武家政権の嚆矢を清盛とする見方は、おそらく歴史学の通説となった。
堅固な旧貴族体制を相手とする長きにわたる清盛の孤軍奮闘がなければ、伊豆でフリーライダーやってた
頼朝の鎌倉幕府もなかっただろう。
このような客観的な歴史の捉え方を主観面ー人的関係ーに投影させたのが、冒頭で「思わず口走り」
ラストで力強く宣明された「平清盛なくして武士の世はこなかった」である(志の継承が最終回のメインテーマ)。
政権構想や国制、京との物理的・身分的・心理的な距離感の取り方など、
頼朝にとって清盛は教師でもあり反面教師でもあり、その上、命の恩人でもある。
人間清盛を非常に意識していたのは当然として、先行する清盛をある種リスペクトしていたとしても不思議ではない。
こうした歴史をドラマに転換する妙技を、ゆとりを失いボケが始まった爺婆が理解することは、もはや叶わない。(大笑

お前な経済学の基本用語ぐらい押さえとけ。
京での俺の国造りを「伊豆の田舎で指を咥えて眺めておれ!」と一喝された上で流された頼朝は、
まさにその通り、諦めの心境でスローライフを送った。
その間、清盛は着々と旧体制に食い込み、特権貴族だけが我が世を楽しむ体制を内部から変えていき、
武士の世へと時代を転換させる緒をつけた。
このようなレジームチェンジを「公共財」に見立てた「フリーライダー」ということ。

現代の価値観?
思わずくちばしちゃったテヘヘとナレ朝しただろう。つまり場違いであることを自覚していた。
思わず本心をらしからぬ形で吐露したのが、あの冒頭場面なのだ。
しかも、本心ではそう思っていたとしても、それは別に現代的価値観でもなんでもない。
現代の価値観がーてのは、ババアの大好きな昔は良かったーで、
正室に「朝鮮の戦は非道であります」とかだんなに言わせることを言うんだよ。

アタシは初めて知ったコトバの含意を国語辞典の一言で学びマスタ!w