【1991年 大河ドラマ】太平記part.60
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ルイヒ  味方になるべき1を見殺しにして我らはいつになったら北条を倒せるのじゃ
「鎌倉殿の13人」観てると感慨深い 視るの止めるわてかきこんでたらアク禁になったかと思ったわ 金沢貞顕 児玉清
長崎円喜 フランキー堺
「太平記」には、黄金の日日とおんな太閤記の徳川家康役が出てるのか 白くみえて、じつは黒い家康(児玉清)と黒くみえてじつは白い家康(フランキー堺)が出てたんだな アタックチャンスの印象しかない人は、黄金の家康でビックリしただろうな
(近年は安土桃山あたりの各作品を出来事順に比較した動画もあるので、前より見やすいかと) 金沢さんは人が良すぎて泣ける。
出陣する高氏をさいご見送る♪微笑みの表情とか。
高氏よ、赤橋だけじゃなくて金沢さんとこにも鎌倉脱出の
使者送ったれよ。 金沢は最後の狼狽っぷりでなんか興ざめ。
往生際が悪すぎて、いいひと感が薄れてしまった 有能で先の展開は読めるけど立場上なんともできなかった悲哀
あの振舞いは人間っぽくて良いじゃない 共にに自害した金沢の息子は守時の戦死後に執権に就任していたとも言われてるな 父と自害したのは息子でもその弟だから幻の17代執権はドラマに出てないようだ アフリカの狩人が、何故あなたは人間より圧倒的に速くて体力のある獲物を何日も追って狩ることができるのか?という質問をされたときに「奴等は水場に沿ってしか逃げられないが、人間は水を持ち運べるから」と答えてたのが、人間が動物に対してもっているアドバンテージをこの上なく表してて良かった。 諦念した感のある高時
肝の据わった長崎
終始狼狽していた金沢
良い対比だった 貞顕は私本だと切れ者の爺さんなんだけど、円喜のお陰でいい人にキャラ変された感じか。
>>23
高氏にけっこう便宜をはかってくれたのにな。
建武以降は正成、義貞、守時のことしか思い出さない尊氏。 >>26
嘉元の乱(尊氏誕生の年に発生)のときに金沢貞顕は六波羅探題南方として京都にいたが
そのときも自分が北条時輔(二月騒動のときの六波羅探題南方)の二の舞になるのでは?と
激しく狼狽していたという話があるらしいからな
ただ文化人としての貞顕は極めて優秀であったらしく
金沢文庫の蔵書のなかには貞顕が六波羅探題として京都滞在中に入手して補充した書籍が
かなり大量に含まれているとか >>28
幻の17代は貞将じゃないのか?なら、ドラマの胸を突いて死んだ。
義貞と同い年くらいのはずだから、役者がえらく若かったけど。 ↑間違えた。
貞顕の胸突いて、自害して死んだ、だった。 貞将(戦死)と貞冬(自害)はどっちもドラマに出てるけど最期が実際と違う。
データベースによると、貞冬が赤坂城攻め以来出なくなって、貞将が鎌倉炎上で初登場で自害かな。 >>35
「百年の恩を捨てて君の一日の恩に奉ず」で新田軍に突撃する壮絶な最期だった。
長崎高資も同じような最期だが、ドラマではどちらも東勝寺に集まっているな。 15代執権に就任したけど、覚海尼の怒りですぐ辞任したあたりから弱気なキャラが見えてきたような。 >>31
守時も忘れているが登子がいると付け足している気がw 名前に「義」が使われていると何となく河内源氏の一族に見えてしまうね 足利兄弟の内紛は
「どうしてこうなってしまったのだろう」を地でいくね。
あんだけ仲良かったのに・・・。 >>50
弟は兄貴に文句ばっかり言ってて
兄貴や親父も弟を軽んじているようで
仲良さそうには見えなかった 尊氏・直義の二頭政治は鎌倉幕府による将軍と執権の権限分掌を踏襲しただけでしょう?
まさか十数年であんな結末になるとは室町幕府を作った段階ではまず予測できないわけだし
それを以て尊氏が悪いというのはちょっと違うと思うぞ 鎌倉幕府の政体の模倣ってんなら将軍は傀儡で権力を持つなよ。中途半端に将軍が権力を持ってるから全国の武士も二分するんだろ。義時泰時の政治を手本にするって宣言してるけど二人の足元にも及ばない稚拙な政権運営だよ足利幕府は 尊氏さんが抜群に政治的センスが無かったのが致命的
後先考えずに恩賞やらどんどんくれちゃうし
カリスマ性だけは人一倍だったのかもしれないが 尊氏を草創期の鎌倉政権に例えると誰だろう?
戦が神っていて政治センスが足りない
義経? >>56
尊氏は権力を持つ気はなかったけど南北朝の内乱という特殊な状況が
どうしても幕府における将軍の存在感をクローズアップさせてしまうのだから仕方ない >>57
内乱の長期化という状況のなかで味方は多ければ多いほどよいわけで
その点では恩賞を気前よくバラ撒くのだってやむを得ないよ
それに敵方である後醍醐サイドだって先々の恩賞約束で味方を増やすようなことを
ガンガンやるわけだからそれに対抗できる必要もある 実朝の正室が足利から出る予定だったってのは本当なの? >>59
戦が神ってるというよりも非凡な軍事能力で手堅く勝ちを取った感じじゃないか?
3度戦えば連敗しても、重要な勝負所は勝つ感じの。
いつぞやまとめられていた勝敗表もそんな感じ。 >>50
なんかユーミンとガンダムSEEDのEDがごちゃまぜに脳内再生された >>59
義経は尊氏ほど人がついてくるようなカリスマ性はないと思う 義仲も人がついてくるようなタイプかなぁ?
勢いがあるときだけは勝ち馬に乗ろうとする有象無象が集まってくるけど
失速した途端に一挙に人が離れていくという点では義貞に近いイメージ 4月16日(ユリウス暦)は毛利元就の525回目の誕生日ということで、数量限定でお得な「毛利元就生誕記念パック」をご用意しました!
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shop.akitakata-kankou.jp/2022/1127/ 後醍醐は後白河
朝廷に使い捨てにされた新田義貞は木曾義仲
策士の足利尊氏は頼朝
足利直義は義経
歴史は繰り返す 小栗義時なのに百年経ったら
「この高時は、執権になり、くたくたになり、
生涯、名執権の父上に頭があがらず、母上に頭があがらず。
はてさて、公平とは疲れるものよ。」
栄華は儚きものよ。 尊氏って後醍醐が護良にやった征夷大将軍の権限縮小を近くで見てたわけだけどなんで直義と権力を分担したんだろう >足利直義は義経
突っ込むべきか……?
足利尊氏 33戦21勝8敗3分1傍観 勝率.636
足利直義 22戦3勝15敗4分 勝率.137
新田義貞 34戦22勝7敗5分 勝率.647 後白河には大儀があったが後醍醐は私欲
正成も顕家も新田と同様
頼朝は策士だが尊氏は天然行動派
兄に殺害された両兄弟だが
やはり策士は義経で直義は兄を本気で落とそうと思っていなかったのではなかろうか >>32
徒然草の兼好法師も金沢家との繫がりを指摘されてるしな
>>76
時代が下って「家」という意識が明確になったからじゃない?
もう尊氏直義の時代は「姓」を名乗る機会は減ってきてたし
お互い「足利家」を守ろうという気概はあったと思う
この頃は斯波もまだ足利を名乗っていて取って変わられるおそれもあった
>>72
足利が政権を構築する上で参考になるのが実質的に鎌倉幕府(北条氏)しかなかったからそれを踏襲したんだろう
良くも悪くも足利が足利らしくなるのはやっぱり義満の代
太平記が脚本家の構想通り2年もので描かれたらそのへんの移り変わりも取り上げられたかも >>78
三谷は一休さんのアニメが大好きなんだよな 三谷脚本でいいわ。義満は誰かわからないけど細川頼之はヤマコーになりそうw >>77
斯波が足利を名乗っていて取って変わられる
恐れはどうだろうか?
斯波家氏は足利泰氏の長男ではいえ名越流北条の子で
陸奥国に飛ばされたし
その後、得宗家の娘を正室に迎えて頼氏が嫡男となったから
足利宗家は突然出家した足利泰氏さえ恐れていなかったのではないかと >>80
ここいらで西村まさ彦と仲直りしてほしいところ
徳川家康も似合う男だ >>78
見たい。今では否定されつつある今谷学説(皇位簒奪説)に沿った
脚本で見てみたい。 義満時代は平和すぎて一年間もたんのちゃうか。
今の鎌倉殿から室町にどうつながっていくんかなと思って
調べてみたら頼朝の父ちゃんのいとこが足利氏の先祖なのか。 義満の時代で平和だったのは応永の乱後から没するまでのおよそ10年ぐらいという
幼少期から40年ぐらいまでは気の抜けない生涯を送ってるかと 某解説動画シリーズの、儀礼をアレンジしたり金銀の花弁をばら蒔いた話とか映像映えはしそうだけどな < 義満 義満なら後半の平和な時代は北山文化の豪華絢爛さと室町殿の圧倒的権勢を見せればいい 御所巻されて、義満の戦いはいま始まったばかり!
完 >>85
晩年も鎌倉公方との戦
南北朝合一後の朝廷との関係
明貿易など
話題は尽きない >>77
義満まで行かなくても義詮段階ですでに鎌倉幕府の模倣からは完全に脱却している
義詮が短命だったから実質義満期のように見えるだけで
鎌倉幕府的な二頭政治の否定とそれに伴う将軍親裁の強化や煩雑な訴訟手続きの簡略化は
いずれも義詮期に行われたことが義満期にも踏襲されている
>>83
今さら今谷説とか勘弁してくれ
もはや否定されつつあるというレベルではなくほぼ誰からも支持されず全否定されている 訴訟手続きの簡略化とかは
それこそ直義が「無能な義詮殿」という所以だな
鎌倉幕府的な三問三答もせずにその場で判決をバンバン出してしまう義詮のやり方は
直義的には許せなかったのだろうね 前半は朝廷を置き去りにして京を放棄した事や
尊氏の意に反して直義憎しで勝手に朝廷から直義追討の綸旨を受けた事など
ポンコツだったが
後半は半済令で荘園解体し、あの桃井直常や石塔頼房を幕府に帰参させ幕府安定化など
前半のミスを挽回したから、なんだかんだ言っても義満時代の基礎を造った事にはなるだろ 半済令は荘園を解体するものでは基本的にないと思うぞ
最初に出された観応の半済令は地域を限定しての時限立法的なものであったし
後に出てくる応安の半済令は皇室領・摂関家領など半済の対象外となる地域を列挙した
実態としては半済制限令といえるもの
そしてそれ以降も室町幕府は基本的に荘園公領制は維持する建前だし
むしろ南北朝期に崩れかけた荘園公領制を幕府のお膳立てで再建したような雰囲気もある
あと観応の半済令は尊氏=東国、義詮=畿内・西国で権限を分けている時期に
畿内近国で行われているとはいえ尊氏の承認の下で行われたと考えるほうが無難だろう
また応安の半済令は義詮の死後(義満の初期)だな そういえば「鎌倉殿の13人」の時代だと鎧姿のときにも「太平記」の登場人物みたいなフニャフニャの烏帽子は被らないのな 義詮の半済令は
その後、義満時代の荘園解体のきっかけになったのには変わりはない というかそもそも観応の半済令は尊氏期、応安の半済令は義満期だからなぁ そういえば半済令というと、今年の東大入試の第二問は半済令の話が少々絡んでいたな。
特に義満初期(細川頼之執政期)に出された応安の半済令について、
これが表面的には半済の永続化という文脈で語られることが多いなかで、
実は半済の無制限な拡大に歯止めをかける意味合いがあることを強調する問題文であった。
恐らくは、何十年も学問的な知識が更新されていないバカ教師や、
不幸にしてそうした教師から日本史を習ってしまった受験生に対して、
警鐘を鳴らすような意図もあったのではないかと思われる。 >>83
>>92
今谷さんって一時期凄い花火を打ち上げて日本史学界に強烈な印象を残したけど
その後は悉く否定されてしまい残念な印象になってしまったイメージ
義満の帝位簒奪意図説とか明応の政変後の京兆家専制説とか >>92
義詮は観応の擾乱の地獄絵図を見せられて尊氏のやり方を踏襲しようとは微塵も思わないわなw それに付け加えていえば義詮って恐らくあんまり他人を信用していない印象があるかな
だからこそ将軍への権力一元化に拘ったような雰囲気も感じる 室町幕府将軍の権力一元化はできたのに
東京の地下鉄一元化は未だにできない不思議 >>103
親父に付いていてあれだけ裏切りを体験してきたからな
信じていた佐々木道誉にも再度寝返りされるし
でも朝廷の集り段銭を拒否したり
倭寇鎮圧で朝廷に相談に来た高麗との独自交渉して朝廷の無能さを暴露したり
朝廷の弱体化に尽くしてきたから有能な将軍でしょ まあ朝廷弱体化の最大の元凶は南北朝の動乱を招いた後醍醐だけどね 公家たちは後醍醐の気まぐれに振り回されて右往左往していたのでは? >>110
風体が?
