【2023年大河ドラマ】どうする家康★13
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【放送予定】2023年1月8日~
【脚本】古沢良太
【主演】松本潤
【音楽】稲本響
【語り】寺島しのぶ
【ロゴ】GOO CHOKI PAR
【制作統括】磯智明
【演出】村橋直樹、川上剛、小野見知
【プロデューサー】村山峻平、川口俊介
【公式HP】https://www.nhk.or.jp/ieyasu/
※本スレはガイド本、ノベライズ等によるネタバレ禁止です。ネタバレはネタバレスレでお願いします。(史実、伝承、他作品(本作と同時代の作品に限る)に関するものは可)ルールは絶対厳守です。
※妄想キャスティングや台詞を空想して書き込むのも禁止です。
※次スレは>>900以降、皆で協力して立てましょう。
※時代劇板のワッチョイ有スレは、こちら。
【2023年大河ドラマ】どうする家康part1【ワッチョイ有り】
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/kin/1671782390/
※ネタバレスレは、こちら
【2023年 大河】 どうする家康 ネタバレスレ
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1673089554/
前スレ
【2023年大河ドラマ】どうする家康★12
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1673286966/ >>673
築けなったってw
足利氏は三河→下野→三河
関東にとって、三河の源氏は侵略者だろう
■源頼朝と従兄弟2人の関東支配の裏歴史
1181年:源頼朝は藤姓足利氏を滅ぼし、三河の母方従兄弟の源義兼に足利荘を安堵する(源姓足利氏の始まり)
1181年:源頼朝の意向で、足利義兼は北条時子(政子の妹)と結婚する
1182年:源頼朝の従兄弟の寛伝が、頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる
■日光山
源頼朝が、三河の母方従兄弟(寛伝)を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた
源頼朝
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→女(由良御前)→源頼朝
足利義兼(初代源姓足利氏)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→女(実父は季範長男の範忠)→足利義兼
寛伝(寛典・観纒とも、額田僧都、式部僧都と称された、日光山満願寺19世座主)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝
寛伝年表
・1142年、生まれる
・叔父の三河法橋裕範(源頼朝の母の弟)、粟田口法眼長暹(源頼朝の母の弟)を頼って滝山寺(三河県岡崎市)で仏門に入る
・仁和寺で修行
・1182年、源頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる
・宗徒と面会する際、御簾を半分にしか上げず紛紜、2ヶ月で三河国(三河県岡崎市)に戻る
・菩提寺の滝山寺(三河県岡崎市)僧侶になり、66郷を領し精舎一区を創建する
・鑁阿寺奥院の法界寺に、宋版の一切経を納める(後に一切経は、足利義氏により鑁阿寺に)
・高野山御影堂に大鐘を施入する
・1201年、頼朝公の3回忌、滝山寺内に惣持禅院を創建し、本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩を安置する
