明治初期当時、新政府では薩長中心に「幕府のものはあまり使ってはならぬ」っていう不文律があって
その空気を読まずにどんどん登用していたのが井上馨だったという
会津出身で弟が白虎隊だった日下を書生に置き、渋沢や益田を重宝し
戊辰戦争から五稜郭まで転戦して戦った中野梧一を長州藩がお取り潰しになった後の
初代山口県令に推薦し、自分の山口の邸宅に住まわせた
しかも中野の補佐に井上が直々に交渉して、松陰の兄と高杉晋作の父親を付けた
1年ちょっと前までは五稜郭で戦っていた人間が今や長州藩のトップという人事
中野の日記には自分の人生が大きく流転してる事の驚きを隠せていない

もちろん井上は汚職の権化ではある、あっちの金をこっちに、こっちの金を自分の会社へ、と
かなり強引な事もやっている、ただ、そのイメージでしか語られないので
本来のエキセントリックな一面がほぼ描かれた事がない