>>415 >友達の清少納言という時点で草だから

双方とも才媛として名が通ってたんでしょう。
紫式部に関しては、女房として雇ったら才媛だったので彰子付きになったというよりも、既に知られる女性だったから雇用した、の方が自然だと思うがね。

為時の抜擢だって、長年の散位がいきなり抜擢というのも不自然で、道長が上位大臣不在の右大臣となった時点で、既に娘が才覚を以て知遇だったから、の方がすっきるするんだがね。

>>427 >例の紫式部日記のくだりとか

清少納言が定子の忘れ形見の皇子に寄り添っていたならば、彰子付きの女房となった紫式部にとっては、極めて微妙な相手とならざるを得ないと思うんだけどもね。