・惣持禅院に供僧10人を常置し10町の土地を寄進する
・1205年、死去する 家康は変わってくんだろうけど瀬名は変わらないんだろう
ここのテンプレにも書いてあるけど
木に縛りつけるのを瀬名がやるの? >>680
本能寺のサイトに法華宗は種子島に信者が多く鉄砲や玉を手に入れられるから
信長の逗留はその目的もあったと書いてあるので鉄砲があってもおかしくはない
記録文書には残っていない(研究者は史料第一主義なので)からアドバイスしたけれど
その辺も考慮したんじゃないかな >>687
単純に経済的に貧しい甲信から拡大する必要が有るのが前提で
戦略的に東濃と奥三河が信濃方面からの出口で橋頭堡になるという当たり前の話
無理してチョークポイントとか使うと逆におかしくなる(2箇所有ったらチョーク言わん) >>697
有村のインタビューで今後の瀬名の計画をどう含み持たせるか考え中と言ってた >>669
伊勢氏が足利氏と知り合ったのは、足利義兼と藤原俊経が三河の滝山寺を通じてと思われる
つまり平安期で、上杉氏より古い
伊勢氏も始まりは三河だな
後北条氏(伊勢氏)の祖、伊勢俊継
伊勢氏(藤原俊経→伊勢俊継(初代伊勢氏)→盛継→貞継)
■藤原俊経(****~1238):初代伊勢氏・伊勢俊継の父
・肥前前司
・法名願仏
・弟の相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は三河国滝山寺僧侶
・三河国滝山寺に持仏堂を造営する(後に持仏堂は、甥の大進法眼増恵に譲られる)
・三河国滝山寺に古市場御油畠を寄進する
・歴仁元年(1238)5月13日、京都東山一切経の谷で死去
■伊勢俊継(1217~1274):初代伊勢氏
・藤原俊経の息
・伊勢前司
・建長7年(1255)、三河国滝山寺に、足利義氏追善の法華堂(宝幢寺)を造営、この堂に田畠3町8段を寄進、足利家氏に働きかけ、家氏の三河国碧海荘青野、宇祢部の料田畠を寄進させる
・天照大神のお告げで姓を伊勢に変える
・文永11年(1274)6月23日、鎌倉で死去
■円辰(****~****):初代伊勢氏・藤原俊継の叔父
・藤原俊経の弟
・相模法橋
・三河国滝山寺僧
■増恵(1209~1283):初代伊勢氏・伊勢俊継の従兄弟
・円辰の息
・聖蓮坊大進法眼
・三河国滝山寺僧
・叔父藤原俊経の持仏堂を譲られ、自身の持仏堂とする
・吉良荘の奉行として、吉良氏の所領経営をする
・建長6年(1254)、本堂屋根瓦替工事の大勧進を勤め、同年、温室を改造する
・正嘉元年(1257)、一切経蔵を造営する
・文応2年(1261)、山王社の宝殿を改築する
・弘安6年(1283)2月13日、鎌倉滞在中に死去 糞雑魚会津人のせいで20台が絡む交通事故が起きたな >>673
三河スタートで、ことごとくが勝利しとるがな
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 家康を死ぬまで描く気なら、瀬名であまり引っ張ると、長生き家康の後半の尺が足りなくなって
関ヶ原以降はかなり駆け足展開になる気もするので、ほどほどで殺して欲しい
死ぬ直前の大坂の陣でも豊臣の処遇で家康的にはドラマがあるからな、晩年をナレ飛ばしして
いいようなもんでも無いと思う >>673
地政学的な価値で言ったら隣国の尾張と美濃が圧倒的だし
関東からの出口である相模や駿河の方が重要
三河が難しいのは
戦略的に中途半端な重要性の通り道で
政治的に主に奉公衆等の小さな領主の土地だったから
だから当然のように重要性の高い土地を抑えた守護大名と守護代家臣の成り上がりに対抗出来なかった >>687
物を知らない田舎者だな
足利氏、足利一族とお友達だからに決まってんだろう
元弘の乱時、三河を守護していたのは、石和系武田氏
つまり、甲斐源氏にとって歴史的に三河は良く知る地なんだよ
結城文書に残る天龍寺供養日記は、具体的な勝ち組が記載されている貴重な資料だが、三河の足利一門、三河の足利被官以外だと甲斐源氏の多さに驚く
天龍寺落慶供養参列者
先陣
山名伊豆前司時氏
総鞦
武田伊豆前司信武、小笠原兵庫助政長、戸次丹後守頼時、伊東大和八郎左衛門祐熈、土屋備前権守教遠、東下総中務丞常顕、佐々木佐渡四郎左衛門尉秀宗、佐々木近江四郎高秀、大平出羽守義尚、粟飯原下総守清胤、吉良上総三郎、高刑部大輔師兼
帯剣(左)
武田伊豆四郎、佐竹刑部丞師義、小笠原十郎次郎政光、三浦駿河次郎左衛門尉藤村、二階堂美作次郎左衛門尉政直、佐々木佐渡五郎左衛門尉高昌、海老名尾張六郎季直、逸見八郎貞有、設楽五郎兵衛尉助定、寺岡兵衛五郎師春、逸見又三郎師満、小笠原源蔵人、佐々木出羽四郎兵衛尉、富永孫二郎左衛門尉、清久左衛門次郎泰行、曾我左衛門尉師助
帯剣(右)
小笠原七郎政経、佐々木信濃五郎直氏、小笠原又三郎宗光、三浦越中次郎左衛門尉、二階堂対馬四郎左衛門尉、佐々木佐渡四郎高秋、平賀四郎忠経、小笠原太郎次郎行継、設楽六郎助兼、設楽二郎、逸見源太郎清重、秋山新蔵人、佐々木近江二郎左衛門尉清氏、宇佐美三河三郎、木村長門四郎基綱、伊勢勘解由左衛門尉貞継
御兄弟御車
足利尊氏(将軍家)
足利直義(三条殿)
役人将軍家
南遠江守(剣)、長井大膳権大夫(沓)、佐々木源三左衛門尉(調度)、和田越前守(笠)
役人三条殿
播磨前司(剣)、長井治部少輔(沓)、佐々木筑前三郎左衛門尉(調度)、千秋三河左衛門大夫(笠)
布衣
高師直、上杉朝定、上杉重能、高師泰、高重成、上杉朝房
随兵
尾張左近大夫将監氏頼、千葉新介、二階堂美濃守行通、山城三郎左衛門尉行光、佐竹掃部助師義、佐竹和泉守義長、武田甲斐前司盛信、伴野出羽前司長房、三浦遠江守行連、土肥美濃権守高真
直垂
土佐四郎、里見民部少輔、安芸守、山城守、大平四郎左衛門尉、摂津右近蔵人、水谷刑部少輔、長井丹後左衛門大夫、長井修理亮、佐々木能登前司、佐々木豊前権守、中条備前守、美作守、町野加賀守、武田兵庫助、武田八郎、大内民部大夫、結城大内三郎、田中下総三郎、狩野下野三郎左衛門尉、島津下野守、土屋三河権守、薗田美作権守、梶原河内守、安保肥前権守、小幡右衛門尉、疋田三郎左衛門尉、寺岡九郎左衛門尉、寺尾新蔵人、須賀左衛門尉、赤松美作権守、須賀二郎左衛門尉
後陣
大高兵庫助 こんばんはが受けたんじゃなくて
北大路欣也だから受けたんだろ
家康にはボスキャラの貫禄がほしいんだよ
御所様(義元)の仰せだからやむを得ず鶴姫を嫁にしてやるとぬかし、
あまつさえ庭先で立ち小便をかますような器のデカい竹千代が。 元々、甲斐源氏の嫡流は伴野氏
伴野氏は霜月騒動で滅ぼされたが、三河に逃げてきて、吉良氏の保護を受けた奴がいる
それが幡豆小笠原氏だ >>708
それは晩年だけど若い頃はそうでもないのでは
サダヲ風間も貫禄あったとは言い難い
高島兄さんも今は貫禄あるけど家康の時は貫禄なかったよ
あとは黙れ小童の家康も 室町期、足利将軍家の本拠地は洛中ではなく三河
その三河に、三河以外にも所領を安堵されていた奉公衆がウジャウジャいて、
三河が弱小国なわけねーだろう
家康つーのは、軍事的にも経済的にも日本最強の国に生まれた
幕府が江戸にありながら、幕政は三河国が牛耳るのは室町幕府と同じ
徳川は足利将軍家を模したんだろうが、農民出自の奴は理解出来んらしい
室町幕府 三河国の日本支配構造
【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250~300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数
・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏
三河国の奉公衆一覧(全52家)
【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和 いい加減、司馬遼太郎キュンの本、焚書しろ
こんなもん読んでいたら、馬鹿に育つ 清洲同盟は第4回みたいだから一つ目の危機もしっかり描くのでは
一向一揆も3話掛けるし >>710
なんだかんだで武家としての今川家は滅んでも、死なずに文化人として子孫を残した功績は大きいと思う 俳優陣を誰がまとめるんだろ
座長的な役割は普通主役がするけど、松本には無理だろ なんか大横綱の子供時代を相撲が弱い少年に描く感じ
少しずつ強くなってくのではなくいつまでも弱いまま
しかし最後には大横綱になる歴史が決まっているので勝ち続けなければのような >>716
そのあたりは直虎の放送の頃に散々言われて今の氏真の再評価に繋がったな
大河としての出来はアレだったが今川と氏真を見直すきっかけになったのは直虎の功績の一つだな 氏真とか劉禅とか無能扱いされるけど寿命まで生きれた勝ち組
しかも後半生悠々自適ぽいし 松潤が白髪で村山富市みたいな眉毛で
外堀埋めるようなことやれるような演技力を感じない
吉沢ですらまったく無理だったのに >>712
奉公衆如きがウジャウジャ居るだけって
それ弱小って事やぞ
三河ジジイを揶揄ってみた >>717
いや普通にまとめてるでしょ話聞くと
インタビュー観てみ >>708
松方弘樹も津川雅彦も亡き今
晩年の家康は北大路欣也ただひとり…
唐沢寿明あたりがそろそろじいさんになってこの辺にトライしてほしい
有力候補だった長塚京三はどこへ消えた >>724
お言葉ですが
武士階級が存在しなく、味方武士のパシリとして、農作業に従事していた尾張の田舎者こそ、弱小国の住民なんですが
よくこんなダセー町に愛着があるよなw
■那古野荘(名古屋)
・開発者:小野法印顕恵(東大寺別当)
藤原顕隆→顕頼→小野法印別当
藤原顕隆→顕頼→女→平滋子(建春門院)
■平安時代
・小野法印顕恵が開発
・小野法印顕恵は姪の平滋子に領家職を譲る
■鎌倉時代初期~中期
・領家職は、小野法印顕恵の兄、惟方の孫である経長に移り、女系が伝領する
■鎌倉時代末期~南北朝
・足助氏(三河国賀茂郡足助、三河県豊田市)が領家職となる
■室町時代
・今川那古野氏が領家職となる
初代は、名越高家と今川国氏(三河国碧海郡今川、三河県西尾市)の娘の子である名越高範か?
・1522年頃、今川氏親(三河国碧海郡今川、三河県西尾市)が那古野城築城
■江戸時代
・徳川家康(三河国額田郡菅生、三河県岡崎市)が那古野の呼び名を名古屋に固定、名古屋城築城
■現代
・豊田佐吉(三河吉田藩山口村)がトヨタグループを発祥させる >>724
よくこんなダセー町に愛着があると、感心するよな
尾張の万年パシリの田舎者には
斯波義重
清州城築城者
尾張国守護職
父:斯波義将
・管領
・越前、越中、信濃守護
母:吉良満貞の娘
・父は西条吉良氏
・父は三河国西条城主
・父は引付頭人
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京(初代から先代)之地也」
「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠とした >>726
唐沢に陣内孝則、吉川晃司辺りもいいね
官兵衛の親父役で柴田恭兵が出てたけど良かったな >>699
単純な膨張主義を続けられるほどの国力は甲斐にはない
なので東山道と東海道を同時に掌握できる西の拠点が
尾張、美濃、三河あたりに欲しかったのでは?
という推理なんだけどね なんとなく大森南朋が長門勇に見えてしまい落ち着かない。 >605
>606
>727
>729
>696
>712
> 701
>703
>707
誰も参考にしない脳内妄想ご苦労さんww >>707
うんまあ
石和流武田を筆頭に甲斐源氏は良くがんばったのは確かだが
官位はともかく三河を在地支配したことはないだろうから
スペック的な知識としてはあっても「良く知る地」というほどでも… >>732
現代社会においても、東京志向、大阪志向と言う言葉があるとおり
何らかの縁故があるから、東海地方なんだよ
武田と言う苗字は、日本武尊と尾張のメスの間に生まれ、尾張から山梨に移住した武田王に由来する
歴史つーのは、こういったセンスで語れ >>737
土着歴史家に騙されてて笑う
センス無いよ >>737
wikiで武田王を調べたらマジだった… >>726
水戸黄門の後を東野英治郎から西村晃までは雰囲気あったけど里見浩太朗あたりはものすごい違和感引っ張ったから唐沢もキツイだろうね 武田王の兄弟が佐伯王とかやらで、コイツが三河らしいな
そして、三河には日本武尊と兄弟もいた
中世の武士が日本武尊とかw
とか支配階級と無縁な田舎者抜かすだろうが
梅松論には日本武尊に言及している記事がある
つまり義家流源氏は、東国征伐のルーツを日本武尊に求めていた事が分かる
日本武尊と言えば、草薙剣
三河の藤姓熱田大宮司家の血を引く源頼朝、足利尊氏の使命感の源泉でもある
日本武尊の実在モデルが建稲種命なら、三河に墓がある
正法寺古墳がその墓で、祀る神社が旗頭神社だ
正法寺古墳
https://ja.m.wikiped...F%E5%B0%BE%E5%B8%82)
幡頭神社
https://ja.m.wikiped...AD%E7%A5%9E%E7%A4%BE
そして正法寺古墳の裾には、足利尊氏再興の正法寺がある
三河を探れば、全部意味があるんだよ
正法寺
https://jinja.dr-lea...ji-nisio-kiraokkawa/
寺宝
足利尊氏寄進 扁額
足利義満寄進 太刀、獅子頭、扁額
日本武尊の双子の兄弟を祀る、猿投神社
https://yaoyorozulab...azujinja-kira-nisio/
日本武尊の双子の兄弟を祀る、猿投神社
足利尊氏は、猿投神社の東の宮を創建し、槍と鏡奉納した >>737
え?
確か武田氏って義光の息子の義清が常陸国の武田郷を相続したのが始まりじゃなかったか? 畠山重忠と義時の殴り合い笑笑を観た後に家康と忠勝の海の取っ組み合い見るとめっちゃ良いやんってなる さっき阿部寛信玄の記事出てたけど
あの出演時間たったの15秒だったんだな どうする家康の話を語りの寺島しのぶ演じる何かの役が家光とかに話してるっていう設定だとしたら
信長は西洋風の服を着てるって伝わっててもおかしくないのかなって思った 孤高のグルメの人が場面がピリッとしていい
ハナコの岡部が思いの外良いな 麒麟で最後に主人公が生き残るって歴史改編を許した前科があるから、この家康だってIF戦記としてしまえば、なんでもありだろ
三河一向一揆負ける、三方原負ける、小牧長久手負ける、関ヶ原負ける、大坂の陣負ける、人生負け続けて最後どうするの家康でもいいよ
その方が視聴者も先の展開が読めなくて面白いだろ 平清盛はマツケンは熱演していたのに画面が暗すぎ見づらくて脱落してしまったので、家康はもっと輝度を上げてほしい
オープニングの役名の文字が小さすぎてみづらい
でも統括が同じだからあれで押し通すのかな >>750
ハナコの岡部意外といいよね
あとメガネかけてない野間口さん渋すぎる >>752
脚本も良かった。
ゲームデザイナーみたいな人に登場人物の服装デザインやってもらって、宮中の女性なのに
黒っぽい十二単とかありえない配色を着せていた。 >>747
少しは武田方もやってくれるといいけどな、平山先生呼んでるからやるとは
限らないのかな 清盛で失敗した統括再びとか
NHK組織として終わってるね
信賞必罰がない >>759
それがなつぞらでそこそこやってしまいましてねぇ…。 >>727
室町後期の三河が小規模奉公衆という雑魚の集まりだって事への反論に何もなってなくて草
そりゃ自分が言った事だから否定出来るわけないわな >>732
甲斐というより信濃衆の出口が奥三河か東濃しかないんだから
そこ攻めるの当たり前やろ >>752
ウチではカーテン閉めて部屋の電気消してTVの明るさ最大にして鑑賞した
そういう方法は確かにあるが、最初からそういう作りというのは困るよね >>761
ほぼ全域が御料所で、小規模な奉公衆云々も糞もないだろう
御料所なんだから、三河のオヤビンは、スーパーパワーの足利将軍家に決まってんだろう
何処が雑魚なんだ、偏差値50め ほぼと言ったのは、幡豆郡は足利将軍家御一家の吉良さんが居たからな
あとは加茂郡が元皇室領荘園で足利将軍家も手が出せんかったが、義政が中条氏を滅ぼしたあとは、足利将軍家たる吉良氏と一色氏の所領となり、事実上御料所に組み込まれた >>761
そりゃ三河屋の脳内妄想なんだから根拠なんてあるわけないw
斯波氏や高氏、上杉氏を何の根拠もないのに三河にしているのが何よりなの証拠w >>764
御料所こそ手が出しにくいだけの空白地帯
京に近い場所でなきゃ守れやしない
戦乱になったら1番のカモ
室町後期から戦国時代にかけての歴史が証明しとる >>766
先祖代々の墓所があるんだから、当たり前だろう
初代の家氏は三河で出家した
大崎氏・最上氏の祖
http://www.inn-suzuki.com/info.html
>中新田城
>斯波家兼が奥州探題に任ぜられ、三河の国からこの地方に赴任
斯波家兼(足利家兼)
父:足利宗氏
母:長井時秀(大江広元の曾孫、室は安達義景の娘(安達泰盛の姉妹)の娘)
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京(初代から先代)之地也」
「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠とした
永源寺
中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に三河国碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。 なんか三河ジジイって言ってる事が悉くブーメランなだよな 海外だと「ゲーム・オブ・スローンズ」が火付け役になって、大人向けに真面目な架空歴史ドラマが
何本も作られてるけど、NHKもそろそろ大河枠使ってあのジャンルに手を出してもいいんじゃない?って
思うけどな、資本力はあるんだから
戦国舞台にやれ信長だ秀吉だ家康だって、あと何回こいつら焼き直せば気が済むんだって感じだ
架空のファンタジー戦国史にしちゃえば歴史通気取った素人がドヤ顔で長文連投するウザさも無くなるのに
今回なんか試行的にやってみるには良い機会だったと思うけどね デカい口叩いてた癖に格下(織田信長)の少数の軍に奇襲食らって最後は歯がいじめにされて首を落とされた今川義元って恥ずかしい奴だと思う?
恥だと思う?
どう思う? >>770
精液の搾り人 もとい 精霊の守り人 の悪口はそこまでた! >>771
そしてこのレッテル貼り誹謗中傷の遠吠えである 金ぴか甲冑は実物が存在してるから登場させても良いと思う
メガネおさげ西洋甲冑も実物が存在してたから、
へうげものでノッブが着てた >>770
精霊の守り人が当たってればな
大奥やるからやる気がないわけではないんだろうが >>770
いだてんが酷く嫌われたのも、
歴史マニアが蘊蓄垂れにくい時代だから、ってのも理由のひとつだよね?
あまり知らない時代の、知らない史実を知られたので、
いだてんは楽しめたけどね
架空の歴史を取り扱わなくても、
史料の少ない時代や人物を主人公にすれば、
面白いものは作れると思うけどね >>773
むしろ成り立てとはいえほぼ国持ち大名自ら居城どころか前線の砦まで飛び出して突撃する信長こそが異常だと言える
実はあんま指摘されてない事だけどね
似たような事するのは謙信以外他に誰が居る? >>770
ゲースロ薔薇戦争モチーフだから
モデル人物は誰々?って
(悪女サーセイがヘンリー6世王妃マーガレットオブアンジューみたいな)
史実と比較が行われると思う 政令は原作ありきだけど大河ファンタジーって新ジャンル挑戦するにはファンタジーに寄りすぎたよ
アニメでやるにはいいかもだけど実写では・・・
しかも主役が棒で有名なあいつだし、役者選定の段階で爆死の悪寒しかしなかった
もっと、史実をベースに現実の世界と歴史で(もののけ姫程度に神様とか神話要素入れてもいいけどさ)
あの時がこうなったらどうなったみたいな世界でやればと思うけどね >>762
大規模軍事行動にはカネがかかるからね
出口を求めた当たり前の行動、では説明がつかない
西上作戦の直前にも上野経由で小田原城まで大遠征をしているし
全く人望のない義昭の呼び掛けくらいで大軍を動かすほどの余裕があったとは思えない
たまたま野田城まで進軍できてしまったが
病気がなくても相当キツいことを敢えて実行しようとした理由としては
「無理してでも今ここを抑えれば後でラクできるから」
みたいなものだったのでは、と思うんだがね >>779
信長はあれが義元の本軍と気付いてなかった説がある >>781
国持ち大名でもないし主君かつ総大将でもないしなあ >>778
>史料の少ない時代や人物を主人公にすれば、
>面白いものは作れると思うけどね
おっと、今度は直虎の悪口とか、そこまでにしてもらおうか >>783
むしろ小田原攻めより遥かに堅実で利益のある行動と考えれば自然やろ >>786
あれは腐の者向けの、可愛い役者を愛でるドラマだからw
後に一人、自死したのは残念だったよね 多少史実的な要素もあり、尚且つファンタジーで長編ってなると
「南総里見八犬伝」なんて題材もあるのよな
里見氏なんて河内源姓の実在した氏族が主軸だし古河公方だの扇谷上杉家だの足利だの出てくるし
妖怪変化、化け物の部類も軍勢も登場する
まーだけどさ、そもそも論として「坂の上の雲」枠で精霊やっただろ
あの枠は数年跨いで通常の大河より撮影期間や予算も表向きは潤沢に用意して臨んだ作品の筈だ
恐らく時期間的には>>770が挙げてたGOTなんかが持て囃されてた頃だと思うんだが
それだけ振り被った挙句があのザマだからな
俺個人の意見としたら歴史大作やファンタジー大作をNHKに期待するのは20年くらい遅いのよ
悪いけどNHKは滅びる運命で、これは遅かれ早かれ免れねー
期待するならネトフリとか海外資本の制作会社に日本の歴史題材作品を本意気でやって貰うとかな
HBOとかBBCとか余所の国の国営局なんかでも日本の物語やって欲しいな
中国で銀英伝の実写ドラマやるとかって話しはどーなったのかしらんが
そっちの方が善い物観れる可能性はあるだろ
NHKのドラマはWOWOWにも勝てない
大河なんて昔から1話七千万から億だって謡ってたが、兎に角中抜きが酷すぎなのよ >>710
どの解説書だったか、家康も氏真がこもる掛川城を武力で攻略できなかったという点一つを見ても
氏真は決して無能ではなかった、みたいに書かれてたな 西上作戦の目的は諸説あるけど
北条今川の塩止めのような経済封鎖が西の方からも始まっていて
実力行使せざるを得なかったんだろう
太平洋戦争に突入した時の日本みたいものかな
短期の電撃作戦で動揺させて優位に和睦したかった、みたいな? >>793
道三が死んで後ろ盾を失った信長が家督争いから統一に向けて動いてる間
調略と小競り合いでしか介入出来なかった1番の要因は雪斎の死だったんじゃないかと思う >>790
BBCウォーリアーズってナポレオンとかアッティラ大王とか
世界の覇者6人で家康取り上げて秀吉死去から関ヶ原まで描いてた
勝野洋が鳥居元忠で ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています