツェルン形態へと発展させていきます。
しかし、第一次世界大戦後の慢性不況により、経営不振に陥ります。そこで、1928年(昭3)、久原鉱業の再建を同郷出身で義兄の鮎川義介に託します。
鮎川は親戚などからの資金援助を受けて危機を凌ぐと共に、久原鉱業を持株会社に改組し、持株会社自体の株式を公開しました。 当時、持株会社の株式公開は画期的な考え方でした。
また、社名を日本産業株式会社に改め、通称「日産」と呼びました。これが「日産」のはじまりです。 春光懇話会は永年「日産懇話会」の名称で親しまれてきましたが、「日産」の由来はここにあります。
【"春光"の名前の由来】 戦後の再結集の際、1962年(昭37)伊藤博文翁のご子息の伊藤文吉氏(元 日本鉱業社長)の元私邸(現 春光会館)に集い「春光会」を開いたのが始まりで、
文吉氏の雅号「春光」に因んで名付けられました。 >>323
沿革:井上馨侯と鮎川義介氏 - 井上育英会 http://www.inoue-ikuei.jp/history.html 公益財団法人 井上育英会井上育英会 沿革:井上馨侯と鮎川義介氏
井上育英会は大正15年(1926年)明治の元勲の一人井上馨侯爵の遺産の一部を元に発足しました。
設立と運営の中心になったのは、侯を大叔父とする実業家・鮎川義介氏です。
「国家社会に有用な人物の養成を」目的に、戦前は全国の旧制高校及び大学から学校長の推薦によって毎年30名前後の奨学生を採用して、大学卒の初任給にほぼ匹敵する月額50円〜60円の奨学金の貸与を行っていました。
第二次大戦後のインフレーションで財政困難となり、解散寸前にまで追い込まれましたが、鮎川氏ならびに本会の卒業生の援助により危機を脱し、その後順調に発展してきました。
維持・運営は全て卒業生の協力により行われている純民間の財団です。
井上馨(いのうえかおる)1835年長州藩士の家に生まれる。通称は聞多。若くして高杉晋作らとともに尊王攘夷運動に参加するが、伊藤俊輔(博文)らと英国に留学して世界の現状に開眼、帰国して倒幕に活躍し明治政府で要職を占めた。
我が国最初の内閣である第一次伊藤内閣の外相として、条約改正に取り組んだ。のち農相・内相・蔵相なども歴任。実業界の発展にも力を尽くし、元老として政財界に睨みを利かせた。1915年没。
鮎川義介(あいかわよしすけ)1880年山口県に生まれる。東大工学部を卒業後、一職工として国内や米国の工場で現場の勉強を重ね、戸畑鋳物を創業。
のち義弟久原房之助(久原鉱業、日立製作所の創業者)の頼みで事業を引き受け、日本産業を中核に日産自動車などを傘下に入れた日産コンツェルンを樹立した。
その後日本産業(略称日産)を国策会社、満州重工業に改組して総裁に就任。戦後は中小企業の育成に力を注ぎ、中小企業助成会、日本中小企業政治連盟などを設立、参議院議員なども務めた。1967年没。 ドラマ板の菅田将暉ヲタと松坂桃李ヲタのトプコ内内ゲバはまるで水戸藩の内乱を見ているようだ >>324
鮎川義介http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/information/pdf/jitsugyouka/017aikawa.pdf 鮎川 義介(1880-1967) 日本産業ほか  §人物データファイル この一連の事業展開により、日本産業はさまざまな業 種の会社を傘下に収め、昭和12年(1937)頃には三井、三菱に次ぐ事業規 模の企業集団に成長した。 エピソードが語る「人の三井」 | 三井広報委員会 https://www.mitsuipr.com/history/columns/042/
ホーム 三井の歴史 コラム「三井を読む」 エピソードが語る「人の三井」
コラム「三井を読む」
三井文庫・由井常彦文庫長に聞く
エピソードが語る
「人の三井」
第一回・益田孝
三井家や三井事業の史料を保存・公開、調査研究を行っている公益財団法人三井文庫。
今回から複数号にわたり、由井常彦文庫長に三井の事業を彩ってきた先達にまつわるエピソードを伺いながら、現代にも通じる「人の三井」の本質を紐解いていく。
第一回目は、旧三井物産の初代社長を務め、茶人「鈍翁どんのう」としても名を残している益田孝について聞いた。
幕臣から実業家へ転身
ビジネスの現場で英語を体得
――益田孝は幕臣の出身で、その時代に洋行しています。そうした経験は、後の思考や活躍にどのような影響を及ぼしていたのでしょうか。
【由井】 益田孝は我が国最初期の遣欧使節(*1)の一員でした。明治維新の5年前、文久年間にフランスに行って、その社会やインフラが進んでいることにビックリしちゃった。
益田はヨーロッパに行く前から、今の中学生くらいの年齢のときに幕府の外国語修習見習生で、後にアメリカ領事館勤務となっています。だから、タウンゼント・ハリス(*2)なんかにも気安く近づけた。 水戸とその他の藩の違いは何かな。県民性?藩の特異性?
