【1991年 大河ドラマ】太平記part.58
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
・2020年BSプレミアムにて再放送
https://www.nhk.jp/p/ts/DNY5MGP1V4/
・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう
・次スレは>>980を踏んだものが立てること
前スレ
【1991年 大河ドラマ】太平記part.57
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1615089372/ へー、辻輝猛って辻萬長の息子だったんだ
知らなかった 辻萬長さんつい最近までドラマで見掛けてたのに訃報に接してショック…
息子さんが光厳天皇だったの今更ながら知った…
ご冥福 >>772
代役浅野さんか…
そういえば浅野さんも太平記出てたね ?
まだ
化ルブ MZTSP
ラン
クN
スH
のK >>739
>>741
でも先に南朝に降ったのは尊氏じゃなくて直義なわけだが >>752
光厳って若い多感な時期に六波羅残党の集団自決に立ち会うとか普通の天皇ではあり得ないような結構大変な経験をしているからな
ある程度の強かさ腹黒さで周りを振り回すくらいじゃないと生きていけないという思考を身につけるには十分な経歴だよ
>>757
桃井は直義派のなかでも最も頑迷なほうの人物だったとは言えるのでは? >>786
あれはあくまでその時点で尊氏に抑えられていたから
だからその後は本命の北朝に遠慮して南朝とは切れてしまう そういえば北条時行の名前の読みって本当は「ときつら」らしいけど根拠あるのかな? >>789
奥富敬之の著書でそう書いてあるのを見た気がするのだあまり信用ならない。
なにしろ、赤マフラーの時代考証だ。
そして新田一族についての著書があるのだが「親でも義貞に殺されたのか?」というくらい、
難癖ばりにボロクソに書く人。 >>789
中公新書の「中先代の乱」買った?
ときゆきとルビを振ってるが、「ときつら」と読んだ可能性もある、と書いてる >>801
嫌いとしか思えない書きぶりをしている。
ただ、写真を取り違えたり(もしくは取材せずに書いて勘違い)して本の正確性はまったくない。
この年代の歴史学者は戦前に持ち上げられた人間を叩くのだが、後醍醐も楠木も叩く度胸がないので、
義貞を叩きに叩いているのがいるが、この人のそんなひとりなんだろう。 >>802
義経や北条時宗の時代考証もやっていたな 家系調査は遡れるのは江戸中期までが一般的らしい。俺の家系は300年前まで遡れる。
さらに300年前の太平記の時代、先祖は何処にいたのかなんて想いにふける。もしかして既に今と同じ場所に住んでたりしたのかな >>804
庶民が墓石をたてはじめたのが元禄あたりからだからその辺から先祖が分かる場合はけっこう多い。
太平記の時代だとまず分かりようもない。俺の子孫は武蔵野合戦で無双の働きをして、それから義宗と一緒に逃亡。
そのまま今の家の場所で百姓やってるという伝承があるけど。 『青天を衝け』に赤松則良登場。
懐かしい名前だな。 【岐阜】豪雨で倒れた「ご神木」、樹齢1300年ではなく670年だった…根の中心部は腐朽進む [木ノ葉の蓮華は二度咲く★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1633340658/
太平記の時代に生まれた木か 明治天皇を後醍醐天皇に見立てて「オカミ〜!、オカミ〜!」とくっついて回る岩倉具視もウザイから、
そろそろ近代官僚達に粛清されるな。
歴史は繰り返す。 >>816
でもなあ、この同時期の政府内には栄一とはほぼ接点が無かったが
「神武創業の御代に帰れ!」
ともっとアレ過ぎる人達もがっつり居たんやで…次回放送の年までの間に政府から事実上排除されてるけど。
それに較べ建武中興は当時の尊皇派の共通認識である水戸学の肝だから、洋装で建武中興は至って普通。
この頃はまだ尊氏の首チョンパ(ドヤァ)した世代が現役だったのだし。 だいたい明治の文明開化の世に、
坊門さんと同じカッコして会議にのぞんでるのがおかしいだろ。 足利尊氏の祖父って、なぜ死んだのか
よくわからんな
天下を取るてのが
足利一族の悲願だったのは、確かだろうが >>810
実家は岩松家と関わりが深くて、盟友の井上さんの嫁は岩松武子さんなのにな。 我に徳なく 家名を守らんがため
我が一命を投げうつのみ
って、カッコいいけど、実態が分からん 今回の「青天を衝け」の大阪での栄一の浮気シーンが高氏が藤夜叉を手籠めにしたシーンとかぶって見えてしまったw 麒麟と太平記って同じ脚本家が書いたとは到底思えないわ オリキャラが妙に出張ってくるところと主人公が理想主義の理屈屋であんま主人公っぽくないとこは重なるかな (オリキャラ)
太平記 ましらの石 藤夜叉
麒麟 東庵 駒 >>829
史実に対してオリキャラということだったら花夜叉、一色馬之助もそうだろ。 花夜叉は観阿弥の母
藤夜叉は直冬の母という設定なので人物像はともかく実在の人物ではある >>832
「史実に対して…」の文言が読めない文盲くん、ちーっす 何となくウィキペディアの尊氏の官位見てたら従五位上からなんだな
多分従五位下からの叙位と思ってた ごめんやっぱり従五位下だった
上の略歴の方を先に見たから勘違い 北条時行は北畠顕家や脇屋義助の軍に加わることあるけど
足利本家だけにはつかない、中先代の乱のときの遺恨か 六波羅滅ぼされた恨みと建武の新政で旧北条領の多くが足利領になったから >>841
顕家軍に参じたときに後醍醐から赦免されたので足利軍には入れないだろう。
登子も生涯、北条家の再興には動いていないのは南朝方になってしまったからか。 登子としては長男を将軍に次男を関東公方にすることに必死で実家筋の本家の北条のことなど眼中にはなかったのやろ
本来の実家の赤橋氏は鎌倉幕府滅亡とともに一族みんな死んでるしな 高時の倅が尊氏に牙をむいてるのに
北条家の再興もなにもあるかよ 政子の場合は実家の北条が無双してたからな
登子の方が実質天涯孤独みたいなものやし
だからこそ息子2人への愛着は強かった
逆に政子は…語るまでもないな >>848
「足利家の内紛」の回見たか?
テロップで光王(後の足利基氏)と出てた 光王は出番後間も無く鎌倉に行った設定でその後は登場してなかったしな
成長した基氏と義詮との絡みまであるとおもろくなったのかも 左馬頭任官は直義が佳例だからだそうだけど、むしろ縁起悪くない? 基氏て赤橋夫人の子と言うことは、北条の氏虫はあやかったのかな? >>852
足利は左馬頭が好きだよな、何人も任官している
北条は相模守、武蔵守が多い >>854
執権・連署に相模守・武蔵守が多いのは、鎌倉時代の相模・武蔵が関東知行国(関東御分国)だからなのでは? 北条の当主といえば相模守のイメージだけど得宗で武蔵守だったのは泰時と経時だけだな
実際に関東においてその意味合いはどうなんだろ 五位相当の相模守が最高権力者というのもおもしろいよな
他の御家人の方が官位が上の場合もありそう
徳川将軍は内大臣だから大納言の御三家より必ず上 位階なんかはお飾りでいいのよ、鎌倉殿の執権という立場が大事なんだから 鎌倉時代の武家は位階の低いものばかりやから五位で順当やろ
北条だけ官位を高くすると他の御家人の反感を買うから
やれ執権や得宗家やいっても北条の鎌倉幕府の組織図では将軍に仕える御家人の1人でしかない >>859
後には執権よりも得宗である方が重要になる 得宗家の直接の祖であった泰時は嫡流性が明確でなかったので執権であり続けるのが不可欠だった
これは終身在位せざるを得なかった後醍醐にも通じる所がある 父親の代から権力者なのに母親不明の天下人
平清盛・北条泰時。
秀吉でさえ母親ははっきりしているのに >>865
時氏も得宗の一代にカウントされているが家督は譲られていたのかな
そうなれば執権経験の無い唯一の得宗になるが 得宗家っていつから確立していたの?
後付けで泰時流が本家になっただけでは? >>872
得宗としての権力確立はむしろ時宗期らしい
そして執事筆頭の内管領の立場も当然に上昇 得宗以外の北条や有力御家人が得宗に歯向かわなくなったあたりだろうな
二月騒動の後くらいか 時頼の時点ではまだ本人自身の力量なんだよな
得宗が社会的権威としても完成したのは貞時だが同時に将軍同様の御飾りになってしまったのが皮肉 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています