有名なのは第三者的視点の実資の小右記
あの時代日記書いて残してる人いるから中関白家が強引で嫌われてたのがわかる
道長はその傲慢で強引な中関白家のやり方を前例にしてうまく利用したけど
別に道長が謙虚とは一言も書いてないが?
政治家としては伊周より優れてたということかな