いくら意見が違うからって普通家族まで殺すか。同じ藩士じゃねえかよw >>331
直後だからこそ無理はできない
まずは体制を固めるのが先
長引いてグズグズしてるうちに秀頼が大人になっちゃうぞ 結局は家定の慶喜コンプが尾を引いているのでは
家定と井伊直弼が安政の大獄やりすぎて水戸のものが桜田門外の変起こす
それが天狗党処罰にも繋がっているような
天狗党処罰が酷くてその後は憎しみが憎しみを生むイスラムやイスラエル状態 >>327
内部粛清やり過ぎたら成功できん
信長とか妥協しまくってる
甘過ぎて最期光秀に寝首かかれたけどw >>333
だからさ、同じ時代過ごしても他藩はやってねえじゃんて話なんだが 天狗党の処刑やったの彦根藩士の件は紹介しなかったな >>332
下手すると謀反で、水戸家お取り潰しになってもおかしくないくらいの案件なので重罰しかないな >>53
それってなんという「台風家族」w
でも映画やドラマで描かれてる親子関係ってよく親を軽蔑したり理解できない息子が結局は本質的にはその親と同じだったというパターンはよくあるね
そういや親子関係描いた長瀬の能役者一家のドラマは見てないけどあれはどうだったんだろ >>339
それ紹介した方がよかったよね
結局は安政の大獄と桜田門外の変がきっかけ >>332
外様はお手伝い普請や参勤交代とかで危機管理ノウハウを積んでるけど水戸はそれがない
中国から来たアヘン戦争関連本は大げさなので外国人に直接会ってバランス取るべきなんだけどその機会がない
本でお勉強ばっかしてる奴がケンカ慣れしてる奴より報復が極端になりがちなのは古今東西あるある >>129
アメリカの投資銀行の手先の名前が出てくるとは!
ユダヤの手先、本物の売国奴というべきか。 >>340
本人殺せばいいだけだがな。幕府が一族皆殺しまで要求するわけがないw >>206
>>229
黙れ、リョナ爺
>>276
>>294
マジ消え失せろ、リョナ爺
>>296
消えろよ、リョナ爺 >>141
無理
五代は朝ドラの常識を破って実名で登場させてたからそのまま出せるが >>346
幕府は実際天狗党に参加した武田の孫を除名してるもんな
ところが水戸じゃ女子供に至るまで皆殺しにしてる
アホだわ >>297
>>298
黙れよ、リョナ爺
>>299
>>302
うるせーな、マジで失せろよ、リョナ爺 >>129
むしろ竹中平蔵のライバルになってルような気がする
渋沢のみんなが幸せでなけらば思想は竹中の新自由思想とは真っ向からぶつかる
別に渋沢が綺麗で真正直という気はない企業人なら汚いところももちろん
むしろ孫とかの方に近い気がする
そういえば別の維新ドラマでバトルしていた香川のやった実業家岩崎の方がが当時の価値観からすると竹中に近い気がする >>343
直虎のゆきのじ(矢本悠馬)かと思ったら違うはいゆうだった 敦賀で首落として塩漬けして迄水戸に持って行くか?嫌がらせだな! 今録画見たけど草なぎの慶喜は笑い方とか上手いね円四郎に対する笑いとはまた別の信頼関係を表している
円四郎にはどこか頼りにしてるような笑顔だったけど栄一にはおかしれぇ奴って感じでもっと快活に笑ってる感じだ のちに天狗党の方が息を吹き返して仕返しするらしいけどさ、処刑しないで流罪にしたやつが戻ってきたてこと? >>332
藩主と取り巻きの家臣が頼りなかったから藩内を纏めきれなかった
なんだかんだ言っても、それに尽きるでしょ
要の慶喜は中央へ出て水戸にかまっていられなかったし 江戸初期の生瀬一揆といい、皆殺しは水戸藩の伝統やぞ 武田耕雲斎と藤田小四郎は天狗党挙兵のとき
