【1991年 大河ドラマ】太平記part.61
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我らは、かつて平家を滅ぼし、武士による新しい時代を築かれた、>>1公に倣いたい スレ立てとは大事なもののために行うものと心得おり候 >>1
まさしく乙に疑いなし
さぁ動座じゃ
この新スレに動座じゃぁぁぁぁぁ 上皇3人&皇子2人流罪
公卿5人死罪
朝廷に対してここまでやった事例って他にないだろう 北畠顕家「どこからどう見ても公家」
豊臣秀吉「紛うことなき関白」
徳川家康「新田の子孫じゃ(誤解を産む表現)」 平時の仁左衛門ニキですら80手前で未だにハッスルしてるんだ、南北朝の皇族たる帝の精力は現代人の想像を超えたものぞ そういや直義も義時と同じように先帝を害し奉ろうとしてたな。義時がやろうとしてたのが吾妻鏡にでも載ってたのかな? 仲恭天皇(九条廃帝)の殺害を企てていたって本当の話なのか?
仲恭天皇って廃位されたとはいえ当時朝廷を牛耳っていた九条家の縁者でもあるし
そんな小 >>22
だから粗末に扱ったろうが
だからどれも残れなかった >>26
直義みたいな脳筋が吾妻鏡など読むはずはない 直義ってどっちかというと内政の人、官僚タイプだぞ
兄が天然、しかし気前だけはいい。最側近の高師直が出来杉君 もしかして北条義時が時の天皇を弑し奉っておけば
鎌倉幕府は存続したのですか? 後鳥羽系を消しておけば後醍醐が誕生することはなかった 北条の天下は数百年続くという予測を外した二階堂行政 さすがにあの段階で本庄一円地住民の取り込みまで予想してたらチートだから... >>30
直義って原理主義者だけど納金とは違うだろ 本所一円地って基本的に荘園だけ?
それとも公領も含む概念なのかな? 時宗スレは残ってないし...アンゴルモアのスレになるかの < 元寇ネタ >>44
鎌倉幕府に影響したとの論説はもう古いよ。実質何がどう影響してどんな問題が起き上がって高氏が蜂起したか説明できないよね? あったらどうぞリンク添えて 霜月騒動を御家人VS御内人という構図で捉えるの論は最早ダメだよな その新説とやらをここで披露したら
新年早々空気読めない奴だw 先ず北条時宗が地方分権やら得宗(と将軍)の権限強化やら考えるも早世
その政策を引き継いだ安達氏がヘイトを買い霜月騒動、安達氏vs平頼綱を中心としたそれ以外、で安達氏滅亡
しかし頼綱に人望があったわけではなく、その後の政の代案も出せなかったので
平禅門の乱は独裁を目指す北条貞時vs頼綱で、件の平氏一族は滅亡
しかし貞時が北条宗方に北条時村(政村嫡男の長老格)殺害を指示して成功、一方で大仏宗宣(時房曾孫)殺害には失敗し、手打ちとして宗方やその嫡男が犠牲になった→嘉元の乱
その後、貞時はアッパーパーになり(この辺が長らく高時とされた)、徐々に回復した安達氏や平氏改め長崎氏が特権的支配層となって滅亡に至る
...というのが某YouTuberの見解だったはず、間違ってたらすまん >>52
このスレ的には楠木氏の駿河出身説の方が衝撃的なはず
駿河であの円喜の「長崎」と隣接したところが本貫で御家人や身内人だった可能性もあるという
もっとも河内にも「楠」という地名があるから河内出身説も根強いが
河内の気のいいオッサンの正成が北条に恨まれあんな大軍を差し向けられたのは何かわけがありそうだけどね
単なる反乱分子なら赤松はじめ他にもいたし >>48
太守も尊氏と同じで優柔不断だったよな
この混沌とした時代は足利義教のような強権独裁のほうが丸く治まったかもね >>54
義教殺されたやん
そういう奴ほど真っ先に死ぬ時代
『喧嘩両成敗の誕生』という歴史書があるから一読をおすすめする
「武士道」なんて平和な江戸時代の産物で中世の日本人は基本野蛮 足利の家系って血の繋がりの濃い政略結婚が多すぎて血統の遺伝子に問題ありだと思うぞ
尊氏とか最たる例だろ >>53
駿河出身説が絶対的に正しいって吠えていた奴が昔このスレにいたね あんま歴史談義はしない方がいいのかな?
