長徳の変
長徳2年(996年)に発生した長徳の変は、正月16日、故太政大臣藤原為光の四女に通う花山法皇を、自分の思い人の為光三女が目当てと誤解した伊周が隆家と謀って道すがら待ち伏せ、彼らの従者が放った矢が法皇の袖を突き通した一件に発端するといわれている[5]。当時は貴族の間で暴力事件は決して珍しいことではなかった[注釈 3]が、譲位したとは言え上皇に向けて矢を射掛けたという事件は政治問題化した。