烈公の遺志と言っていたけど
慶喜は栄一の建白を聞いて父を思い出すと
言った
本当の意味で烈公の遺志を継いでいるのは
農民から収奪する天狗党ではなく栄一や喜作だということを慶喜はわかっていたのだろう >>356
東湖か斉昭が長生きすりゃ良かったんかな。薩摩なんかは西郷大久保や久光が
ガッチリ抑えてるもんな >>338
諸生党と天狗党の対立が激しかったからだけどさ、同じ藩士というのは間違いだよ。武士にも支配階級(諸生党)と非支配階級があり、もともと水戸は徳川の領地ではなく、いわば徳川は余所者で支配階級も同じく余所者と血縁等で媚び売った少数派にすぎない。にも関わらず斉昭は非支配階級から人材を選び重用(天狗党)し、そいつらが結構横暴な振る舞いを始めちゃったから大変な対立を生むことになったw
百姓にも支配階級と非支配階級があるわけでさwいろいろ入り乱れてるのよ。条件さえ揃えば水戸藩以外でも起こりうる事だったはずだよ。 栄一にくっついていたあの若者はだれでしたっけ?
教えて下さい 土佐も郷士と上士の抗争があったが水戸ほど陰惨じゃない >>276
久々に不美人だけど華のある女優が出てきたなと思う
NHKのスタッフも評価してるようで
天璋院の扱い・演出はそれを上手く使ってる
秋の朝ドラも彼女のパートは期待できそうだな
その後の川栄は下手で陰気だから全然だが >>289
演技の華はあるよ
上白石の演技に華があると言うなら草gにも勿論ある
要は存在感や人を惹き付けるものがあるということでしょ 水戸藩は斉昭が天狗党に藩政を担わせてしまって支配層と被支配層が逆転しちゃったわけよ。いや、逆転というより窓際に追いやられたと言うべきか? >>362
伝蔵?
この人ものちに出世して箱根の村長になるんだよね >>287
草なぎに華はないよ
SMAPで華があるのは木村のみ
だから大根だろうとキムタクは大ブレイクしたんだよ
仲間も大根だったけど美人で華があるから大成した >>362
公式サイトの人物紹介に載ってるから見てきて >>288
昨日は話は面白かったけどキャラの立ってる登場人物が少なくて活気がちょっと寂しかったかな
その意味で円四郎の退場は結構響いてる
昨日は西郷も出なかったし
今後出番の増えそうな五代、伊藤、井上らに期待する >>371
キムタクヲタはそう思いたいのだろうが
俳優としての草なぎには華があるな
まさに輝きがすぎるという発言が納得感あった
国民的アイドルSMAP30年やっていただけある >>371
今のキムタクはオーラが消えて貧相なおっさんになった
結局SMAPオーラだっただけ >>268
表情が乏しいとも思わないけどな
何を考えてるのかわからないキャラだからこそだと思う
円四郎が亡くなってからの意気消沈とも憔悴とも取れる悲しみも伝わったし
でも政も粛々とやらなければならず天狗党処刑やら厳しい情勢続きに険しい表情も見て取れた
栄一の風神雷神で笑ったのは本当に久し振りだったんだろうなと思った 13→14→15代と見ていくうちにもう徳川は無理というか
個の力ではどうしようもない将軍家の末期感あるなあ
もちろん史実を知ってるからこそだけど >>341
スレチ甚だしいけど俺の家の話は近年まれにみる傑作だった
ネタバレを避けて見てみるといい
>>343
思った
佐藤二朗系のくせつよ脇役になれそう >>290
堤は華があるね
人によって考え方は色々だと思うけど自分は華はその人が根底に持ってる陽気なパワー・熱量だと思う
だから華がある人が登場すると画が活気づいて生き生きする