兵庫住みなんだけど地元の博物館の市民向け講演会の
内容が元弘の乱における赤松の決起についてだったんだけど
赤松は六波羅探題の領地に設定された播磨で現地採用された代官だったとか
彼らはこれ等の代官の地位を家職・世襲できた訳ではなく
六波羅探題を担当する北条分家が交代するとそうとっかえになって
元弘の乱の時点では赤松がぶら下がってた北条の分家は六波羅探題は担当してなくて
赤松は六波羅探題の領地の代官職を解かれていたという内容だった。 >>56
尊氏ですら比較的長生きの部類で将軍家も鎌倉(古河)公方家も大抵3~40で寿命だから遺伝的に悪い体質があったのは確かだろうな
やっぱ北条や日野や足利一門と婚姻してばかりだからかな
一門だと吉良の爺様や今川了俊・氏真みたいな長寿を全うした人もいるのに >>58
北条氏は六波羅でも探題執権が変わる度に人員の総とっかえをやってたね
去年の大河で守護に任期を設けることになって、三浦義村が密かにキレてたのにも通じるところかな >>58
>>60
鎌倉後半期って確か
摂津・播磨守護は六波羅北方が兼務
丹波守護は六波羅南方が兼務
という形になっていたと思うけど
これらの国には単なる守護職以外に
守護(というか探題)の交代に伴って領主が代わる領地とかも設定されていたってことかな? その講演で配布された資料を見ると西播磨の佐用荘が
鎌倉末期は六波羅御料で、六波羅北方が知行主、六波羅被官が給主職とある。
ついでに言うと
六波羅北方:常葉北条範貞→播磨守護代:小串氏→小串氏に使える宇野氏の分家の赤松氏
って感じらしい >>63
で、その楠木が正成に繋がるということで間違いないと? 楠木正成は 御家人 兼 御内人 兼 悪党 であったということで FA? 楠木氏自体は駿河から移住した御内人だけど正成や正季は土着した河内出身と予想
あんな地元の地理を知り尽くしたゲリラ戦をやってるくらいだし 楠木って後醍醐が新しく正成に与えた名字なんじゃね?って思ってる 楠木氏駿河出身説って最近は否定的な見方が強まっているような どうする家康の駿河、結構よかったと思う
あの技術で南北朝の山城や吉野・賀名生もガンガンでっち上げてほしいものよ 室町期だと守護大名のことを太守と呼ぶのは割りと一般的ではないかな? 今川義元がマロマロしていなかった代わりに足利義昭はマロマロに描かれるのかな? 鎌倉殿の公家衆は、誰一人ステレオ的マロマロがいなかったのが良かった。
最終盤には、武家以上の超コワモテまで出た。 源通親も三右衛門事件の時はアニメのベテラン戦士の気迫が出てたし、平安~鎌倉の時期にして多くの者が心の室町を持っていたように思える ココリコはよかった
体格も顔もちょうどいい
見てて邪魔にならない 百年後の子孫の超マロマロぶりを
地獄の小四郎はどう見てるのであろうか。 ふと思ったけど、登子に泰時の血って入ってる?入ってないと尊氏のほうが義時泰時の血が濃いのね 兄守時の母は宗頼の娘だから泰時の血統だけど登子の母は不明だからわからないな 幕府が滅びた時の執権って守時だったのに
高時が執権だったように描かれてなかった? 得宗最後の執権が高時だな
ホントを言うなら病で出家して金沢貞顕に執権職を譲り(それも10日で辞めさせられw)
最後に赤橋守時が就くのだが、まぁ出家したしないは大河だと省かれがちなので... 時頼あたりから執権より得宗(家の当主)である事が偉くなってたから 守時が執権ではあったよ
執権なのに事案の蚊帳の外で、文句言ったら
長崎殿が、某の館においでになればよいものを
みたいなすっげー嫌らしい嫌味を言って
さすがはフランキー堺な場面だった 守時は高氏に鎌倉の改革を誓い執権になるも円喜はじめ既得権益層にがっちり手綱を握られ実質の無いお飾りに
足利に申し訳ないとお詫びに来たりしてたな
それが登子と千寿王を鎌倉から逃がす伏線になる 某ゆっくり鎌倉時代解説動画では非得宗系の北条分家も既得権益層っぽくはある 登子と千寿王の鎌倉脱出って実際は尊氏の出立直後くらいにやってるよな
ドラマだと平塚までとなってたけど本来は本貫地の足利まで逃げて新田軍と合流してるはず
ちなみに尊氏の庶子竹若も逃げたが捕まり北条軍に処刑されてる 将軍→執権→得宗→内管領と実質的な権力者がどんどん下におりていったのが鎌倉時代
足利も高(階)氏を族滅しなかったら師直あたりが北条の様になってたかも お神輿の中でも将軍はそれこそ出番1度もなかった気が、名前すら出てこなかったんでは ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています