【単発連投】光る君へ アンチスレ Part1【IDコロコロ】
【放送予定】2024年1月7日~
【脚本】大石静
【主演】吉高由里子
【音楽】冬野ユミ
【語り】伊東敏恵
【題字制作】根本和
【制作統括】内田ゆき、松園武大
【演出】中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう他
【プロデューサー】大越大士、高橋優香子
【公式HP】https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/
※アンチスレもガイド本、ノベライズ等によるネタバレ禁止です。ネタバレはネタバレスレでお願いします。(史実、伝承、他作品(本作と同時代の作品に限る)に関するものは可)ルールは絶対厳守です。
※話の流れと称し、過去大河談議を始め、そればかりに注力するのはお控え下さい。
※次スレは>>900以降、皆で協力して立てましょう。
前スレ 驚いたときに目を見開いて口を尖がらす表情とかほんと演技下手クソだし浮いてるんだけど
まったく変わらないってことは大した演技指導してないね
男で言うとジャニタレみたいな感じで何か大きな力に守られて好きに演じてそう 99%フィクションなのに ハリウッドや中韓史劇のような面白みがほぼ無いドラマ >>450
脚本家が吉高褒める時にエロいエロい言ってたから
あれで色気がある紫式部のつもりらしい 暗い場所では肌がつやつやじゃなくテカテカしてるし今日は光で飛ばして真っ白だし
主人公としての華がないね
脚本も悪いけどさ ドラマ側が清少納言をやたら見下してるみたいだけど
100年後の日本人も枕草子を読んだり国語の授業で習うだろうね
一方どこかの低レベルなドラマはとっくに消えてるだろうな >>456
スタッフがあまりに凡人揃いなせいで天才紫式部を1ミリも再現できてない 一年追うつもりで楽しみにしてた大河だったんだけどこんなに質が悪いとは思ってもみなかった
紫式部と道長が嫌いになる前に切るわ >>459
同じく
政争はなんとか見れるがまひろパートが壊滅的な様相に まつりごと、と連呼するけれど
このドラマで描かれるのは政争ですらなく
家系存続をかけた世襲争いに血眼なトップ貴族の権力欲の醜さであり
それはただただ閨閥頼みで入内しろ、子を生めと延々繰り返すばかり
いや、別に藤原道長に連なるサーガが主題の一つでいいんだけど
ゴッドファーザーがピカレスク物の手本としてあれだけ魅力あるのは
彼らに世の掃き溜めのようなダークサイドに君臨した仇花という自覚があるためで
しかるに藤原道長の係累は人生のプライオリティが閨閥により権力を得ることしかない
望遠鏡を逆しまに見ているように、視野狭窄的でそのことに疑問を持たず(道長すら同じ価値観がベースにある)
物語全体がその視点で描かれる
一言で言えばくだらないことこの上ない 下らないことに人間的な面白みがある、という見方もあるが
なんというか貴族やその家族の権力闘争が非常に閉じられたサークルの中の話で
所詮コップの中の嵐にしか見えない
貴族以外は虫けらのように死んでいく存在のモチーフとしてのみ描かれ
散楽もまひろと道長を結びつける狂言回しとしての役割にすぎなかった
都がこの頃どのような社会であったとか朝廷とその他の地域はどのような関係だったとか
さらにさかのぼる古代から上代にどのように連なる人々の意思やなりわいがあったかとか
そんなことは全く眼中にない
せっかく珍しい古代を舞台にしているのにもったいない まひろがあなたは都であなたの成すべき事を成せと道長に説いたのは
つまりノブレスオブリージェの概念であり
道長は上級貴族に生まれ一族の価値観から逸脱はしないが
まひろへの恋情と、自分はある種のはぐれものであるとの自覚はあり(庶民への興味や藤原家を揶揄する散楽への親しみ)
まひろの出した宿題を懸命にこなそうとしている
彼の中の人間性の萌芽のささやかで多分に浅はかで俯瞰して見れば愚かなことも
後年の私たちが見るからわかることではある つまり、このドラマの構造は
権謀術数の政争ドラマ
vs
まひろと道長の恋愛少女漫画
ではなくて
身内すら裏切る支配階級で渦巻く権力欲の愚かさ(描写は書き割りのように薄っぺら)
&
平安文学のモチーフをあちこちにちりばめたペダンティズム(専門家の監修に基づくので間違いはない)
&
現代的価値観からのまひろのレーゾンデートルと自己実現の物語、付帯条項としての道長との結び付き
と見ている まひろの人格形成で一番重要なポイントは初回で母を喪ったことであり
以後「あらかじめ失われた存在」をずっと抱えて生きていくことにある
琵琶は亡き母のメタファー
この、人生の始まりで大事な何かを喪失したままその後一生を掛けてグリーフワークを成すことが
意識をしていなくとも彼女の人間観察の視点や物語を書き記して行く原動力に繋がる
その意味で、この世におよそ何も無意味なことはない
喪失からもまた創造を得られるのが人として生きる楽しさ、ダイナミズムである
という哲学を感じられたら面白いかなと思ってまたかろうじて見ている
最終的に感じられない可能性も高い ↑あんな低俗クソドラマでも
インテリの手になると、こんなに格調高く論じることができるんですね! 461〜465さんにアンゲロプロスやタルコフスキー のレビューを書いて欲しい
わりとマジで 466=468です
自演ではありません
人命軽視スイーツ大河に辟易して視聴脱落まったなしでしたが、461〜465さんの考察を御拝読できるなら踏みとどまろうかと まずアンチスレのスレタイが読めないバカはお帰りください 格調高い解説ワロタ
この半分でも知的な所があれば見れたかも
ストーリー部分については考証の人々無になってそう >>472
本スレでアンチ暴れるなや
スレタイ嫁ってこっちが言いたい >>474
普通に見てた人が展開にキレてるだけでは
本スレには気持ち悪い絶賛コメントしか書いちゃダメって訳じゃないでしょ 平安文化が見たくて見てるけど
音楽のジャンルが変 ジャズとかエレキギターとかパイプオルガンとかなんなの
主人公に魅力がない
相手役に魅力がない
ラブシーンが気持ち悪い
イケメン一家が悪者に描かれてることに闇を感じる そうそう、音楽がジャンルの坩堝になってますよね
悪酔いしてしまう
脚本で一番腹立つのは、兼家の衝動殺人
脚本家は捏造エピぶちかますにも慎みってもんがないんかい
しかもあの所業がなあなあでよってたかって赦される流れ…?
ありえない >>478
第一話でまひろちゃん可哀想にするための演出だな
と思った
はじめは紫式部の若い頃のエピのネタなさすぎだもんな
と思っていた
道長との恋愛は道長と恋仲話は読んだことあるからいいや
ナイチンゲールまひろ、貧民をも大切にする清き道長あたり
でやりすぎでは?と思い始めた なんとなく改心して良い人っぽくなってるの納得いかないな >>479
まひろのためじゃなく道兼役のオキニ俳優のためだと思うよ
インパクと与えて改心させてイメージアップ
大石は自分でもそんなこと書いてた 真面目にドラマ関係者全員呪われそうだなと思うくらいは実在する人物の扱いが失礼 >>481
そんな浅はかな女流様の思うツボよろしく
兼家の更生を支持する(主にBBA?)視聴者が一定数いることが情けない 「新たなライバルが物語を賑わせる、5月末から越前編に松下が登場
まひろに文字を教え二人は親密に、サービスシーンが多く盛り込まれる
越前編では劇的なことが起こると大石は豪語している
吉高いわく、脚本はエッチで情熱的、現場は吉高の醸し出す色気にうっとり、
きわどいシーンはもちろん、大胆なせりふも多数用意され見事に演じている」
(4月28日付)
劇的なことは周明の子を宿す、周明には宋に妻がいて不義の子を宿すで藤壺を描いているのか、
体調不良で命の危なさを感じた道長が越前の手前まで会いに来るのか、
道長と周明、両方と同時にまひろが関係を持つのか知らないが、
史実にあることは大きく変えてはいけないが、史実にないものは自由に書いて良い、勝手に作ってしまえば良いと言ってるみたいだが、
まひろというおかしなものを作り、
あたかも源氏物語を書いた紫式部は婚期が遅かったが恋多き女であったからこそ、源氏物語が書けた人物にし、恋多き女でなければ書けなかったと考える大石静も自分の願望で書いているとか思えない
平安時代はエロ、だから周明とまたもきわどいシーン、大胆なせりふを多数用意、
こんな平安時代や紫式部を大河で見たかったわけではない
こんなものを作るならR18指定でもして勝手に脚本大石で映画でも作り、吉高、柄本、松下でやってろ 今回の大河スタッフには悪いけどシナリオを中心に全てが二流すぎて
低予算の深夜ドラマでも作ってる方が向いてるよ 個人的に花燃ゆはゆるふわお花畑でこれは発情メロドラマって感じ
そんなに不倫エロやりたいなら歴史上の人物使わず完全オリジナルで深夜帯とか配信限定でやっててほしいわざわざ大河でやらずに 花燃ゆは別にエロくはなかった
ただし2番手準主役の大沢たかおを
毎回必ず出さなきゃいけない縛りがあって
姉の夫だった頃から主人公と2人きりのシーンが必ずあった
ただ主人公文が子供の頃からずっと一方的な片思いしていて
大沢のほうは何とも思っていないしエロいことする訳でもなかった
最終的に双方配偶者と死に別れて夫婦になるが 男女関係を描くにも
そういう清潔感と慎み深さが欲しい 去年の松潤ど家同様、女のためだけの大河ドラマばかりでうんざりだわな
来年のツタヤと併せて暗黒三部作と呼ばれるようになるんだろうな >>496
待って待って
女もそんなんばっかじゃないから
風評被害がひどい >>497
女が皆んな恋愛映画好きとは限りませんよね! >>496
去年のど家は脚本家P主役すべて男の男大河
男が想像する女性登場人物であって
女性からの共感は得られず視聴率低迷
家康がどんどん側室増やすのを笑顔で受け入れる瀬名
どこがいいのかわからない家康に好き好きと執着するお市
母を振った恨みで大坂の役を起こす茶々
どれも意味不明 どんな世でも側室は正室が納得しなきゃ側室ですと名乗れんよ。 >>502
あのシーンは三浦翔平こだわりの演出らしいけど >>501
史実では桶狭間前まで家康は
義元の命で結婚した築山殿以外に妻を持てず
桶狭間以降は築山殿と別居していたため
家康は正室の許可なしに側室持ってた くだらないメロドラマなんかに受信料を取られるのが苦痛
メロドラマ分は払いたくないから割引してくれ 光る君へ見てて思う。 烏帽子被ってるとみんな同じ顔に見えて、誰が誰やらよくわからなくなる。
特にイケメンであればあるほど同じに見える。 >>510
そこまでの後期高齢者対応は求めていないし、望まれてもないから 誤爆したみたいだから持って来てあげるね
581:名無しさん@どーでもいいことだが。:[sage]:2024/05/13(月) 14:33:43.44 ID:D4zfu44i
現大我
主人公は立ち位置的に人間関係の中心より人間模様を眺める観察者の方が合うんだから変に無双な主人公をやらせないでほしかった
源次物語に思い入れがある分大我が黒歴史
2022年に発表になった時は楽しみだったのになあ
何がソウルメイト()だ https://steranet.jp/articles/-/3116
あの定子と女房にもなってないまひろの対面
女優2人のリクエストだったんだ
役者に関しては何とも思わなかったけど
今回でガッカリした
いい年した大人が「先生に言おうよ」と小学生みたいな会話で仕事に影響与えるとか >>514
日本のドラマの制作関係者のレベルの低さよ 役者が実在の人物を私物化しすぎて気持ち悪いな
紫式部じゃなく吉高由里子を名乗って1000年前の日本にタイムリープして
過去の人物に説教して勝手に気持ちよくなってればいいのに 娯楽教養としては楽しいけど
ミヤビもけっこうですが
その一方で
搾取されてた大多数庶民貧民の存在を思うと
一転とてもじゃないが楽しむという気分にはなれません 中高年の男性には刺さってないみたいだね
視聴率を分析すると いつもなら大河は欠かさず見てるばあちゃんが
今年はつまらなすぎて序盤で離脱してた 倉本さんに時代考証は辛くて苦しいとまで言わせるのすごいね
辛くて苦しいことばかりの時代考証であるが、時には嬉しいこともあるものだと、その時には感謝したものである。
なお、ドラマはあくまでもフィクションで、史実に紫式部、というか「まひろ」をからませてくるかもしれないが、どのように描かれるのか、楽しみにしていたい。 最後まひろとききょうが屋敷に忍び込むシーンとかドリフのコントじゃないんだから。
まひろにはずっと写経でもさせてろよ、無理やり出番作らなくてもいいから もうあまり目くじら立てずにバラエティとして薄目で見た方がストレス無さそうやな
NHKも大河も忘れて平安コント枠って事で
考証も開き直って 途中で送っちゃった
解説シーンがっつり入れて
研究では〜と言われていますが、こんなことももしかしたらあったかもしれませんね、みたいな もしも光る君へが吉本コントだったら・・・
道長「邪魔するわ〜」
紫式部「邪魔するなら帰ってや〜」
道長「ほな帰るわ〜」 >>529
概ねそんな感じに見えてる
コスプレ時代劇感は仕方ないとして登場人物の感情に全く興味が湧かない
強いて言えば全員薄っすら嫌い
歴史解説コントとしてなら見れるけど大嘘つくからどうしようもない >>527
>>528
時代考証さんは、まひろを架空の人物と
言っちゃっているみたいだし 呪咀を恐れるオカルトドラマ
人形劇の新平家物語の方が面白い >>533
風間杜夫の無駄遣いになってませんもんね もしも光る君へがドリフだったら…
まひろが一人で登場
どこからか艶めかしい音楽が流れ…
まひろ「ちょっとだけよ〜」「あんたも好きねぇ〜」 もしも光る君へがドリフだったら…
まひろが一人で登場
どこからか艶めかしい音楽が流れ…
まひろ「ちょっとだけよ〜」「あんたも好きねぇ〜」 >>533
呪詛は平安時代だから…
現代で言うオカルトチックなものを重要視する面白くて魅力のある文化が花開いた時代のはずが
一話で貴族が軽く人殺しをするオリジナルストーリーが捩じ込まれたせいで
台無しになってしまったのが残念 身内贔屓を批判した道長さんがまひろの親族を贔屓したって? これあらすじ読んだらどっちかと言うと無駄にファンタジーするの宣孝のような気がする
いないはずなのにいたり急に態度変わるようだし ゴミのような回だったな
てか道長とまひろのシーンが出てくると一気に見る気が失せる
周明もくっそブスだし 部屋の掃除をしてたら、「柿本人麻呂が見た太陽外部コロナ」って研究者のエッセイのコピーが出てきました。1992年出版『形の文化誌』収録。有名な万葉歌の「東の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて」は、日の出前に地球が遮蔽物になって太陽を隠す、「太陽外部コロナ」が立ってるのでは無いか?との指摘ですね 東の野にかぎろいの立つ見えて
かえりみすれば月かたぶきぬ 夏井先生「外部は要りません。太陽コロナだけでわかります」 チャイコフスキーに乗せて歌ったCMあったな
何のCMか忘れたが