風体でいうと四代義持がなかなか。
髭の生やし方っ!!って突っ込みたい。 等持院の歴代将軍の木像は義満と義持が入れ替わってる
可能性があるとして、その木像でも義持のもみ上げからのヒゲは
すごい。ぜひ大河で再現してほしい。 ttps://www.bs11.jp/program/sp/?p=441091&s=0x00D3&e=6677&ed=20220418 京都浪漫 悠久の物語【嵐山から吉野へ 桜舞う天龍寺、金峯山寺、吉水神社】
2022年4月25日(月) 20:00 - 20:58
番組概要
桜舞う後醍醐天皇ゆかりの地で稀代の帝王の生涯を紐解く。天皇の菩提を弔う天龍寺、元弘の変の舞台、笠置山の笠置寺、南朝を開いた吉野山の金峯山寺や吉水神社を訪ねる。 >>106
義詮が朝廷の弱体化を目的として意図的に行った政策って何かあるの? 鑁阿寺の15将軍木像座像の尊氏は険しい顔
義持はもみあげなし
等持院とかなり違うのが面白い 室町時代の足利将軍家って鑁阿寺との交流あったのかな? >>120
重要文化財の鑁阿寺文書などなど
尊氏から義満や義政などなどの寄進状や
寄進した香炉や刀剣など沢山あるね
あと将軍家と敵対していた代々鎌倉公方の
寄進状などなども沢山あるよ 今週の逃げ上手に坊門さんの名前があって、謎の感動を覚えた その絵巻ぞ
劇中で時行が色々あって大楠公の戦術書(の下書き)を手に入れるのだが
どうやら後醍醐帝に献上した清書の編集に坊門さんが携わってたらしく、締切やばい逃げたい門まで来てる、とw >>126
正体を知らないまま気質的に意気投合して自邸に招き、次に会ったら敵って感じ >>128
上総介事件の前後は幕府の黒歴史らしく記載がない
上洛派と坂東割拠派の路線対立はあったらしい >>129
頼朝の親戚で義兄弟で時子を正室にした足利義兼は
当然、頼朝方だろ
上総介謀殺後には領地丸ごと足利が貰った 時子の死に方が酷すぎて実家の北条から嫌われたんだよ
因縁の始まり >>132
上総広常の領地が丸ごと足利に渡ったというのは本当?
細かい地頭職とかは調べてみないと分からないけど
取り敢えず上総の守護職は千葉常胤に引き継がれているよね?
上総守護が千葉氏から足利氏に交代するのは宝治合戦後だったはず 常胤の孫で三浦と関係の深い秀胤が宝治合戦で三浦と一緒に滅んだ結果
後任の上総守護に足利義氏が就任する流れだったな 千葉氏境常秀から足利義兼〜足利義氏へと引き継がれている >>141
鎌倉時代の上総は関東知行国(知行国主が鎌倉殿)だから
源氏一門の義兼が上総介になったのだろう
ちなみに上総介の官途名は鎌倉後半期だと吉良氏、南北朝期以降は今川氏が受け継いでいるイメージだな 上総介で一番有名なのは信長じゃない?
吉良は上野介のイメージ よく言われることだけど織田信長が上総介を名乗ったのは恐らく今川への対抗心からだな
上総介は室町期の今川宗家の当主が元服時に名乗る官名
織田信秀も今川義元と三河守の肩書きをめぐって争ったりしている
吉良上野介(義央)は江戸時代の人物なのでこのスレ的にはどうでもいい というか上総守護とか上総介とかの地位について
上総一国を丸ごと領地として支配する立場だと思っている人がいるのかな? >>149
北条時政も一般的には遠江守の受領名で知られるけど
時政の遠江守任官は安田義定の滅亡後かな 上総は義兼から歴代足利宗家に受け継がれ
室町から足利庶流に引き継がれた 上総といえば佐々木道譽は妙法院焼き討ちの件で上総に流罪を命ぜられた際に
なぜか同時に室町幕府から上総守護に任命されているのだよな
まあ上総国には元々鎌倉時代から佐々木京極氏の所領(武射荘など)があったらしいから
流罪といっても実際には道譽は上総にある自分の領地に滞在していただけなのだろうな 京から遠く離すことで院の報復から一時的に保護する的な 今BSで光厳院の隠居の地が放送されてるけど吉野ばりの田舎なんだな 道譽の生き様は奇跡
行き当たりばったりの天然か天才策士か分からん
大河でやるべき >>152
朝廷の官途としての上総介なら鎌倉後半期の段階で足利宗家から吉良氏に移っている
幕府の役職としての上総守護なら足利氏の就任は宝治合戦以降で義兼は就任していない >>155
晩年の光厳は京都のゴタゴタにかなりウンザリしていたらしいし
あえてそういうところが良かったのかもな 現在の京都御所(土御門東洞院殿)に里内裏が固定化され
ここが唯一の内裏になるのも確か光厳からなんだよな >>158
ゴタゴタの原因はアンタでもあるんだけどねw 光厳が原因のゴタゴタって花園の皇子とされる直仁親王が実は光厳の隠し子だった件とか? 晩年のゴタゴタは皇統を崇光流に戻せと言い出したことだろ
けど幕府がこれからは後光厳系を推していきまーすってことじゃね? 変なことばっかやってるから歴代天皇から外されるんだよ光厳はw >>162
そこは光厳のいうことにも理がないわけではないけれども
義満生母と後円融生母が実の姉妹であるという事実がある以上
幕府が後光厳系を推すのはある意味仕方ないからなぁ
>>163
光厳を歴代天皇から除外したのは近代のイデオロギー的な南朝正統論によるものであり
これに関して光厳には何の責任もないでしょう 光厳から見たら崇光も後光厳も自分の子どもだしいいんじゃないの。ようは治天の君が重要ってことでしょ。オカンと息子に治天を取られて俗世を捨てたのよ >>165
光厳ってこのドラマの登場人物なんだが
何を寝ぼけているんだ?
>>166
広義門院の治天に関しては多分に名目的なものだし
後光厳の後円融への譲位は光厳の死後だよ 江戸時代の青綺門院は広義門院の先例を意識していたらしい >>167
ドラマ板なのだからドラマの話をしろ
日本史板で都合が悪い理由でもあるのか? >>167
広義門院なんてドラマに出てこないだろ
何を痴呆ボケまくっているんだ? 広義門院は本当は正平の一統の絡みで出てくるはずだったけど
終盤が押してきて正平の一統自体スルーで観応の擾乱の描写を簡略化してしまったため
結局出番なしになってしまったというような話も聞くよな
まあ広義門院に関しては結果的にドラマに出てこなかったけど
完全にドラマと同時代の人物でドラマに出てきたとしても全く不思議ではなかったわけで
こういう人物に関する話題に触れることさえ執拗に規制するというのは
本気で言っているのなら正直あまりにも了見が狭すぎるし神経質すぎると思う それはたまに脱線する人が言うセリフで年中脱線している人が言うのは筋違いだよ 後伏見は建武3年崩だから観応の擾乱(正平の一統)の段階ではとっくに故人だよ
後伏見の后であった広義門院は活躍しているけどさ まぁ後伏見が健在なら
尊氏が光明を天皇に擁立した際も
後伏見が北朝の治天になるよな
そういえば広義門院(西園寺寧子)って
中先代の乱のときに新田義貞に殺された
西園寺公宗の叔母なんだよな
公宗というとドラマのなかでは
持明院統の重鎮であって
尊氏に冷たく接する嫌味な公家
というイメージがあるけど
実は年齢的には尊氏と大差ないみたいね 女院号に関していえば阿野廉子は新待賢門院を宣下されているけど
実は新待賢門院という女院号を持つ人物ってもう一人いるんだよな
具体的には江戸後期の人物で孝明天皇生母の正親町雅子がそれに当たる
無論当時の朝廷は北朝正統の立場だから阿野廉子の存在を敢えて無視したのであろうが
すでに尊王論が社会的に台頭しつつある幕末に近い時期で
尊王論とともに建武の新政などをポジティブに捉え直すような見方も広まっているなかで
阿野廉子を完全無視っていうのもなかなか思いきったことをしたように思える >>174
広義門院を知らなくてもこのドラマを視聴するにはまったく関係ない
ましらの石が実在の人物だと考えてもまったく問題ない
おまえの独善はどうでもいい >>177
西園寺公宗は殺されたとき26歳
後醍醐天皇の中宮・西園寺禧子と血縁なので鎌倉幕府滅亡後も官位を復された
広義門院はともかく西園寺禧子は吉川英治の原作私本太平記にも
古典太平記にも出てくるから大河でも出すべきだったと思う 西園寺公宗の叔母は本当は新田の絡みで出てくるはずだったけど
終盤が押してきて簡略化してしまったため
結局出番なしになってしまったというような話も聞くよな
まあ西園寺公宗の叔母に関しては結果的にドラマに出てこなかったけど
ドラマと同時代の人物でドラマに出てきたとしても全く不思議ではなかったわけで 長谷川初範だったか。後醍醐が隠岐に流されて有頂天だった奴は 10年以上前からあるサイトなので太平記ヲタなら知っている人も多いと思うけど
大河「太平記」の続編をつくると称して細川頼之が主人公の「室町太平記」なるものを
勝手に妄想しているサイトがあるよな
あのサイトの作者がその妄想大河の冒頭を正平の一統から始めているのも
大河「太平記」では駆け足ぎみに終わってしまった観応の擾乱について
もっとまともに描いたドラマがみたいという思いからなのだろうな >>182
でも結局西園寺家の全盛期は鎌倉幕府の滅亡とともに終わりだからなぁ
やがて義満の時代になると先祖伝来の地である北山も義満に召し上げられるし
その後はそれこそ近代に首相になる公望まで西園寺家歴代って大した人物がいない そういえば西園寺公望は
後醍醐の暗殺を謀った西園寺公宗の末裔ということで右翼には随分攻撃されたらしいな >>184
近代まで家が残ってることが凄いじゃん、それに首相まで出して >>185
新選組に命狙われたり、大村益次郎暗殺偶然回避できたり
狂乱のパリコミューンに出くわしたり
長生きしてるのが不思議な人 権中納言で総理大臣、昭和まで生きた公卿、藤原公望。 >>187
二・二六もなかなか危なかった
しれっと生き残るのが公家という生き物か しかし北畠親房を始めとする南朝の重鎮たちからすると
正平の一統で北朝再建の芽を徹底的に摘んだはずだったのに
広義門院が出てきて治天として後光厳を即位させたのを見たときは
正直どんな気分だったのだろうか? >>191
南朝方は京から撤退する際に弥仁親王(のちの後光厳天皇)も拉致していくつもりだったけれど、
発見に手間取り、時間切れになってしまい、やむを得ず京に残してきた経緯があるので、
いずれ何らかの形で弥仁親王が担ぎ出される可能性は認識していたはず。
だから後光厳の即位にもそれほど驚きはしなかったと思うけれど、あと一歩のところで
北朝の皇統壊滅に失敗した悔しさはあっただろうね。 広義門院の治天擁立は
二条良基の発案なんだろうな
良基は三種の神器なしでの後光厳の即位にも
「尊氏が剣となり良基が璽となる。何ぞ不可ならん。」
と言ってのけるような人物だし
単純に親房より役者が上だったということ
ちなみにドラマで師直に囲われていた二条の君は二条良基の叔母なので
美少年として有名な高師夏は良基の従兄弟に当たる >>192
後光厳って正平の一統のときは美濃に逃れていたのだっけ? 太平記の時代の歴史は詰まるところ
すべて狐と狸の化かし合いみたいなもの
後醍醐による建武の新政だって
元々武士たちは北条を倒す戦い
という意識だったはずなのに
幕府そのものの否定=公家一統というふうに
論理のすり替えをやった結果だし >>193
二条家は初代良実が父親の九条道家と折り合い悪くて
あまり所領の分与などを受けられなかったということもあって
鎌倉時代だと五摂家のなかで最も弱小なイメージがあるが
南北朝時代に二条良基が北朝の重鎮として怪物ぶりを発揮した結果
その後やたら有力になった感じだな 鎌倉殿では存在感のある三浦も安達も
太平記の時代には北条にやられた後
っていうのがなぁ 今更だけど、信長キンジパの髄天さんが
やたら室町幕府を「美しい美しい」言ってたのって
太平記リスペクトだったのかな?
当時「どこが美しいんや」とめちゃめちゃ覚めて見てた覚えがある >>199
別になろうとも思ってなかったし
幕府の実権さえ握っていればよかったのよ >>203
美しき流れはキンジパと同じ田向脚本の武田信玄の時も長尾景虎が言ってたから
脚本家の癖みたいなもん >>156
でも佐々木京極家って道誉死んだあと戦国期の高次高知兄弟までパッとしないイメージ
>>204
その実権も太平記の時代には長崎円喜親子と安達時顕に牛耳られてるというのが 京極は応仁の乱の時の持清が宿敵六角高頼相手に活躍してた
東軍の主力として存在感を見せてたけどな >>206
京極氏は四職のなかでも侍所頭人の通算在職年数はかなり長いほうだし
室町幕府の政治史のなかでも結構存在感は大きいほうだと思うけどな
あと高次・高知は主な活動年代としては戦国期というより織豊〜江戸初期のイメージだな >>207
持清の叔父に当たる京極高数なんかは京極氏の当主ではないにもかかわらず
長年にわたって侍所を務めしかも最期は嘉吉の変で将軍義教を庇って戦死という
強烈な存在感を放っているよな >>206
高時期も基本的に得宗専制体制が続いているわけで
長崎親子なんかの権勢はあくまで高時あってのものだよ そう考えると鎌倉末期って御内人と北条庶流の争いだったのかもね 長崎vs金沢
貞顕はドラマではいい人だけが取り柄な感じだけど。 まあ得宗も分家も御内人も最期は
一緒にしねて良かったね。寂しくないね。 >>214
しかし元弘3年の集団自決を生き延びた者も
結局は歴史の闇に消えてしまって
確実な男系子孫は分からない状態なのが
鎌倉北条氏 名越は時代の節目節目で出てくるんだよな
尾張今川家が名越の男系だったとはびっくらポンだわ 武田・三浦・大江・千葉・相馬・佐竹・小笠原・佐々木・大友・島津辺りはしぶとく残ったのに >>216
女系で北条の血を引く武家なんていくらでもいるよ 金沢って重時系でも政村系でもないんだな
よく幕府内で重要な地位を占めれたな 北条で家格が高いのは金沢で次点は赤橋で最下層は長崎だよな 2つくらい前の鎌倉殿スレでも「長崎とかいうよく分からん家」呼ばわりされてたw 北条No.2は赤橋だろう、重時系の嫡流だ
長崎は得宗の家人だから北条庶家ではないだろ 北条で家格の高さではっきりしてるのはこんな感じかな
得宗>赤橋流>政村流の時村系>普恩寺流>金沢流>大仏流>名越流 >>224
普恩寺流は金沢流より格上だったんだ。
極楽寺流の分家なのに。 >>220
金沢流の初代実泰って
「実」の字は将軍実朝からの偏諱だよな
将軍を烏帽子親として元服し
将軍から偏諱をもらうって
かなり家格が高いという証左だな
鎌倉後期になると北条庶流でこれは
赤橋流だけの特権みたいになるわけだし >>225
普恩寺流と金沢流の差は六波羅探題や引付での待遇の差でわかる
六波羅探題については普恩寺流というか極楽寺流は全て北方で下位の南方に就いたことはない >>223
長崎が得宗や庶流とは言ってないよ
ただ金沢も赤橋も元を正せば坂東田舎武士の
末裔で長崎だけは平家の血を継いでいたはず?のので
別格なのか?鎌倉末期ではなく初期や中期ではどうなんだろうね >>228
長崎氏が平資盛の子孫というのは明らかに仮冒でしょう
実際のところは時政以前に分かれた北条の庶流という可能性が高いとも聞く 義時の家人の尾藤や諏訪くらいかな初期は。時行を匿ったのは諏訪。得宗専制体制になると平禅門が出てくる。鎌倉末期は得宗領が膨大になりすぎて御家人が御内人になることも少なくなかった。楠木の得宗被官説なんかはここからきてる。
あとは北条も長崎も元を辿れば坂東平氏だ。 本来は嫡流の名越は冷遇されたままだな
それでも足利と一緒に出陣したのは名越
幕府軍も人材が底をついてきたのか >>231
名越も時宗期の二月騒動以降は得宗の支配下に組み込まれたから
一定の距離感を保ったまま高時期までいれば武田家滅亡における木曾や穴山みたく裏切って存続してたかも 金沢がせっせと集めて編纂した古文書や宋刊本は
北条滅亡で足利学校で今や重要文化財
足利も上杉もやることエグい >>234
足利高氏の高は北条高時から
足利尊氏の尊は後醍醐からだが
改名するなら義家の義で義氏にして欲しかった >>241
でも義が付いていた方が
源氏棟梁っぽくてカッコいいと思う
弟は付いているし >>232
安達も霜月騒動でやられてからは得宗家にベッタリになりすぎて
最期も一緒に滅んでしまった印象
>>233
金沢文庫は現在でも貴重書とか大量に持っていると思うけど >>234
>>235
大穴で千種忠顕はどう?
>>237
鎌倉殿の時期だと三浦の通字が「義」なんだよな
北条義時も烏帽子親が三浦義明or義澄あたりだから「義」がつくといわれる
>>242
源頼朝にはついていないよ
足利直義は初名は高国だった つうか足利将軍家が使ったから「義」が源氏の棟梁っぽいイメージになったんだろう? 北条に塩田っていたよな。北条時宗で渡辺徹がやってて息子が宮迫博之だったと思う 塩田義政は長時(川崎麻世)の弟、義宗(宮迫)は長時の子 宗家の泰氏から尊氏まで義が付いていないが義詮で復活
不思議な名前は義も氏も付いていない家時と義詮の詮の字 >>251
家時は叔父足利(斯波)家氏の家と北条時宗の時だとおもう、家氏の家は義家からかな
当時鎌倉将軍の惟康親王が臣籍降下して「源惟康」を名乗り時宗とともに「源氏ー北条氏」の体制を再現していた(元寇に対しての国威宣揚のため)
ただそれにより清和源氏将軍の待望論も浮上し、家時は時宗に殉死して北条への忠節を示したという説もある
ちなみにドラマに出てくる置文や「三代の内に天下を取れ」は後世の創作の可能性が高い 貞氏は史実もめっちゃ苦労人だからな
家時が継いだ頃は家氏のサポートがあったけど貞氏にはおじさんもいなかった
早死してたらどうなってたか
ただ足利家の家政が充実したのも貞氏の頃と言われてるな >>251
このドラマには出てこないけど尊氏直義の兄貴に「高義」がいた
アタックチャンスの家で遊んでる正室と貞氏パパの間にいた子
源氏ゆかりの義の字を名乗ったのは北条による足利懐柔策の一つと言われている
ただ残念ながら早逝
もし生きてたら尊氏は出家、直義は別家を興してたかも バンデットの高義は打ち切りもあって、死に損ねた感あったなぁ
穏やかに余生を過ごしてほしい 新田殿の「義」の字は高義からの偏諱という説があるな >>252
置き文
今川範国は確認したとあるね
直義も見て感激したという書状も残っている
似たような遺言書は足利義兼も残しているね
鑁阿寺古文書にも置き文はかつてはあったとあるよ >>255
足利尊氏は嫡子じゃないからな
北条家の正室から生まれた嫡子高義が
家督も継いでたけど
早死したから、親父がもう1回当主にカンバック
庶出の弟の尊氏が急遽、跡継ぎになった
北条の血を引いてない尊氏兄弟が
予定外に家督継いだのが北条の悲劇 >>248
実際問題「義」を通字として拘ったのは足利将軍家でしょう?
源頼朝は河内源氏の棟梁義朝の嫡子として生まれながら諱に「義」を使っていないし
頼家・実朝の諱からしても武家の棟梁たる源氏将軍家は「義」の字に特別拘りはない
むしろ「頼」を多用した鎌倉期の源氏将軍・摂家将軍との重複を避けて
足利将軍家が「義」を使い徳川将軍家が「家」を使った
「頼」「義」「家」はいずれも河内源氏の諸氏がよく使う字ではあるが
棟梁は「義」という固定観念が元々あるわけではないよ >>251
義詮の諱は当時の祇園社(現八坂神社)の執行で『祇園執行日記』の作者として知られる
顕詮の名前から来ている可能性が高いという指摘がある
>>252
内容はともかく家時の置文自体は『難太平記』の記述からして存在した可能性が高い 明日夜9時からの #オールナイト幕府
メインは「論文を読もう!」
応仁の乱の直前、山名宗全と細川勝元対立の原因にもなった「文正元年の政変」についての論文です!
応仁の乱直前!政変勃発の原因に迫る|論文を読もう!【オールナイト幕府#52】 youtu.be/766PO506brU @YouTubeより^^ 家時の自害は北条への忠誠の証だよな
貞氏も母と嫁が北条だから北条への忠誠心は高い
やはり尊氏だけおかしいんだよ あと山名・細川の話なら花の乱スレあるんだから先ずそっちだろとw >>264
貞氏の正室(金沢顕時の娘)は北条一族の出身とはいえ
彼女自身の血縁関係でいえば安達泰盛の外孫でもあるから
当時の幕府において貞氏嫁は結構微妙な立場だと思うよ >>261
>実際問題「義」を通字として拘ったのは足利将軍家でしょう?
無恥の知ったか程、恥ずかしいヤツはいないぞ
足利宗家:義国>義康>義兼>義氏
お前以外のこのスレの住人の大半はこの当然の事実を知っている 足利高義が長命だった場合、高氏・直義は分家を起こして
鎌倉幕府の御家人として序列が斯波高経>高氏の可能性もあったのかな ぶっちゃけ北条を裏切ったのって当時の世の流れに乗っかっただけでしょ?
何代も前から恨みがあったって感じはしない
それじゃドラマとして盛り上がらないから吉川英治は「北条の圧政に従わされる足利」って構図で描いたんだろうけど >>269
一応いっておくとその時代の足利宗家は自他ともに源氏の棟梁とは思っていないはずだが 清和源氏でずっと通字が義なのって大族だと佐竹氏くらいか?
新羅三郎義光の継承者という意味なんだろうけど >>271
というか寝返らなければ共倒れしかねなかった 足利は宗家は泰氏以降は北条に気を使って代々の通字の義の字の使用を避けてたのは事実
それは別家の斯波についても同じ
尊氏が北条が滅んでからようやく子の千寿王に使えるようになった 足利高義でようやくじゃなかったかな。
鎌倉殿や時宗見てたら出る杭はすぐに打たれそうだし大人しくしてそう。
「氏」は鎌倉公方に継がれるのも趣深い。 >>276
高義がいたな
これも貞氏までの足利が北条にへの忠誠を徹底して示した成果だろうな 上にあるように当時の源氏将軍待望論から足利の源氏嫡流を北条が黙認したから高義ってつけたんだよ。高はもちろん高時から 17歳の帝国ってNHKドラマで柄本明が総理を演じ、日本の超高齢化社会について訴えるそうだが...
漫画作品で高師直を見る度「若っ!」て違和感を覚えるのは大体アンタのせいじゃいw 「いいね=賛同」を否定する判例が最近出ましたね。特に呉座先生みたいな「いいね」の絶対数がものすごく多い(7万件!)アカウントにとっては「読んだ」ぐらいの意味でしょうね。 >>286
スレちですまんが
草燃えるで頼家が安達邸に差し向けた近習がハゲヅラ被った金八を足蹴にしているシーンを思い出した >>275
足利庶流の一族のなかには結構「義」を使っている人物もいるし
足利よりも遥かに鎌倉幕府と距離があるはずの佐竹なんかが堂々と「義」を使っている
北条に遠慮して使わなくなったというのは実際のところどうかな?
あと足利義氏の「義」は北条義時からの偏諱の意味合いもあるように思うが
恐らく義氏の烏帽子親は義時だろうし
>>276
ちょっと違うかも知れないが近世の徳川御三家が
前代の将軍家の通字であった「義」や「頼」を使うのも興味深い >>282
足利義兼・義氏の頃の河内源氏嫡流は「頼朝」「頼家」「実朝」などという名前で
殘念ながら「義」は使っていないのだよ まあ斯波家氏の同母弟の渋川義顕とか
霜月騒動で討たれた吉良満氏の子の吉良貞義とか
足利一門のなかでも宗家以上に北条に睨まれているような有力庶家が
平気で使っている現実もある >>281
ドラマの設定と同様に「師直=嫡子、師泰=庶兄」と考えるのが一番妥当だろう
庶兄が長幼の順では年下である嫡子の弟扱いされることは普通にあり得るので
師泰=兄説と師泰=弟説の両方が生まれてしまうことは容易に想像がつく
一方仮に「師直=嫡子、師泰=庶弟」が真相だったとすると
このような場合に師泰=兄説は生まれようがないので 佐竹とか渋川とかのザコに北条様もいちいち構ってられないだろう。北条と姻戚で有力御家人の足利は義の字を使うなってことじゃないの? 義を遣うなってより執権が烏帽子親になって片諱を賜わる方が名誉だったからでしょ
それだけ北条氏の権威が上昇していた 高時が自裁した時「北条九代の終わりを見届けよ」って言ってたけど
時政義時泰時時氏時頼時宗貞時高時で八代だけどあと一人は誰? >>289
お前ますますヅレまくりで恥ずかしくないか?
>足利宗家は自他ともに源氏の棟梁とは思っていない
誰もそんな事は思っていない
お前が「義」を始めたのが将軍家からだと
無知を晒してのを指導したままでの事
勝手にゴールポストずらすなよw >>293
まあ「義」は詰まるところ単なる平安末期頃の河内源氏一族内での流行だが
源氏将軍家が使っていない時点で「義」字=河内源氏嫡流と短絡的に言えるわけでもない
そもそも北条のほうで使えとか使うなとかそんな規制をするようなものじゃないよな
ただ得宗からの偏諱も元々それが将軍の偏諱から来ている
頼時(泰時の初名)・経時・時頼・時宗あたりと
そうではない貞時・高時だと微妙に意味合いが変わってくるかな 源氏の着流は名前に必ず義を使う
頼朝が名前に義を使っていないのは本来源氏を継ぐ立場じゃなかったから
木曽義仲や甲斐源氏なんかが頼朝に反抗的だったのは
名前に義がない頼朝を棟梁と認めることに抵抗があったから
これがファイナルアンサー? 正室の長男なのに継ぐ予定なかったの?
悪源太は庶長子だし…。
頼は藤原信頼からもらったのかとしれないけど源頼信、源頼義に通じるからって認識だった。 >>301
信頼からって武士ではない貴族に偏諱を与える慣習あったの? 武士は実力主義なのに嫡流にこだわる必要あるのか?
公家でさえ家柄はあるが兄弟なら逆転あるぞ >>304
そうしとかないとお家騒動の種になるからだろ 貞氏の息子三人の名前が高義・高氏(尊氏)・高国(直義)だから鎌倉末期の足利氏は「義」「氏」「国」が通字だったって事でいいでしょ
で将軍家になったから本家を義、基氏流を氏にしたと
国は今川や細川など一門で使えと 河内源氏は頼か義どっちか入ってたらいいのよ
新宮十郎さん… 北条は安達、足利は鎌倉期は北条・室町期は日野との血族結婚を繰り返したからか短命な人が多いな 今日は義貞の挙兵の日だな。
生品神社の式典は2年連続でコロナ中止だったが今年はどうしたんだろ? >>306
「国」は通字というほど使われているかと言えば疑問だが
足利流の祖である源義国から来ていることは想像できる
>>307
>>308
源氏将軍家=「頼」
足利将軍家=「義」
徳川将軍家=「家」
詰まるところ頼義・義家が河内源氏の偉大な先祖ということだな あと「国」は室町期だと細川一族の野州家が通字にしているな >>299
間違い。頼朝は嫡男だぞ。母が藤原氏で13歳にして従五位下右兵衛権佐の官位がその歴とした証左だ。平治の乱で処刑されなかったのもやんごとなき関係者から助命嘆願があったからだ >>316
父は源義朝
長男(嫡男)源義平
三男 頼朝
四男 義門
異母 義経 >>289
父は源義朝は清和河内源氏
長男(嫡男)源義平
三男 頼朝
四男 義門
異母 義経 >>316
頼朝の母方は藤原氏とはいっても南家流の熱田大宮司家だからなぁ
都にいても日の目を見ない下級貴族が古代豪族の系譜を引く神主家を乗っ取っただけ
あと平治の乱で頼朝など義朝の子供たちが助命された最大の理由は
平治の乱の主犯は藤原信頼であって源義朝はそれに巻き込まれただけ
というような認識が当時の朝廷上層部にあったから 義平と頼朝の名前を比べると義使ってる義平が素直に棟梁ってことでいいだろ >>322
草燃えるでも義兼は出ず義氏のみ
義経や清盛も出てなかったはず
鎌倉殿に出るとしたら幕府開設以降じゃないかな >>304
公家はまだ官位があまり高くない若いうちに死んでしまうと
子孫の官位にまで響くからな 諱で跡継ぎが決まると思ってるバカw
それなら同族内で殺し合いなんかしないわなw
そもそも清盛も北条泰時も嫡男ではないだろう
産まれだけでは確定しないよ >>326
でもお前、源氏の棟梁は「義」が絶対条件とか言ってなかった? >>327
清盛の場合、官位昇進の面なんかから見て最初から忠盛の後継者として見なされていた雰囲気はあるけどね
ただ平安後期(院政期)頃はそもそも代々継承される「家」という概念自体の黎明期
誰が嫡子とか嫡流とかそういうことへの認識は結構曖昧だとは思う >>313
本当に家康は義家を意識してたの?
元康→家康に改名したのは今川の支配から離れた後でその頃は藤原氏を名乗ってたけど >>330
桶狭間の戦い直後に出された家臣への所領安堵状では「源元康」となっているし
家康の祖父清康が世良田苗字を名乗っていた事例もあるから
真偽はともかく河内源氏義家流であるという意識はかなり古くからあるはず
藤原氏になったのは朝廷への官位申請の際に源氏長者の足利義輝が京都におらず
やむを得ず藤氏長者の近衛前久に取り次ぎを頼んだからと見られている 武家でも朝廷でもj正室の長男は嫡男の期待を背負わせれる
その後、正室長男が夭折したり権力闘争で敗北して嫡男が変わるのも世の常 ↑悪源太義平は正室の子じゃないんですけど
だいたいオカンの実家の家格が重要だからね
家格が低いとそれだけで出世レースから脱落
天皇の子なら臣籍降下、武家なら家臣クラスの養子に出される もしかして義を使ってない頼朝は
兄弟のなかでの本来のランクは
義経より下だったとか・・・? 武田信義「謀反とは何か!」
後醍醐天皇「帝ご謀反とは何か!」 元弘3年5月10日
新田義貞から足利義詮(千寿王)がお菓子を貰う
それを見つめる脇屋義助、新田義顕、新田氏義、堀口貞義 足利にとっては義家の子孫だというのが重要だったから「義」を採った
頼朝は義家以前の源氏代々の「頼」を重要視してたけど 徳川も真偽は別として義家の子孫であることが重要だから「家」にしたんだろうな 源氏代々というほど頼を使っているかな?
義家以前の河内源氏だと頼信・頼義の2代だけでは? >>340
その場面ってドラマのナレーションでは「11日の昼過ぎ」と言ってた気がする >>336
そう言えば、武田氏は太平記の時代は何をしていたんだ? 南北朝時代のはじめ、北条氏に従って笠置を攻めたりしたが、中先代の乱に北条時行に加わって大打撃を受け、やがて箱根竹之下の合戦以後は足利尊氏に属して各地に戦功を挙げ、陸奥・伊豆・駿河・若狭・安芸・薩摩などに所領を広げ同族を置いている。甲斐源氏の嫡流は信武の子信成が継ぎ、その弟信頼から大井氏が、同じく氏信の系統から若狭武田氏・安芸武田氏が出ている。
室町時代の武田氏では、信満のころに一波乱があった。信満はその娘を関東管領上杉禅秀の妻としてた関係から、禅秀が鎌倉公方足利持氏に反逆したいわゆる上杉禅秀の乱において、禅秀方に加わり、鎌倉府の軍勢に攻められて自殺した。持氏は逸見有直を甲斐守護としたが、室町幕府がこれおを認めなかったため、信長の子伊豆千代丸が守護となった。しかし、幼主伊豆千代丸の命を聞かない守護代跡部氏の動きなどもあって、甲斐一刻は動揺を続けたのであった。
そののち信重が甲斐守護として入国し、信重は国人領主逸見有直を討って安定化に成功した。以降、信守・信昌・信縄と続き、その子信直い至る。信直はのちに改名して信虎となる。武田氏がそれまでの石和の館から本拠を躑躅崎館に移したのは実に信虎のときであった。以来躑躅ヶ崎は、信玄の子勝頼に至るまでの、三代、六十余年間。武田氏領国支配の中心となったのである。 >>346
ご教授ありがとうございます。いろいろとあったんですね(鎌倉殿の時代に主導権を握れなかったことが源氏嫡流より生き永らえることになったのはなんか皮肉)。 >>340
根津さんらしい演技で良い場面だったな
脇屋義助は複雑な表情していたけど 武田一族のなかで南北朝期以降の甲斐守護家になる系統は
鎌倉後半期には安芸守護家として甲斐よりも安芸に拠点があったはず
しかし鎌倉後半期の甲斐守護家の武田政義が南北朝分裂時に南朝方になったため
室町幕府は安芸守護家の武田信武に甲斐守護を兼ねさせ
その後に信武の子孫が改めて甲斐守護家と安芸守護家(後の若狭守護家)に分かれた 武田と小笠原も宿命的といえるくらい仲悪い
甲斐源氏に比べたら足利一門はまだ仲良しな方だな 武田信武に足利高義の娘(尊氏の甥)を嫁がせたんじゃなかったっけ? 土肥実平の子孫と工藤祐経の親戚の子孫も大江に家を乗っ取られたよ >>337
義経の「経」は恐らく源経基から取ったのだろうな 信長とか秀康って名前を平安鎌倉くらいで見ると、つい二度見するよね 登子の子の義詮より、行きずりの女性の子の直冬の方が尊氏の資質を受け継いでいるのが面白かった。義詮は、初期の尊氏のヘタレさは受け継いでたけど笑 同じ河内源氏でも
武田の源義光は3男
長男は源義家
木曾義仲は新参者
やはり源義家流が断トツ >>362
でも義仲の父、帯刀先生義賢は一度後継者になりかかっただろう
為義と義家が対立して義賢に譲ろうとした
だから悪源太義平に殺された 義家と言えば炎立つの佐藤浩市
でも義国や義兼は出なかったな 当時の佐藤浩市はベビーフェイスが残ってたから、今年の大人気おじさんは少し意外だったかも >>366-367
炎立つの第二部は面白かったなあ
義家といえば最後の罵詈雑言が印象深い
あとトヨエツのぶっ○す >>370
>あとトヨエツのぶっ○す
今年の首チョンパとかは不評なのに、この差は何だろね 義家も腹黒源氏には違いないのだけれど、何やかんやで清衡の味方なのと最後のツンデレ節が気持ちよかった 義家は腐敗朝廷を滅亡させようとした
頼朝は弱体朝廷を利用した
尊氏は革命朝廷に期待したが幻滅 義家が朝廷を滅亡させようとしたとは?
というか義家時代の朝廷が腐敗していたとは? >>371
揚げ足を取ろうとする工作員がいるかいないかの違いでしょ >>371
ぶっ○す→草燃えるの中島丈博
首チョンパ→三谷オリジナル
この差 炎立つの脚本ってそんなに秀逸だったとは思えないけどなぁ
特に第3部は酷かった >>378
あれは期日通りに原稿あげなかった原作者が悪い
だから第三部だけ原作とドラマで全然違うテイストになっている >>378
原作者「原稿あがんなかったけど義経はチンギスハーンにしてね」
NHK「できるわけないだろ」 >>381
時宗は井上由美子
炎立つ ドラマから大分たってから原作読んだけど面白かったなあ
想像していると恐ろしくもあったが、、、
戦はこうやって起こすものなのか(頼義)とか 原作は高橋克彦で合ってるけど、この時も脚本(井上)と並行して執筆って状態になってたらしい。 朝廷が恩賞を拒否した事で
義家は独断で恩賞をばら撒く
尊氏と同じだな それが義家が坂東で力を継続出来なかった理由だろうか
やはり武士も朝廷との干渉(政治力)が無くては
駄目なんだろうな >>386
義家の場合は勝手に波風を立てて無理やり乱に持ち込んだのだから
朝廷が私闘と見なして恩賞を拒否したのは至極真っ当な判断
尊氏の場合は明らかに建武政権の体制転覆を狙った反乱に際して
何もできずに右往左往する後醍醐サイドの代わりに乱を鎮めてやったもの
表面的には似ていても背景の事情は全然違うかな だいたい義家は天下の権をとっていない
頼朝や尊氏とは比ぶべくもないよ 頼義は奥州で大きなことを成し遂げてるけど子の義家はそうでもないからな
足利にとって幕府開くには義家を賛美するしかなかったのだろうけど 今日のおんな太閤記で秀吉の「桑名の楠木」というのが出てきたが伊勢楠木氏かな。 系統的には木曽氏や吉見氏のほうが河内源氏の
嫡流に近いし足利氏が同族から基本的に
舐められる理由になった
尊氏の優柔不断な性格や南朝への対抗上
京都に幕府開かざるをえなかったのが
最初から戦国時代になった理由の原因様々 地元の東京府中には立派な義家銅像がある
義家ゆかりの神社も複数あり欅並木も義家ゆかり
残念ながら誰も見向きもしないのが悲しい 今年は佐藤浩市大人気だし、炎立つ再放送すればいいのにな >>395
>木曽氏や吉見氏のほうが河内源氏の
嫡流に近い
>足利氏が同族から基本的に
舐められる
>南朝への対抗上
京都に幕府開かざるをえなかった
新説だな >>396
群馬県月夜野の妙に立派な義家像
ただし、台座じゃなくてほぼ地面 >>392
>>393
足利将軍家(通字「義」)と徳川将軍家(通字「家」)は確かに義家を神格化しているな
まあ本来の河内源氏嫡流である源氏将軍家との共通祖先が義家ということも大きいか
一方でその源氏将軍(&摂家将軍)の通字は義家の名前にはない「頼」なわけだけど 「頼」と「義」は源氏にとって重要な字だけど「家」は関係ないだろ
「家」なんて自称源氏の徳川が勝手に使い始めるまで源氏の誰も見向きもしなかった字だ >>395
吉見はともかく、木曽氏は後世の仮冒で義仲の子孫を自称した説が有力らしい
>>404
足利(斯波)家氏・家時… >>402
摂家将軍頼経の名前って
「頼」は初代将軍頼朝から
「経」は祖父九条良経から
ということだろうね
「経」に関しては頼経の弟の一条実経も使っているから九条家側に由来する字だろう 木曽氏は義仲の子孫だし吉見氏は範頼の子孫
血統的には頼朝を嫡流にするなら足利より
ずっと近い
さらに新田が足利の兄の家柄であったことは
明らかに山名の態度にでてる
細川ら一族もこうした事情から本音では本家を
なめる原因になった 木曽が一度滅んでから復活して源姓を名乗るのってだいぶ後じゃないの?
吉見は第一話で残党が逃げ込んできたように謀反で没落してる。
では次の席次は…ってならないのかな。 細川は家臣筋から管領にまで取り立ててやったのに生意気な野郎だな >>408
ここまでヤヴァいというかブッ飛んだレスを見るのも久々だなw 郎党も一族も一度全部失い、周りは自分を利用しようとする者ばかりで、根底に猜疑を植え付けられた源頼朝や、常に信用できない上位者がいて油断ならない処世を若年から積み重ねた徳川家康と比べると、大領主の御曹司として大過なく成長した足利尊氏は、根底に猜疑が欠けてて善意で動いてる節がある。 山名は初代義範の妻が矢田義清(足利義兼異母兄)の娘であり
尊氏と同世代の山名時氏の外祖父が上杉重房という系譜関係にある
この状況で足利と新田の決裂時に新田に付いていく選択肢はないだろう 鎌倉時代も南北朝室町時代も足利家の当主って本当短命な人が多いな
貞氏と尊氏が長生きに見えるくらい
自害した家時はともかく義氏泰氏頼氏も義詮も鎌倉公方基氏もみんな四十前後までしか生きてないし
吉良貞義とか今川了俊とか分家には長寿の人がいるのも北条に似てる >>415
足利義氏:文治5年(1189年)生〜建長6年(1254)歿、享年66歳
足利泰氏:建保4年(1216年)生〜文永7年(1270)歿、享年55歳
この生歿年で40前後で死んだとは常識的に言わないと思うぞ
あと逆に頼氏や基氏は20代で死んでいる人物なのだが・・・
結局そのなかで40前後で死んだというのが妥当なのは数え38歳歿の義詮だけじゃないか? 源頼朝を駆動するのが「猜疑」なら徳川家康を駆動するのは「功利」、足利尊氏を駆動するのは「責任」といった印象。いずれも最終的には武家の棟梁に落ち着いたが、その立場を最初から一番素直にかつ体感的に演じられたのが足利尊氏では。ただし、素直に行動すれば周囲が祝福してくれるわけではない。 しかし尊氏は運もなかったな
後醍醐天皇が早々にあきらめてくれれば
もう少し武家政権の足場固められた 元弘の乱の後の足利尊氏、元々鎌倉幕府では北条氏に次ぐ大勢力であり、傍流とはいえ源氏の血筋であり、武家の棟梁になるべくしてなる立場だったので、最初はそのことを大して疑問にも思ってなかったろうが、その後の展開は「思っていたのと違う」「何故こうなる」「朝敵とは」と死ぬまで煩悶してるんだよ 朝ドラのちむどんどんに
高時、廉氏、直義が転生してる
高時と廉氏が知人で、直義が廉氏の部下の設定 >>422
廉氏って誰?
読みは「かどうじ」とか? >>422
そうなんだ
3人も転生しているんなら見てみようかな
一週目で見るのやめちゃったから ちむどん >今回の作品は、晩年、自らの血で「みな力を合わせて生きよ」と遺書につづったという義兼の未来への願いを、
>今なお争いや疫病に苦しむ現代の人々に伝えたいという思いで作ったということです。
尊氏「全くじゃ」
義政「そう在りたいものよのう」 >>428
この記事は鎌倉殿に漸く義兼が登場するという伏線か? 一応義兼は主人公の妹婿だし
嫡子の義氏は今後の展開を考えたら完全スルーはないだろうし
まともな脚本なら義兼がどこかで出てくる可能性は十二分にあるはず 阿野はすでに出ている
新田は漢字表記違うのが出ている 俺たちの北条がいるじゃないか!
義時と泰時という得宗の両巨頭が出るんだぞ! >>439
それいうと阿野も
鎌倉殿に出てくるのは源姓
太平記に出てくるのは藤姓 阿野は繋がってるけど、仁田と新田は赤の他人って意味では?
奥州征伐で生き残った藤原高衡も新田冠者だな。 直系には変わりない、別に女系でも途切れてなきゃいいのよ。男系男子限定は天皇家だけだから 自信を持って一人でしっかりこなせる様になるまで、あとどの位かかるんだろうか。
初老、衰える一方の脳が揺さぶられる。
おったいきんです。今日から火曜日までは夕飯作れない・掃除機かけない宣言しました。
全てに集中っ…!
(あっお弁当は作るよ 全成は今上陛下の祖先なんだよね
頼朝や尊氏が違うのになw 阿野氏も男系が室町時代までは続いていたし
これも完全に嫡流に近い
清和源氏の本流は摂津源氏だったし
その時に最も力のあるものが本流を名乗った
だけ
この事情が一族が本家を特別視しない理由
山名は新田系で特に足利本家に対し面従腹背 楠木正成と源義経
同じ戦力で同条件で戦ったら
どちらが勝ったんだろうか。 >>453
太平記楠木と鎌倉殿義経だったら楠木が勝つ気がする >>452
摂津源氏は基本的に京武者
地方武士を束ねて武家の棟梁になることをそもそも志向していないような 日曜日の初耳学【佐藤浩市激白…上総広常役の裏で大事件&真田広之・渡辺謙との絆】[字]|TBSテレビ
2022年5月22日 (日) よる 10時00分~
https://www.tbs.co.jp/smp/tv/20220522_C2FF.html 受け継がれていない
義貞は海上からではなく浜沿いから騎馬で鎌倉に入った
エクマン輸送という奇跡が発生したお陰だが 三谷幸喜は大河オタクだから太平記へのオマージュでもあると思った >>457
太守がお寂しそうじゃ
ねんびーかんのんりきー人人人 太平洋側って潮の流れが急すぎて産業革命以降じゃないと渡れないよね?一番古いので伊達政宗の支倉常長くらいじゃない? >>454
司馬遼太郎は義経と大村益次郎を二大ゼネラルと言っているが、楠木正成こそが日本一だと思うわ >>459
北で戦ってる間に南の海岸線から攻めるって点では同種の発想程度 >>463
司馬氏は南北朝・室町を毛嫌いしていたから意図的にスルーしたのでは?
>>464
義貞の鎌倉攻めは基本的に全軍が北西側から鎌倉に攻め込んだのでは? 義貞の鎌倉攻めの場合は義貞が鎌倉近辺に到達するより前に
尊氏による六波羅陥落の情報が関東に到来して北条方が総崩れになっているから
この段階で鎌倉陥落は時間の問題になっているようなもの
一方から攻めると見せかけて反対側から不意を付くというようなものとは違うだろう Wikiの足利直義の項目が見られないんですけど!? >>453
義経の奇襲を楠木が根性で耐え凌ぎ、反撃に出た楠木が勝つ
鎌倉殿義経は、反撃されると脆いんじゃないかな 義経は局所的な戦術においては天才的でも長期的な戦略眼は正直ないからな どんな時代であろうとも戦略というか長期的な視野のない奴は短命に終わる
義経しかり義貞しかり 義経は秀吉のように総大将に功を譲るという政治的配慮がなく目先の功を追い求めた時点で、愚将。 >>475
楠公も結局敗死してるのは変わらないのでは 道誉も息子とか弟とか近親を大量に死なせてるぞ
生き残るだけでもなかなか厳しい時代
本人は運もよかったのよ >>478
楠木の場合は勝目がないことは最初から分かっていた上で
自らの死を持って後醍醐を諫めたようなものだからなぁ >>482
それが後醍醐天皇の為に命を捧げたと
美談にされたのか
徳川光圀が?明治以降? >>483
むしろ光圀や明治政府は楠木が後醍醐を諫めたという話にはしたくないんじゃないか?
それだと暗に後醍醐の考えが間違っているということになるし
ただ湊川直前の楠木の立場なら当時の価値観的に後醍醐から離反しても非難はされない
そして足利との正面衝突を避ける(後醍醐側が決定的に負けない)ための提案を
悉く後醍醐に斥けられているにもかかわらず結局離反しなかった
結局のところ個人的に後醍醐に対して強い恩義を感じていたからとしか説明できない
まぁ劣勢の南朝方としてずっと頑張っている奴らは楠木に限らず大体このパターン
その意味では後醍醐は直接関わった相手に対する人心掌握術はそれなりだったのだろうね >>481
そういえば道誉の先祖って兄弟やら叔父さんやら従兄弟やらが承久の乱で官軍だよね
三浦んところよりもやばかったんじゃね? 信綱が宇治川で泰時の長男時氏と先頭を切って敵前渡河したんだよな
乱後は自ら進んで兄たちの助命を行わず斬首として佐々木の当主となった 信綱にしてみたら嫡流を奪い取る絶好のチャンスだからノリノリ
そして勝利後棟梁の兄広綱の一族を綺麗に処刑して以後佐々木の嫡流となった
後々の佐々木一族の大半は信綱の子孫で六角も京極もこの流れ 六角も信綱のところだったのか
勉強になりました
ありがとう 六角が嫡流
京極は鎌倉常駐で得宗の側近になった
ドラマでは道誉の本音は反北条なんだけど実際には得宗べったりだったから北条が滅びて大変なピンチだった
そこを上手く尊氏について生き残りに成功した
そして足利宗家の忠実な手足となることで勢力を拡大し北近江を実力で切り取った そして信綱3男が六角となって宗家と江南6郡、4男氏信が京極となって江北6郡を得られたかというと
母親が義時の娘だからということでそこは足利の当主と同じで北条の血縁が重要になっていた 佐々木信綱の4人の子(重綱・高信・泰綱・氏信)が
それぞれ大原・高島・六角・京極の祖になっている
朽木は高島のさらに分家だな >>492
近江12郡を泰綱と氏信が6郡ずつ受け継いだというのは
系図纂要とか近世の編纂物に出てくる話だけどまず事実ではないよ
鎌倉期段階では守護職を一国より細かい単位で分割する慣習はないし
後に京極が有力になることを知っている後世の人間の妄想だろう
もっとも氏信が泰綱と同様に得宗家を母方としていて
評定衆になるなど幕府から優遇されたのは事実だけど
しかし宗家と近江守護の地位はあくまで泰綱に受け継がれている
あと室町期の最盛期でも近江で京極の影響力が及んだのは4〜5郡程度だから
近江国を半々で6郡ずつというのはそのことからいっても大袈裟すぎる 京極の北近江領は道誉が実力で切り取ったもんだよ
苦労したんだよ
道誉は尊氏側近だったから近江守護に任命
↓
守護として近江の領主達に出陣催促しても嫡流じゃない道誉に誰も従わず全く兵が集まらない
↓
兵を集められない道誉の近江守護職を解任
↓
道誉は後の全人生をかけて近江北部を実力で切り取る
この結果京極は近江半国守護と言われようになっただけで実際は近江守護ではない
しかし出雲隠岐なんかの守護ではあり四職の一角に食い込んだ その土地に根付いてる武士がやっぱ強いんだな
近江の六角や、佐竹や武田などなど 鎌倉殿に畠山重忠の妻(義時の異母妹)も登場するんだな。
それでも足利義純は出ないか… >>491
道誉は少なくとも尊氏が六波羅を攻めた段階では尊氏に同心していたと見てよいと思うよ
そして六波羅陥落段階でまだ鎌倉方にいた佐々木六角時信に対して
後醍醐&尊氏方へ投降するように促してその手引きをしたり
番場宿蓮華寺で六波羅残党を集団自決に追い込んだりしている
まあ道誉は理屈抜きで尊氏と馬が合ったのは事実であろうと思われる >>502
高級武士どうしだから当然互いに見知っていたんだろうが、諱が同じというのが親しくなるきっかけだったかもな 大体自分がナチスに言及する時は十中八九悪口。単に残虐なことをしたというだけなら規模的にはボリシェヴィキも匹敵し得るが、新世界を本気で作るという気概が乏しく、単なる懐古趣味と軍部や商人など既得権益を寄せ集めてゾンビみたいな体制を作り、略奪しないと回らない経済を作るなど頭も悪い。 選択的夫婦別姓の実現とか同性婚の実現とか、何でもそうなんだけど、現行制度で困ってる人がいるから制度変えましょうって時に、「現行制度で私は困らないです」みたいなの、反論にならないんだよね。別にあなたが困ってないからといって、困ってる人がいないってことにならないから 佐々木も安達と同様で得宗家が肥大化した後もずっと幕府の中枢に深く入り込んでいたイメージ 佐々木判官は何やらかしたのか忘れたが長崎父子に土下座してたな DAFというのはDeutsche Arbeitsfront、ドイツ労働戦線という官製の労働組合モドキ。1933年5月1日のメーデーでヒトラーは労働組合との連帯を高らかに歌い上げた矢先の翌日、全国の組合事務所に突撃隊を踏み込ませて逮捕・強制解散させた。その後釜の労働者組織として設立されたのがDAF >>507
それやってたのが京極家なんよ
安達と違うのは室町幕府でも大幹部の地位を保ったこと ほとんど中枢にはいないな
初代の氏信が評定衆に任じられただけで あまりのスルーっぷりに
次は太平記のリメイク狙っているんじゃないかと思えてくる ただでさえ進行が遅くて大丈夫か?という展開で足利とか出してる暇ないだろw 時政の娘が多くて順番がわかんないや
義兼嫁より全成畠山稲毛の嫁が若い? >>520
稲毛は頼朝の死と畠山の乱で関わるからな 多分物語の最後のナレーションで「義時の子孫である足利尊氏が鎌倉幕府を滅ぼし室町幕府をつくるのは約100年後の事である」とかしか出てこないんじゃないか
あるいは平賀朝雅のような頼朝亡き後の源氏門葉として担ぎ出される一人として出てくるか
>>521
義氏は出てる ガッキーが集めて養育してる孤児たちが成長して御内人になるのではと言われてるな
あの子供たちの中に長崎円喜の先祖が >>526
あの子供たちは泰時と同世代だから頼綱から見れば祖父母くらいの世代になるのでは?
頼綱(烏帽子親が時頼)はおそらく時頼と同世代かやや年下くらいだろうし
>>527
歴代得宗のなかで尊氏の直系尊属になるのは時氏が最後だと思う 足利は最初は北条宗家から嫁もらってたが次第に北条庶家から嫁もらうようになってたからな
裏切ったのも次第に疎遠になったことと無縁ではないだろう
貞氏の嫡男は金澤家の娘を母に持つ高義だったが早逝して上杉の娘を母に持つ高氏にかわったのも大きい >>530
安達との婚姻が多すぎて遺伝子が弱くなったんだろうな
時政から泰時までは50過ぎまで生きてるのに時氏以降短命な当主が連続するし
高時も鶴ちゃんの様な図太さはなく病弱で早々と執権を貞顕や守時に譲り邦時の後見にしようとしてた もっとも時氏自体は矢部禅尼の息子だから安達は関係ないけど 時氏の遺伝子と近親婚の合わせ技かな
北条庶家は別に早死にの家系じゃないからな 得宗家で遺伝の問題があるのは時宗からの3代なのでは
それまでは別に近親婚はしていない >>538
北条との近親交配と将軍としてのストレス
可哀想な足利将軍 尊氏のせいで足利将軍ってのは極めて不安定なポジションになっちゃったからな
足利義満みたいな化け物レベルの政治力ないと無事では済まない
義政はあまりに政治力ないから助かったかも
下手にやる気出すと義尚や義材みたいになる >>529
足利宗家の正室の供給元が得宗家から北条氏庶流に変わるのは
単に得宗家に適当な娘がいなかったというだけでしょう?
あと高義の母方は金沢流北条氏とはいっても安達泰盛とも繋がるから
高義が存命なら得宗家と上手く行っていたとは単純に言えないと思うよ
安達泰盛─金沢顕時妻─足利貞氏妻─高義 >>540
義政はやる気だけなら歴代トップクラスだろ。尊氏なんかより全然上 >>533
泰時と矢部禅尼もそういえば再従兄弟の関係になるのか
時頼と時宗母も一族間の婚姻
>>534
赤橋流の歴代とか得宗家に負けず劣らず短命だと思うけど・・・ >>540
義政は政治センス皆無なのにいろいろ余計なことに中途半端に手を出して
結果としてみんな滅茶苦茶にしてしまったという印象だな
タイプ的には後白河なんかに似ているか?
文化人としては超一流な点も含めて >>541
平禅門の乱以降安達泰盛の名誉回復されたんじゃなかったっけ
だからお互い庶流同士長崎円喜と安達時顕は仲良くしてた
仲良くしすぎて北条と運命を共にするんだけど >>545
安達庶流はある程度復権したが泰盛自身の弔いをすることに関しては
高時期(貞時死後)になってもまだ難しかったという話らしいよ 南朝なんておっかないものがあったら
最初から戦国時代になるのは当たり前
関東に幕府開きたくても北朝守れなくなる
家康は豊臣家を滅ぼして安定政権築いた
南朝を義満は滅ぼしたが個人の能力だった
組織として細川を抑えることは義満にすら
できず守護大名の連合政権から脱却できなかった 南朝なんておっかないものがあったら
最初から戦国時代になるのは当たり前
関東に幕府開きたくても北朝守れなくなる
家康は豊臣家を滅ぼして安定政権築いた
南朝を義満は滅ぼしたが個人の能力だった
組織として細川を抑えることは義満にすら
できず守護大名の連合政権から脱却できなかった 南朝なんておっかないものがあったら
最初から戦国時代になるのは当たり前
関東に幕府開きたくても北朝守れなくなる
家康は豊臣家を滅ぼして安定政権築いた
南朝を義満は滅ぼしたが個人の能力だった
組織として細川を抑えることは義満にすら
できず守護大名の連合政権から脱却できなかった 同文2連投は時々見かけるが同文3連投は滅多に見ない気がする 治承・寿永の乱のときは南北朝みたいに朝廷の分裂問題があるんだよな 鎌倉殿で金剛が鶴丸をかばって喧嘩した相手が安達盛長の息子弥九郎(後の景盛)
これ鶴丸が平盛綱になったら完全に安達と平(長崎)の対立を意識した脚本だな
後は足利がどこで出てくるか >>565
弥九郎景盛には時長↓という弟がいるのだが
安達 時長(あだち ときなが、生没年未詳)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府の御家人。安達盛長の次男。母は丹後内侍。兄に安達景盛。子に安達長泰、盛経、長景。通称は九郎藤次。藤九郎次郎。次郎兵衛。安達氏庶流である大曾禰氏の祖。
『吾妻鏡』の初見は建久元年(1190年)で、初代将軍源頼朝が鷲羽を後白河院に贈る使節を務め、同年の頼朝上洛に供奉している。
つまり鎌倉殿日曜放送回で頼朝が上洛した際に成人した弟の時長が随行しているということw
三谷ってこういうしょうもない計算間違い多いよね 曽我兄弟も5年で演者が21~24才年上になったから変態途中って本スレで見た。 北条や足利は何代もかけてるのに大江毛利家は大江広元→毛利季光(宝治合戦で死ぬ)→経光→時親でもう太平記の時代なんだよな
時親なんて晩年曾孫の元春と一緒に北朝方として戦ってるし
子孫の元就や敬親の様に毛利家は長生きのDNAでもあるのか >>569
まあでも父親と嫡子の平均的な年齢差なんかは長命でも短命でも大して変わらないはず
確かに毛利時親の場合は長命でなければ鎌倉幕府の最後を見ることはなかっただろうけど >>567
鎌倉時代が題材の大河で登場人物の年齢や生没年がおかしいというと
「北条時宗」という口にするのも憚られる超弩級の悪しき先例もあるよな 北条時宗でも足利の扱いは微妙だったな
ドラマ開始時点ではまだ義氏が生きているはずなのに
最初から泰氏が足利の当主として登場していた上に
執事の高師氏は超人的な寿命だったし 泰時ってなんで頼朝からの偏諱を捨てて頼時→泰時に改名したのかなぁ? 朝時は改名してないんだよな。と思ったら頼朝じゃなくて実朝からの偏諱なのね 昔の系図は男子女子に分けて書くので男女の場合どちらが先に生まれたかは分かりづらい >>578
実泰(金沢流の祖)も実朝からの偏諱だね >>574
それは確かNHK党って政党が公約としてかかげたと思うが、知ってるか?
お前がNHK党に投票し続ければ、20年後か30年後かには実現するかもな 夢想礎石って高時とも後醍醐とも足利兄弟とも親しかったらしいね 光厳ともマブダチだぞ夢窓疎石。この時代のフィクサーだ >>587
いや、天皇の血筋、母方は平氏という高貴なお方
生まれによらずにのし上がった駒様の足元にもおよばんよ 北畠顕家は男優に演じて欲しかったな
ゴクミを使いたいだけだったんだろうが ゴクミの顕家ええやん
めっちゃ気に入ってるんやけど ゴクミの顕家は、当時の大河の新機軸だと思う。太平記を取り上げたことと併せて。
ただでさえ高齢配役になりがちな大河で、美少年を演じられるのは美少女しかいないとか、週刊誌に載っていたな。
変に擦れた感じがなく、訥々としているのがよかったし、親房と最後の対面シーンで、涙して茶を飲むところとか、なかなか胸に迫る。 ゴクミの配役にケチを付ける人って
そもそも北畠顕家が数え21歳(満19〜20歳)で死んだ美少年であることを
分かった上で言っているだろうか?
年配の貫禄ある俳優が演じるべきだった的な発言が定期的に繰り返される気がするけどさ 父に会いたくて帰ってきたら叱られて
それが今生の別れになるとは
せつないのう あの回の近藤さんの長い一人芝居がいい
最後にどこで亡くなったのか尋ねるところとか >>595
でも今なら天海祐希の方が似合うかなと思ったり >>600
天海祐希はテレビデビュー当時すでに30過ぎだしな
まあイメージ的には分かるけどゴクミでよかったよ 天海祐希って今でも男性公家役とかやればいいのに
凛々しくてかっこいいぞ 天海がいると画面が高貴になる
さすが元トップスターよ
でかすぎて女役難しいなら男役で大河に呼んでほしい 三谷のはなぁ
どんな名優にもコントさせるからもったいない 天海の女信長けっこういいと思ったけど世間的には不評っぽい >>612
「清洲会議」という映画だよ
大河ではない 鎌倉殿の巻き狩りの宿所部屋割りで、山名や佐貫(藤姓足利系)の苗字が見えた。
足利義兼も参加してたはずだが影も形も見えず。 ここまで徹底的に足利無視の三谷
あれだよ
次はこの時代やる気満々 >>615
足利義満が見たいな
若しくはくじ引き将軍義教 >>616
あの人は昔何かの番組で一番好きなアニメは一休さんと言っていた >>615
癒やし枠の北条ファミリーも徐々に綻び出てきたから頼朝死後にコメディリリーフ的な存在で義氏が追加される可能性はまだあると思ってる
中々出てこない結城朝光や安達景盛もこれから本格的に登場らしいし 畠山と稲毛の嫁が出てきたとこがラストチャンスだったw >>619
あれ出てる人たち(畠山重忠・稲毛重成・阿野全成)が皆粛清されてるから生き残る足利や宇都宮は出せなかった 朝時や重時も出なさそうなんだよな。名越と赤橋のご先祖様なのに あかはし…
わしの陣に、赤橋のごとき強者が一人増えたと思えば
心が少しにぎやかになる
行くがよい
た、たいしゅ… 混沌殺伐とした鎌倉武士を尻目に、ほのぼの家庭の足利家と執事の高さん >>614
この頃には藤姓足利氏は滅んでるんじゃ? 庶流が御家人化してる。佐貫とか佐野とか。
巻狩に名前があるのは佐貫広綱。 佐貫氏を調べたら南北朝の動乱にも名が見えるな
時代が下ったら古河公方の側にもいる そうみたいね。
さすがに時代が近いからか共通の氏族が多いな。
第一話の吉見孫太郎も範頼の孫の孫らしいし。
なお、足利、新田は…。 >>632
新田一門の山名が巻狩りの部屋割りで文字だけ出ただろw 亜相殿は南北朝に分かれる前に源氏長者になってるのね。これは後醍醐の贔屓なのか、それともよほど秀才か閨閥が良かったのか? 太平記出演者って将来大物になったひとが多いな
当時7番手ぐらいだった本木雅弘が、麒麟では大トメ >>639
良かった。私もお知らせしようと思ってたんですが、先に書いて下さった人がいたのですね。
そうなんです。これから数回かけて太平記をやるみたいです。 名著121 「太平記」 - 100分de名著 - NHK
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/blog/bl/pEwB9LAbAN/bp/p1BdZeLjN7/
第1回 「あわいの時代」を生きる
【放送時間】
2022年7月4日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2022年7月5日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2022年7月11日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります >>646
ましらの石、正成の妹設定などまとめていらんかったと思うw 史実はよく知らないけど直冬の最後の去り方とかドラマの描き方のが好き 義詮殿はもう少し有能に描いて欲しかったなぁ
史実を知ると余計にそう思う >>651
おもしれーな、太平記の回は
100分de名著は、毎回観てるよ 宮沢りえが年齢いっても綺麗で驚くな
まあ化粧効果が凄そうだが >>655
若い頃は直義とぶつかったり、
三上皇置き去り事件とかあったからしょうがないね。
でも尊氏晩年頃は成長した姿が描かれてたね。 後醍醐帝の美しき御親政とい言っても周りの公家が勝手にまつり事して私欲に走りやってることは北条よりさらに悪い悪政で民を苦しめたて武家を汚らわしい使い捨ての犬扱い
楠木正成は尊王忠公で足利尊氏は日本史上最悪の朝敵の家で悪の権化。
日本では歴史上でも天皇家を悪く言うドラマ制作は絶対にタブーでよくこんな大河ドラマを昭和の時代にできたな
今はもう建武の時代を扱うドラマは絶対タブーで誰もやりたがらないらしい ネトウヨは皇室関係については割と鈍感(いわゆる「右翼」と比べると)だから、大丈夫だと思うけどな 87署の井上晴美がエロいという話?
太平記とどう関係あるんだよ 太平記放送は俺が高校生の時。話が複雑なのと個人的に真田広之が尊氏のイメージではなかったので観るの止めてたけど、今観てると本当に面白い。引き込まれる迫力があるし、感動もする。真田広之の尊氏も凄くよかったことに気づいた。オンデマンドで観てるけど、dvdが欲しくなってしまった。 いま15回を観終えたところ。この回で花夜叉一向を尊氏が検分するところをyoutubeで観て、迫力に引き込まれ興味を持った。鎌倉幕府滅亡までは大体想像がつくけど、建武の新政以後、直冬の活躍含めどのように展開していくのか、本当に楽しみにしている。 冠者はめもけに~の勧進帳回はよいオリジナル回
のちのちの回でもほっこりシーンがあるので続けて見るべし >>668
2年前に毎週朝6時に再放送してたのを全話持ってます。HD10で録画。
DVDと比べて画質がいいこと、太平記のふるさとが収録されている、日本語字幕を再生できる。
まぁDVDも持っているけど廉価版が発売される前に購入したから高かったが今だとアマゾンとかで合わせて4万円くらいかな。
欲しかったら捨てアドだすからBlu-rayと送料
だすならダビングしますよ。 再放送の録画を消してしもうたー!
字幕…太平記のふるさと…
再放送ォォォー! >>672
672が消したのはただのファイルじゃ、もっと美しいものかと思うたがの >>671
ご親切に有難うございます。
高画質の太平記。いいですねぇ。
魅力的なお話でクラクラしてしまいましたが、
いろいろ不案内なため、お気持ちだけ有り難く頂戴させてください。
この掲示板読むのかなり楽しいけど、
ここまでネタバレを避けたいと思ったドラマは初めてだな... >>674
91年に放送された太平記は、もちろんとうじDVDなんてないからVHSの総集編しか当初発売されなかった。
2000年代になってスカパーのチャンネルで再放送を何度かしたがSD放送のためブロックノイズがあり画質も悪くNHKでないので太平記のふるさとも放送されなかった。2000年代下旬にDVDの完全版が発売され上下巻合わせて80,000円位の価格だった。ここでも太平記のふるさとは収録されなかった。理由としては本編の出演者の二次使用の許諾しか取らなかったこと。太平記のふるさとの出演者の許諾は取らなかったからです。インターネット配信のNHKオンデマンドも許諾がないから放送されないということです。昨今の大河は許諾を取っている。
2020年に30年ぶりにNHKBSでの再放送となりテレビ放送の許諾で太平記のふるさとが放送可能となった。この再放送で良かったのは全話災害特報などのテロップが奇跡的になかったこと。
AQUOSの中にまだ全話入っているからダビングは可能。Blu-rayは13枚かな。
気になったら gattuso602@gmail.com まで
詐欺じゃないですよ。 >>675
メ-ルアドレス間違えた。
gattuso602@hotmail.com 後醍醐天皇提唱の古すぎる行政に反抗しての挙兵だったはずなのに
最後は「古く腐った木切れにも価値があったのかもしれん」に行き着くやるせなさよ...
(まぁ尊氏自身は一概にGODIEGOアンチじゃなかったわけだが) >>675
正成の首ってそのまま映ってました?
前にネットで見た動画だとカットされてたようなんですが 鎌倉殿を見て北条胸糞悪いと思ったら鎌倉炎上回を見るのがお勧め >>684
フランキー堺に惹き込まれて、北条カッコえー、ってなってしまうやろ フランキー堺の円喜は凄味があったな
流石に陣内道誉も隠岐に流された後醍醐帝を殺めろと示唆されてたじたじだったな Scramβle化まだ? 08/22 20時31壺 最近の逃げ若も内々の人物描写に走ってて、そこまで大河を交える要素ないしな 見てない人から受信料を取ることに反対する 09/17 22時01壺 契約者だけが受信できる仕組みを開始しよう 09/19 13時13壺 昨日の鎌倉殿見て尊氏と義貞の一騎打ち思い出したわ。 探せば真田広之も不良モノで殴りあったりしてるのだろうか TBS時代劇の龍馬役で、
海援隊留守中、長次郎が自刃したら
仲間を片っ端から思いっきりぶん殴っていた 殺陣アクションが出来る真田広之に
不良の殴り合い演出はもったいない >>708
畠山重忠の妻が一瞬だけ出ていたが
彼女がその後に足利義純と再婚して
子孫が源姓畠山氏につながることは
描かれるのかな? 佐々木道誉が医者役だったら頼家は蘇生しなかったと思う そういえば頼家の医者は佐々木の爺さんの子供だったっけ? どの系統か不明だけど秀義の11世孫の佐々木善住って室町時代の実在の医者がモデルらしいね。
戦国時代の曲直瀬道三も近江佐々木氏の庶流だから関係あるかも。 逃げ若が中先代の乱に入ってるから、直義が本格参戦する頃にはこのスレも伸びるかと >>721
尼子は毛利に降伏した後、姓を佐々木に変えた 緒形拳の息子が真田広之になるのはこの大河として
尼子経久って佐々木判官殿の血ぃ入ってる? あー、祖が道誉の孫ならガッツリ入ってるな
別に変ではないけどギャップが強いというかw >>731
変えたというか元々佐々木だった
戦国時代でも単に尼子より佐々木尼子と名乗っていることが多い SCHOOL RUMBLE MATTER? 09/24 12食33口 男はつらいよの2019年版でゴクミ見たけど綺麗だな、ただ男役は二度とやらないだろうw 佐々木一族は本来的な嫡流筋である六角や京極からして史料的には室町中期あたりでも
単に「佐々木」か「佐々木六角」「佐々木京極」と書かれていることが多く
逆に「六角」「京極」としか書かれないケースのほうが少ない 陣内の役名を「京極道誉」ではなく「佐々木道誉」としたこのドラマの時代考証は妥当だったということだな scalable matter? 09/25 14食00口 陣内ニキの出た仮面ライダーウィザード劇場版、ようつべで今日までだけど
やっぱり豪奢で偉そうな格好が似合うなw 畠山未亡人の再婚については触れられても、再婚相手の名は出てこない徹底ぶり 小説家や脚本家のなかに何故か室町や足利をやたらと嫌う人っているよな
司馬遼太郎しかりジェームス三木しかり 次の天下人の足利の姓を出したくないんかな
ブレるというかなんというか 時宗の時みたく情けない感じで出てくるならいっそ未登場の方が良くない?
世間一般からしたら足利は北条を滅ぼす存在のイメージだから出るとしたら最終回かな 北条時宗の放送は太平記の放送からちょうど10年後だし
脚本家や制作側の意図としても太平記の時代と敢えて関連付ける演出をしていたからなぁ
まあ現代の一般視聴者は鎌倉幕府滅亡時に北条一族がどうなるのか
という知識も怪しい人が大半というような気がするが さらにいえば足利が次の時代の将軍家であること自体も分かっているか怪しい 太平記を民放でいいからリメイクして欲しいな
尊氏は小栗旬でもいけるだろ 鎌倉幕府滅亡後の北条氏は全裸逃亡ド変態稚児になるんだろ、ソースは週刊少年ジャンプ 腐り果ててるなお前
心の中がどうなってるか、こじ開けて見てみたいわ 「なるんだろ」と投げやりっぽくした以外は
北条時行が全裸逃亡ド変態稚児と呼ばれてるのも、週刊少年ジャンプで掲載されてるのも事実なのだが... ここまで来たら、「足利無しで鎌倉幕府は成立するのかチャレンジ」を完遂して欲しい scrubbing bubble matter? 09/28 01食52口 >>759
>>760
一応義氏は義時の甥として和田合戦や承久の乱にもかなり関わってはいる感じだね
幕府内での存在感が大きくなるのは泰時晩年〜宝治合戦への流れあたりからかな Sky Love Blue Murder? 2022真09の30お01父45様 足利義兼は出してもよかったよね
まさみが「この男、のちの征夷大将軍足利尊氏の先祖である」とか言うの ドラマの流れ的には義兼より義氏のほうが終盤のイベントに大きく関わって来そうに思える 求めていない放送を売りつけるなよ 10/01 23:10 NHKの余剰金でフジテレビを助けてやれ 10/03 19:37 逃げ若の童貞おじさん(海野幸康)で我慢してちょーよ >>777
制作側が足利にマイナスイメージでも持っているのでは? >>752
小栗旬よりもう少しイケメンでも
いいかもね
真田広之がアクションも出来て
イケメン過ぎる >>752
小栗旬よりもう少しイケメンでも
いいかもね
真田広之がアクションも出来て
イケメン過ぎる >>752
小栗旬よりもう少しイケメンでも
いいかもね
真田広之がアクションも出来て
イケメン過ぎる スクランブルがどうとかいう、隣の半島あたりの変な書き込みの派生だろう >>777
義高逃亡の際に閉じ込められてた部屋で変装して寝転んでなかったっけ? >>801
楠木正成が特集されてて、太平記の映像も使われてたからです。 鎌倉殿の大河ドラマガイド完結編に
「太平記」の特集記事が載っているのを発見したよ >>804
それ私も読みました。真田広之さんのインタビューがあったのは意外でした。 結局円喜の足利潰しの判断は正しかったんだよね。さすが伊達に内管領じゃないわね 今日の鎌倉殿で遂に平盛綱きたけど、執権就任した義時のダシ(腹黒表現のキッカケ)にされてたな
内管領が力を持つのは元寇前夜に違いなし >>812
北村一輝の祖父かな?
鎌倉では御家人にあらずば人にあらず まあ確かに本来は御家人にあらずば人非人なんだけど
それが高資までいくと非御家人の分際で評定衆になっちゃったりすんだよな 平盛綱(鎌倉殿鶴丸きづき)ー盛時ー頼綱(禅門・時宗八郎北村一輝)ー宗綱
平盛綱ー長崎光盛ー光綱ー盛宗(円喜・太平記フランキー堺)ー高資(西岡徳馬)
時宗やってた頃までは頼綱は盛綱の息子と考えられたけど近年の研究では間に一代いるらしい
あと円喜の諱も同時代の史料には高綱ではなく盛宗と出てると
だから円喜は年代的に時宗から一字拝領した可能性が高い 得宗が短命過ぎて繋ぎの執権が多くて世代の感覚よくわからなくなる 短命な得宗より短命な執権のアタックチャンスという存在も居るしな 時宗が死んでから48年後に幕府滅亡だから時宗時代から生きてる人も結構いたんだよな
太平記に出てくる人だと吉良の爺(貞義)とか結城宗広
出てこない人だと毛利時親(大江広元ひ孫・元就の先祖)とか金沢時直とか
北条や安達や足利が短命過ぎて感覚がおかしくなるけど >>821
盛綱が出家隠遁してから頼綱が史料上に登場するまで約20年開きがあり、その間に侍所所司をしてた平盛時が盛綱→頼綱の間にいると推定されている
ちなみに円喜の父長崎光綱は平頼綱の弟とも従兄弟とも言われてよくわかってない
みんな高時と一緒に自害して子孫がいないから史料も少ないし なるほど、長崎は禅門の直系じゃないんだな
話は変わるが卓球女子に長崎美柚ってのがいて彼女は神奈川出身だから長崎氏の子孫ではないかと睨んでるwそして可愛い >>820
アタックチャンスの貞顕ですら北条一門ではかなり長生きな方というね
赤橋なんて得宗同様三十前後で亡くなる当主が続いてるし、執権殿も幕府が滅びなかったとしても早死にしてた可能性が
勝野洋だとスポーツマンにしか見えなかったけど 円喜は平頼綱の次男飯沼資宗と同年代と言われてる
だから少年期に時宗・頼綱・安達泰盛らと接する機会があったはず
どうせなら時宗にも少年円喜を出して欲しかった
高時が執権になった頃はもう幕府中枢に時宗期を知る人は少なくなってたから長老として威厳を持って発言してたんだろう
時宗や貞時と比較してあなたは柔弱だ! と高時を叱った事もあったかも
それで「祖父や父は偉大な執権だったのにわしは凡か」と太守が嘆いてたりして 円喜(盛宗)は幕府滅亡の段階では成人の孫がいることや
元服時の烏帽子親が時宗である可能性が高いことを考えると
享年は70歳くらいかな? 実際には平頼綱の家系は時政以前に分かれた北条庶流とかの可能性が高いらしいね 時政より上だと祖父時家と父時兼でその上は平を名乗ってるはずだから従兄弟か再従兄弟ぐらいなら普通に一族として入れられるんじゃ無いかなと思った >>831
従五位下だと「平朝臣時政」とはいっても「平時政朝臣」とは言わないのでは?
朝臣を最後に持ってくるのは四位の者に対する言い方だったと思う 鎌倉殿では、和田と北条のツートップだそうですが、
このころ足利と新田は何してたんですか? 足利は北条と組んで幕府中心として活動
新田は義重が下手打ったせいで冷や飯ぐらい
これが太平記への伏線になる 福原のソープで身を清めてから湊川神社にお詣りしてきたぜ。やはり清盛公と大楠公は偉大だった このスレは太平記スレなんだから鎌倉時代ネタはNGにすべき 大河板ではまだマシな方なんだけどね。
今年の大河のスレから避難してる人もいるんじゃないか。 つうかドラマ板なんて基本歴史に興味ない人間の集まりなわけで
ここで若干名がほとんど自作自演で歴史談義をする意味が分からん
場合によってはドラマのネタバレにもなるわけだし
仮に知っていてもドラマ板に書き込むときは無知を装うべき 歴史談義による荒らし禁止を徹底すればよいだけだよ
とりあえず日本史の教科書に載るような人名・用語を含んだレスは原則禁止にすればよくね? このマザコン、私をいやらしい目で舐めまわすように見るんじゃないわよ! 和田は滅ぼすのに平盛綱は生かすように指示してしまった義時......いやあの時点で何も分かるわけないけどさw >>863
鎌倉幕府は
日本史の教科書に出てくる言葉なのでアウトです >>864
だったら一番残しちゃいけないのは足利w 言わん事ではない。
だから足利は外に出すなと申したのじゃ! 後醍醐天皇は相変わらずお盛んなようで
片岡仁左衛門(78)37歳下女性と嚙みつき不倫撮 #週刊文春
https://bunshun.jp/denshiban/articles/b4377 マジレスすると13人の合議制が始まるくらいの話数で既に言ってた
まぁ太平記の頃には評定衆もろくに機能してないがね... 鎌倉あっての北条と口にしつつ、実際は北条あっての鎌倉に変えとるやないかい、みたいなことは言われてたかな
それが太平記まで来ると「(沖の船に乗ればまだ助かるけど)鎌倉を守るぞーっ!!」を高時や円喜が言い出すから、人はどう転ぶか知れない >>892
逃げれば?と言ってた人たちに高時が「鎌倉あっての北条ぞ」と逃げない意思を見せたのかっこよかった、ただのヘタレではないんだな、と あの段階では仮に生き延びたとしても鎌倉が陥落してしまっては最早居場所がないでしょう >>895
戦国まで下ると命あっての物種な人たちに事欠かない
一所懸命と一生懸命の違いみたいな 朝廷が分裂していて担げる神輿がいくらでも存在するあの南北朝時代だと
反体制派にとっても北条ごときでは大して魅力的な神輿にならないのが致命的 和田義盛が上総介になりたいと騒いだのは足利義兼が死んで上総介が空席になったタイミングということか 高時の放蕩って実際は貞時の政争に敗れて晩年ヤケクソの酒浸り生活が
高時に押し付けられたわけだがどんな家門もそうだが
家を潰した当主は無茶苦茶押し付けられるよな
高時って病弱で何度も寝込んで酒も遊びも政治も出来ない
まぁ何もしなかったから滅んで無能と言われたらそこはそうだが その点、義昭はどうフォローしても義昭だし族滅してないからいいよね... >>905
北条時政の娘婿のなかで足利義兼だけ居なかったことにされているわけで・・・
まあ鎌倉殿のナレでそんな説明はできないだろうね >>909
義昭の一般認識はおおむね史実通りって意味だろ
正しいかは知らんけど
さすがに空中手刀打ちは嘘くさいけどな 桃井に高橋悦史さんを起用する必要あったの?
たいした役に見えなかったが 予告見逃してたなw
トウ血だらけで追手と切り合いしてるけど、逃げ延びて重症ってオチか・・
まだ義村のとこに再起を図り転がり込む可能性もあるのか... ええんやで、てかドラマ終わっても重複スレ残ってるのみっともないからあまり気にせず書いてけ あ、鎌倉殿の重複スレと間違えた(この野郎w) OTL >>913
桃井ださずに斯波高経だして
足利一族内の不満分子として描いてほしかった 桃井を出さずに観応の擾乱を描くとか正気の沙汰じゃないだろ 長尾も無視されたし、時世柄人数制限していると思われ 時政の娘婿のなかで唯一無視
和田合戦での活躍もスルー 泰時の弟である朝時や重時の孫のなかにも
鎌倉幕府滅亡まで存命だった人物がいるんだね >>894
鎌倉有っての高時ぞと言い放った後に円喜が高時の去って行った方を驚いたように見てるんだよね
その後覚悟を決めたかのように貞顕の沖に逃げる案を却下してこの鎌倉は我らが築いた北条の都~と続くから鳥肌もんのシーンだわ >>925
重時の子孫は有名どころだと嫡流が執権赤橋守時、弟の赤橋英時が鎮西探題
庶流が六波羅探題の普恩寺仲時と元執権の基時親子がいるからその最後をwikiでも見てみると感慨深くなれると思う
朝時の子孫は名越高家が幕府滅亡後も生きてたけど捕まって処刑されてる 名越高家は尊氏と共に出陣して赤松に討ち取られたのでは? 鎌倉殿見てて北条がムカつくから鎌倉炎上回を見てスッキリしようと思ったらフランキー境や児玉清が格好良かった >>929
降伏して処刑されたのは大仏高直だった
名越高家は普通に射殺された方だw 尊氏ら足利宗家は重時の子孫極楽寺流と血縁が濃いけどその同母兄の朝時は宗家とタメを張った足利尾張家である斯波氏の祖で面白い >>927
いやそういうことではなく、重時や朝時の孫世代で鎌倉滅亡まで存命の人物がいるんだなぁということです >>931
フランキー堺?
終始悪役イメージだったけど フランキーを単なる悪役と見ているようでは読みが浅い >>931
格好いいの鶴太郎だったな、鎌倉を踏みにじる者あらば、戦致すより他あるまい 城を作りかけるどころかその場で鎮圧されてやんの < 廉子の先祖の兄か弟 公家の苗字の地が京都近辺の地名じゃないって結構珍しいな フランキー堺の最期は堂々としてたな。児玉清さんも覚悟を決めた感じだった
それにひきかえ高時の「軍勢が来たぞ!」は… 太平記に阿野さんや比奈の子孫や鶴丸の子孫が出てくるな
二階堂さんもいたはず、トキューサの子孫の大仏もいたかも
後鳥羽の生まれ変わりが後醍醐だな そりゃ150年ほどの鎌倉時代の初期の話だから、完全に滅亡しない限り鎌倉末期の話に子孫も出てくるだろう。
佐々木の爺さんの子孫が道誉だったりね。
その逆も然りで、太平記に出てくる人たちの先祖も鎌倉殿に…あれ? 二階堂道蘊は存在感のあるハゲだったな
吉良の爺が生まれた時はまだ政村は生きてただろうから鎌倉殿の13人と太平記の登場人物が交差する位は近い時代だよね 150年なら明治維新から現代ぐらいか。
小さい頃、江戸時代生まれはいなかったけど明治生まれは居たからそんな感覚かな。 小田茜、鶴太郎と一緒にヨガイベントとかに出てるんだな >>947
鎌倉殿では文官だが太平記では武闘派になってるなw まだ未見なんだけど粟飯原清胤って結構出て来るの?
難読名字だと思うが俺の地元だとまあまあ居るんだよね
調べたら西部警察のロクさんが演じてた 太平記に政村の子孫が出てたって話題になってたがわからなかったな。なんか赤橋と金沢に挟まれて出でてたって 9話の重臣一同中のどこかに茂時が居るんだろうけどあの中の誰だかは分からん 守時や貞顕はめちゃくちゃ格好良く描かれてたのに肝心の高時がな… ほぼ寝たきりじゃね?(近年の研究)とか、廃人じゃねーか!(逃げ若)に比べりゃ大河太平記の高時は十分すぎる... 顔が分かったら茂時見つけた
9話の貞顕執権就任シーンで貞顕の後ろに付いて歩いてるのと会議で守時を馬鹿にして笑ってる奴だ
連署なのにテロップも無い小物扱いなのか そうなん?御家人と得宗被官兼ねてたらとりあえず安泰なのかな。
それにしても二階堂の子孫は枝葉のように全国に散らばってすごいな。
薩摩の方は子孫が自民党幹事長出てるし。 そもそも二階堂氏の由来が「なんか二階建ての近くに住んでるヤツ」だからなぁ...w
全国の二階堂さんで源平橘藤コンプ出来てもおかしくはない(劇中の酔っ払い爺さんは藤原氏) >>944
義村は婆娑羅じゃないよね、粋でも雅でもない 鎌倉時代の頃に成立した名門の名字の人は結構全国に散らばってる 義時は全て鎌倉を守るため、一度たりとも私欲に走ったことはありません
おい、聞いてるか高時と尊氏?お前らのご先祖様だぞ 後鳥羽上皇が出した8通の院宣、放送ではなぜか1通だけ義時の頭で隠れてたりピンボケで見えなかった。
HPの時代考証の解説を見たら、隠れてたのは武蔵前司で足利義氏のことだった。
そこまでして隠すのか…。 反動でトチ狂って足利義稙の大河おっ始まったりしねぇかな 鎌倉殿の13人みてると義時のやり方は反吐が
出るほどえげつないから尊氏はほとんど
出て来ない鎌倉炎上をみるとスッキリする 悪く言いたくはないが、尊氏・義詮のツケは義満や義教に回ったんで... >>963
二階堂氏自体が藤原氏の流れ(但し南家流の下級貴族)なのに源平藤橘コンプとは?
というか頼朝が作った永福寺の別名を苗字として名乗れる時点で
藤原行政の鎌倉幕府での立場はそれなりのものがある
まあ実際のところ行政って頼朝の母由良御前の従兄弟でもあるわけだが >>973
義詮は尊氏が観応の擾乱の後始末を何もしないで死んだ後
代わってその処理に追われた将軍というイメージかな
ただ義詮期に旧直義派に対する懐柔政策なんかがかなり行われたことが
義満期以降の室町殿権力の確立に大きく影響したとは思うが 武家社会における源平藤橘というのは
具体的には承平・天慶の乱の鎮圧に貢献した
源経基・平貞盛・藤原秀郷・橘遠保
のいずれかの子孫であることが重要で
源平藤橘の4姓なら何でもよいのではない 源経基って承平・天慶の乱の活躍度だと格落ち感があって
清和源氏隆盛は息子のただのまんじゅうこと源満仲が藤原北家に接近して
安和の変や寛和の変で活躍したのが大きいのでは?
二階堂の先祖の藤原為憲も承平・天慶の乱で功があった人物ではある 結城秀康の結城氏養子時代の正式な名乗りは藤原秀康になっちゃうか? 結城氏は秀康以降は源姓結城氏になるの?源姓畠山氏みたいに。あと上杉謙信が養子で上杉を継いだら藤姓から平姓上杉になるの? 秀康は結城姓捨てて、五男の松平直基の系統が結城家の家紋と祭祀を継承みたいな中途半端なことやってんね。 足利が出るとブレるからしゃーない
番宣で家康出しちゃうのはどうかと思うが 最後はあの人も良い人でした
なんて終わり方になるのか心配してたら最後まで大河の主人公らしくない終わり方でよかった😊 会話は現代劇じゃねーかと言われてたけど
袖で拭いてしまうのはああいう服飾じゃないとできないし、江戸以降の畳が普及したセットだとあんなに溜まらないし
時代背景から有り得ることを考えると、リアルだなぁーと思った
(室町初期に師直が食べてたような饅頭はないとか、直義が強情を張ったクオリティの落雁はないとか言われてるのは内緒だw) 本家は滅びて義澄弟の佐原氏(相模三浦氏)が嫡流に、元弘年間は足利方だったが中先代の乱では北条方について斬られたりと頑張ってるな 足利は鎌倉殿の時代ずっと北条に反発することもなく歩調合わせてたから何も面白味もなく出す価値がなかったのだろう 足利で鎌倉時代の権力闘争に巻き込まれたのって、幕府滅亡時を除けば泰氏と家時ぐらいかな?
北条の外戚、源氏門葉と祭り上げられて権限なかったのか、滅ぼされた他の有力御家人を見て
おとなしくしてたのか。 >>977
安和の変や寛和の変は清和源氏が摂関家に奉仕する軍事貴族(京武者)として成長する原点ではある
ただ武家の棟梁の有資格者としての源平藤橘の一つになるという点では
都での政変への関与よりも武力による反乱鎮圧の実績のほうが重要だろう
経基の活躍が貞盛や秀郷と比べてショボかったとしてもね
まあ遠保に関しては純友の首を取ったとの伝承があるだけでもっとショボそうだが >>980
結城秀康の子供の代以降は普通に松平苗字(源姓)になる
ただ結城氏の祭祀は秀康の六男の子孫である前橋藩松平氏が継承しているので
中世の結城氏が所持していた家伝文書なんかも基本的には旧前橋藩主の松平伯爵家の子孫の家に伝わっている
上杉謙信は上杉氏を継いだ時点で藤姓になっているはず
豊臣政権家で公卿になった上杉景勝も公卿補任に普通に藤姓で出てくる >>988
三浦氏は二度も北条氏によって滅ぼされているよな
一度目は鎌倉北条氏、二度目は後北条氏
>>991
庶流を入れれば吉良満氏とかも そういう歴史を見ると足利って他の御家人と比べても幕府内で全く不遇ではなくて北条からめっちゃ優遇されてたんだな 幕政に参加出来ないだけで安達と同等かそれ以上
それなのに裏切りやがったんだぜアイツ
旧北条領で足利への反抗が根強かったのもわかる 某ゆっくり解説の鎌倉時代の動画見てるけど得宗に反抗的だったり得宗の独裁に抵抗する支流が多い割に
戊辰戦争で薩長側につく親藩みたいな北条支流が出なかったのが不思議 このスレッドは1000を超えました。
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