【ネタバレ禁止2024年大河ドラマ】光る君へ 【隔離】 Part5
【放送予定】2024年1月7日〜
【脚本】大石静
【主演】吉高由里子
【音楽】冬野ユミ
【語り】伊東敏恵
【題字制作】根本和
【制作統括】内田ゆき、松園武大
【演出】中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう他
【プロデューサー】大越大士、高橋優香子
【公式HP】https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/
※本スレはガイド本、ノベライズ等によるネタバレ禁止です。ネタバレはネタバレスレでお願いします。(史実、伝承、他作品(本作と同時代の作品に限る)に関するものは可)ルールは絶対厳守です。
※次スレは>>900以降、皆で協力して立てましょう。
前スレ
【ネタバレ禁止2025年大河ドラマ】光る君へ 【隔離】(実質 Part3)
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1711422238/
【ネタバレ禁止2024年大河ドラマ】光る君へ 【隔離】 Part3 (実質 Part4)
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1714610144/ 一条帝も堤防の修復ぐらい、「あぁ分かった分かった、あとは任す」で許可出しとけば良かったのに。印を押すのも面倒になってたのか 道長が帝に対して駆け引きに出る場面のために、ちょっと怠け者にされた感はある
そのかわり、あの謁見場面は音楽と仕草がよく合っていて、道長がタフのレベル上げたような雰囲気が出ていてなかなか良かった >>222
今週は宣孝との結婚回だったのに
まひろも嬉しそうではないし全く盛り上がらず
来週はまひろの女主人となる彰子が本役登場で
政争本格化だけどな 道長が娘の入内を生贄とか言ってるから
なんかダレる気がするよ…… いとの婿取りは人生で上から3番目くらいに驚きとまひろが言ってたけど
ちひろが殺されたのと直秀が殺されたのの次くらいってことか >>233
予告で道長が彰子の入内により定子との対決姿勢を鮮明にしてるから
大河板待望の道長黒化だよ 鴨川の決壊で六条の廃邸もやられたろう言ってる人がいて確かに思った
そのうち道長が現場復帰させるかもだが 一条帝がダレて政務が停滞してるのは定子のサロンでうつつを抜かしてるからだから、定子を排除するという流れになるのかな 若い頃道長がまひろに自分のことを告白しようとしたときに
宣孝が割って入ってまひろを連れ去ったシーン
あれ伏線だったんだな
全部見終わってからもう一度見たら
色々伏線の発見あるかもしれないな 三郎と一緒にいた時まひろは誤魔化したが宣孝はもうあの男に会うな父親には黙っといてやる言ってたからデートだってのは分かってたと思う
で覚えていたんだろうまひろの男として あれほど「娘を入内させること」に警戒感を持っていた道長が、「もうそれしか方法がない」というところまで追い詰められた、というシナリオにするのか。なるほどうまい脚本だなあ 女院さまをずっと近くで見てきて「入内は女性を幸せにしない」って思い続けてきたのにね 次回予告で、道長は策略家的な側面を垣間見せておるな。少し変わってきた感じか 今週も結構政治家してたよ
行成に不機嫌そうにしたり帝に辞表叩きつけたり
いいぞもっとやれ 本当に純粋にいい人の極みになると為時みたいになるし
清濁合わせ飲むと宣孝みたいになるし
国のトップとしてあるべきベストのバランスって難しいよね
そこを思い悩みながらがんばってるコンセプトは割とよく描かれてる気はする >>234
自分より身分低いと思ってた三郎が道長様で敵の弟だったってのもかなりの驚きだったと思う 定子さまは、、、この表情、、、分かっている、、、帝の横にいる自分が政争の火だねになっており、、、その勝負は自分に後ろ盾がない以上、勝ち目がないということに。。。つらい。。。帝と伊周が分かっていないことを、定子さまは賢いから気づいている。
定子さまは悟っている。
その気持ちを感じ取って、ひたすら中宮様をお支えしようとひたむきな少納言。
…なにもわかってない兄貴、理解することを心で拒んでいる主上。
定子さまの側には、彼女を守れる戦略家の男性がいないのだ。 隆家、相変わらずバカっぽいな
政治とかできそうに見えない まあもう中宮としてはキズモノで使えない今後は愛妾ポジだよね定子
ほんとなんで髪切ったのかあれがなきゃなあ >>249
賢かったら帝のお許しもなく衝動的に髪を切ったりしないし
帝の尊厳を損なわせたりしないよ
あんな状況は貴賤関係なく妻の恥 乾隆帝の2番目の皇后が髪切って廃后されてたな
賢い人だったという話だが
日本の中宮は甘いよね大した責務もないようだし責任も取らないし
まあ中国の皇后が重いのかな あの時の定子は妊娠中で精神的に不安定+家族の不祥事と色々重なってうつ状態だったのでは 彰子の入内はやむを得ずということなら
姸子や威子や嬉子はどういう理由にするんだろう 晴明「御代が替わり再度天変地異が起こりまする」
道長「また姫を生贄にするのか……」 >>250
太平記の佐々木道誉か前田慶次を彷彿とさせるw
19か20歳の頃か
三条天皇即位までの隆家と道長の関係をどう描くかで宮中パートは大いに変わりそうだがさて >>250
隆家は道長に転んだという解釈でいいのかな 隆家が三条につくのは道長に言われてのプロレスみたいな設定になったら萎えるな 隆家は娍子が立后したタイミングで皇后宮大夫になってるから皇后を優先しただけ 隆家なら三条側についてもあっけらかんと道長に言いそう その場その場で強いものにつく、隆家のキャラはある意味一貫してして清々しいな 三条天皇が強かったことなど一度もないけどねたぶん
隆家が道長に靡いたこともなかったようだが まひろと宣孝との結婚、弟はもう知ってるんだっけ?
なら「父上とケンカした?」なんて言わないか >>265
知らなかったから
宣孝が歌いながら色仕掛けしたのを見て
驚いて顔をしかめてたんじゃん 結婚を決めたのはその宴の後、あれは京に戻ってきた時
その時に宣孝がまひろに好意があるのを弟が気付いた
次回ではもう結婚したことを知っていて普通に登場でしょう >>267
次回はまひろがノブタカにDVして別居するくだりをやるんだけど… 宣孝に知らされた道長
紙をグシャ!てやるんじゃないかと思ってたらグで終わらせた
左大臣様の意地とプライドあなどれん 宣孝が2人の仲を知ってるのは想像つくが道長は
こいつオレとまひろの仲知ってて言ってきたんかて思ったかどうか
道長の方も宣孝覚えてたのかな まひろの戸惑いの表情を長く映してたの良かったね
女優さんって凄いなと改めて思った 999年定子第一皇子・敦康親王出産
999年彰子入内
1001年宣孝死亡
1001年定子死亡
1002年詮子死亡 >>274
道長、やったな。あれほど苦心してくれた姉ちゃんまで用済みでポイっかよ いや女院はまだ居てくれたほうがいいでしょ
なんかこう、道長を悪人とみなす説って
道長が最初から未来を全部見通してる前提で語られるよな 後世の人から見たら道長は恐ろしく幸運な男だよね。あり得ないくらい。
それで何か裏でやってたに違いないって思わせてしまう。 道長は調整型の政治家だったと言われる
出すぎたことをせずに周りの意見を聞いて調整するに徹し
要所要所で大事なところは外さない
というのが成功の理由かもしれない 天皇に譲位迫ったり娘を次々入内させたり
道長のやり方は強引に見えるけど公卿たちから一定の支持を受けてたようだし
絶大な権力者ではあるが独裁者という感じではなさそうだな 鎌倉ファンからすると頼朝も北条得宗も20年でヘタってるのに30年トップてのはすごい
北条貞時は30年ほどトップで鎌倉時代で一番王様してたけど最初子供だったし
若くして政権トップになるって大変だと思うぞ
右大臣が無能だったから良かったのかな >>279
公卿たちから支持されないと
帝ですら退位させられるもんね
道長に人望があったから
長期政権維持できた訳で >>275
彰子の立后は病床の詮子が
一条天皇に手紙を書いてくれたことにより実現してるから
道長は姉ちゃんに最後まで世話になりっぱなしだよ
1001年に道長は詮子のための四十の賀を土御門殿で盛大に決行し
一条天皇、中宮彰子も臨席している(大河でやるかは知らん)
倫子が産んだ田鶴(後の頼通)と明子が産んだ巌(後の頼宗)が
四十の賀を祝って童舞を披露
巌の舞を見た一条天皇が自分が着ていた衣を一枚脱いで与えたため
それを見ていた倫子が激怒して出ていったのもこのとき >>279
伊周が太宰府から帰ってきても何も変わっておらず
幾つになっても事あるにつけ成金のボンの振る舞いをするから
余計に道長にトップにいてもらわないと困るっていう皮相
そしてベテランが消えて手探り状態からここまでやってきた実績と経験は何者にも代え難いという唯一無二性を帯びる
道長が悪の権化みたいに書かれるのは
・武家社会が否定する貴族政治の象徴として
・晩年のやらかし(土御門第再建時や法成寺建立時の強引な普請)
・望月の歌の解釈違い(道長は一音だと変な宛て字をよく使う)
・いわゆる判官びいき
からくるものが大きいと思う 悪の権化イメージないけど武家政権好きからはさ
父親は悪辣だなーてのはあるけど
道長の所業なんて別に大した悪さでもないよ武家政権好きからはw
家柄優先でやってんだな子供の出産で決まるって大変的な認識しかない 兼家なんて公卿の話を聞かない帝を文字通り無理やり出家させたのに
道長は定子を最後まで廃后にしない、追い出しもしない
(中国に前例があるといって廃后に持ち込むことは不可能ではなかった)
目が見えてない癖にまだ仕事を続けると言い張る帝を最後まで説得で退位させた
どこが傲慢なのかね。
自分はボケる前に隠居してるし。 土御門殿再建や法成寺建立をボロクソに言ってた実資は
数年後に自分の娘の裳着のために諸国から召し出させてるから
実資の批判は話半分と思うべきだろう。 >>285
というか、子孫への権力継承あまり成功してないし
本当の独裁者だと御三家とか御三卿を作って他の家系に権力を渡さない 摂関政治の権力の源泉は天皇の外戚になることだから
伊周が定子に皇子を産めと言ってたのも死活問題だからだな
道長は運良く娘たちが皇子を産んでくれたけど頼通の娘は皇子を産めなかったから摂関政治が終わった 現状、権力欲のないように書かれてる道長が自分の子供を次々入内させるのをどう描写するんだろうか 皆さんご意見ご見解ありがとうございます
偶々居合わせた人が全てじゃないけど
つまりなんだその、消去法で分かっちゃうじゃないかw >>283
ドラマでは明子が詮子に頼んで一条に巌を誉めるように仕向けるのかね? >>281
あの若さで政権トップに立てたのは、皆疫病で勝手にコロコロ死んでくれたから >>284
清盛も実は最晩年の後白河幽閉とか除けば
公卿に出自を賎しさを皮肉られてもヘラヘラ
してやりすごしてたんだっけ? >>287
実資というか小右記の批判は、こういうのは真似しちゃいけないよ的なべき論、原則論からくるものが多いと感じます
道長みたいな立場の人は一例でもこんなこと無いようにしなきゃいけないんだ(本人よりも家司、家人への批判)
という感じかもしれませんね
千古の裳着はまあ、女児(薬延)のことと高齢になってからの子ということで誰しも親バカが肥大するところに権力も増えてリミッター外れちゃいましたかね
彼も人の子の親ということで 小右記に最初に出てくる道長の記録では呼び捨てにしてたな
実資にとっちゃ小野宮流の自分の方が嫡流で
九条流の五男坊の道長は成り上がり者という意識があったんだろう
実資は日記では道長をたびたび批判してるけど表向きは上手く付き合ってたようだな 大河ドラマ前の道長
傲慢な満月デブ
大河ドラマ後の道長
不憫で悩める道長くん 一朗太、ダメオヤジすぎだろ
悪霊になっても怖くないぞ 道長は史実では病気がちだったというし
自分だって兄たちみたいに急死する不安はあっただろう
頼りになる身内は多いほうが良かったはずで
定子と伊周たちを最初から排除一択で考えてたとは思えないね 詮子が死ねば道長の同母兄弟は全員死に絶える
異母兄弟すらドラマに出てこない綏子が死ねば俗世に居るのは道綱だけ
詮子が死んだ時点での道長は完全にどん詰まり
道長が早死にしてれば頼道は大臣どころか受領で終わったかもしれん >>299 顕光は第一回からずっと登場してて、第25回にしてようやく活躍の場所が得られたと思ったんだが…
(;´・ω・) あの時代とにかく長生きするって大事やね
道隆があと十年いや二十年生きながらえていたらあんな性急で露骨な息子たちのスピード出世もやらなかった
…かもしれない どの時代もせやで
平重盛が長く生きてたら源頼朝が長く生きてたら北条時頼が長く生きてたら >>304
豊臣秀吉もあと10年長く生きてれば徳川の天下なかったかもな >>290
もうNHKが答え書いとる
天変地異、災いを防ぐために、泣く泣くわが娘をいけにえ(入内)に捧げるのさ
どう考えても子供だましの理屈だけどw >>299
道長なんて威圧感あるでもなくちゃんと一通りみんなの意見聞くし独裁的なこともしてないのにあんなビビって意見出来ないとかダメ過ぎ右大臣 >>303
5年でかなり違ったと思う
隆家はなんかやらかしてたかもしれないけど、長徳の変までのことにはならないだろうし、なにより道隆が生きている間に敦康親王が産まれる
伊周は20代半ばだけど親王の外叔父、道長の方が中継ぎの関白となり、のちに中関白家と呼ばれてたのかもな 5年で
経験なし
実績なし
相手を立てる気遣いなし
成長ゼロ
自分の立場の自覚ゼロ
公卿の好感度は永久凍土
の時点でオhル >>302
顕光は村上天皇の皇女を正室としていたが、彼女が亡くなった後で、道兼の未亡人と再婚したそうだ のんびり育って甘やかされた三男坊だったのに
父も兄たちも姪も姉も次々失って甥もやらかして失脚して
唯一無傷のまま一人残った道長が
うおおおもう俺がこの家を守るしかないいいいい!と
無我夢中で頑張った結果栄華を極めることになり
俺頑張ったほんと頑張った…と感極まった末の望月の歌だったのかもしれない
北条義時にしろ徳川家康にしろそういう状況に追い込まれる人って歴史上には居る
後から見たらすごく幸運に見えたり、何かしらの陰謀を企んだように見えたりするが 定子が亡くなって俺の時代キターー!とどんちゃん騒ぎする道長に
行成が痛いKYオヤジと憤慨してる
道長は骨の髄まで俗物、望月の歌の一つや二つ、有頂天で詠むだろうw そもそも古来、日本にインドみたいな徹底的な輪廻観があったのかということ自体結構怪しいと思ってて、死んだ後ホトケになるとかいう意味不明な言い回しも輪廻観があったら出てこない表現なので、そもそも輪廻自体大して信じてないのではとも。 また妄想入れた解釈
しかもみんな右へならへの思考停止の
中の関白家贔屓 俗物なのが政治家として上手く行った理由かも
コミュ力ありそう 2人の奥さんに交互に6人ずつ産ませるってさあ
妻への気配りがすごいや
多分他の公家への気配りも律儀だったと思われる
妻が2人てのが好きな女は別にいるって創作しやすくていいね >>312
Wikipediaによれば、本多氏(忠勝や正信などの、あの本多氏)は顕光の子孫だと自称してたそうな >>316
向こうのスレで浮いてるからってこっち来んな >>318
しかも有力者やお大尽んとこの娘たちとの婚姻が何気に多いよね
従一位最高序列者も二人
源倫子を正室にできたのが最大要因かもな
道隆やその息子たちと比較すると後ろ盾の太さが全てと言ってもいいくらいの格差がある
道隆の正室の出自って紫式部の出自に毛が生えたくらいじゃないか?
道隆って息子たちのスピード叙位もだが中宮の外祖ということで高階成忠らへの異例の叙位の方が公卿たちへの反感嫌悪感憤懣買いまくりだったのではないか
道長も一族の出世にあやかってはいるが定子の立后の儀式に欠席したりとこの頃から兄とは一線を画している
気を見るに敏で確かに気配り名人であったのだろう 「わずかひと月の間に道長、伊周を除く、大納言以上の公卿は死に絶えた」
コロナの時に高齢の政治家も死に絶えたらよかった
と思ってしまうのはいけないことなのだろうか 倫子と結婚後にまひろが土御門訪問したとき道長様の出世がすごーい
て話してたけどあれ左大臣の引き立てが大きかったよな
だから道隆政権になった時にはすでに大納言で伊周に追い抜かれても挽回可能だった
倫子のおかげだから明子は我慢しなさい
で彰子入内でも皇子がなかなか誕生しないでまひろのお力に頼らにゃならんのだから倫子も我慢しなさいw >>323
全開の公卿のヒソヒソ会議
4人中2人が超絶無能てすごいなーと思った