頼朝がことあるごとに仏像に祈るのは、この時代、仏教は貴族の基礎教養であり、「正しく祈ることができる」のは京都で育った頼朝だけなんですね。だからこそ「祈り」は武家の棟梁の仕事であり、部下がどれだけ人を殺しても「棟梁が代わりに祈ってくれる」という免罪符を与えられる。