武田信玄 15
信玄死後も典厩信繁が生きていたならあっけなく武田滅びることもなかったろうな >>35
敵兵を迎え撃っての白兵戦(乱戦)だと、兜をかぶっていると重くて邪魔なんだ
自分の体力も奪われるし
その局面だと弓矢で狙われるわけじゃないので、兜をかぶらずに奮戦
同じ武田信玄の板垣信方や風林火山の板垣(こっちは千葉真一)も兜をかぶらず奮闘討ち死に 川中島で啄木鳥の増援が山から下山するのに二刻(4時間)ほどかかった為、上杉方の全軍突撃から信玄を守るため容貌が似ていた信繁が信玄の振りをして戦場を撹乱しようとしたのだよ >>44
やはり信虎の言う通り、晴信を廃嫡して信繁を当主にするべきだったか? 大枚はたいて京都から呼び寄せた公家の三条婦人の処遇はどうするん? >>45
竜宝は盲目で僧籍も得てはいたけど
当主留守時の館の守り役を任ぜられていたり
子も居たからね
その子は出家して武田家瓦解時にも生きながらえて
のちに大久保長安事件に連座して伊豆大島へ流された
そして子(竜宝の孫)が赦免された後に
名家ゆえに「高家」となって江戸時代も存続
後に明治政府が武田家の正統当主として認めたのが
龍宝の家系 再来年の大河はまた秀吉だと…この視聴率取れない時代にNHKとしてはベタなネタしか扱えねえんだろうな…
麒麟が事実上信長大河だとして、家康、秀吉ときたら次に戦国大河やるとしたら恐らくローテーションから
いって武田信玄が主役で決まりだな 「武田信玄」新田次郎
「風林火山」井上靖
この2作でもう十分
下手なオリジナルとか作っても改悪になるばかり 謙信の毘沙門天との問答というか自作自演は何度見ても笑える むしろ信玄と謙信が山々超えてテレパシーで交信可能なところのほうが 謙信の自作自演シーンは謙信と毘沙門像を問答に合わせて交互に映せばいいのに
謙信の顔だけ映すから余計笑える映像になってしまっている とりあえず変なアレを忘れるために上杉大河をはよ。。。 甲陽軍鑑も信長公記も作り話がたくさんあるせいで、馬場信春の逸話が嘘っぽく聞こえてしまう。
甲斐武田氏は貴重な文献を大量に失わせた悪党だった。 >>65
武田氏が重要な古文書を奪い合うヤクザ仕事を引き受けていたせいで、いろんなものが散逸し、原本が見つからなくなった。 キモブサイク🤮🤮チビ🤮🤮ハゲ🤪🤪オバタリアン🤮🤮きもデブ🤮🤮金ない底辺🤪🤪低学歴は
人間じゃない欠陥チンパンジー🤮🤮🤮🤮🤪🤪🤪www(笑)wwざま〜(笑) 桜井翔の父親が通信官僚で
ジャニーズの悪事をテレビ放送させないようにもみ消した悪の黒幕である!!!😈😈💀😱🤪🤪
極悪人の親子だ🤮🤮🤪💩💀😱😈😈 戦国時代の合戦の投石にはスリングなり布なり道具が使われたみたいな解説はネットやムック本でみかけるけど出典はあるんだろうか
それとも小山田の投石隊(実際の記述は郷人達の投石戦法が功を奏したという記述のみで専門的な投石兵が居たとは言っていない)みたいに尾ひれがついた話なのかな >>69
投石も重い石を運ぶのがたいへんなので、攻城戦の防御側、野戦でも伏兵などの最初の攻撃に使われているだけです。
弓矢、石、鉄砲とうまく使い分けています。 >>69
野球でもそうだが、投げる練習をしていないと投石攻撃は効果がないが、投石は農民兵でもできるので、まずは投石攻撃は有効。 >>69
小山田氏は甲斐国、武蔵国の山間部の人間だから、投石をよくするところが拠点だから、投石の技術が高いのはあまりまえ。 「小山田投石隊」に関しては感心なことに丸島和洋氏の著作を根拠にちゃんと俗説であると書かれている。逆に言うと未だ小山田投石部隊を信じる人はwikipediaで熱心に調べるタイプでもないと言えるだろうね。
鈴木眞哉氏すら言っていない「戦国合戦の死傷要因の大半が投石」なんて話を信じている人になると、むしろ何かを根拠に歴史の話をするのが苦手な人なんだろうなと思う。笑 >>74
戦国時代でも前期は石による死傷が多いのは確実
弓矢も多い
それぞれの時代の骨の発掘から、死んだ理由として骨の損傷から死因がわかっている
真田丸だって投石が活躍している
鉄砲の玉不足の武田氏は、投石攻撃率が高いのは普通に考えられること 接近戦になったら、石を投げつけるのが普通。
取っ組み合いになるまではかなり有効。 知識層の中高年が唐突に自分の専門分野と異なる物事について謎の持論を展開して、界隈に突っ込まれるけど一歩も譲らない現象なんなんだろう。どういう心理や機序でそうなっていくのか気になる。 追放後の信虎に特化したスピンオフ作品作ってくれたら面白かったかも。 >>79
小山田信茂の投石話はフィクションだけど、他の文献にかなり書いてある。
人間の争いで投石は基本中の基本。日本は落差が激しい川が多いので、石はたくさんある。 >>80
本編に追放後もかなり信虎の出番あったから実質スピンオフみたいなものかも
まさかあんなに出張ると思わなかったしいつの間にかコメディ要員になってるし
かと思えば急に全員切り倒して覚醒するヒラミキ信虎結構好きだわ 映画やドラマの攻城戦で石を使うシーンがあまり出てこないのは、本物の石を使うと危ないのと軽い偽石だと見た目ですぐにわかるからなんだよな。 長槍も突くんじゃなくて兜を目掛けて上から叩きつけてたんだってね 石に頼って鉄砲を軽視したから長篠で
大敗したんじゃね? 三方ヶ原では投石部隊のせいで徳川軍にけが人が続出したとか書いてあったが違うのか? >>85
武田側は鉛製の玉不足に陥った
長篠城で玉を使いすぎた。
設楽原の戦いでは織田側の兵力を見誤った可能性がある。
武田軍の猛攻で織田・徳川連合軍の陣地を突破されているが、武田側の兵数が半分以下だったのと、鉄砲玉不足で勝てなかった。 昔、日テレ?だったかで「追跡」という番組があり、青島幸男と高見知佳が司会をつとめていた番組があった。そのスペシャル版「大追跡」で『武田信玄の水中墓』というのがあり、諏訪湖を大捜索した結果、"丸に桔梗"の入った椀と、蓋を塞ぐように椀の三方から竹串が差し込んである椀の欠片、そして石が3つ?出てきた。それを調べていくと、丸に桔梗は山縣昌景(三郎昌景)の紋で、串が刺さった椀は諏訪大社の方が「湖の神に捧げ物をする時に、そうした方法がある」云々というのが明らかになる。そして目玉は石。拓本?の専門家が石に粘土を押し付けて僅かな彫り跡を発見するのだ。
一つの石には「武田勝頼」と、武田の菱紋の下に「武田」と刻まれていたと。そして縦長の石には「山縣三郎昌景」と刻まれていた事が明らかになる。〆は「武田が織田·徳川らと対峙する時期になり、亡き信玄の御霊に武田家への加護を祈念したものであろう」としていた。
その時に、ソナーで諏訪湖を隅から隅まで巡った結果、どうやら諏訪湖には菱形の窪みがあり、その底部に"なにか"がある、といってたのを覚えている。その場所は諏訪大社の上社下社とを結んだ線と小阪観音院とどこかを結んだ線が交差するとかなんとか………そんな番組があり、録画してもらって擦りきれる程見た記憶がある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0a7dce0fdf6f309261b7e5f7ccd494629ed0fbeb 我が遺骸は諏訪の海に沈めよ
三年は我が死を隠せ
源四郎(昌景)はおるか、そなたは瀬田に旗を立てよ
の名シーンは史実だったか。すごい。 1582年4月25日、織田信忠が武田家残党を匿った恵林寺を焼き討ちし、快川紹喜らが焼死しました。
3月に武田家が滅亡した後も、快川紹喜は信長に敵対した者たちを匿い、引き渡し要求を拒んでいました。
この際に「心頭滅却せば火も自ずと涼し」との辞世を残したといわれています。
信玄の末娘、松姫はかつての許嫁だった織田信忠に攻められて逃げておりました。
この地に『松姫峠』として名を残しております。 松姫峠は伝説
複数の山道や山村に出没してる
北条氏照の八王子領めざして山越えしたのは
事実だろうけど
甲武国境の何処かの山村で
「その時、松姫様からいただいた鏡」とやらは
明らかに江戸時代中期のものでした