長徳の変って、少なくとも花山とのいざこざの件には、信頼できる記録上では道長は全く関わってないぞ
道長が話を大きくした痕跡もない

百錬抄は陰謀論的な話題では信用できない
『そういう噂が流れた』という意味しかない
つまり、道長の陰謀であると伊周が噂を流しただけかもしれない

定子をあれだけ寵愛して伊周隆家とも親しくしていた一条天皇が
自ら指揮をとって捜査にあたった
というのが史実


長徳の変が道長の陰謀と仮定すると
東三条院の寝所から呪詛の痕跡が出た件は道長が工作することは容易だが
『なんで花山の件では無関係を装うことに成功したのに、呪詛の件では自分の屋敷を舞台にしたのか』
という疑問が生じる