【2024年大河ドラマ】光る君へ Part34
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【放送予定】2024年1月7日〜
【脚本】大石静
【主演】吉高由里子
【音楽】冬野ユミ
【語り】伊東敏恵
【題字制作】根本和
【制作統括】内田ゆき、松園武大
【演出】中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう他
【プロデューサー】大越大士、高橋優香子
【公式HP】https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/
※本スレはガイド本、ノベライズ等によるネタバレ禁止です。ネタバレはネタバレスレでお願いします。(史実、伝承、他作品(本作と同時代の作品に限る)に関するものは可)ルールは絶対厳守です。
※ネタバレをテンプレと称するのは禁止です。
※次スレは>>900以降、皆で協力して立てましょう。
前スレ
【2024年大河ドラマ】光る君へ Part33
https://itest.5ch.net/nhk2/test/read.cgi/nhkdrama/1710671180/ 番組HP「をしへて! 佐多芳彦さん ~一条天皇の即位儀礼」
大河ドラマ「光る君へ」第11回で描かれた一条天皇(高木波瑠)の即位儀礼。
一条天皇が着ている特別な服装やかぶっている豪華な冠などについて、風俗考証を担当する佐多芳彦さんに伺いました。
―― 一条天皇の服装について教えてください。
一条天皇が身に付けているのは、礼服(らいふく)といいます。
別名・冕服(べんぷく)ともいい、こちらは中国風(ふう)の呼び方になります。礼服の小袖(こそで)を着て、礼服の裳(も)を腰に巻きます。
裳は女房装束にも見られる巻きスカートのようなものですね。
そして、礼服の小袖の上に、礼服の大袖(おおそで)を着ます。 この大袖は袞冕十二章(こんぺんじゅうにしょう)といって中国の皇帝が着ていたものを日本の朝廷でも模倣したものですが、文様の一つ一つにそれぞれ意味があり、天皇の権威を示しています。
例えば、背中には北斗七星、左肩には金色の日輪(にちりん)とその中に八咫烏(ヤタガラス)、右肩には銀色の月輪(がちりん)とその中に兎(ウサギ)と蟇蛙(ヒキガエル)が描かれています。
袖に大きく描かれているのは、龍(りゅう)ですね。 ―― 一条天皇がかぶっている冠はなんというものでしょうか。
これは礼冠(らいかん)、あるいは冕冠(べんかん)といいます。
一条天皇の姿は、とても凛々(りり)しくてステキですね。
一条天皇の左右に置かれているのは、三種の神器のうちの二種である天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、草薙剣[くさなぎのつるぎ]ともいう)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)で、“天皇である”ということを示しています。 ―― 一条天皇の後ろにいる男性は何をしているのでしょうか。
後ろで蔵人頭(くろうどのとう)が冠を支えてあげています。
礼冠はかなり重く、重心も上のほうにあるので、子どもがかぶった場合はその重さに耐えることが難しいんですね。
首がガクガクしちゃうんです。 ――蔵人頭!? 青色の袍(ほう)を着ていませんが、蔵人頭なんですね。
青色の袍を着るのは執務中で、即位儀礼などの際は、蔵人頭も本来の黒束帯(そくたい)に戻ります。
実は、一条天皇の即位儀礼の状況は、記録が残っておらず詳細まではわかっていません。
けれども、同じく子どもの天皇が即位した81代・安徳天皇(あんとくてんのう)の際には、蔵人頭であった平重衡(たいらのしげひら/平清盛の五男)が安徳天皇の後ろにいて冠を支えていたというんですね。
そこで、安徳天皇の即位儀礼は一条天皇を先例として行われたであろうと推察し、一条天皇の後ろに蔵人頭を配置して冠を支えるようにしました。 ――なるほど! ちなみに、一条天皇は清涼殿で着替えて、大極殿に移動したのでしょうか。
違います。
大極殿の裏手に小安殿(こあどの)という小さな建物があり、そこで着替えて移動しています。
天皇の休憩室として利用される場所なのですが、即位儀礼の際には更衣室も兼ねているのです。 >>847
wikiに載ってる
土御門邸と紫式部の家はほんとにご近所さんだな
東三条殿と土御門殿はどっちが立派なんだろう
今のところ映像では東三条殿だね
光源氏の六条邸は東京ドームと武道館足した面積より広いらしが
どっちも広いのか?東宮が住んだり帝の仮内裏になるくらいだからね 番組HP「「をしへて! 佐多芳彦さん ~摂政になって変わった!? 藤原兼家の衣装」
大河ドラマ「光る君へ」第11回より朝廷に出仕した際の服装が変わった藤原兼家(段田安則)。
なぜ特別な白い衣装になったのかなどを、風俗考証を担当する佐多芳彦さんに伺いました。
――殿上間に居並ぶ公卿(くぎょう)たちの中で藤原兼家だけが白い服装をしていますが、なぜでしょうか。
これは冠直衣姿(かんむりのうしすがた)といって、天皇に特に信頼されている人のみが許された格好です。 ほかの公卿は正装である束帯(そくたい)を着ていますが、兼家は一条天皇の摂政となったことで服装が変わり、一人だけ直衣(のうし)を着ています。
雑袍宣下(ざっぽうせんげ)、あるいは直衣宣下(のうしせんげ)というのですが、
かぶり物を烏帽子(えぼし)から冠に変えれば、ふだん着である直衣を着て天皇の前に来てもいいよという特権を認めてもらったんですね。
袍(ほう)が白なのは冬だからで、夏になると二藍(ふたあい)を着ます。 ――兼家は、はいているものも違いますね。
兼家がはいているのは、束帯で用いる白い表袴(うえのはかま)ではなくカジュアルな趣向の強い指貫(さしぬき)です。
表袴は体にわりとフィットしているので立ったり座ったりするのが結構キツイのですが、指貫は表袴の2倍の太さなので体の締め付けがありませんし、立ち居振る舞いが楽なんですね。 一条天皇は帯を結んでいない下直衣姿(さげのうしすがた)をしていますが、はたから見ると兼家と同じような格好をしているように見えますよね。
このことからも、天皇が信頼を置いている一部の人にのみ許した制度であるということが、おわかりいただけるのではないかと思います。
角髪(みずら)の髪型をした一条天皇はとてもかわいいですね。
持っている檜扇(ひおうぎ)が少し赤くなっていますが、これは赤扇(あかおうぎ)といって、天皇の檜扇になります。
いい感じに赤くなるように、美術チームがトライアルを重ねて制作した小道具の一つなんですよ。感謝の極みです。 ーー居貞親王(小菅聡大)の服装はすごく色鮮やかですね。
居貞親王は束帯姿で、黄丹(おうに)の袍を着ています。
黄丹は禁色(きんじき)の一つで、東宮(皇太子)の袍の色なんですね。
頭中将(とうのちゅうじょう)と頭弁(とうのべん)の二人の蔵人頭がいることもわかりますし、この写真はすばらしいですね。 2作品続けて、好きだった女が理想の国造りをとか、ありもしないことを創作しちゃうとか、NHKってどうかしている。
視聴者は騙されても楽しめばいいとか思ってないか?
騙されても希望が持てるドラマなら、それは良いだろう。憧れて経営者をめざした人だっているとか言うなよなwww >>804 >道綱「まひろ殿と申すのですか…宜しければ…今宵…」
まひろ「用事がありますので…では…」
ドラマ内での設定にはなるが、先々母の復讐するなら、懐に飛び込んどいた方がいいんじゃないかね。 >>844
冕冠みると中華の時代劇っぽくなる
スリーキングダムの曹操を魏王にしましょうって漢の百官たちがやらせで声上げるのを
1人批判してた荀彧思い出す >>806 >宣孝がどのタイミングで豹変するかだな
道長との関係を隠して妻になったがバレてしまい
それから別人のようにDVされる展開か
どうしてもDVにしたいなら、作るメシが不味いからに決まってるだろ。宣孝が苦情を申し立てたのは史料で確認出来るんだしさ。
日の本に はやらせ給ふ岩清水 まいらぬ人はあらじとぞおもふ
和泉式部と夫の説話とする場合もあるけど、父・夫ともに既に受領経験もありビンボとは無縁っぽい和泉式部が、不味い魚を好んで食べるのかな。
>更には娘の賢子にまで手を出そうとしたの
オマエはホントに幼稚でツマラン露悪趣味しか晒すもんがないんだな。 >>857
どちらも広いけど、どっちかというと土御門の方が広い
現京都御所の仙洞御所の辺りが土御門になる
ただどちらも鎌倉時代には荒廃してた模様
道長が立てたお寺も鎌倉時代には荒廃してるから
平安時代の建物は意外とモロかったのかもね
道長が受領から無理矢理材料を提供させてるからw >>868
当時はほとんど邸をお寺化してるよw
平等院は頼道の時代だから資材の集め方が道長とは違ったことと
宇治という場所柄だろうね
宇治は京都市街地より離れてるから >>867
東三条殿は二町、土御門殿は一町で、東三条殿のほうが広いよ
ただし道長が執政者になった後で南に拡張して二町になったほか
土御門殿の東隣に道長、倫子、彰子がそれぞれ自分の寺を建てて
出家後にそこに住んでいた
宇治に建てた頼通の平等院は今でも残っているが
洛中は火災、兵火が多く、いずれも焼失後再建されなかった >>870
それでも源平鎌倉時代にたびたび戦場になったのによく残ったものだよ ウィキにはいちおう、こんな記載があります。
>鋭い牙に注意していればピラニアは飼育が容易な種である・・・
熱帯種の為、日本の河川では越冬することが基本的にできないが、稀に温暖な地域や、暖かい水が流れ込む水域では越冬し、おそらく飼育されて逃がされたものと見られるピラニアが日本の河川で捕獲されることがある。
湧水なんかを引き入れておけばよさげ。 即位の儀の一条天皇の背に北斗七星。即位を呪詛する花山院の
数珠が切れて床に散らばる数珠玉が北斗七星の形に並ぶ。
兼家、道長が望む空の星座が北斗七星。 >>872
推測だけど
平等院の近く、宇治市木幡に藤原家代々の墓がある
鎌倉時代にはここも荒廃してたようだけど、言い伝えで墓があるのは伝わってたんじゃないかな
それで戦乱から逃れたのかもね >>869 >自己レスか?
ンな訳ないだろ、一応、史料にのっとってるんだしさ。 >>866
石清水とイワシを掛けたんだろ。屋敷の中でイワシを焼いたから
魚の匂いが充満して宣孝が苦情を言ったのに対する返歌。
イワシは下魚と言われたが、焼いても煮ても美味しい魚。栄養もある。
京都は内陸だから干物やメザシは貴重な蛋白源。
当時はまだ七輪が無かったから、囲炉裏か火鉢で焼いたのだろう。
換気扇無いから、家中魚の匂いで充満。庭で焼かないとな。
現代でもマンションとかキッチンで魚は焼かない家庭も多い。 今だって、飯と味噌汁、漬物、焼いたメザシ(イワシ)が
あれば、しっかりした食事になる。あとは酒。 普通に生活すればキモい妄想は頭の中から消えるよ
キモい書き込み垂れ流しの迷惑を掛けずに済む 色々と紫式部ゆかりの観光地あるみたいだけど、皆さんはどこか行った事ありますか? >>848
うん。だから、兼家は除目の時に右大臣にした。 皇位は冷泉系と円融系の迭立状態だったのね
後の持明院大覚寺の両統迭立はこの先例に倣ってたのかな? >>866
和泉式部はイワシが大好物だったそうな
その歌も初出は御伽草子で和泉式部と藤原保昌の
イワシを巡ってのやり取りでのものだけど江戸時代
あたりで紫式部に変わっていったらしい
(理由は諸説ある)
あと保昌はこの時イワシを健康にも美容にもいい
薬魚と言っている位だから裕福でも食べる人は食べて
いたのではないかと >>878 >石清水とイワシを掛けたんだろ
当たり前だろ。ダラダラした返信を無理して付けるには及ぶまい。むろん、ツマラナイだけの露悪趣味な投稿を晒すにも及ばんがね。
そのIDでは比較的長い(が無意味な)投稿してるが、複数の電話線を引いてPC使い分けてるのかね。
>現代でもマンションとかキッチンで魚は焼かない家庭も多い
現在なんだから換気扇を使うしかないだろ。でなけりゃ、満足な調理なんかできないよ。 >>889 >和泉式部はイワシが大好物だったそうな
ソッチの式部さんのハナシも引いてるだろ。無理してツマラン投稿を被せるには及ばんぞ。むろん、ツマランだけの露悪趣味な投稿を垂れ流すにも及ばない。 >>889 >保昌はこの時イワシを健康にも美容にもいい 薬魚と言っている
それは近世になっての付会っぽいな。保昌は丹後国の国司だったんで、特産品のセールストークに結びついたんじゃないのだろうな。 >>878 >魚の匂いが充満して宣孝が苦情を言ったのに対する返歌
煮炊きすれば何だって匂いは出るだろ。てか、当時の鰯は干し魚として食されてたんじゃないかい。つまり、調理過程での匂いが出る訳でなく、鰯の匂いがいやだった、つまり、不味かったって事だろ。
後世には干鰯って、肥料として大量に流通したなんて聞き及ぶが、平安当時は干し魚としての流通だったんじゃないかな。 >>878
女子サッカー選手に岩清水っていてイワシって呼ばれてたけどこれが所以か >>806 >宣孝がどのタイミングで豹変するかだな
宣孝は紫式部の娘の保護者、父親役を買って出たんじゃなかろうか、という予想がよく言われてるみたいなんだがね。ということは、大っぴらには出来ない出生の経緯がドラマ上では設定されるという事なのかな。 >>894 >岩清水っていてイワシって呼ばれてたけどこれが所以か
イワシは石清水の部分集合なんだから、説話に由来しなくても構わんでしょう。
「愛と誠」のズレた熱血優等生の岩清水君は、別段イワシ呼ばわりはされてなかった。 >>883 >仲間か
アンタと仲間の訳もないだろ、キモイ香具師だな。 >>884 >普通に生活すればキモい妄想は頭の中から消えるよ
キモくてツマランだけの露悪趣味の妄想を我慢しろというのかね。アンタが消えればいいだろうが。
>キモい書き込み垂れ流しの迷惑を掛けずに済む
アンタが消えれば迷惑もなくなるんだよ。アンタは迷惑なだけだ。 >>867
応仁の乱で邸宅も悉く荒廃した感じなのね
戦さえなければ後どれぐらい寝殿造を保てられたのか気になる >>874
花山院
鎌倉殿の全成を彷彿させた
政治の場で呪詛が行われたのはいつまでなんだろ。国家安康は言いがかりで戦国時代にはやってなさそう >>900
元寇のときはやってたな
>>903
おつ キモくてツマランだけの露悪趣味の妄想って自覚があって
皆に迷惑がられてるという自覚があるのにやめられないんだね >>768
平安期の貴族階層の女性名って○子がやたら多いな?道長の娘だけでも彰子・威子・嬉子・
寛子・尊子...しかも桜子・桃子・百合子とか可憐な名でなく○は抽象概念の漢字が目立つな?
昭和の和子とか陽子とかや平成の真子・佳子とかはこの系統を引いている名前だったのか?
けれど老子・孟子・墨子とか尊敬すべき男子につけるのが本来の○子ではないのか?
貴族層以外はイトの他にはどういう名前だったのだろう?
前代奈良時代には○子なんていたっけか?若女とか○女が多い記憶。 ここでよく見掛ける宣孝DVと兼家がボケというのは本当なの?
ネタバレスレ機能してない >>902
そうだけど当時の平安京にあった色んな寝殿造の邸宅がほとんど無くなったのは応仁の乱なのかなと思って
罹災を免れたのは土御門内裏などわずかだったらしいし >>888 >平安貴族が南米から輸入できていたらね
当時は生息していたが、寒冷期に絶滅したのでしょう。
兎が毛を毟られた鰐ってのは、実はピラニアの事なのです。 >>910
どのみち幕末の蛤御門の変で大半は焼失してたんでは >>765
道長側妾の明子の読みが「あきらけいこ」?
すると藤原不比等の娘「光明子」の当時の読みは「ひかりあきらけいこ」だったの? >>908 >老子・孟子・墨子とか尊敬すべき男子につけるのが本来の○子ではないのか?
>>911 >蘇我馬子、小野妹子。なんだ男か
女性の実名を呼ぶのは不敬、なんて概念があった様で、それゆえ後世まで、実名の分からない女性は多い。
まぁ、藤原氏なんかの民間人子女が入内するようになると、実名非公開という訳にもいかないし、何らかの敬称も必要だしで、尊敬すべき男子につける「子」という敬称を女性に転用したんじゃないかな。 >>914
まぁそうだけどワイが言いたいのは
応仁の乱で消失しなければ貴族たちの寝殿造自体どれぐらい保てられたのかなってこと >>900 >政治の場で呪詛が行われたのはいつまでなんだろ
よからぬ密談のあとの宴会の余興として、結構最近までやってたんじゃないかな。
瓶子が倒れたとか、クビが取れたなんてノリで。 書院造のが過ごしやすいから新造・再建するとき書院造に更新されたわけで
道綱は同僚の顔と名前を覚えられないくるくるパーなのか >>918 >応仁の乱で消失しなければ貴族たちの寝殿造自体どれぐらい保てられたのかな
居住施設なんだから、定期的に建て替えられて消失しちゃうんじゃないかな。
平等院なんかが残存したのは、兵乱を免れたとともに、早くから文化財として維持管理がなされたからだと思う。 >>916
昔は実名を知られると呪われるという言い伝えが本当にあったんだよ
だから紫式部とか、適当なw名前を付けてた
ただ中宮や倫子クラスになると歴史に残す必要があったので
本名が記録されるようになった >>907 >という自覚があるのにやめられないんだね
他にやることがない、というより、他に出来ることが無いのでしょうね、香具師は。 桂離宮を造営するとき寝殿造は選択肢にあったのかな
ないんじゃない >>922 >昔は実名を知られると呪われるという言い伝えが本当にあったんだよ
なぜ呪われるか。実名を呼ぶのは不敬だから、って事だろ。つまり、呪われるなんてのは付会、後付けにしかすごない。
>中宮や倫子クラスになると歴史に残す必要があったので
だからそう言ってるだろ。実名非公開という訳にもいかないし、とさ。
無意味な返信を無意味に被せるなよ。むろん、ツマランだけの露悪趣味も垂れ流すには及ばない。
結局は、敬称付けてお茶を濁すなんてのも廃れちゃって、マルマルと仰々しい尊称なんかを使うようになったしで、結局は随分後世まで、女性は実名不明というのが普通になっていた。 >>925 >寝殿造は選択肢にあったのかな ないんじゃない
壁が無いというから、壁穴も出来なくて困ってしまうのでしょうね、知らんけど。 >>927
映画の帝都大戦だとヒトラー調伏になってたなトルーマンにかわって
原爆投下されるわけだが まあ、諱呼びは失礼千万らしいし
ど家でも「平八郎!」「左衛門!」とかやってたし 本名?諱?が知られてはイケナイというのは世界共通なのかな?
ゲド戦記とかもろにその世界観だし。 >>926
マルマルと仰々しい尊称なんかを・・・随分後世まで、女性は実名不明というのが普通に・・・・
マルマルって何?富子など一連の足利幕府将軍夫人の実名が遺されているのは例外事例なの?
実名を知られると呪われるというのは男女限らぬと思うんだが女性だけ実名不明の理由は何なの? >>918
室町時代以前の鎌倉時代に入る前の平安末期から
京都の治安は乱れまくりだよ
道長が全盛期に建立した寺院は徒然草の時代には跡形もなくなってる
兼好法師は南北朝時代の人物で応仁の乱よりずっと以前の話 >>922
紫式部は名前じゃなくて「周囲からそう呼ばれたあだ名」だろ
紫の文字のつくヒロインが出てくる小説で有名になった式部丞の娘
くらいの意味なんだから
現代でいったら俳優の竜崎勝氏をあやぱんパパと呼んだりするようなもん >>931
あっちはグリム童話のルンペルシュティルツヒェンあたりからの着想では >>933 >猿源氏草子読んでみれ
イワシのセールストークのハナシみたいだがね。
それにさ、「イワシを健康にも美容にもいい」については、猿源氏草子を解説した先生の付会説明だろ。 そもそも諱を知られちゃいけないって本当なのか?
同時代の書状・古記録に普通に諱書かれまくってるんだが
知られてなければ偏諱も贈る側・貰う側双方にメリットもない >>934 >道長が全盛期に建立した寺院は徒然草の時代には跡形もなくなってる
それは兵乱のせいというより、寝殿造りという建築様式が、居住施設として廃れたからでしょう。壁が無いと壁穴が出来なくて困るんだし、知らんけど。 >>939
建立当時には寺領として荘園とか十分に持たせたはずなのに
治安の悪化で寺院としての維持管理ができなくなって朽ちたままになったんだよ >>940 >治安の悪化で寺院としての維持管理ができなくなって
ちたままになったんだよ
カネが無かったからでしょ。一因として治安の悪化もあるとしてもさ。
治安が良くたって、有壁建築が主流になってりゃ、それを建てるんでしょうよ、壁が無ければ壁穴出来なくて困るんだろうからさ、知らんけど。 そう考えると建築物って面白いね
法隆寺や東大寺は寺院だから残ってるけど邸宅などの住居の類は時代に合わせた移り変わりがある
平安京以外で言えば例えば江戸時代の大名屋敷なんてそうそうないだろうし >>938 >同時代の書状・古記録に普通に諱書かれまくってるんだが
苗字・カバネは書かれても、官職名とか法号が添えられてるケースが多いんじゃないかな、自筆にしろ他者による記録にしろ。 >>944 >原文にあたってから言えよ
「イワシを健康にも美容にもいい」なんて、猿源氏草子に書いてあるのか?
実は著者は平賀源内とかなのかい。まぁ平賀氏も、セールストークは得意だったみたいだけどね、鰯は知らんが、土用の鰻とか。 名前見てこの人前世とか前々前世とかで○○だったなとか判る人はいる、その人の本質がわかる感覚は理解できるがあくまで主観だから廃れたんだろ 道隆・道綱・道兼・道義・道長・道頼(養子)
惟規・惟通
平安初〜中期だと兄弟が同じ字を使い
中期以降は親子代々の通字を用い
戦国時代になるとここまで俺の勢力圏てな感じで国衆に偏諱を与える
識別記号の役割があるのに知られちゃいけないって >>932 >女性だけ実名不明の理由は何なの?
女性が実名不明のケースが多いのは、マルマルと仰々しい尊称なんかで記載されるからでしょ。あまりクドクドと聞かれてもさ、著名でも女性が実名不明のケースが多いってのは事実なんだからさ、少しは自分でも考えてみなよ。
>富子など一連の足利幕府将軍夫人の実名が遺されているのは例外事例なの?
叙任記事なんかがあったり、死亡記事があれば、実名も記載されるんでしょうし、それくらい時代が降れば史料も増えるんで、実名が知れるケースも多いんでしょうね。 >>948
武士の偏諱しか知らなかったから勉強になった レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。