『青天』第27回レビュー魚拓です(「○」を削除して「//」の後の半角スペースに「a」を挿入してください)。
(1) ht○tps:// rchive.is/sw8ab (2) ht○tps:// rchive.is/VeUFq
  (3) ht○tps:// rchive.is/N1er0 (4) ht○tps:// rchive.is/lcn4n

【昭武に会いに行ったら殺されかねない。本作では人間関係ロンダリングされておりますが、栄一は藤田小四郎とズッ友宣言をしております。だから駿府にとどまるように配慮をされたのです。・・・(中略)・・・
 ただ、これを「いい話だな」で済ませてよいものかどうか。確かに栄一は死を回避できますが、水戸藩士は「人材が枯渇した」と言われるほど多くの命を落としているのです。民間人の巻き添えも出ました。
 栄一だけでなく【天狗党の乱】の原因を作った徳川斉昭――その子である慶喜なり昭武は、何か尽力すべきだったのでは?とも感じます。】(1ページ目)
 → 「その子である」という理由付けは武者氏の思想に反するのでは?藩主たる昭武はともかく(確かにドラマ内の彼の言動には私も疑問を抱きました)、この時点での慶喜に一体どうしろと?

【明治新政府は、割と勢いで倒幕したところがあり、大量の失業者となる武士のことを忘れていました。武士とは徳川幕府公務員のようなもの。
 幕府を倒してしまえば、その後、彼らがどうやって生きていけばよいのか? 非常に重要なところだと思うのですが、薩長はその辺を全く考えていませんでした。今のアフガニスタン情勢を連想させるような無責任展開ですね】(1ページ目)
 → 武者氏の高度な知性は、遠くアフガニスタンに思いを馳せるのでした。

【栄一は、杉浦愛蔵とも再会しました。彼は学問を教えているそうで、ようやく幕臣の困窮がササっと語られます。ただ、なんでもかんでも説明セリフで片付ける本作の弊害が出てしまっているような……。
栄一が領内を歩き回って、困窮の気配を察知する描写はできませんか?『麒麟がくる』では、朝倉義景の領地を見て回った光秀が、戦備不十分だと見抜く場面がありました。・・・(中略)・・・栄一は、商人と武士を集め、エラールに教えてもらった「コンパニー」方式で乗り切ろうとします。その背景には、食い詰めた幕臣たち――汚しメイクをした彼らの顔が見えるのですが、あまりにわざとらしいメイクで見ている方が恥ずかしくなってて……えぇと、もうチョット自然なやつお願いします……。】(1ページ目)
 → 年内終了・コロナ禍ということで「領内を歩き回って困窮の気配を察知する」に割くほどの尺はないって分かりませんか?
  「―汚しメイクをした彼らの顔が見えるのですが、あまりにわざとらしいメイクで見ている方が恥ずかし」いのは尺の都合でやむを得ない面もあるわけで、「見て回った光秀が、戦備不十分だと見抜く場面」も十分わざとらしかったと思いますけど。

〔続きます〕