【2018年大河ドラマ】 西郷どん part95
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◆スタッフ
【原作】林真理子 【脚本】中園ミホ
【音楽】富貴晴美 【歌】里アンナ 【テーマ音楽指揮】下野竜也 【テーマ音楽演奏】NHK交響楽団
【制作統括】櫻井賢/櫻井壮一 【プロデューサー】小西千栄子/藤原敬久 【挿入歌「愛加那」「愛、奏でて」】城南海
【演出】野田雄介/盆子原誠/岡田健/石塚嘉/津田温子/堀内裕介/大嶋慧介 【時代考証】原口泉/大石学/磯田道史
【薩摩ことば指導】迫田孝也/田上晃吉/持永雄恵 【奄美ことば指導】一三/山田むつみ 【徳之島ことば指導】一三
【沖永良部ことば指導】新納敏正 【長州ことば指導】一岡裕人/巽純子/三宅あみ 【北九州ことば指導】上田ゆう子 【土佐ことば指導】岡林桂子
【京ことば指導】井上裕季子【会津ことば指導】河原田ヤスケ 【宇和島ことば指導】古川伴睦
【【島唄指導】住姫乃 【ユタ指導】中フミ子 【機織り指導】安田謙志
【題字&ポスター&タイトルバック】L.S.W.F 【殺陣武術指導】車邦秀 【建築考証】平井聖【軍装・洋装考証】刑部芳則【風俗考証】小沢詠美子
【衣装デザイン】黒澤和子 【所作指導】西川箕乃助【馬術指導】田中光法 【茶道指導】鈴木宗卓 【芸能指導】友吉鶴心
【書道指導】金敷駸房【砲術指導】佐山二郎 【チェス指導】小島慎也 【薬丸自顕流指導】薬丸康夫/薬丸兼弘 【医事指導】酒井シヅ 【裁縫指導】小林操子
【絵画指導】向井大祐/松原亜実【英語指導】塩屋孔章【フランス語指導】生川けい【相撲指導】室伏渉【書き文字手元吹替】涼風花
【囲碁指導】田尻悠人/桂篤【藁細工指導】中島安啓 【竹細工指導】石垣英樹 【和傘製作指導】杉崎英紀 【特殊メイク】江川悦子
【仏事指導】平子泰弘 【脚本協力】小林ミカ 三谷昌登 【予告ナレーション】大塚明夫
【西郷どん紀行・唄】サラ・オレイン 【西郷どん紀行・唄「西郷どん紀行〜奄美大島・沖永良部島編〜」】城南海
【西郷どん紀行・唄「西郷どん紀行〜道しるべ〜」】山崎育三郎 【西郷どん紀行語り】島津有理子アナウンサー
【語り】西田敏行(70)
◆関連スレ
【*】西郷どんの視聴率を語るスレpart17
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1536965820
【謎の歴史観】西郷どん その4【なんで史実じゃダメなんですか?】
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1531211299/
【2018年 大河ドラマ】 西郷どんアンチスレ2
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1533140742/
【MVP】西郷どん各回MVPスレッド
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1515404579
西郷どん キャスト予想&ネタバレスレ【実質キャスト予想スレpart9】
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1519279905/ ◆出演者(カッコ内はドラマの設定)
西郷小吉→吉之助→隆盛(1828-1877)…渡邉蒼(13)→鈴木亮平(35)
岩山糸→海老原糸→西郷糸(隆盛の3度目の妻/1843-1922)…渡邉このみ(12)→黒木華(28)
とぅま→愛加那(隆盛の2度目の妻/1837-1902)…二階堂ふみ(24)
須賀(旧姓伊集院/隆盛の最初の妻/1832-?)…橋本愛(22)
西郷菊次郎(隆盛と愛加那の子/1861-1928)…内田凜太朗、内田廉太朗(乳児役)→城桧吏(12)→今井悠貴(19)
西郷菊草(菊子/隆盛と愛加那の子/1862-1909)…ことり(乳児役)
西郷吉兵衛(父/1806-1852)…風間杜夫(68)●
西郷満佐(母/?-1853)…松坂慶子(65)●
西郷きみ(祖母/?-?)…水野久美(81)●
西郷龍右衛門(祖父/?-1852)…大村崑(86)●
西郷琴→市来琴(妹/市来正之丞に嫁ぐ/1832-1913)…栗本有規(11)→桜庭ななみ(25)
西郷吉二郎(弟/1833-1868)…荒井雄斗(12)→渡部豪太(32)
西郷園(吉二郎の妻、仁礼平蔵の妹)…柏木由紀(27)
西郷みつ(1歳役)(吉二郎と園の娘)…佐藤恋和(2)
西郷鷹(妹/?1837?-1862)…石井心咲→渡来るひか→原舞歌(17)●
西郷安(妹/1839-?)…大塚心結→佐藤心美→萱野優(10)?
西郷信吾→従道(弟/1843-1902)…斎藤汰鷹→佐藤和太(12)→田港璃空→錦戸亮(33)
西郷清(従道の妻)…上白石萌音(20)
西郷小兵衛(弟/1847-1877)…小山蒼海→齋藤絢永→大山蓮斗(10)→上川周作(25)
西郷桜子(姪・従道の娘/1886-1985)…西郷真悠子(22)
熊吉(永田熊吉/西郷家代々の下男/1835?-1900)…塚地武雅(46)
イシ(熊吉の祖母)…佐々木すみ江(90)
大久保正助→一蔵→利通(1830-1878)…石川樹(15)→瑛太(35)
早崎満寿→大久保満寿(利通の妻/?-1878)…美村里江(34) ※出演発表時は「ミムラ」名義
大久保彦熊(利和)(利通の嫡男/1859-1945)…曵地奏飛(1)→遠藤颯(7)
大久保キチ(利通の妹/1832-?)…佐藤奈織美(22)
大久保スマ(利通の妹/1837-?)…日下玉巳(19)
大久保ミネ(利通の妹/1840-?)…高野友那
大久保福(利通の母/1803-1864)…藤真利子(63)●
大久保次右衛門(利通の父/1794-1863)…平田満(64)●
於一→篤姫→天璋院篤姫(徳川家定継室/1836-1883)…中村美乃莉→北川景子(32)
幾島(篤姫女中頭/1808-1870)…南野陽子(51)
徳川家定(第13代将軍/1824-1858)…又吉直樹(37)●
本寿院(徳川家定の生母・家慶側室/1807-1885)…泉ピン子(71)
歌橋(法好院/徳川家定の乳母/?-?)…猫背椿(45)
徳川慶福→徳川家茂(紀州13代藩主→14代将軍/1846-1866)…荒木飛羽(12)→勧修寺保都(21)●
一橋慶喜→徳川慶喜(15代将軍、水戸斉昭の七男/1837-1913)…松田翔太(33)
平岡円四郎(一橋家の家老並/1822-1864)…山田純大(45)●
井伊直弼(大老・彦根藩主/1815-1860)…佐野史郎(63)●
長野主膳(井伊直弼家臣/1815-1862)…神保悟志(55)●
徳川慶勝(前尾張藩14代藩主/1824-1883)…小宮孝泰(62)
阿部正弘(老中/1819-1857)…藤木直人(45)●
堀田正睦(老中/1810-1864)…朝倉伸二(54)●
松平忠固(老中/1812-1859)…野添義弘(59)●
阿部伯耆守(正外/老中/1828-1887)…山田明郷(69)
本庄豊後守(宗秀/老中/1809-1873)…佐藤尚宏(59)
板倉勝静(老中/1823-1889)…堀内正美(68)
水野忠央(紀伊新宮藩藩主/1814-1865)…ホリベン(65)●
徳川斉昭(前水戸藩主・慶喜父/1800-1860)…伊武雅刀(69)●
山岡鉄舟(幕臣/1836-1888)…藤本隆宏(48)
勝麟太郎(海舟)→勝安房(海舟)→勝海舟(幕臣、軍艦奉行/1823-1899)…遠藤憲一(57) 龍佐民(愛加那の伯父/1819-?)…柄本明(69)
石千代金(龍佐民の妻/1825-?)…木内みどり(67)
ユタ(愛加那の相談相手、占い師)…秋山菜津子(53)
富堅(愛加那の兄/1832-?)…高橋努(40)
里千代金(富堅の妻)…里アンナ(39)
土持政照(冲永良部島横目/1834-1902)…斉藤嘉樹(27)
土持鶴(政照の母)…大島蓉子(63)
川口雪逢(冲永良部の流人/1819-1890)…石橋蓮司(77)
琉仲為(徳之島の惣横目/1820-1870)…一三(45)
タケ(島のこども)…山下心煌(8)
こむるめ(タケの母)…蔵下穂波(25)
木場伝内(薩摩藩士、奄美の見聞役/1817-1891)…谷田歩(43)
田中雄之介(薩摩藩士、奄美の代官)…近藤芳正(57)
黒葛原源助(薩摩藩士、冲永良部島の役人)…下総源太朗(52)
ゆう(祇園の芸妓/?-?)…内田有紀(42)※発表段階の役名は「おゆう」
虎(京の旅籠「鍵屋」の仲居)…近藤春菜(35)
ふき(およし)(薩摩の百姓の娘→品川宿給仕→慶喜の側室/?-?)…柿原りんか(14)→高梨臨(29)
タマ(小玉) (品川宿給仕・ふきの同僚)…田中道子(29)
金鶴(カネ・磯田屋の女中)…西川加奈子
八兵衛(品川宿の下男)…久松龍一(38)
鍵屋直助(京の旅籠「鍵屋」の主人)…西沢仁太(59)
市来正之丞(西郷琴の夫/1822?-?)…池田倫太朗
市来宗介(正之丞と西郷琴の息子)…前川優希(20)
海老原重勝(糸の最初の夫)…蕨野友也(31)
岩山直温(糸の父/1814-1873)…塩野谷正幸(65)
岩山直一郎(岩山糸の兄)…ミョンジュ(46)
岩山トキ(岩山直一郎の妻)…植木夏十(41)
伊集院直五郎(須賀の父/1817-1883)…北見敏之(57)
板垣与三次(豪商・金貸し/?-?)…岡本富士太(71)
井上馨(長州藩士/1836-1915)…忍成修吾(37)
山県有朋(長州藩士/1838-1922)…村上新悟(43)
板垣退助(土佐藩士/1837-1919)…渋川清彦(44)
大隈重信(佐賀藩士/1838-1922)…尾上寛之(33)
月照(清水寺成就院の僧/1813-1858)…尾上菊之助(40)●
岩倉具視(公卿/1825-1883)…笑福亭鶴瓶(66)
岩倉周丸(具定/具視の次男/1852-1910)…福山康平(20)
近衛忠煕(公卿/1808-1898)…国広富之(65)
近衛忠房(公卿/忠煕の四男/1838-1873)…大窪人衛(29)
大原重徳(公家・勅使/1801-1879)…内倉憲二(46)
真海和尚(吉祥院住職)…有福正志(66)
中川宮(伏見宮邦家親王の第4王子/1824-1891)…なだぎ武(47)
孝明天皇(1831-1867)…中村児太郎 (六代目)(24)●
明治天皇(1852-1912)…野村万之丞(六世)(22)
三条実美(公卿/1837-1891)…野村万蔵(九世)(52)
中山忠能(公家/1809-1888)…緒方賢一(76)
ハリス(タウンゼント・ハリス)(初代駐日アメリカ合衆国弁理公使/1804-1878)…ブレイク・クロフォード(56)
ヒュースケン(ヘンリー・ヒュースケン)(駐日アメリカ総領事館の通弁官/1832-1861)…セルゲイ・イワノフ
パークス(ハリー・パークス)(イギリス公使/1828-1885)…セイン・カミュ(47)
アーネスト・サトウ(イギリスの外交官/1843-1929)…スティーブ・ワイリー
※●…すでに死亡(本放送時にその人物が退場した時点と最終回終了時から俳優の年齢更新はしません) 島津斉彬(薩摩藩第11代藩主、第28代島津家当主/1809-1858)…渡辺謙(58)●
喜久(斉彬側室)…戸田菜穂(44)
島津寛之助(斉彬の次男/1845-1848)…寺師海渡●
虎寿丸(斉彬の五男/1849-1854)…藤本悠希(8)●
哲丸(斉彬の六男/1857-1859)…石田あん:石田えま(1)●
島津久光(斉彬異母弟/1817-1887)…青木崇高(38)
於哲(久光の娘/1839-1862)…杉岡詩織(28)●
島津茂久→忠義(初名・忠徳/薩摩藩第12代藩主、島津氏29代当主/1840-1897)…中島来星(18)→長田成哉(29)
島津忠剛(篤姫の父、今泉島津家当主/1806-1854)…すわ親治(65)●
由羅(斉興側室・久光生母/1795-1866)…小柳ルミ子(66)●
島津斉興(薩摩藩第10代藩主、第27代島津家当主/1791-1859)…鹿賀丈史(67)●
調所広郷(薩摩藩家老/1776-1849)…竜雷太(78)●
小松帯刀(薩摩藩重臣/1835-1870)…町田啓太(28)
大山格之助→綱良(薩摩藩士/1825-1877)…犬飼直紀(17)→北村有起哉(44)
有村俊斎→海江田武次→海江田信義(薩摩藩士/1832-1906)…池田優斗(12)→高橋光臣(36)
村田新八(薩摩藩士/1836-1877)…加藤憲史郎(11)→堀井新太(26)
赤山靱負(久普/薩摩藩重臣/1823-1850)…沢村一樹(50)●
島津歳貞→歳充→桂久武(靱負弟/1830-1877)…井戸田潤(45)
有馬新七(薩摩藩士/1825-1862)…伊澤柾樹→増田修一朗(37)●
山田為久(斉彬側近)…徳井優(58)
中村半次郎→桐野利秋(薩摩藩士/1838-1877)…中村瑠輝人(14)→大野拓朗(29)
迫田友之進(薩摩藩士)…浜田学(41)
堀次郎→伊地知貞馨(薩摩藩士/1826-1887)…鬼塚俊秀(36)
奈良原喜八郎→奈良原繁(薩摩藩士/1834-1918)…明石鉄平(36)
奈良原喜左衛門(薩摩藩士、喜八郎の兄/1831-1865)…宮澤寿(37)●
中山尚之助(薩摩藩士)…天野義久(45)
田中謙助(薩摩藩士/1828-1862)…堤匡孝(41)●
有村次左衛門(薩摩藩士、俊斎の弟/1839-1860)…山田大生(22)●
道島五郎兵衛(薩摩藩士/?-1862)…鈴木有史(32)●
柴山愛次郎(薩摩藩士/1836-1862)…中村尚輝(39)●
川路利良(薩摩藩士/1834-1879)…泉澤祐希(25)
中原尚雄(薩摩藩士/1845-1914)…田上晃吉(35)
篠原国幹(薩摩藩士/1837-1877)…榊英雄(48)
別府晋介(薩摩藩士/1847-1877)…篠原悠伸(26)
辺見十郎太(薩摩藩士/1849-1877)…持永雄恵
松平慶永→松平春嶽(/第16代越前福井藩主/1828-1890)…津田寛治(53)
橋本左内(福井藩士/1834-1859)…風間俊介(34)●
中根雪江(福井藩士/1807-1877)…ヨシダ朝(57)
桂小五郎→木戸孝允(長州藩士/1833-1877)…玉山鉄二(38)
謎の男→謎の漂流者→ジョン・マン(中濱萬次郎、ジョン・万次郎/1827-1898)…田中誠人→劇団ひとり(41)
平野国臣(福岡藩士/1828-1864)…おおたけこういち(37)●
久坂玄瑞(長州藩士/1840-1864)…二神光(28)●
吉村虎太郎(土佐藩士/1837-1863)…兼松若人(37)●
坂本龍馬(土佐藩士→脱藩/1836-1867)…小栗旬(35)●
お龍(楢崎龍/坂本龍馬の妻/1841-1906)…水川あさみ(35)
中岡慎太郎(土佐藩士/1838-1867)…山口翔悟(35)●
後藤象二郎(土佐藩士/1838-1897)…瀬川亮(39)
三吉慎蔵(長府藩士/1831-1901)…佐藤政之(38)
伊藤俊輔→伊藤博文(長州藩士/初代内閣総理大臣/1841-1909)…浜野謙太(37)
大村益次郎(長州藩医師/1824-1869)…林家正蔵(55)
来島又兵衛(長州藩士/1817-1864)…長州力(66)●
江藤新平(佐賀藩士/1834-1874)…迫田孝也(41)
松平容保(会津藩9代藩主/1836-1893)…柏原収史(39)
松平定敬(桑名藩藩主/京都所司代/1847-1908)…庄野崎謙(30)
山内容堂(土佐藩15代藩主/1827-1872)…大鷹明良(60)
伊達宗城(伊予宇和島藩8代藩主/1818-1892)…長谷川公彦(56)
吉川監物(経幹/岩国領主→岩国藩主/1829-1867)…猪野学(45)● 龍佐民(愛加那の伯父/1819-?)…柄本明(69)
石千代金(龍佐民の妻/1825-?)…木内みどり(67)
ユタ(愛加那の相談相手、占い師)…秋山菜津子(53)
富堅(愛加那の兄/1832-?)…高橋努(40)
里千代金(富堅の妻)…里アンナ(39)
土持政照(冲永良部島横目/1834-1902)…斉藤嘉樹(27)
土持鶴(政照の母)…大島蓉子(63)
川口雪逢(冲永良部の流人/1819-1890)…石橋蓮司(77)
琉仲為(徳之島の惣横目/1820-1870)…一三(45)
タケ(島のこども)…山下心煌(8)
こむるめ(タケの母)…蔵下穂波(25)
木場伝内(薩摩藩士、奄美の見聞役/1817-1891)…谷田歩(43)
田中雄之介(薩摩藩士、奄美の代官)…近藤芳正(57)
黒葛原源助(薩摩藩士、冲永良部島の役人)…下総源太朗(52)
ゆう(祇園の芸妓/?-?)…内田有紀(42)※発表段階の役名は「おゆう」
虎(京の旅籠「鍵屋」の仲居)…近藤春菜(35)
ふき(およし)(薩摩の百姓の娘→品川宿給仕→慶喜の側室/?-?)…柿原りんか(14)→高梨臨(29)
タマ(小玉) (品川宿給仕・ふきの同僚)…田中道子(29)
金鶴(カネ・磯田屋の女中)…西川加奈子
八兵衛(品川宿の下男)…久松龍一(38)
鍵屋直助(京の旅籠「鍵屋」の主人)…西沢仁太(59)
市来正之丞(西郷琴の夫/1822?-?)…池田倫太朗
市来宗介(正之丞と西郷琴の息子)…前川優希(20)
海老原重勝(糸の最初の夫)…蕨野友也(31)
岩山直温(糸の父/1814-1873)…塩野谷正幸(65)
岩山直一郎(岩山糸の兄)…ミョンジュ(46)
岩山トキ(岩山直一郎の妻)…植木夏十(41)
伊集院直五郎(須賀の父/1817-1883)…北見敏之(57)
板垣与三次(豪商・金貸し/?-?)…岡本富士太(71)
井上馨(長州藩士/1836-1915)…忍成修吾(37)
山県有朋(長州藩士/1838-1922)…村上新悟(43)
板垣退助(土佐藩士/1837-1919)…渋川清彦(44)
大隈重信(佐賀藩士/1838-1922)…尾上寛之(33)
月照(清水寺成就院の僧/1813-1858)…尾上菊之助(40)●
岩倉具視(公卿/1825-1883)…笑福亭鶴瓶(66)
岩倉周丸(具定/具視の次男/1852-1910)…福山康平(20)
近衛忠煕(公卿/1808-1898)…国広富之(65)
近衛忠房(公卿/忠煕の四男/1838-1873)…大窪人衛(29)
大原重徳(公家・勅使/1801-1879)…内倉憲二(46)
真海和尚(吉祥院住職)…有福正志(66)
中川宮(伏見宮邦家親王の第4王子/1824-1891)…なだぎ武(47)
孝明天皇(1831-1867)…中村児太郎 (六代目)(24)●
明治天皇(1852-1912)…野村万之丞(六世)(22)
三条実美(公卿/1837-1891)…野村万蔵(九世)(52)
中山忠能(公家/1809-1888)…緒方賢一(76)
ハリス(タウンゼント・ハリス)(初代駐日アメリカ合衆国弁理公使/1804-1878)…ブレイク・クロフォード(56)
ヒュースケン(ヘンリー・ヒュースケン)(駐日アメリカ総領事館の通弁官/1832-1861)…セルゲイ・イワノフ
パークス(ハリー・パークス)(イギリス公使/1828-1885)…セイン・カミュ(47)
アーネスト・サトウ(イギリスの外交官/1843-1929)…スティーブ・ワイリー
※●すでに死亡(本放送時にその人物が退場した時点と最終回終了時から俳優の年齢更新はしません) もし俺が大河ドラマの題材などの情報を全く与えらず、ただ直虎に出演する出演者一覧表だけを
与えられたとしたら、柴咲コウの名前をみて、この大河は柴咲コウが主演だと言い当てられただろう。
それぐらい直虎のキャストは豪華メンバーとは言い難い、はっきり言って大河にしてはしょぼいキャストだった。
もし俺が大河ドラマの題材などの情報を全く与えらず、ただ西郷に出演する出演者一覧表だけを
与えられたとしたら、鈴木亮平の名前をみても、この大河は鈴木亮平が主演だと絶対言い当てられなかっただろう。
それぐらい西郷のキャストは豪華メンバーで、さすが大河ドラマという感じの豪華キャストだ。
それなのに直虎に視聴率で勝てない西郷は、はっきり言って酷いの一言 975日曜8時の名無しさん2018/10/01(月) 13:24:51.71ID:QzVkJJfL
慶喜が京から逃げた理由はあれホントなの?
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あれ が何を指すのか分らないが
慶喜の母方は公家で幼少より天皇家を敬い神格化し育ったことにより
慶喜自身が天皇に弓を弾くことにためらいと恐怖を感じた。
これが一番の理由
家臣に何も言わず退いた理由、ここからは私的推論だが
心境は西南の役時の西郷と同じで家臣(氏族)の心中を察するに中止を言い出せなかった
まあどちらにしても失策であることは間違いない 関西の年間平均視聴率
()内は関東
篤姫 23.1% (24.5%)
天地人 20.0% (21.2%)
龍馬伝 19.5% (18.7%)
江 17.8% (17.7%)
八重の桜 13.7% (14.6%)
軍師官兵衛 18.2% (15.8%)
花燃ゆ 13.0% (12.0%)
真田丸 15.9% (16.6%)
直虎 14.1% (12.8%)
西郷どん 16.5% (13.0%)暫定 ← 今ここ スレ立て乙
ガイドブック完結編読んだ
あまり歴史詳しくないので、ドラマの粗筋も結構史実に沿って肉付けして
描いているし面白そうだと思った
幕末維新編を読んだ時もそう思ったもんだけど、史実厨の人は怒っているなw
今後は当然鬱展開で、暗くて大丈夫だろうか で江戸城無血開城は何時放送するんだよ? とっとと決定して知らせろやクソNHK 馬鹿児島爺が奇跡の逆転ストーリーの流れ
・地域近くの災害ボランティアに応募
↓
・スマホしか持てないので全く使えない
↓
・被災者からクレーム多数
↓
・関係者から邪魔と追い出される
↓
・貢献したいが為に募金を決意
↓
・募金箱まで来るもナパポなので1円投入をためらう
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・その光景を動画に撮られネットに拡散
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・それが元で有名人になりユーチューバー転向 歴史音痴のワンサイド史観
ご都合主義の出鱈目脚本
歴代大河ワースト第二位決定だろ 『西郷どん』第37回「江戸無血開城」の放送時間について
https://www.nhk.or.jp/segodon/news/news-181001.html
9月30日(日)に「台風24号関連ニュース」のために放送休止となった
大河ドラマ「西郷どん」(総合/第37回「江戸無血開城」)は、
10月7日(日)午後8時から放送します。
※10月6日(土)午後1時5分(総合)からの再放送はありません。
※10月7日(日)午後6時からのBSプレミアムでは、第37回「江戸無血開城」を放送いたします。 すげえな
ここで完全に龍馬が夢見た世をぶっ込んできたなw
もう龍馬が主役だろw 10月1日 午後10:00-10:54
#174「明治維新の黒幕・岩倉具視」
西郷隆盛や大久保利通の陰で明治新政府樹立に 多大な貢献を果たした公家岩倉具視。
孝明天皇から絶大な信頼を受けながら、 尊王攘夷派の反発を受け5年もの歳月を洛北・岩倉村で送ることに。
そんな中、密かに練り上げた政治構想…
それはこれまでの常識を覆す政治改革案だった!
さらに自らの構想を実現するため前代未聞のクーデター計画を実行に移す!
稀代の策謀家として幕末の政局を動かした異色の公家の半生に迫る! 西郷を偉人とするくくりは無血開城と陸軍大使の間くらいまで
それ以降は、偉人でもなんでもない
偉人であれば自らが開設した私学校生徒が暴動を起こした時点で
詫びていたはずであり、西南戦争を引き起こさないでも済んだ
無血開城は偉人に値するけど、西南戦争で多数の犠牲者を出した
賊軍首魁としては偉人に値しないということ
薩摩という国を評価できるのは陸軍大使になったところまでだってことだ >>26
BS-TBSの「にっぽん!歴史鑑定」だと、局と番組名ぐらいは書いといてほしかったな >>28
しかし大河ドラマに「偉人しか描いてはいけない」というルールはないはずだが?
大河とは偉人か偉人でないかで選別する権威主義でつくってない。(無名の直虎なんか選外でしょ)
たくさんの失敗をし、たくさんのことをなしとげた西郷吉之助という男が昔いた。それでいいのでは? >>23
これまでも龍馬のシーンに龍馬伝のBGMこっそり使うくらいだからね
まあ主張としては龍馬のほうが西郷や岩倉よりずっと聡い >>33
早朝、いとさんに別れを告げて薩摩を発つ時に流れてた曲 徳川が政権を降りたことを認め、その徳川を含めた議会政治に移行して全員で政を裁決していくようにするべきだった
薩長の力が強くとも武力アピールのために徳川と戦争をするのは長い目で見ても損しかない。時間はかかっても同じ日本人同士なら戦をするよりは和睦の道も見いだせる
諸外国の狙いは日本人同士の戦と、それが長引くこと。逆にいえば日本の持つ成長力(潜在力)をこの時点で諸外国は恐れていた。 ということを龍馬は見抜いていたから大政奉還を後押しして徳川を助け、早合点で慶喜を憎む西郷を止めようとした。 >>37
>徳川が政権を降りた
降りてないからな
上様 Wikipedia
慶応3年12月9日(1868年1月3日)の王政復古の大号令により最後の将軍徳川慶喜の辞職が認められた翌日の慶応3年12月10日(1868年1月4日)、慶喜は自らの地位を「上様」と宣言した。
これは、将軍と幕府がなくなっても引き続き日本を統治するという意志を示したとされる。 >>37
町田 明広@machi82175302
一方で徳川慶喜は、西欧に留学経験がある側近の西周に、「議題草案」を作成させた。
天皇を山城に封じ込め、上下二院からなる議政院を置き、自身が上院の議長となること、軍事権を各藩から奪った上で、郡県制を布くことを骨子としていた。
#西郷どん
慶喜は、大政奉還をしても朝廷が政権を担うことなどできないと踏んでおり、実質的には慶喜がそのまま日本を統治し続ける目論見であった。
こうした状況下で、西郷は王政復古クーデターを早期に実行し、いち早く薩摩藩が主導権を握ることを画策した。
#西郷どん
慶喜は12月14日、助力を求めるためフランス公使ロッシュと会見した。
慶喜は12.9政変を非難し、天皇に対して新政府を承認しないように求めると主張した。
16日にはロッシュの助言を踏まえ、慶喜は英仏米蘭普伊の6国公使らを引見した。
#西郷どん
慶喜は6国公使に、大政奉還より王政復古に至る経緯を説明し、12.9政変が不当であるとして内政不干渉を求め、旧幕府が通商条約を順守して外交を掌ることを言明した。
慶喜は、旧幕府こそ日本の正当政府であると列強に認めさせることを狙ったのだ。
#西郷どん
また、慶喜救済に賭けた容堂の活躍は、それまでの不誠実な容堂とは比べ物にならず、その尽力によって慶喜を議定に就任させ、辞官・納地もなし崩しにすることがほぼ確実になった。
薩摩藩・西郷の敗北は、目前に迫っていた。ここで、結果として起死回生の出来事が江戸で起こった。
#西郷どん >>38
であれば四候会議の時点で雄藩連合に賛成しておけば良かった
慶喜にはずっとチャンスがあった
薩摩藩が幕府に協力的だった時に決断しておけば良かった どのみち未来の政治方針を示せるだけの知恵を何ら持ち合わせてない薩摩では力づくで他藩を黙らすしか手がなかったんだろね
大久保ひとり賢くてもどうにもならない >>36
アリがトン
注意して聴いてみるわ
しかしマジだとしたら物凄いことだぞw つーか、ここまでのまとめだと
西欧の悪巧みを見抜いて日本を守ろうとしたのが龍馬と慶喜、さらには勝で
まんまと騙されて脳筋で突っ走ったのが西郷という構図なんだがw
いいのかこの大河ww >>36
こりゃ龍馬伝ちゃんと見なきゃ駄目だな。福山が苦手だったので適当にしか見てない。 >>43
同盟の話持って長州に行く時だったかな
まだお龍はいない時だったと思う。違ってたらごめん >>42
明治の船出が大変だったのは事実だがどうにかなったから日本は独立を守れたのは事実 >>44
それは暴力的単純化だけども、そういう側面が西郷にあることは否定できない。
ただですねえ、もし慶喜の治世が明治に続いていたら、今の日本は決してやってこなかったと思う。
薩長藩閥政権は、荒々しかったけれども、慶喜政権に比べてスピード感だけはあった。 赤山先生の切腹や斉彬の飯に毒物混入の時からだけど感情任せで怒りすぎなんだよ西郷
人の意思を汲み取る力を養え >>53
そのスピード感は大久保と岩倉が担っていたんだろうなあ
外遊の時もそうだけど、おそらく
(西郷なんか連れて行ってもしょうがない)という空気があったのだと思うし
西郷自身もまったく西洋の文明に触れることに興味がなかったのだと思うなw 新しい政治体制をつくるのにはじめから完璧にしかも迅速にできるわないよね
それでも海外と比べても倒幕派サバク派関係なく日本人や武士は凄く優秀だと思う
フランス革命ナポレオン戦争なんてあんだけ時間使って死者500万人 >>55
知らないなら黙っとけ
「明治維新」がピリオドを打つためには、封建諸侯が土地人民を支配する体制を崩壊させることが必要となるのだが、そのハードルは相当高かったはずだ。
「廃藩置県」となると全国に200万人にものぼるという藩士の大量解雇につながる話なのだ。
菊池寛の文章を読み進むと、この当時の明治新政府の舵取りが容易ではなかったことが見えてくる。
「明治二年から四年の廃藩置県にかけての、新興日本は、非常なピンチの中にあった。一歩誤れば建武の中興の二の舞である。
一見、王政は復古し、五箇条の御誓文は発布され、万機公論に決するという国是も確定されたが実際の政治は決してそんな立派なものではない。
維新大業に於ける薩長の功労は圧倒的だ。しかし彼等とても、公議世論の声に圧せられて、思い切って新政に臨むことが出来ない。
まして、他の藩の有力者たちに、何も積極的にできるわけはない。新政最大の弱点は、実にこの、政治に中心勢力がないことであった。」
「建武の中興」というのは、鎌倉幕府滅亡後の1333年6月に後醍醐天皇が「親政」(天皇が自ら行う政治)を開始した事により成立した政権を指すが、わずか2年半で瓦解してしまった。
菊池寛は、明治政府がわずか数年で瓦解するピンチであったことを述べているのだ。
明治政府を誕生させたのは、薩長土肥の4藩の活躍がなくてはなしえなかったのであるが、これらの藩がまとまっていたかというと、そうではなかったようなのだ。
薩摩の西郷隆盛は新政府の考え方と合わず距離を置いていたし、島津久光(藩主忠義の父、事実上薩摩の最高権力者)は、四民平等、廃藩置県などはもってのほかだと不機嫌であった。しかも西郷を嫌っていた。
長州の首領格の木戸孝允は薩摩嫌いで、土佐は薩摩の武力主義に対して、公議政治という奇手を用いて新政府に割り込もうとしていたし、肥前は薩長土が維新の渦中で人材を消耗しつつある間に、悠々と機会を窺っていたという。
明治二年四月二六日に大久保利通が岩倉具視に宛てた手紙には、「…天下の人心政府を信ぜず、怨嗟の声路傍に喧喧、真に武家の旧政を慕うに至る…かくまでに威令の衰減せしこと歎息流涕の至りにたえず…」と書いており、その危機感がよく伝わってくる。 >>30
この人は偉大だと思わせる要素が描かれれば偉人ということで良いと思う
直虎は説得力あって面白かったよ。戦をせぬための戦を考え、戦わずして民を豊かにし、一族が寛容に生き延びる策を見いだす。万千代には伝わらなかったけどね…。
四天王の榊原ここで知ったのでいつか主人公にしてほしい 菊池寛は当時の大久保利通の危機感についてこう解説している。
「上下両極の議政所における、諸藩出身の貢士たちがいくら論議を重ねても、また群卿諸侯の大会議が何度開かれても、所詮朝廷の根軸を建て、確固たる中央政府が出来上がるわけではない。
朝廷に実力ある兵力なく、また財力があるわけでもない。こんな風潮では、天下は遠からず瓦解してしまうというのである。
…
公議、世論など、亡国的俗説だ。薩長専横と言わば言え、今日において、薩長の実力に依らないで何が出来るか。
我々はくだらぬ批難など耳に傾けず、薩長連合して、朝廷を中心に戴き維新当初の精神に立ち返って、働くべきだと論じた。この時に当たって、多少の摩擦混乱はやむを得ない。
即今幸いにも外患がないから、多少の内乱恐るるに足らずだ。要は一刻も早く、国内統一し、国家の基礎を確立して、外国に対抗せねばならん、というのである。
…
この決心を以て、大久保はまず起ち、岩倉、木戸の同意を得て、一路薩長連合に向かって突進した。
この結果、西郷が再び中央の政界へ、薩長連合の党首として乗り出すことになり、朝廷に近衛兵が置かれることになり、そして、最後に封建的割拠主義に最後の止めを刺す、廃藩置県という、画期的な改革が見事に出来上がるということになったのである。」
要するに、薩長が明治政府の中心にならなければ抜本的な改革は出来ず、また薩長をひとつにまとめ上げるためには、中心に西郷隆盛がいることを必要としていたということなのだ。
大久保は岩倉具視を勅使として薩摩にいる西郷を訪ねて上京を促し、西郷の同意を得たのである。
明治四年二月に西郷が東京入りして、朝廷に新兵が設置され薩長土三藩の兵が集められて中央政府の実力を固め、六月には自ら参議となって薩長の独裁政治体制が完成し、ようやく大改革を推進する体制が整った。
西郷の参議就任直後に山縣有朋は西郷を訪れ、滔々と廃藩置県の必要性を説き西郷の了解を得、七月九日には木戸孝允邸で廃藩置県の秘密会議が開かれた。大久保利通の日記を引用しながら、菊池寛はこう書いている。
「大久保の日記に
『九日、…五時より木戸氏へ訪。老西郷氏も入来、井上山縣も入来、大御変革御手順のこと、かつ政体基則のこと種々談義す。凡そ相決す。』
この時、木戸、大久保に苦慮の色があるのを見て、西郷は
『貴公らに、廃藩実施の手順さえ附いておれば、その上のことは拙者全部引受ける。
暴動が各地に起きても、兵力の点なら、ご懸念に及ばず。必ず鎮圧して、お目にかけましょう』 と言った。
この一言に、一同は一息ついて、議論が一決したのである。…
…
こうして、七月一四日疾風の如く廃藩令が下ったのである。」 菊池寛の『大衆明治史』が面白いのは、立場の異なる人間の動きが具体的に記されていて時代の動きがダイナミックに読み取れる点だ。
「西郷上京に際して、(必ず廃藩置県などやるでないぞ)とダメを押した島津久光は、廃藩令の薩摩に伝わるや、花火を揚げて、不満を爆発させたという。諸侯と言わず、武士と言わず、保守派に与えたショックは、蓋し甚大なるものがあると思う。
西郷はその心境を家老に告げ、
『お互いに数百年来の御鴻恩、私情においては忍び難きことに御座候えども、天下一般此の如き世運と相成り、此の運転は人力の及ばざる所と存じ奉り候』
と述べている。どちらかと言えば保守派である西郷である。苦衷想うべきだろう。
廃藩令が下るとともに、従来の藩は、次第に県に改まり、十一月になって七十二県が出来たのである。
一方大久保は、現在の内務、大蔵、逓信、農林、商工の五省を兼ねた大蔵省に立てこもり、井上馨、伊藤博文、松方正義、津田出などの新人を引き具して、いよいよ新政策に邁進することになった。
彼等の眼よりすれば、西郷は一種のロボットである。廃藩置県の大仕事が済んでしまえば、もう西郷は必要としないのである。西郷の好みそうもない政策が次々と生まれてくる。
八月九日、散髪脱刀許可令
八月十八日、鎮台を東京、大阪に置き、兵部省に属せしむ。
八月二十三日、華士族平民婚嫁許可令。
等々、四民平等、士族の特権はどんどん剥ぎとられて行く。」
菊池寛の文章を読むと、この『廃藩置県』が大変な改革であり、西郷隆盛の存在がなければその実現が難しかったことがよく理解できる。
しかしながら、『山川日本史』をはじめとする教科書や通史には、この大改革がスムーズに進んだことを強調して、廃藩置県に西郷隆盛の名前が出ることがほとんどないように思う。
歴史は勝者にとって都合の良いように編集されることを書いてきた。
明治政府にとっては、後に西南戦争で官軍と戦うことになった西郷隆盛の力がなければ、「廃藩置県」の大改革がなしえなかったという史実は「明治政府にとって都合の悪い真実」であり、教科書などの歴史叙述の中には書かせたくなかったのではないだろうか。
多くの教科書や概説書で、廃藩置県を「さして抵抗もうけずに実現した」というスタンスで書くのは、西郷が西南戦争で明治政府軍と戦った史実と無関係ではないと思うのだ。
いつの時代でもどこの国でも、時の権力者が書かせたような歴史を何回読んだところで真実が見えてくるとは限らないのだと思う。
基本的に権力者というものは、常に権力を握り続けるために嘘をつくものだと考えておいた方が良いだろう。 >>66
いや別にw
つーかあんたのことを言ってないけど、なんでそんな反応すんのw 自分が負けてるのに気付かないアホ
ID:m5TzXK0R 自分が負けてるのに気付かないアホ
ID:m5TzXK0R 斉彬様の一橋擁立の時点だと歴史描写的に緩すぎる様にも見えたけど、
姫様と西郷、ヒー様と牛男を
そもそもこの時会ってないと言うドラマ的脚色全開にしながら
案外史実から遠くなさそうな所であの青春時代を
皆皆己の義を尽くした事へのリスペクトで決着させたのはドラマ的に楽しめたわ 自分が負けてるのに気付かないアホ
ID:m5TzXK0R 自分が負けてるのに気付かないアホ
ID:m5TzXK0R >>55
むしろ留守政府の時に薩摩のドンの西郷が「反対せず」にドンと構えて
近代化への抵抗勢力に対する重鎮となって
有為の者達をバックアップした事が大きいのであって、
むしろそのために政府各省庁が爆走して根本的に金が足りませんと言う分捕り合いになるわ
外遊組が帰って来たら色々勝手に進み過ぎてブチギレるわと言う事態になったのが >>83
廃藩置県における御親兵についてどう思う? 自分が負けてるのに気付かないアホ
ID:m5TzXK0R >>84
ちょっと難しいw
西郷が近代化を推進してたということ? >>86
ほうw
全然知らんwあんたの見解を教えてくれ。 自分が負けてるのに気付かないアホ
ID:m5TzXK0R 役者で見ると、
治天として双六遊びを手仕舞いして武士の世を迎え
倒壊寸前の幕府で家族と政事に誠意を尽くして生を燃やし尽くし
武士として最大の恥辱に甘んじて武士の世を終わらせながら
江戸庶民と日本国を守り抜いた最後の武家の棟梁
一門の滅亡と共に、棟梁が基礎を築いた武士の世の始まりを迎えながら討ち死にし
焼け落ちる大坂城と共に戦国の終わり泰平の始まりを迎えながら討ち死にし
完全無血とはいかない迄も、宗家も首都も滅亡を免れる為の和平を担う侍の役目を全うして
武士世を終わらせ新たな世を迎える
もう一人、青臭いひ弱な苗から武家の棟梁を育て上げ
戦国から泰平の世に至る大戦の引鉄を引き
全面戦争を回避し上手く負ける事で武士の世を終わらせた最後の天下人の忠臣 自分が負けてるのに気付かないアホ
ID:m5TzXK0R >>25
会津コロコロ自演爺さんw
いねーわバーカw >>76
牛男というのはくだんのことだろうけど
どうして西郷とくだんが結びつくのかが
そもそもよく分からない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています