【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part186
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【放送予定】2022年1月9日~
【脚本】三谷幸喜
【主演】小栗旬
【音楽】エバン・コール
【語り】長澤まさみ
【3DCG地図】シブサワ・コウ
【ロゴ】佐藤亜沙美
【制作統括】清水拓哉、尾崎裕和
【演出】吉田照幸
【プロデューサー】大越大士、吉岡和彦、川口俊介
【公式HP】http://www.nhk.or.jp/kamakura13/
※本スレはガイド本、ノベライズ等によるネタバレ禁止です。ネタバレはネタバレスレでお願いします。(史実、伝承、他作品(本作と同時代の作品に限る)に関するものは可)ルールは絶対厳守です。
※妄想キャスティングや台詞を空想して書き込むのも禁止です。
※次スレは>>900以降、皆で協力して立てましょう。
【2022年大河】『鎌倉殿の13人』ネタバレスレ
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1645598605/
※時代劇板のワッチョイ有スレはこちら。
【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part6
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/kin/1666788444/
前スレ
【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part185
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1669000461/ 実朝が楼門を通過したとき、その2階から何かがドサッと落ちてきた。歩き巫女だ。歩き巫女はそのまま四つん這いになって石階を降りていった。
実朝「歩けよ!」
八幡宮の怪談 日本には姥捨山伝説はあっても翁捨て山電設はないから、
役に立たなくなった翁には手をくだしちゃってるんだろうなと思いました 勝手な性的妄想はする癖に頼全の母親とか親殺しタブーとか変な所には拘るよな >>751
八幡宮の石段を上るなら四つん這いの方が楽だけど、降りる時に四つん這いだと頭から落ちていくぞ
段に座って手は座っている段に置いて、一段ずつ足を下の段に伸ばして
それで腰も一段ずつ下がって、降りていくんじゃないのか? >>703
千世の相手が仮に公暁ならすぐに妊娠しそうだな笑 >>756
公式サイト 予告>あらすじ>フォトギャラリーに
歩き巫女と、盛綱&朝時が向かい合って話している場面の画像があるから
歩き巫女は実朝が見た幻影というわけではないようですね 嫌だスレで千世が白拍子に扮すればやる気を出すとか言われてて「俺やん...」と (おいw) >>757
歩き巫女は石階の手前で突然振り返り、後退りするように石階を降りていった。もちろん四つん這いで~
意地でも歩かない巫女「なんかめんどくせぇなっ!」
つか、たぶんドラマでは歩き巫女の足跡が雪に残ってないんんだぜw←八幡宮の怪談 >>761
すっごい警戒網くぐって歩き巫女がどうやってあの現場に現れるのか
その脚本には興味があるよ
最初は実朝が「雪の日に出歩くな」の予言を思い出す幻影設定かと思った
でも、朝時盛綱と話してるということは、現場に出現ということだし… >>762
「使い手次第で名刀にもなまくらにもなる」
使い手→義時
景時、あの世で歓喜乱舞w(≧∀≦)ノノ >>458
W杯代表町野修斗選手は伊賀上野出身だが何故三善康信の
末裔になるんだよ?町野という名字は特殊でもないから各地にあるだろ? 義時が実朝を見殺しにしようと思った動機のひとつは頼家殺しがバレたってのもあるんだろうなと 安倍ちゃんは総理を退いてるから実朝暗殺とは被らんし
何より応援演説中なので神事と一緒にされてもね >>730
そういや2~3年前に台風だか落雷だかで鶴岡八幡宮の大銀杏は
倒壊したのじゃなかったか? >>767
じゃあ、この大河で
実朝にそれをバラした三善殿(三好康信:法名は善信)はこの後どうなるんだろう 愛想がつきたって言ってたけど
実朝の方が義時に愛想つかしたからこうなったんだが どうしても噛み合わない者同士は互いに呆れ果ててるものだべ 政子の見てる前で実朝が殺されるとんでも展開なのか?
流石にそれはやり過ぎのような そうなるとショックで自害もそこでだろう
という事はそれを止めるトウがまさかの大脱出&八幡宮に帰ってくる? 京から跡取りを呼ぶというのが政子の発案である以上、実朝暗殺に責任を感じるのも当然だわな 結局実朝も政子もだが義時のやり方が気に入らなくて対抗策を打ち出すも、それが結局命取りになってしまった
やっぱり変なプライドなど捨てて、何も考えずにただアホみたいに義時の言われ通りにしていれば幸せな人生だったのに
この話は人生、自分の器を知るということが1番重要だという事を示唆している ドラマのマナー、じゃなくて当時の『モラル』じゃね? ここで思い切り罵られたけどさ
政子が実朝の後ろ姿を見つめるシーンよりと政子と義時が密談のシーンのほうが先やん
なんだあのねらー >>779
職場でもそうだけど実質的な権力者には楯突くより丸め込まれたほうが得策なのよね >>779
史実だと追い詰められているのは義時の方なんだけどね 時の将軍は跡継ぎがいない
治天の君とマブダチ
ともなれば宮将軍の一手だわな >>776
いや自害未遂は後日
公暁のが義村に殺された後 え?『吾妻鏡』では公暁が実朝と仲章をやった直後、三浦一族が公暁を討ち取りに行ってるよね
本大河では、やられたのが義時ではなく仲章とわかるまで時間がかかってる設定?
『吾妻鏡』では公暁は実朝の首を持っているが、仲章の遺体はその場に放置だから
本大河でも、「公暁が義時をやれなかったこと」は三浦義村には当日中に
わかるはずだけど… 来週の土スタのゲストが山本耕史で鎌倉殿特集を京都からやるらしい。 公暁の塀登りやるんかな
塀登る時、実朝の首をぶら下げてるんかな まさにお飾り結構、めんどくせー事は全部義時がやってくれるってんだからこんないい話はない
自分はのほほんと和歌なり芸術や美術なりお飾り人生を謳歌してれば良かったのに 明日神回っぽいのにサッカー裏なの勿体ないな
明日を座談会に出来なかったのかね サッカーを録画してリアリタイムを見て、録画は再放送録りゃいいのか 26歳の将軍だよ、
自分でやりたいことぐらいあるさ 前回のやつ日BS日地上土BSと三連続で見たわ。
小栗の何言ってるのかわからんかった会話がやっとわかった
大江との密談では圧倒的に大江の声が力強い。
仲章を殺しちゃえってそそのかされてその気になる義時。もう悪代官の人相やわ。 志が高いのは結構だが自分がたまたま幸運で将軍になったという事のありがたみを感じなきゃダメ
本当に志が高いなら
ボクちゃんの政治をやるんだじゃなくて
辞任して一から出直さなきゃダメだよ
それこそ将軍は公暁に譲って自分が仏門に入るとか あと、仲章が義時のことを〇〇を使うと聞いてはいたが女とはな。
って台詞だけど。あれ〇〇って何て言ってんのかわからなかった。 一から出直すぐらいの覚悟がなきゃダメだったね
一から出直したくない、でも自分にとっての筋は通したい
そんな都合のいい絵を描いたから命取りになったわけよ >>795
「鎌倉殿の13人」出演者は演劇で鍛えられている俳優が結構いるから
相対的に小栗旬の「主役の割には滑舌悪〜!」が目立つんだよね
まあ、座長としては優秀なようなので 一から出直す覚悟もないんだったら、大人しくお飾りに納まって楽しくやってりゃ幸せだったのにね こういう罵倒だけの書き込みの方が余程害悪だろ
大河の話をしてる人間罵倒するな
お前が出てけ
実朝の最期の降り積もった雪が赤く染まる演出は美しいだろうな
仲章の穢れた血とは違うだろうね
嘆き泣く政子にも注目したい >>807
お前は大河の話をしてるのに全てが害悪www
これいかに?
実朝は「争いのない世界」を求めた
でも、義時からするとそこに魅力も説得力もないわけ
なぜなら義時はもともと「争いのなくなった平家の世で何が悪い?」と思っていた人だから
その平和を捨てて築き上げたのが西の人間の顔色を伺う必要のない坂東武者のための鎌倉
実朝は平和の名の下に義時たちが築き上げてきたもの全てを壊そうとしているから愛想が尽きる~ 国の東西と言う対立概念ってこの頃にはもうあったんだろうか? 多少の書き込みの癖あってもこの大河の話をしてるなら問題ないと思うがね
京の人間が我が者顔で坂東を支配するのに嫌気が差したって感じだろうな
宗時なんかがその典型
坂東は坂東が仕切る的な >>809
「西」というのは「坂東」に対して「やんごとなき方々を含む朝廷 」を指す隠語でしょう
表現に気をつけないとリア世界の皇国云々方面が『平清盛』の時のように大河にケチつける
単純に西といったらそこから瀬戸内海挟んで山陽と四国の上側(地図的に)
九州あたりも含まれるんだから >>808
武士の統治組織が京都にあるんだったら平家政権と全く変わらない。
元々平家や朝廷が派遣する代官の中抜きに我慢ならなくなったから坂東武者達は頼朝をトップとした独立性がある行政組織を鎌倉に作った。
だから皇族将軍は認めることが出来ても都に統治組織を移行する事は坂東武者である義時には絶対に認められないことだった。
このドラマの実朝はその辺を全く理解してななかった >>810
突っ込まれるのがイヤなら自分でブログでも作ってそこに書けば良い >>809
本郷先生によると、学界でも意見が分かれるところだそうな
「都での帝中心の政権と、東での武士による独立した政権がそれぞれあった」という説と
「あくまで帝中心でその下に公家による権門と武士による権門という考え方だった」という説の2種類で、
現在のところ、後者の「帝の下での2つの権門説」が主流なんだとか >>809
東の田舎もんと西の田舎もんくらいの違いか。
鎌倉にしてみたら西の田舎もんなんてどうでもいいわと思ってたか。 >>813
それはマジでそう思う。イジメられるのがカ・イ・カ・ンなタイプの人間なのかな? >>810
誰にも共感してもらえない謎理論だなww 最近は過去の言動を架空の婆の書き込みと主張してみたり何がやりたいのかわからん >>815
鎌倉幕府ができた時点で鎌倉が政治の中心みたいに思いがちだけど
この時点での鎌倉幕府は東国とあとはせいぜい平家没官領くらいしか支配できてない地方政権だよ
朝廷から官位もらって実朝や政子が喜んでたようにまだ朝廷が力あった時代
朝廷と幕府の力関係が逆転して鎌倉幕府の支配が全国に及ぶようになるのは承久の乱以降 >>820
それ考えると後鳥羽上皇は墓穴掘った感がある
どんなに不満があろうともそのままにしておけばずっと治天の君でいられたし幕府の支配力もそのままだったかも知れんのに 例えば全国チェーンのファミレスがあったとして
坂東圏でも多数店舗があるけど
本社から出向してくるマネージャーの権限が強くて
地元の祭りや季候にあわせたプランで売りたいけど中々認めて貰えなかったのを
鎌倉グループで分社化することで坂東向けビジネスがやりやすくなってたのを
3代目社長が経営投げ出してもう一度本社に吸収合併して貰うとか言い出したようなもんか >>821
後鳥羽上皇は自分の能力に絶対的な自信がある人だったみたいだな。
だから自分の権威に逆らう存在を許容することが出来なかった。
だから、寺社とも真っ向から喧嘩したし自分の命令を拒否した幕府とも戦った。 源氏ならまだしも、北条とかいう氏素性も分からない輩がいちいち楯突くから潰してやろうくらいの軽い気持ちだったんだろう 斎藤工と山本耕史のCM
Abemaでも死ぬほど見る >>821
後鳥羽は尻尾を振ってくる実朝通じて幕府を支配下に置こうとしたら実朝が暗殺されたので義時挑発してみたら倍返しされた
朝廷が弱体化したから皇位継承問題にまで幕府が関与するようになったら不満を持った後醍醐に滅ぼされた
適度な距離を取ってた頼朝が正解だったのかな
真似した家康の江戸幕府は長続きしたし >>821
ずっと後の時代の北畠親房が「神皇正統記」で、まんまその通りのことを書いてるね
「いくら気に食わないからと言って、特に朝廷に逆らったわけでもない幕府を討とうとしてあんなことになっちゃった。
後鳥羽上皇は偉大な人だが時代を読めず、徳を積むべきところを天に背いたのが悔やまれる」
みたいな この時代、和歌に長ずるって事は現代で言うと弁論や演説が上手い政治家みたいな意味合いだったのかな? >>827
後鳥羽はあくまで義時を排除することを狙ってたけど
後鳥羽が幕府潰そうとしてると印象操作した義時と政子のイメージ戦略の勝利 歩き巫女は発狂して誰かれ構わず「天命に逆らうな!」と踊り狂う感じになると予想 >>829
まあ義時に象徴される北条勢力を一掃しちゃったら
幕府としては残っても、それは坂東政権ではなく
実質朝廷の出先機関になってただろうからな
そこが分かってるから大江三善ら京都下級公家組は徹底抗戦主張したんだろうし >>814
俺は後者だと思う
元々反乱軍だったのを頼朝が自身の交渉能力で「反乱軍としての独立性を維持した朝廷の行政機関」というウルトラCで納めたのが鎌倉幕府だったんじゃないかと思う >>829
まぁ、後鳥羽上皇も軍を集めている以上味方してくれた武士に恩賞を与えなきゃならないわけで、そうなると義時のクビだけじゃ済むわけがなく確実に坂東の土地を朝廷側に取られるんだから北条の問題ではなく坂東と問題とした政子は間違ってはいない。 >>835
後鳥羽は官位をやると言ったが武士は土地をやるといった幕府についた
元寇では勝っても武士に与える土地がなかったので武士の心が幕府から離れていった そもそも、東国の武士あっての鎌倉幕府なんだから、
鎌倉殿が一人京都に移ったところで、なにできないだよ 思ったことを素直に書いただけなんだが皆さんレスありがとう
>>827
神皇正統記は知ってましたがそんなことまでは存じませんでした
ここは知的なレスが返って来ますね >>839
ちなみに北畠親房が神皇正統記を執筆したのでは八田殿の子孫の小田氏の小田城 >>838
それもあるだろうね
でも義時も鎌倉を火の海にしない為にじぶんのくびを後鳥羽に差し出そうとした
それを政子が演説で御家人を鼓舞して救う感じか
尼将軍政子に敗れた感じだな 単純な話しよ
朝廷が頼朝に総守護地頭の地位を与えた瞬間から朝廷と鎌倉のチカラ関係は完全に逆転した
承久が1万対17万のワンサイドゲームになったのも日本の統治者が実質鎌倉に移ってた動かぬ証拠
上皇は武士が何を欲してたか?それを与える権限が誰に移ったか?
そこを理解しないで義時の首を要求して自分が流された
それだけの事よ 義時は首を差し出そうとしたが政子が御家人纏めたって事
結局三谷は義時は政子には敵わない的な描き方をしたい >>844
西から上皇に味方する武士が到着する前に終わってしまっただけで別にこの時点で鎌倉幕府が全国を支配していたわけではない
西には御家人じゃない武士がわんさかいた。 東の武家が鎌倉の恩賞(守護職)に飛びついて承久の勝敗は決した
その結果、朝廷軍に勝った鎌倉は西の統治も本格的に出来るようになった
結局は頼朝が総守護地頭に成ったが故
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