陰気な人はいくら美形でも活気が出ないので見る気がしない 土佐は徳川じゃないからね、その部分で自由度はあったけど水戸は徳川だから特に諸生党からすれば倒幕の流れ自体が恐怖に直結する。それから必死に抗おうとした結果の悲劇とその連鎖…か? キムタクも華があると思うがキムタクとはまた別の華というか
キムタクの華は木村拓哉という人本人の華
草なぎは草なぎ本人が華があるというのとはまた別で役の人としての華があるというか
堤も堤本人より役の人として演技に華がある >>129
頭脳と力量が段違いだから渋沢が竹中潰してると思うわ >>381
陽気のパワーってそれは円四郎がチャキチャキ江戸っ子の役だったからじゃないか
容疑者Xの献身とか陰気だろ
役に陽気さやコメディ要素あるかどうかで華は決まるものじゃない >>379
色んな人が海外に行って差を知ってしまえば同じ流れになるだろうしな ID:GpJ62Gry
はずっと張り付いてる大河には30代までのイケメン出せ婆だろ
言ってること全く一緒
ハセヒロ、大谷亮平、草なぎ剛あたりの40代俳優ずっと叩きまくっている
キムタクヲタだったんだな
SMAP内紛も水戸の天狗党vs諸生党ばりに凄そう >>376
いや>>371は典型的なウザいドルヲタで完全なスレチだから相手にしない方が良いよ
今回の18回で思ったんだけど天狗党について慶喜と栄一は一生の負い目を持つ同士でわかり合えたのかなと
喜作は庇ってたけど栄一は確かに小四郎に対する負い目は一生持っていくと思う
そして慶喜は耕雲斎に対して結局は力及ばずあれだけ悲惨な最期となってことを一生の負い目となってくんだろうと思う
その同じ負い目を持つ同士の主従のバディものとなるのでは >>384
今の時代なら渋沢栄一は女絡みのスキャンダルで社会的に抹殺されてるわw >>315
豊臣政権の片棒担いでたのが毛利だったのバレバレ >>390
昔でよかったなw
今は昔の鷹揚さがないから辛いな 渋沢ってキレ者だよね。ちゃんと満州事変批判して、国際協調を訴えてるんだもんな
死の直前でも時勢を見る目が全然ボケてないのw >>389
うーんそこでそうなっても何もできなかった気がするなあ年齢的にも
もう誰が将軍になっても無理だっただろうと思わせるというか
少し伸びるか否かぐらいかねえ…逆に縮まるかもしれない >>388
慶喜と栄一は性格にも共通点があるというか
理想主義者ではなく現実主義者なのかな
慶喜、円四郎、栄一みなそう
東湖も現実主義者だったと思うが小四郎が
それを受け入れられなかったのがな 明治維新政府は結局は68年しかもたなかった。
維新は失敗であり徳川幕府存続→近代化の道の改革の方が日本にとっては良かった。
これは長州を徹底的に潰さして新政府から排除しなかっため
日本は開国して国を強くして外国の列強に「攘夷」決行して失敗 将軍に誰がなっても多少伸びるか否かぐらいで徳川家は終了したとは思う
滅ぶべきして滅んだというか(史実があるから言えることだけど)
徳川家が好きか嫌いかとかではなくさ >>320
大坂の蔵屋敷が世界の先物市場発祥の地やで >>393
こういう第一線で活躍している人は歳を取っても凄く明晰だよね
知的好奇心を常に持ち続けよく頭を使ってるからなんだろうな >>379
12代将軍の子供がなんであんなに死んじゃったんだか
徳川の終焉はそこから始まってる
家定以外にも誰かいたら慶喜は一橋家に行かないで斉昭のあとを継いで水戸は安泰だっただろうに >>396
徳川幕府って腐りきってたから潰れたんでしょw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています