歴史秘話ヒストリア「西郷と最後まで闘った男」★2
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日本最大の内戦「戊辰戦争」。
この戦いで強大な明治新政府軍に一度も負けなかったサムライがいた。山形・庄内藩の酒井玄蕃(さかい・げんば)だ。当時20代の若さで美男、しかも無類のいくさ上手でもあった玄蕃は、固い決意と「北斗七星」の隊旗のもと戦い続ける。劣勢の旧徳川幕府軍で唯一負け知らずだった玄蕃たち庄内軍。それは敵だった西郷隆盛をも動かし、敗者庄内の運命をも…悲惨な東北・戊辰戦争での胸がすく秘話を紹介。
【出演】作家…佐藤賢一,【キャスター】渡邊佐和子,【リポーター】野口葵衣
歴史秘話ヒストリア「西郷と最後まで闘った男」★1
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1567597403/ お前らは34歳より歳上なのに何も成し遂げてないよね 面白い部分はあるけどフィクションの題材としてはやや弱いな 幕末から生き残った人の勝利なんだな
良い悪いは別にして しかし34って
激動の34年だなあ
あらKalafinaがオジャマシマス 大河ドラマじゃ何のための西南の役かさっぱり理由が分からんかったわ 兄弟じゃねえかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 玄蕃もまさか酒田がこんなに寂れるとは想像しなかっただろうなあ ここからどうやって日本軍の考えになっていくんだろうな 世界三大戦争
環七ラーメン戦争
カレー戦争
魔法戦争 庄内藩って会津藩みたいに、官軍に入って戊辰の仇!って西郷軍を討たなかったのか? 会津は未だに根に持ってるって聞いたけど,
庄内はそうでもないの? https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E4%BA%86%E6%81%92
1874年 - 政府の密命で清国を偵察する。帰国後「直隷経略論」を刊行し、開拓使の黒田清隆に提出した。
スパイみたいなこともやってたんだ 老人になってこういうことはしたくねえなあ 自分の研究しろよ 西郷が今生きてたら日韓問題を
どう解決するだろうか 西郷像や肖像画って従兄弟とかの顔を参考にして描かれたものだから実際の西郷を知る人からするとなんか違うって感じだったんだよね せごどんまた観たいなー
DVDセットで売ってるのかな そうだ、日清日露戦争あたりをドラマ化しよう、きっと盛り上がる >>31
新政府作った張本人が下野して政府批判の綺麗ごと抜かしてるのはちょっとねえ >>38
翔ぶが如くの
鹿賀丈史と西田の
激論は見事だった
西郷どんは忘れた 庄内人もすげえ偉いよね
かつての宿敵を尊敬するなんてさ >>5
そんな俺の人生もこの主題歌でラストを締めくくったら何とかなりそう でもこないだ南洲墓地行って感動したわ
鹿児島人は情に厚い どこまでいっても中国のパクリなのが悲しいね〜しょぼーん せごどんの番組終わりのコーナー
で勉強するお爺さん達見たなあ 荘内藩と南部藩への扱いの差に驚くわ。
なんで南部藩にはあんなに厳しかったのか? 戦国時代に生まれていたのなら、伊達政宗より強かったんだろうな。。。
生まれる時代を少し間違えたか >>38
明治六年の時みたいに自分が使節になって韓国に行くって言うだろうなあ >>46
最近の研究ではそんなに違わないんじゃないかって言われてた >>31
印象としては仕事をてきぱきこなす体の大きな知恵遅れの下男・・・なんだけどなぁ >>79
下級武士にも読めるように書いたんだろうな
そういう気遣いができそうな人 >>70
賤ヶ岳の戦いで柴田方の敗因を作った佐久間なんちゃらとか 無用な戦いはしないってことで絶対戦わないってことじゃないぞ 無駄な奥羽越列藩同盟結成して戦争起こしたのはどこのどいつだ? 軍略家ですごい人って基本は平和好きだよね、だからリアリストになれるんだろうけど https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%84%E5%86%85%E8%97%A9#%E5%B9%95%E6%9C%AB%EF%BD%9E%E6%88%8A%E8%BE%B0%E6%88%A6%E4%BA%89
なお、戊辰戦争の直前及び交戦中には会津藩とともに、当時のプロイセン王国に対して駐日代理公使マックス・フォン・ブラントを通じて蝦夷地(北海道)に持つ所領の割譲を提案し、その見返りとして兵器・資金援助や軍事介入を得ようとしていたことが分かっている[3][4]。
奥羽列藩同盟が負けてなかったら北海道にドイツ帝国領エゾラントができてた可能性があるわけで >>84
賤ヶ岳の突撃馬鹿として歴史に名を残す・・・ 今日あったの忘れてた 三国志はやっぱ集客力あったんだな >>57
政府の不満を自ら処理吸収する必要あったからな
自分が反政府の頭目になって最後は死ぬつもりだったんだろ >>83
もったいないわ
左内の死とか俺ごとつけぇぇとかあったのに
長州力も出てたなw 家老とも親交が深かっただろ。
代々西郷の書を守ってきた。 幕末の歴史シミュレーションゲームはないのか、信長の野望的な >>87
安倍ちゃんは何で韓国訪問しようとしないんだろ
こういうときだからこそ訪問すべきと言う意見もあるんじゃないのか 戦わないに越したことはないが、戦うとなれば鬼と化して勝つしかない
ってことじゃないの? 朝敵に認定したらみんな朝廷に味方するだろうと思ってたら違ったからな
画期的な出来事 俺も遊泳禁止の場所で遊んでるDQNに向かって
危ないぞ、沖に流されたらどうするんだ!って注意したら
DQN「おきに流されるって、後鳥羽上皇かよwww」
DQN女「マジ受けるんだけど、超承久の乱〜」
とか言って聞き入れなかったわ これなんで勝ったかあんまりやってなかったな
銃と弾薬いっぱい集めた方が勝ちなんだよ >>107
政治家と違って実際に兵を殺す立場だから厳密にならざるを得ないからだよ
平和が好きなわけではない >>82
庄内だけ甘かったのは金持ち藩で賠償金が多く取れたからと聞いたが
実際に当時の財政を比べたわけじゃないから本当かはわからん >>154
でもおまいら毛髪攻防戦で戦わなかった結果が今の頭部じゃないすか >>107
山本五十六は、アメリカの国力を知ってたから日米開戦に反対だったな。 >>152
本郷和人
「後鳥羽は天皇から権力を喪失させた張本人」 今年の夏、海水浴場の監視員のアルバイトをしていた。
DQNカップルに向かって
危ないぞ、沖に流されたらどうするんだ!って注意したら
DQN「おきに流されるって、後鳥羽上皇かよwww」
DQN女「マジ受けるんだけど、超承久の乱www」
とか言って聞き入れなかった
翌日、ベンチで冷たくなっている内川が発見され、吉村と村田は病院内で静かに息を引き取った >>152
東北諸藩側も尊王を旗印にしてたから
薩長こそをを賊軍とみなした 清を視察に行った時に、環境や気候が違うから日本軍が清で戦っても上手く行かないって報告書出した話だな >>155
玄蕃がどうのより、本間家の財力がすごい >>163
山本五十六って転生して高野五十六と名乗って世界を救うんでしょ? >>172
おまいら「うまい棒がどれだけ買えるの」 >>155
元寇と同じで、新政府軍の主体は恭順した東北兵ばかりだからじゃないの >>82
南部藩がボロボロな中に火事場泥棒のごとく越境攻撃して
ぶちギレた南部藩に津軽平野にまで押し寄せられた
某藩 >>154
戦いに絶対は無いからな
もし戦いになって万に一つでも負ける可能性があるのなら、謀略や間者で敵を弱体化させる方が良い >>103
長州の絶対許さないリストに入ってたからな
本当は薩摩もだったが寝返って免除されたからその分の恨みも一手に引き受けさせられた >>172
庄内藩→酒井港
長岡藩→新潟港
会津とかいう海無し藩w >>178
無駄に戦線広げてる馬鹿藩としか思えんな、南部は >>178
あれは私闘あつかいになったから、その罪は南部藩にはないはず。
南部藩への処罰が重いのは何故なんだろ。 >>184
私闘と言えば徳島藩が須本藩にやった鬼畜の所業 >なお、戊辰戦争の直前及び交戦中には会津藩とともに、当時のプロイセン王国に対して駐日代理公使マックス・フォン・ブラントを通じて蝦夷地(北海道)に持つ所領の割譲を提案し、その見返りとして兵器・資金援助や軍事介入を得ようとしていたことが分かっている[3][4]。
>奥羽列藩同盟が負けてなかったら北海道にドイツ帝国領エゾラントができてた可能性があるわけで
戊辰戦争での薩摩・長州を中心とした新政府軍との対決を目前に、会津・庄内両藩がプロイセン(ドイツ)との提携を模索していたことが東京大史料編纂(へんさん)所の箱石大・准教授らの研究で明らかになった。
ドイツの文書館で確認した資料は、両藩が北海道などの領地の譲渡を提案したが、宰相ビスマルクは戦争への中立などを理由に断ったことを伝えていた。
ドイツの国立軍事文書館の資料で、10年ほど前にドイツ側の研究者が存在を紹介したが、詳細が不明だった。
箱石さんらの調査で確認されたのは、1868年の文書3点。いずれも、ボン大のペーター・パンツァー名誉教授に依頼し解読、日本語に翻訳した。
(1)7月31日付で駐日代理公使のフォン・ブラントがビスマルクへあてたもの。「会津・庄内の大名から北海道、または日本海側の領地を売却したいと内々の相談を受けた。
ミカドの政府も財政が苦しく南の諸島を売却せざるをえない模様」として判断を仰いでいる。
(2)10月8日付で宰相からフォン・ローン海相あて。「他国の不信、ねたみをかうことになる」と却下の考えを示し、海相の意向を尋ねている。(3)10月18日付で、海相から宰相への返事。 >>186
これバカの一つ覚えで言ってる人いるけど薩摩も琉球担保に外国から借金しようとしてるからな >>162
は?まだ戦いは終わってないし諦めてねえ限り負けじゃねえし
頭頂付近まで一時的に後退したが最近リアップ始めたから
こっから余裕で巻き返せるわボケ、年齢的にもまだ30過ぎだし再生能力はあると信じてる
俺は負けてない 負けてない 「新政府軍の沖縄売却計画」
戊辰戦争での薩摩・長州を中心とした新政府軍との対決を目前に、会津・庄内両藩がプロイセン(ドイツ)との提携を模索していたことが東京大史料編纂(へんさん)所の箱石大・准教授らの研究で明らかになった。
ドイツの文書館で確認した資料は、両藩が北海道などの領地の譲渡を提案したが、宰相ビスマルクは戦争への中立などを理由に断ったことを伝えていた。
ドイツの国立軍事文書館の資料で、10年ほど前にドイツ側の研究者が存在を紹介したが、詳細が不明だった。
箱石さんらの調査で確認されたのは、1868年の文書3点。いずれも、ボン大のペーター・パンツァー名誉教授に依頼し解読、日本語に翻訳した。
(1)7月31日付で駐日代理公使のフォン・ブラントがビスマルクへあてたもの。「会津・庄内の大名から北海道、または日本海側の領地を売却したいと内々の相談を受けた。
ミカドの政府も財政が苦しく南の諸島を売却せざるをえない模様」として判断を仰いでいる。
(2)10月8日付で宰相からフォン・ローン海相あて。「他国の不信、ねたみをかうことになる」と却下の考えを示し、海相の意向を尋ねている。(3)10月18日付で、海相から宰相への返事。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています