>>285
諦めろ
梅松論には、関東を東夷、北条を討伐すべき敵と見なし
東夷征伐の歴史を語る記事で日本武尊に言及している
日本武尊に足利尊氏を重ね合わせ、倒幕を正当化しているわけだな

梅松論
日本武尊から源氏三代将軍まで

「先代」というのは、元弘年間(1331-1334)に滅亡した相模守高時入道(北条高時)のことである。
 承久元年(1219)、武家の遺跡が絶えて以来、故頼朝卿の後室二位禅尼(北条政子)の計らいによって、公家の将軍を迎え、北条遠江守時政の子孫を執権として、関東において天下の沙汰をすることになった。

将軍とは何かといえば、人皇十二代景行天皇の時に、東夷が反乱を起こし、御子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を大将軍としてこれを征伐された。
 同十五代神功皇后は、自ら将軍として、諏訪住吉の二神を伴われて三韓を平らげられた。
 同三十二代用明天皇の御宇、厩戸王子が自ら大将として守屋大臣を誅された。
 同三十九代天智天皇は、大織冠鎌足をもって入鹿大臣を誅された。
 同四十代天武天皇は、自ら大将として大伴皇子を誅した。浄見原天皇がこれである。

以下略

つまり義家流源氏は、東国征伐のルーツを日本武尊に求めていた事が分かる
日本武尊と言えば、草薙剣
三河の藤姓熱田大宮司家の血を引く源頼朝、足利尊氏の使命感の源泉でもある

日本武尊の実在モデルが建稲種命なら、三河に墓がある
正法寺古墳がその墓で、祀る神社が旗頭神社だ

正法寺古墳
https://ja.m.wikiped...F%E5%B0%BE%E5%B8%82)

幡頭神社
https://ja.m.wikiped...AD%E7%A5%9E%E7%A4%BE

そして正法寺古墳の裾には、足利尊氏再興の正法寺がある
三河を探れば、全部意味があるんだよ

正法寺
https://jinja.dr-lea...ji-nisio-kiraokkawa/
寺宝
足利尊氏寄進 扁額
足利義満寄進 太刀、獅子頭、扁額

日本武尊の双子の兄弟を祀る、猿投神社
https://yaoyorozulab...azujinja-kira-nisio/

足利尊氏は、猿投神社の東の宮を創建し、槍と鏡奉納した