【1991年 大河ドラマ】太平記part.61
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両統迭立は面白いよね。鎌倉幕府、持明院統、大覚寺統の三つ巴の心理戦が興味深い。これが南北朝になると途端に面白くなくなるんだよな 高義の息子が生き延びて、高義の子孫が続いたら
尊氏の息子と鎌倉時代までに別れた支流との間ぐらいの家格の足利一門になったのかな
はたまた名越北条みたいな自意識を持って南朝に与するのか。 >>255
南北朝も、北朝、南朝、直冬派の三つ巴とか面白すぎだろ
というか南北朝が面白くない人が何でこのスレにいるのさ?
スレ住民に喧嘩売るのが目的か? 尊氏も直義も南朝に鞍替えした上で内乱を起こすのハタ迷惑すぎて好き >>256
高義が生きてても後醍醐の綸旨で北条を見限ってたのかもな
北条の姻戚で裏切ったのなんていくらもいるし 高時からもらった「高」の字を終生捨てなかった判官殿 流石に天皇の諱を貰えるって話になったら、如何に太守様に恩があっても、なぁ
(そういうところで北条は弱いのだ) 高義が生きてたら側室腹の尊氏や直義の鎌倉幕府からの待遇は足利一門の中では尾張家の斯波氏より下にされてたと思うわ 京極は高時からもらった高が、小笠原は貞時からもらった貞が通字になってる そういえば鎌倉時代の足利、鎌倉公方家の通字氏ってどこから来たのだろう
義氏? 義氏の代に母方の北条氏を憚って氏に変えたってどこかで見た。
室町では武家の棟梁として義に変えて、鎌倉公方は足利として氏のままって。 三浦も義村以降は義の字を使わなくなるからなんか憚りがあったんだろうな
新田も義貞義助が足利高義から偏諱を賜るまで足利に倣って氏が通字だったし(庶流などは例外あり)
佐竹の様に鎌倉幕府と距離がある存在はどうでもいいって事で見過ごされたのかも知れんけど 高義の遺児とか直冬の二の舞になるイメージしかない。まあでも大将軍尊氏の意向で何とでもなりそう。斯波が生まれた経緯は目の上のたんこぶの北条がいたからだし >>271
それで高義本人じゃなくて高義の”息子”が生きのびたらで話を振ったのに
皆高義本人が生きのびたらでレスしてて残念 当時の発給文書から足利家の当主継承は貞氏→高義→貞氏(再承)→高氏の順ではと言われてるな
だから貞氏は優柔不断な高氏ではなく安芸守に家督を継がせようとしてたのかも
高氏は高義が死後も幼名が義氏以来嫡男が名乗る三郎ではなく又太郎だったし
すでに動乱の時代に突入してたから頼氏家時貞氏のような幼少の当主では家中が纏まらないと判断された可能性は高い 斯波とかもいるしね。でも貞氏が尊氏の家督継承を嫌がったのは母が北条じゃないからだろう。自害した父家時の影がちらついたんだよ 尊氏が家督を継承したのは北条の意向もあったのかも
宮方と戦う最中に承久の乱の先例通り足利を将軍として派遣したいのに幼主じゃ扱いに困るし
とにかく末期の鎌倉幕府は先例重視だから
後醍醐を隠岐に配流したのも後鳥羽の先例に則ったんだろうし 高義没1317年
安芸守某が戦死したのは1336年とされると元弘の乱の時は10代後半以上ではあったはず
家督継承出来なかったのは母の身分が低かったとかかね 鎌倉幕府と貞氏健在だったら、高義息子に返したかもしれんけど 安芸守は高兼とか邦氏とか名乗ってたのかね
将軍家一門なのに諱さえ伝わらないのは闇を感じる 平安後期あたりだと武士のあがりの官位ではある
>安芸守 北条経時と足利高義は本人が早く死に優秀な弟の系統に変わられ子孫が冷や飯を食った所が似てるな
経時は宝治合戦、高義は元弘の乱と生きてれば死後の戦乱の行方が変わったかもと予想したくなる 経時は三浦と懇意にしていたし高義と北条との関係も良好だと思われるからな 経時の息子も孝義の息子もそこで断絶か
三国志の孫権や真田昌幸も兄の幼い息子を差し置いたパターンだな。 高義の娘は甲斐の武田信武に嫁いだみたいだけど子供がいたかは不明
信武の息子で甲斐武田を継承した信成は母が二階堂行藤の娘
つまり二階堂道蘊の姉妹の血が信玄や勝頼に引き継がれてる もつ一人の娘は、二橋上杉氏に嫁いで、二橋上杉氏→今川氏→正親町三条家…と公家に繋がって、今上天皇まで行き着くってサイトを見つけたけど、本当かねえ。
wikiも(要出典)って書いてるし。 >>283
久々にやばい奴を見た気がする
>>285
分かってるのか分かってないのか混乱するレスやめい >>289
尊氏の血筋は断絶してるでしょ?
江戸時代の話だけど 別姓になったものを含めたら残ってない?
平島公方とか。 宮原氏も女系だけど繋がってるはず
信ぴょう性怪しいのを含めると細川藤孝(三淵氏出身・足利義晴の落胤説あり)の子孫とか 足利も徳川みたく他大名に養子を送り込んでいたら尊氏の血統上の子孫がもう少しいたかもな 鎌倉公方みたいに幕府に従わず乱が勃発して短命になる予感 婚姻後ほぼ一穴主義に近かった尊氏の血が現代までつながっていたのが奇跡 >>295
逆に子孫増やそうと手当たり次第な義詮が短命という
尊氏は女のかわりに画とか和歌とか禅でストレス発散してたかもな、あと寵童
実家の後ろ盾が無くなった登子が煩そうだし 別姓の方でも血筋が繋がっているなら足利家に養子入りして
家名と血筋の両方が残ってほしい 北条や豊臣みたいに族滅されたわけでも無いのにえらく子孫が少ないんだな 江戸時代の足利氏(鎌倉公方系)は水戸徳川から養子が入ったけど、明治期に上に出てきた宮原氏から養子を迎えた。
でも色々あって離籍して水戸徳川が再び繋いで現在に至る。
平島公方の系統は足利姓に戻してるし、太平記のふるさとに出てきてたよ。 平島公方の子孫は笑っていいとも!の御先祖紹介コーナーに出てるのを見た、足利義弘氏だったかな 水戸徳川って尊氏を逆賊・大悪人と主張してたところじゃないの? >>298
でも北条や豊臣ほど悲惨な感じがあまりしないのは尊氏以前の義国流諸氏の子孫がいっぱいいるからかな
吉良氏なんて米沢上杉を乗っ取り子孫が宇宙工学者だし 結局現代では足利嫡流は喜連川になったんだっけ?平島公方のほうは子爵を受けられなかったとかで。けど尊氏の血が繋がってるのは平島のほうかな? 全く意味のない議論だな
>>281の書き込みが元だけど
北条氏は中先代まで、
足利はせいぜい義昭で歴史的には滅んでる
血が繋がってる云々は意味がない
後北条に伊豆北条家の血が入っているかどうか議論しても始まらんやろ 全く意味のない議論だと思うのなら見なければいいだけなのです 釈迦堂殿・上杉清子・赤橋登子・渋川幸子の足利家に嫁いだ四人の生涯を描く「おんな太平記」とかリメイクしないかな
清子を沢口靖子がやればジョイントするし 足利って嫡男以外は寺に入れるし女子はあんまり目立ってないよな。義満の女系あたりは残っててよさそうだが >>268
そもそも足利義氏の「義」は北条義時からの偏諱という意味合いもあるし
>269
逆に北条義時の「義」は恐らくは烏帽子親が三浦義澄あたりであったことに由来している >>282
安達泰盛の血を引く高義が北条と上手くやれたかどうかは微妙だと思うぞ >>309
高義が元服した頃は安達の名誉回復はとっくにされてたろ
太守高時の母ごぜと正室は安達一族
ドラマでは円喜の独裁みたくなってたけど実際は安達時顕との両巨頭が長老として控える集団指導体制だし 貞時存命中は霜月騒動で滅んだ安達一族の法要をやることはずっと憚られていたし
その後も長崎と安達の間のゴタゴタで嘉暦の政変みたいのが起こるからその辺は微妙だよ 尊氏・直義の二頭政治を
主従制的支配権と統治権的支配権の分離だとする考え方があるけど
これはつまるところ鎌倉幕府の将軍と執権の関係の踏襲ということでいいの? >>312
そうだろうね
尊氏直義からしたら前例が鎌倉幕府しかないからとりあえず踏襲するしかなかった
ただそれが観応の擾乱を招き義詮以降の将軍権威確立へと繋がる
>>308
義氏の義が義時かは時期的に何とも言えない、父の義兼や兄の畠山義純・桃井義助の様に源氏の通字として使われた可能性もあるし
北条の権威が確立した泰氏以降は間違いなく片諱を賜る関係性だったけど 安達も長崎(平)も嫡流が滅ぼされたが生き残った分家同士なのが面白い こう見てると子孫を繋いでいったら後世はわからないもんだね
おまいらも子孫を残すんだ >>313
足利義氏(1189生)って時期的に見て
元服の際の烏帽子親は北条義時と見てまず間違いないんじゃないか?
逆に北条時氏の烏帽子親は足利義氏である可能性が濃厚 >>316
しょせん伊豆の小さな豪族風情に烏帽子親、ってムリありそうな 一応、母が義時の姉で、義氏が幼い時に両親が亡くなって三男にも関わらず家督を継いだって背景がある。
本来の意味での烏帽子親でも問題なくない? >>316
義氏が元服した頃はまだ時政が健在だったはずだからな 義時が偏諱を与えたとはっきりしてるのは安達義景(景盛息泰盛父、「時宗」の小野武彦)くらいしかいないんだよな
泰時以降はおろか時政よりも少ない
義時はあんま烏帽子親とかやりたがらない人だったのかも
足利義氏が偏諱を賜ったのは状況的にはおかしくないけど史料的な決め手に欠ける
新たな史料が出てくるのを期待するしかないか >>320
安達義景のほかに島津忠時(初名 忠義 島津氏二代目)と二階堂行義(道蘊の曾祖父)も義時が烏帽子親なんじゃないかと言われる
ただ三人とも義氏より十くらい歳下 義の字は河内源氏に憚ったんじゃないかと。義時の息子に義を使った者がいないんだよな >>322
息子に限定せず子孫まで含めれば塩田義政とか赤橋義宗とかがいるし
北条一族において「義」がNGな字というわけでもなかろう 北条義時の「義」自体は三浦義澄からの偏諱なんだっけ? 同時代なら小田治久
戦国時代なら上杉謙信とか何人もいる 伊達稙宗「流れ公方本人の承諾無しに偏諱を貰ったけど愛さえあれば関係ないよね(なお義高時代の義澄からも貰っている)」 鎌倉(北条)室町(足利)江戸(徳川)の三幕府すべてから片諱をもらった大名って島津毛利京極小笠原くらいかな >>329
足利を鎌倉(古河)公方OKにしたら結城も入る
結城朝光(頼朝)
結城宗広・貞広ら(北条)
結城政朝・晴朝ら(足利)
結城秀康(豊臣・徳川) あと伊達もかな
開祖朝宗が頼朝、二代目義広が義時からみたいだし >>330
極楽寺流(赤橋・塩田)にどういうわけかいるんだよな
極楽寺流は得宗家が将軍偏諱を受けなくなる時期にも将軍偏諱をもらっているし
この辺りはなかなか興味深い 金沢貞顕の息子が貞将とかなのも得宗家への配慮なのかね
親父の顕時は霜月騒動で逼塞したからあえて息子には付けなかったのか? 貞顕・貞将と二代続けて貞時が烏帽子親だったからじゃないの? 貞将の子は時が付いてる(忠時、淳時)からね。
誰の偏諱かはわからないけど。
貞冬みたいに公家かな。 鎌倉期の足利宗家歴代のなかで名乗りが変則的と言われる足利家時についても
「時」の字は間違いなく得宗家からの偏諱でしょう?
「家」は義家流の諸氏での使用例が多いのでそちらからだろうけど 足利も斯波も60以上まで生きた人があまりいないのに吉良今川系統は貞義とか貞世とか長寿の人がちょこちょこいるな
今川氏真とか吉良義央もまあまあ長生きだし >>338
家氏の名前自体が義家流の諸氏が家を使う一例ではあると思うけどね
>>339
比較的気候が良い東海地方が活動拠点ということもあるかな? TVアニメ化「逃げ上手の若君」
ttps://nigewaka.run/ 吉良上野介って吉良義昭の兄の系統らしいけど、この兄の家系図を徳川に無理矢理繋げて源氏将軍になったんだっけ? 吉良義昭と対立していた吉良義安の系統が近世の高家吉良氏になるが
吉良氏は足利流、得川・世良田氏は新田流であり
吉良氏の系図に繋げるというのは意味不明なのだが・・・? >>347
ついて行けなくて悔しいですとなぜ素直に言えないのか >>348
板違いを開き直るほどのバカですと白状して嬉しいのか >>350
なにも言い返せないミジメな犬くん、臭いからあっちへ逝きなさい >>351
アホ過ぎワロタ
ドラマの話題も振らずに歴史談義をスレ違いなどと吠えるから皆から白眼視されるのじゃよ
カッカッカッ >>342
義氏から先が平均寿命ぐっと下がるからなあ
北条との血縁婚と過度なストレスが原因か
>>341
逃げ若の尊氏はあれはあれで好き >>352
ドラマの話題がないなら板違いの歴史談義でも問題ないのか
どれほど劣悪な環境で育つとお前みたいにお粗末な自己中心な人間が育つのだろう???? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています