>>80
頼朝の官位は流罪の時点で13歳、中1としては飛び抜けている
(検非違使をやったことがない、衛門府(門番)に勤めたこともないので、流罪前でも他の源氏とはまったく違う)、
平家の公達のキャリアと同じようなもので他の源氏を圧倒しているよ

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93300

> さらに平治の乱の渦中に開かれた除目(人事会議)では、わずか13歳にして
> 右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)という高官に補任されている。
> ★★これは将来公卿入りを約束されたに等しい。★★

おそらく義朝の頭の中には頼朝の婚姻プランはあったと思うがね
政子とくっついたのも三十前と遅い

頼朝がもっとハッキリと意思表示すればよかったのだが、
新田義重の娘(義平未亡人)や、奥州藤原氏の娘を側室に迎えようとしたときに、
「男子誕生の折には嫡男、正室含み」だと先方にハッキリ伝わればよかった
(※北条時政は頼朝生前は無位無官)