【2018年大河ドラマ】 西郷どん part103
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西郷は四国ルートを取るべきだったかもな
鹿児島から土佐に出て土佐郷士の協力を得、
四国を制圧し大阪湾から直接京大阪を衝く
京を制した所で西日本政府の樹立を宣言し
日本帝国の軍人や官僚に寝返りを呼び掛ける
熊本城や山陽道は当然敵も侵攻を予想し大軍を配置してるだろうから、
意表を衝くという意味でも正攻法は取るべきではなかった
元々熊本城は島津防ぎのための城だし、それを攻めたのはミスだった ヒィ様とか勝海舟とか無血開城からパッとフェードアウトしちゃったな
最終回で思い出したように再登場させて「西郷か・・ありゃ傑物だよ。」とか言わせて終わりそうでうざい 高知県士族と連合するには彼らが納得する大義名分が必要
問罪のための上京では名分たりえない
薩軍がそんな戦略を考える頭があったら暗殺疑惑くらいで挙兵しないです >>373
明治部分が西郷を西郷たらしめる期間だぞ
消化試合やってんじゃねぇw >>216
同感
あれで日本の立憲主義、民主化、国民の政治に対する意識と言う意味での近代化が遅れただけだった
それは今もなお引きずっている
時間がかかってもイギリスの不文憲法であるコモンローを成文化すればよかった 江藤新平
>脱藩し京で桂小五郎らと接触、通常脱藩は死罪だが賢侯として名高い佐賀藩主、鍋島斉正(直正・閑叟)の英断により蟄居となる。
>戊辰戦争では最高の働きをなし、東京遷都を進言するなど多方面で活躍した。
だったらもっと早くから登場させればいいのに
>明治維新の国家機構はまるで新平一人の頭から産み出されたような感を受ける。三条、岩倉、大久保、木戸、西郷といった維新の元勲達も、新平の描いた構想を実現すべく動いているよう
陰謀論じゃないけど、今でも安倍とか麻生とか、大久保と桂の系列が上に立ってるから、
メディア洗脳的に、ドラマで江藤を詳しく描くなって忖度があるのでは? 西郷も民のために在留邦人の安全のために韓国に行くと決めたなら大久保らが天子様を誘導して妨害しても自分も天子様を誘導しなおせばいいのにと思うよ。そこんとこを粘らずに下野して国帰るというのは淡白すぎると思う。 >>381
大久保・岩倉ら使節団がビスマルクに心酔したせいか?
弱小国プロイセンが日本の幕末と同時期にドイツ統一、日本と同じ植民地がほぼ無い状態で、普仏戦争に勝ち、ビスマルクのフランス孤立化作戦、鉄(富国)と血(強兵)で別格イギリスの次にヨーロッパ強国になったから でも江藤って大久保を排除しようとして失敗し、佐賀ごときで反乱おこして死刑だからある意味では馬鹿だろ >>386
西郷とか板垣も賛同してくれると思ったんじゃね 政策論争ではなく純粋な権力闘争。
政策は権力闘争の口実。
そこんところを理解できていないと、維新政府のゴタゴタは理解できなくなるよ。 >>384
大久保や岩倉を説得するためにはどう韓国を説得するかの具体的
方策がなきゃ無理だけどそこら辺が曖昧だから無理でしょ。 ドラマに「征韓論」や「朝鮮出兵」が、登場しないのは=日本の歴史にとって、人聞きが悪くて
?「都合が、悪い」から・・・植民地支配。 ドラマ西郷どんでも=同じ、こと。
あと、満州とか南方の島々とかいろいろあるよね。
( 当時は。イギリスやロシアなどの「大国」に、この小さな島国が "食われない" ためには。
周辺の国々を植民地にして=こちらも、欧米に負けない国になる!しか、なかった・・・・
でなければ。 こちらの日本のほーが=イギリスやロシアの「植民地」になって、しまう!
「 弱肉強食 」の、世界情勢だった。)
: 大陸進出「富国強兵」「殖産工業」・・・・学校で、習っただろ?
"眠れる清" は=イギリスに支配されてしまった。アヘン戦争?ヤツら欧米は、日本海を越
えて、もう目の前まで来ていた。。。。 で、その二千人の在留邦人とやらは、西郷が朝鮮にいかなかったために、殺されたり危害にあったりしたの? >>391
この辺の危機意識は坂の上の雲見た方が
ビスマルクいなくなった後のドイツがウザい 征韓論争を居留民保護の口実にしたのは上手い逃げ手だけど
これはお隣の国がやってる事と一緒なんだよね
BBCの歴史ドラマなんかだと、こんな部分は素直にcb ともかくも大久保が最強の官僚機構として作った内務省が
警察権、教育権、国家神道、国民統制を徹底して戦前の日本を形作った
これって功罪的にはやっぱ罪だわ
あの時代、ファシズムが失敗する前の時代はそういうのが強い国って意味だったのかな 征韓論争を居留民保護の名目にしたのは腫れ物に触れたくない上手い逃げ手だけど
これって歴史の捏造だよね、やってる事は隣国の方々の歴史ドラマと変わらない
英国BBCの歴史ドラマなんかだと、そんな当時の植民地政策なんかは割と素直に描いている >>398
内務省がダメになったのは(堕落したのは)大久保卿が暗殺された後からだから、彼に責任は無いよ。 >>149
ここ数回政治に苦悩してる姿が出てたし
西郷どんでも怒る事だってあるだろう 西郷を朝鮮に行かせてたら今でも保証しろ保証しろのオンパレードだからな
大久保が行かせなかったのだけは評価してやる
朝鮮なんか関わっちゃダメ >>178
それを実現する手法の対立は留守政府の中でもあったのだから
大久保達と対立するのはしょうがないだろう
権力闘争と言われればそれまでだが ビスマルクが使節団を別室に呼んで演説したのって
使節団が米国で歓待受けながら国書委任状がないからダメと難癖つけられ半年も
米国滞在を無駄に伸ばして日本に委任状を取りに行き翻弄されてるのみて
バカかお前らってことなのか?
国同士は表面上の国交と本音は違う、弱い国はたかられ踏み潰されるって演説だよね? このスレながめていると征韓論も緊急性とか必要性という点では説得力に欠けるし
西郷自身がそれを求めなければならない動機にもとぼしい
西南戦争は不平士族の暴発だが、それを招いたのは廃藩置県にはじまる士族の廃止が
原因であって、西郷自身がすき好んで招いた事態ともいえる。
というふうにみると、西郷というのは、自分の意志やヴィジョンでうごいていたというよりも、
自分を持ち上げてくれる人達の意志のままに動いていた。めっちゃ巨大なブルドーザー
だったが、運転しているのは本人じゃなかった、という感じなのだろうか 晩餐会に使節団が呼ばれて演説を聞き、終了した後別室で面会、小国の国づくりに関して話を聞いた。
当時小国に分かれた状態をひとつにまとめ上げたビスマルクのやり方が、状況の似ていた日本にも当てはまった。
大久保は感化された。
という流れ >>402
結局軍艦が2年後に行ったじゃん
知らんのかにわか >>406
単純に斉彬の影響がでかいんじゃないかな?思想に関しては。
清と朝鮮、日本がそれぞれ独立して協力体制を取り、欧米に対抗しようという考え方 ドラマは全然面白くも得るところもないけど、このスレはおもしろいw >>411
花燃ゆで画面見ずに
歴史談義で盛り上がってたこと思い出したw >>392
居留民が危険に晒されている中で起きてからじゃ遅いし
この後の歴史でロシアや中国絡みで日本人居留民の惨殺事件は何度か実際に起きとるよ
ただ実際の西郷の朝鮮使節としての目的はそれとは違うけどね >>408
西郷が行った行かなかったで
全然違うだろ
すっとこどっこい >>408
馬鹿じゃねーのテメー
西郷が行っていたらそんなもんじゃ済まねーんだよ
ま
ぬ
け 大久保は内務省と内務卿という独裁的なポジションは作ったけど交替して木戸伊藤も内務卿やってるので大久保の独裁政治ではないしそれはあえてやらなかったのだろう
歴代内務卿
1 大久保利通 1873年(明6)11月29日
2 木戸孝允 1874年(明7)2月14日
3 大久保利通 1874年(明7)4月27日
4 伊藤博文 1874年(明7)8月2日
5 大久保利通 1874年(明7)11月28日
続く ・芸スポからくっさいのが現れる
・その人とスレ民が争う
・それに馬鹿児島爺が参戦
・くっさいvs馬鹿児島爺
・それを傍観するスレ民 >>413
まつりごとのいやらしい話になってしまうけど、最終的に軍事侵攻が目的なら、
向こうが先に手をだしてくれたほうが、事が運びやすいということもあるのでは。
西郷が「自分が暗殺されたら」といったのも、要は日本が朝鮮へ進出する大義名分をえられるという意味
にも見えるし 鳥羽伏見の戦いでも、イクサをしたくない慶喜に、なんとしてでも決起させるために工作したのと似てるけど
イクサって、先に手をだしたほうが分がわるくて、被害者ほどおいしい立場だということを西郷は知ってるでしょう >>419
ビスマルクもエムス電報事件でフランス世論激高させて
先に宣戦布告させて
普仏戦争開始 西南戦争では、そのやり方を逆に新政府がつかって、薩摩軍をまんまとブチ切れさせたわけだけど >>418
「西郷は征韓論ではなく遣韓論」への反論がそこにあるね
西郷の意図は大義名分を得た上で出兵すべきであるとし、使節派遣の目的は軍事侵攻の名目を得る為であって
現に彼の言動や、即時出兵派の板垣と朝鮮侵攻の軍事計画を立案している事がその証拠であると
ただし、これに対する反論としては、使節に対する朝鮮側の出方によっては軍事オプションも考慮に入れねばならず
西郷はその可能性に備えたに過ぎない、軍事計画を練ったからといって、それを目的とするのはおかしいとする派
言動についても「もし特使の自分が討たれたら戦争をすればよろしい」とする、単に覚悟を示したに過ぎないと
当事者の言動については、言葉尻を捉えて自分の論に都合良く解釈するのが後世の歴史家の大得意とするところ
なんで、西郷本人がハッキリと「使節を出す目的は朝鮮への軍事侵攻」とする証拠が無い限りは、状況証拠だけでは
彼の意図は征韓に違いないとする論には自分は賛同出来ない >>419
その説は否定されてる
http://m.pandora.tv/?c=view&ch_userid=msb0727&prgid=56181487
http://m.pandora.tv/?c=view&ch_userid=msb0727&prgid=56512682 まだ11月だけどどうすんだこれ?
明治6年 征韓論→明治6年の政変←■今ここ
明治7年 佐賀の乱
明治8年 (歴史的な動きなし)
明治9年 神風連の乱、秋月の乱、萩の乱
明治10年 西南戦争。西郷没
明治6〜8年の、在鹿児島ホームドラマでひっぱるのか、それともとっとと西南戦争初めて
戦争でひっぱるのか?
どっちにしても超のつく尺余りw 西郷は「江藤は仕事してる」って認めてるから佐賀の乱はちょっとやりそうな気がする
江藤の死に際をわりと良く描いてそれを梟首した大久保を下げ
西郷大久保の対立は修復不可能ってなりそう 個人的見解だけど、村田新八は帰国せずにパリ残って、アコーディオニストとして
活動すれば、西南の役で死なずに、日本人初のアコーディオニストとして名前を
残せたかもしれなかったな。
ついでに家族も呼び寄せてパリに永住しても良かったかも。 >>422
ていうか、現職は参議だけど元々は下侍なサイゴーさん。
韓国側がまともに受け入れてお相手してくれるんかね。
むしろ岩倉様の方が色々と、韓国への特使には向いている様な。 >>425
尺余り?
何言ってんだよ
ぜんぜん足りねーだろ
レス乞食か? >>425
つっても残り5話で、次回は西郷下野
西南戦争開始から大久保暗殺くらいまでは最後2話分かけるらしいから
あとの2話で西南戦争に至るまでのあれこれとホームドラマやるんだろ >>429
出自は朝鮮側には関係がない事だよ、天皇の親書持ってたら、誰だろうが特使だ
その使者を朝鮮側がどう扱うかで日本側の対応が決まる、ただそれが西郷では危ういって三条、大久保が判断したのは
朝鮮が彼をどう扱うかより、彼がもし斬られたら国内の不平士族達が黙ってない、政府が穏便な対応をしたらそれを弱腰
と非難して一気に爆発して押さえられなくなる、だから西郷では万が一の時には出兵せざる得なくなるって国内事情の方だ >>429
科挙官僚と宦官の政権だぞ。
王族でない限り名門の人はいない。 西南戦争では、薩摩軍は熊本鎮台に暖かく迎えられ、ここで食料と弾薬の補充ができるって予定だったんだと
それがいきなり攻撃されたんだわ もう最初の計画からコケてる 大久保と江藤の対立は、ビスマルクかぶれとフランスかぶれの対立だった。
西郷は大久保からの手紙と写真の髭を見て、「似合わない」と批判したが、
大久保が非常に心酔しているのを目の当たりにして不安を覚えたのだろう。
また1873年のプロイセンは普仏戦争の勝利で熱狂していただろうし、明治政府
が近代化のお手本にしていたフランスが敗北したという事実は重かったはず。
そして帰国すると山縣が要職を解かれ、井上が追放。参議となった板垣、江藤
大隈が政府の中心となっている。
特に江藤が推進する四民平等、三権分立は共和制国家(アメリカ、フランス)の
政治形態であり、君主制のプロシアとは相反するものだった。
さらに江戸時代に司法と行政を奉行所が兼ねる慣習が200年以上続き、民の訴え
を弁護するのも裁くのも元士族という現実に、江藤の理想はそぐわなかった。
それでも江藤は明治六年、京都で起きた小野組転籍事件で井上の上司に
当たる木戸を屈服させる。これは裁判権と警察権を行政側から引きはがし
独立させようとする司法省と、それを阻止し従来通りの既得権を守ろうとする
官側の争いだが、傍目からも過激で急進的に見える。
また江藤は明治5年10月に人身売買を禁止した司法省達第22号を公布させた。
これに伴い人身売買は違法であるから芸娼婦に対する雇い主の債権も無効で
あるとされ、借金のかたに売られていった女性たちは完全に自由の身になった。
それが大久保の気に障ったかどうかは想像するしかないが、江藤への憎悪に
つながったような気がする。 大久保との約束を守ってなにもしないと言うのが正しい選択だったと思いますか? >>375
ふきどんもう出ないんだろうか
ヒィ様の所を出奔したみたいになってるけど
かなり出てた割にはなんかモヤモヤする居なくなり方だし ジョン万のアメリカ、伊藤博文のイギリスが新政府の鏡だったのに
変な発展途上国のプロシアじゃ、西郷さあも失望だろうな。
ロシアもエカテリーナなきあとでは未開国に戻ってるし。 ふきと慶喜は明治編PVにちらっと出ていたからまだ出番がある 岩倉・大久保派が追い出したかったのは 江・板・後 丼はそれに巻き込まれた感じ 江・板・後を追い落とすのに丼が邪魔ってのもあるなドラマは >>440
勝はどうだろうか
西南戦争直前に岩倉が西郷を止めてくれと頼みに行かなかったか? >>416
木戸や伊藤は佐賀の乱や北京での外交交渉の留守で
内務省を任されてるだけなんじゃね 大久保が日本にとっては似たようなケースと捕らえプロイセンのような手段で強い国を造り、その後にイギリスやアメリカのような民主主義を目指してたんだが
伊藤は大久保にそれを言われていた
大日本帝国憲法は十分でないこともわかっていた >>422
西郷の征韓の意図なんてこれだけはっきりしてるじゃん
↓以外にも板垣あて八月二十三日付の手紙、伊地知正治の手紙、三条実美の相談を断ってることなど傍証も完璧
「遣韓論」というのはこういう史料の存在を知らない人向けに、意図的に一部だけ切り取って騙してる主張
両説が対立してるんじゃなくて、創造説と進化論の対立みたいなもの
「若し西郷先生の主張通りに成って愈々海外に兵を出すと云うことに成れば文官側としては伊地知さんと私とが文官側で随行することと定められて居た。
「お前は占領した地方地方の事を捌いて行く役に為るのぢや」
と先生は云って居られた、多分民政官見た様なもので有ったろう、
私たちは右の内命を受けてからは、毎日毎日公務の暇暇には満鮮の地図を広げ、地理の研究に没頭して居たが…」
(「維新史の片鱗」有馬純雄)
「戦は二段に相成居申候。只今の行掛りにても、公法上より押詰候へば、可討の道理は可有之事に候へ共、
是は全言訳の有之迄にて、天下の人は更に存知無之候へば、今日に至り候ては、全戦の意を不持候て、
隣交を薄する儀を責、且是迄の不遜を相正し、往先隣交を厚する厚意を被示候賦を以、使節被差向候へば、
必彼が軽蔑の振舞相顕候のみならず、使節を暴殺に及候儀は、決て相違無之事候間、
其節は天下の人、皆挙て可討の罪を知り可申候間…」
(明治六年八月十七日 板垣退助あての手紙) >>441
大久保が江藤や板垣や後藤を追い出したいならそれでいいんだけど、
どういう政策が今後の日本のためにならないから追い出したいのか、
という説明がぜんぜんないのがね
大久保のいう「おいにもおいの譲れない理想があるでごわす」という、
その理想が富国強兵や西欧文明吸収なら、なにも江藤を追い出す必要もないし 勝はアネーストサトウに西郷暗殺の陰謀は川路が主犯で大久保が共犯で
あることは間違いないって言ってる 勝はこのころ間違った情報を平気で流してるから無視していい
>>447
理想で追い出す必要があったかは知らないけど
江藤は盟約書署名者でもないのに参議になってるから大久保としては非常に不満
>>448
大久保はまったく知らないし、川路も暗殺どころか挑発すら指図してないよ、おそらく
鹿児島県サイドがそう思い込んでるだけで >>447
参考までに
汚職や不祥事を続発させた長州閥は、江藤を排斥追放しない限り、存続できないと思うようになった。
ちょうどそんな時、木戸孝允が欧州巡遊から帰国する。時あたかも、征韓論をめぐって参議たちは二分されていた。
木戸は長州藩閥を救うべく、伊藤博文を介して水面下で仇敵の大久保利通と手を握る。
これにより政治的駆け引きに敗れた西郷隆盛と江藤新平は、参議を辞して下野することになる。
https://www.sankei.com/smp/life/news/140821/lif1408210001-s.html >>450
これは作家の伊東潤のエッセイ
確かに長州系(伊藤博文、木戸孝允)が京都府問題などで江藤新平追放を画策し合流した件は、
指摘してる研究者もいるから政変の一要因なのは確かだが、
大久保・岩倉らが主導した政変の本流ではないね 政変の主要な争点はやはり遣韓大使一件の是非 長州閥と大久保の不満が一致して江藤排除
やはり征韓論争は権力闘争なのかも
大久保が取り除きたかったのは西郷ではなく江藤なのかもしれない
西郷は下野したときに役職と位階全てを返上したが、位階と陸軍大将は返上は許可されなかった
これは後々西郷が政府に戻ってこれる可能性を残す大久保の配慮があったと言われているので >>453
エッセイだよ。伊東潤の敗者烈伝でしょ?
この連載をまとめた本が出てるから本屋さんなりで見てみな。
作家の伊東潤が歴史上の出来事について感想を書き下ろしたものです。 >>453
江藤新平(上)日本史上にも稀な硬骨漢
敗者烈伝
【プロフィル】作家・伊東潤(いとう・じゅん)
※本連載の完全版は月刊「J−novel」(実業之日本社)で連載中です。
どう見ても伊東潤の連載ですが…今は本になって売ってるけど >>417
ニート爺の特徴w
・コロコロ←これw
・バーカ
・会津
・無職ニート←これw
・すぐに人違いして爺に認定←これw
・パクったワードで自己紹介コピペ作成
・でっち上げて他人に擦り付け
・自演
・小御所が正しく読めない
・毎回同じようなレス
・妄想話←これw >>452
>位階と陸軍大将は返上は許可されなかった
これは失敗だった
西郷から陸軍大将の肩書きを取ってしまえば「熊本城にいる谷干城は抵抗せずに陸軍大将の自分に従うだろう」な
思い込み(希望的観測)は発生しなかったろうに(谷は反政府派と思われていて薩軍からは寝返りを期待されていた) >>461
もしかしたら西郷も静かに暮らせたはずなのにな >>461
しかし西南戦争において西郷が指揮をとったのは最後の戦いのみだよね?
他は若いもんに任せて静観していたとか つまりは最初から勝とうというつもりで戦ってないと個人的には思う オビワン「You were the 朝鮮 one!」 >>464
>>465
西郷や桐野たちは陸軍大将の肩書があるから鎮台兵は指揮下に入ると思って戦ってんだよ
だから熊本鎮台に向かって、西郷大将が兵を率いて東上するから整列して指揮下に入れと指図している >>461
陸軍大将は位階であって職じゃないから褫奪する理由がない
政争で負けた程度で大将の位階まで褫奪したらそれこそ近衛兵が決起する原因になる
それどころか薩摩出身の将校たちもついてこない >>464
薩軍の挙兵自体が「西郷さんが起つ!」で纏まったみたいなもんなので、直接指揮をしたかどうかはあんまり影響が無い
(いわば彼は薩軍の精神的な支柱)
西南戦争は西郷が起ったからこそ(あれだけの兵力と規模で)起きたと言われる所以
それに薩軍の指揮統率は大隊毎の指揮官の判断に委ねる傾向が強く、いざ戦闘になるとあれこれ上から指図しない
臨機応変にはなるが前線で戦っている指揮官には大局が見えないので、それでせっかくの勝機を逃したりしている なんぼ薩摩藩だからって前線を視察もせずに指導するというのは異様な体制
しかし西郷は決起の唯一の大義名分だから、万が一狙撃などで死んだら薩軍は挙兵の名目を失う
だから精鋭による身辺厳重な警護がつけられており、その警護隊が前線への転属を志願すると桐野らに拒否された
だが戦況報告は上がっていた
西郷自身も心配して何度か前線に立とうとしてたし熊本、人吉では実際にそう求めている
(野村忍介らが証言している)
薩軍の挙兵の名目は乏しく、中原尚雄の供述書と西郷その人だけなので、
西郷は中原の供述書をずっと抱えて移動していた 士族側は横の連帯がないからダメだな。全国一斉に立てば勝ち目はあるのに、バラバラ立って各個撃破
まあ国軍が世界線やる前の、国内練習試合になってるからいいのかw 要は大将剥奪しようがしまいが西南戦争は起きたかも知れないよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています